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06 完膚無きまでに負けさせてあげる

 タリアは恐る恐る入室し、棚の中を見た。本、小物、がらくた……全て自分の物だ。

「私の部屋だ。でもこんなこと、どうやって……?」

「あの人間はどこです?」

 ハッとして広くない部屋を見渡す。確かにフローリスの姿がない。だが、寝室へ続くドアが僅かに開いている。

「まさか……」

 タリアは大事な物を全て寝室に置いている。自分以外立ち入らないからだが、それがルールというわけではないので鍵は付けていなかった。今はそれが悔しい。

 ドアを押し開き、そこに広がっていた光景に悲鳴を上げた。

「私のチョコっ!」

「遅かったな」

 フローリスが書き物机に凭れる格好で椅子にふんぞり返って、『マレブランケ』と刻印された小さな箱から小分けにされたチョコレートをつまんでいる。タリアは突進して箱を取り上げた。

「最悪ー!」

「タリア様、まずいです」

 指さされた方を見ると、小さな金庫の戸が開いている。中には王女の印璽が入っているはずだが……。

 レイドが短い悲鳴を上げたので忙しなく振り返ると、フローリスの手が遊戯に使う駒のような物を投げては取り、投げては取りと弄んでいるではないか。それこそが印璽だ。

 印璽はタリアの身分を法的に証明する物だ。印璽がないと、法律的には王族ではなくなってしまう。さすがに顔から血の気が引いて、タリアは震えそうな手で服の下から首に下げている紐を引っ張り出すと、通してある細い笛を吹いた。

「うっ……」

 フローリスだけが顔をしかめて耳を塞ぐ。それから約十秒後、隣の部屋から窓ガラスが粉々になる音が響いてきた。

「大丈夫ですかタリア様ぁー!」

「こっちです、こっち!」

 レイドの声を辿って寝室に飛び込んできたライムとガル、セルタは、怒った顔でチョコレートの箱を抱えるタリアや、印璽を握っているフローリスなどの惨状に息を呑んだ。

「こ、この人間やったな……!」

「温厚なタリア様を怒らせた、だと?」

「吊るせ! 吊るせ!」

 白熱する三人へレイドが命じる。

「印璽を取り戻して、奴を縛り上げなさい!」

 フローリスを三つの化け物が襲った。一人は手の中から印璽を取り戻し、一人は盗人を床に引き倒し、一人がベッドからシーツを抜き取って肩から足まで包む。印璽は無事にレイドの手に渡った。

