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07 ピンチはチャンスとされている

 タリアは人間を御せず、翼棟中の者がその敗北を目撃した。それは大勢の魔族の失望を買うことを意味した。

 三階の部屋へ戻るタリアの背中は、意気消沈して丸まっているだけでなく、人々の残念そうな視線にさらされると、徐々に小さくなっていった。

 フローリスは何度か瞬きしてみたものの、目の錯覚ではなかった。実際にタリアは縮んでいたのだ。部屋に到着した頃には、靴のかかとに指が入りそうな隙間が出来ていたし、背も少し縮み、角も一回り小さくなっていた。人間で言うと十二歳くらいだろうか。

「なんか……若返ってないか?」

 困惑を口に出すが、タリアが部屋の中に入って一度ドアを閉めるまで、レイドは答えなかった。

「魔族は失敗を周知されると、人々の失望の念により自然とマジカを失うのです。今まで頑張ってこつこつ貯めてこられたマジカを……!」

 続きは言葉にならないといった様子だ。レイドはフローリスを締め出しそうな勢いで部屋に入ってドアを閉じたので、フローリスは自分でドアを開けた。

 リビングにタリアの姿はなく、レイドが寝室の閉ざされたドアへ向かって呼びかけている。

「タリア様、何があっても我らはおそばにおりますからね! タリア家門、一心同体ですぞ!」

「閉じこもったのか」

 呟いた途端、フローリスは三つの大きな影に取り囲まれた。三人の魔人、ライム、ガル、セルタが凄んできたのだ。

「お前のせいだぞ! 謝れ!」

「血を流させる方が迅速に贖える……」

「焼き肉! 串焼き!」

「やめなさい!」

 レイドが一喝する。その表情は苦々しい。

「タリア様は正々堂々と勝負をなさったのだから、結果を認めないのは不敬なことです。主様を大事に思うなら秩序を保ちなさい」

「でもっ、でもっ……」

 駄々をこねる子供のように何かを言いたげな魔人たちにレイドは首を横に振り、重ねて押し留めた。

 魔族らの様子を見たフローリスは、試しに今朝座らされた一人掛けのソファに脚を組んで座ってみた。今までなら『人間ごとき』には許されなかった振る舞いだが、彼らは歯噛みはすれども何も言ってこない。

 フローリスは微笑んで、肘置きに腕をそれぞれ置いた。勝利を味わうに相応しい柔らかな座り心地だ。

 魔人たちは未練がましくひそひそと話す。

「図々しくない?」

「家門の主に勝利した以上は致し方ない……より壮大なものを要求しないだけマシかもしれぬ」

「でも。あいつ人間。人間にやるもの。何もないはず」

「……なあ! まさかタリア家門があいつのものに……人間の家門になったりしないよな!?」

「滅多なことを言うんじゃありませんっ!」

 三人はびくっと肩を揺らす。レイドが鬼気迫る顔で三人からフローリスへと睨みを利かせた。

「そんなことは私がさせません」

 初老っぽい魔族からフローリスはさすがに無視できない圧を感じたが、せっかくの勝利を揺るがしたくないので、おくびにも出さないように努めて鼻で笑った。

「魔族の疑似家族の長なんてこっちから願い下げだ。ただでさえ家族には手を焼いているのに……」

「こちらが、願い下げですよっ」

 レイドは意地を張って言い返したが、直後に疲れたため息をついた。

「まったく、人間にこんな目に遭わされるとは……。それにしてもお前たち、よくもここまで滅茶苦茶な奴を連れてこれましたね」

 魔人たちは得意げだ。フローリスの呆れた目には気づかなかった。

「オレたちは優秀なんです」

「完璧な作戦と優れた技術は最良の結果をもたらす」

「最強。三人組」

「タリア様が敵わない相手にお前たちが敵うはずがないのだから、成功は偶然でしょう」

 ショックを受けた様子の魔人たちをほとんど無視し、レイドは咳払いをすると続ける。

「まあ、厄介な人間ほど下せば高い評価を得られるものですが。しかしそうはならず、タリア様はお力をほんの少し失われた。目下はお力の回復を目指されることでしょう」

 ガルがその含みのある声色から何かを察した。

「レイド殿、それはもう一人『収穫』してこい、ということか?」

 レイドは返事をしなかったが、それこそが答えを仄めかしている。

 魔人たちは期待半分、不安半分の表情で顔を見合わせた。

「タリア様が敵うような人間を……ってことですか?」

 レイドは揃えてある口髭を少しいじりながら、ライムの問いへたっぷり間を返す。

「さて、どうでしょう。私の発案ではありませんから分かりかねます。お伺いを立てるにはせめて主様がお元気にならないといけませんが、そのお元気のきっかけが今はないというわけですから、我々は堂々巡りですね」

「忖度……」

 セルタが呟く。魔人たちは次は腹を決めた表情で顔を見合わせた。

「よし! じゃあ、タリア様のためにもう一人人間を連れてこよう」

「よろしい。次も貴族か?」

「貴族。城に沢山いた。選び放題」

「そうだな! 前回行った時はあいつ以外に姿を見られてないから、オレたちは知られてないはずだ。また城に行くぞ!」

 そこでフローリスはあることを思いつき、盛り上がる魔人たちに声をかけた。

「僕の兄も誘拐の候補に入れるといい」

 思いがけない提案にレイドも魔人たちもまごつく。

「兄というと、お前と同じ王子ですな? なぜそんなことを?」

「この家門の主でも勝てそうな間抜けを紹介してやっただけだ。ありがたく頭の隅に置いておいたらどうだ」

 本音の見えない返答に魔族たちはますます訝しんだが、フローリスの顔色からはそれ以上のことは引き出せそうにない。

「さて、お前たちはいつまでここに居座っているんですか? さっさと出ていきなさい」

 レイドは魔人たちを外へ追い払うように送り出すと、フローリスを薄目で見やった。

「そう敵ばかり作って、大きな後悔をする日が来ないといいですね」

「忠告どうもありがとう」

 ソファに身を預ける態度は言葉ほど誠実ではなかった。


 ライム、ガル、セルタの三人の魔人は再び一泊二日かけてフォルトナの王城にやってきた。

 そこには予想外の光景が広がっていた。窓は全て硬そうな木製の鎧戸で塞がれており、バルコニーは物が退かされて、もうくつろげる場所ではなくなっている。自然豊かな庭を槍を持った警備兵や犬が警邏していて物々しい雰囲気だ。

「あ、あれ? オレたちのことバレてる……?」

「まず。隠れる」

 三人は高い木々に登って一旦息を潜めた。

「考えれば当然のこと。王子がバルコニーで消えれば、誘拐されたと推測するものだ。だが犯人像までつかめているかは分からぬ」

「なるほどな。でもこれじゃ人間が見えないな~」

 隠密していた三人の頭上に、突然悲鳴のような鳥の声が降り注いだ。発生地点は城の屋根の上で、数羽の猛禽類がこちらを睨み下ろしている。

「どうやら見張りは他にもいたようだ」

「下。集まってくる」

 鼻を利かせた犬たちが木々の下にたどり着き、警備兵が根本を取り囲んだ。

「変な格好しやがって。怪しい奴らめ、降りてこい!」

 三人はのんびりと人間たちを見下ろした。

「なんであんな意味のないこと言うんだろうな?」

「翼も無ければ身体も脆弱だから、言葉を武器にしているつもりなのだろう」

「哀れ」

「何をぶつぶつ話してる! 聞こえてるのか!?」

 より近づいてきた兵士たちは、枝葉の間にいる三人の姿の詳細にようやく気付いたようだ。

「貴様たち、まさか……!」

 その時、呑気な声が兵士たちの背中に投げかけられた。

「また誰か来たの? 僕にも見せてよ」

 魔人たちから見ると、まるで大きな帽子が独りでに歩いているかのような光景だった。たっぷりとした羽飾りが鳥のとさかのようだ。その人物が手で帽子に角度をつけてやっと服装が見える。

 その男は細長い体格で、ドレープとフリルたっぷりのシャツと鮮やかな色の華麗な長いコートを着こなし、長めの金髪をさらさらと肩に流している。顎が細い中性的な顔には、夢見がちそうな人相が表れている。

 警備兵たちが槍を構える中、肩章を付けた隊長格の兵士がその男に敬礼した。

「エメレンス殿下、お下がりください。侵入者は魔族です!」

「魔族? それはいい! 僕、魔族は見たことがないんだ。将来王になる僕が魔族を知らないと、君も恥ずかしいでしょ? 僕に魔族を見せなさい」

「い、いえ、できません殿下。危険です」

 要求を退けられた王子エメレンスは、不機嫌そうにムッとすると背後へ呼びかけた。

「ねぇお母様ー、こいつが魔族を見せてくれないんだ!」

 ちょうど城の裏口が開いたところだった。豪奢で清楚なドレス姿の金髪の女性が、乗っている車椅子を侍女に押されて庭へ出てくる。

「いやだわ、魔族なんて。近づかないで、こっちへいらっしゃい」

「やだよ、絶対見る! 僕は王になるんだから色んなことを知っておかないと、ってお母様もおっしゃったじゃない?」

「そこまで言うなんて、仕方ないわねぇ」

 エメレンスの母、つまり王妃は、駄々をこねる息子のために隊長へ無垢な微笑みを向けた。

「どうか望むようにさせてあげられないかしら?」

「……分かりました」

 隊長の返答には冷ややかな諦めが伺えた。

 エメレンスは早速木の下へ駆け寄ると、三人の魔人たちを目を丸くして見上げた。

「三匹いる! こいつらがフローリスをさらったのかな?」

 魔人たちはいつでも逃げられる体勢でじっとしている。

「もしそうだったら怖いわ。やっぱりこっちへ下がっていらっしゃいよ」

「大丈夫だよ、こいつら全然動かないし。そうだ! 捕まえて拷問しようよ。フローリスのことを聞き出そう!」

 警備兵たちが槍を構え、包囲網を狭め始めた。魔人たちの頭上には枝葉が生い茂っているため、このまま下から槍を突き上げられると逃げ道がなくなってしまう。

 三人は顔を見合わせた。

「このままじゃ。ペット化。確定」

「でも手ぶらで帰ったら主様が……」

「主様の手足は我らしかいないのだ。ここは退くべきだ」

 ガルの説得にセルタが頷いて同意する。二人のお陰で、ライムは悔しさを振り切って決断できた。

「分かった……戦略的撤退!」

 その掛け声で、まずはガルが大きく息を吸うと、耳に刺さるほどの高音を歌った。

「うぐっ……!?」

 城の鎧戸の中で窓ガラスが震える音がする。人間たちが悶える隙に、ライムは黒い翼で空気を捉えてセルタと共に宙へ逃れ、ガルも皮膜の羽で後を追う。

 耳の痛みから立ち直った人間たちが空を見上げた頃には、既に三人の姿は黒い点のようにしか見えなくなっていた。

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