 これで大事なものは取り戻せた。が、タリアの怒りは収まらない。

「私の物を盗んだこと謝ってよ!」

 足元で簀巻きのフローリスがもがく。仰向けになるため転がろうとしているようだが、その不自由そうな動きが不気味だ。

「聞いてるの!?」

「さっきからうるさいな! 不当な扱いを受けている外国人を一人で部屋に残しておいて、まるで僕ばかりが悪いかのように言うじゃないか」

 タリアは痛いところを突かれた気がした。

「ひ、一人になったからって他人の部屋で何でもしていいわけじゃないでしょ!」

「身勝手に誘拐して虐待してる奴が言えることか?」

「だってあなたは人間だから! 人間は私たちとは対等じゃないんだもの!」

 フローリスが痛いほど見つめてきて居心地が悪かった。やがて相手は呆れたように大きなため息をついた。

「そう学んで育ったというわけか。確かに僕も魔族は卑怯な野蛮人だと学んだ。少なくとも僕の方は、知識は事実を見なければ真実にならないと思っていたが……」

 そこまで言って再びため息をつく。

「盗人猛々しいとはこのことですかな」

 レイドは苛立ちを隠さなかった。一方、ライムはリビングを気にして尋ねる。

「いつ模様替えしたんですか?」

「する予定はありませんでしたよ。奴がやったのです」

「え、一人で!?」

 魔人たちはフローリスに感心しそうになったようだ。

「部屋を元に戻すなら手伝いますよ!」

「タリア様、どうしましょう?」

 問われたタリアはベッドの足元に置いてある長持ちに座り込んだ。運動しただけではない重たい疲労が体に伸し掛かっていた。

「うん、お願い。私はその間にちょっと休もうかな……」

 魔人たちは寝室から簀巻きの盗人を引きずり出そうとした。

「もうメモは見ないのか?」

「え……?」

 思いがけない指摘を受けて顔を上げる。足を引っ張られているフローリスがシーツの中から向けてくる上下逆さまの目は、先ほどの刺々しいものとは違った。

「気合では解決できないもの、その答えは『暇』だ。いい謎かけだったじゃないか? 僕は暇を潰すために不必要な反撃をせざるを得なかった。ここまで追い詰めたのに、今更僕を諦めるのか?」

 タリアは怒りが再燃するやら、呆れるやらで複雑な表情になった。

「な……なにそれ? 私に何かさせたいの?」

「他にも作戦を用意していたんじゃないのか、って聞いてやってるだけだ。まさか本当にこれで終わりか?」

「なんでわざわざ聞くの? 躾のこと拷問って呼んで嫌がってたくせに」

「色々と用意周到に準備して調子に乗ってた割にほとんど成果を上げられてないお前のことが、同じ王族として可哀想になってきてね」

 突沸のようにタリアの頭に血が上った。

 その瞬間、寝室につむじ風が吹き荒れた。風はベッドの天蓋を揺さぶり、クローゼットの戸を鳴らし、壁に掛けてある骨だけの猫の絵画を千切り取らんばかりに脅かす。

 立ち上がったタリアの朱色の瞳はマジカの活性化で爛々と輝いている。主の未だかつて見たことのない様子を目の当たりにした執事と魔人たちは縮こまった。

「やるっ! 最後の躾で絶対絶対泣かせてやる!」

「そう来ないと」

 フローリスの口元に挑戦的な微笑が浮かんだ。


 タリアはフローリスを連れて翼棟の裏庭へ出た。レイドは主の後を心配顔でついて回った。

「タリア様、次は一体どんな策をお考えなのですか? 何か私めにお手伝いできることは?」

 ややあって、タリアは毅然として答える。

「何もないよ」

「え、ないっ? 先程『最後の躾』と仰っていたのは……?」

「そんなの無いよ。昨日考えておいた分は終わっちゃったもの。でも人間から売られた喧嘩は買うのが常識でしょ? だからとりあえず買っておいたの。有事の備えみたいなものだよ」

「なるほど、お部屋がガラクタだらけになるのはそのせい……いえ、何でもありません。いや、しかし、いくら相手が人間風情とはいえ無策では少々厳しいかと……」

 するとタリアはしわのついたメモを突きつけた。レイドが見てみると、メモには『躾』の方法がリストアップされており、そのほとんどに完了済みを表すチェックマークがつけられている。だがリストには一回り小さい文字でだが続きがある。

「『昔ながらの方法』……まさかタリア様……」

 お考え直しを、という言葉を執事は飲み込んだ。主の顔を見て、既に揺るぎなき決意を固めていると分かったからだ。

 そこへ、翼棟の壁を伝って下りてきたセルタが、タリアに革製のリードを渡していった。ベルトのようにバックルで輪の大きさを調節できる首輪と、取っ手のある長い紐が一体化している。

 タリアはその首輪をフローリスの首にはめた。

「いい? 人間。今から私と一緒にこの庭で散歩するよ。あなたが私のペットだって証明するためにね」

「方法が単純すぎてちょっと失望したが、まあいい。やれるものならやってみろ」

 翼棟の沢山の窓に次々と見物人が集まっている。そのことに気づいたレイドは冷や汗をかいていた。

 衆人環視の中で人間を躾けることは、自分の魔族としての威厳を証明する方法としては最も単純なものだ。だからこそ成功すれば効果的に名声を上げられるが、失敗すれば一生ものの不名誉を背負いかねない。

「タリア様っ、姫君方が見ておられます。何かあれば、御身は……ひいては家門自体に何かが起こるやも……!」

「分かってるけど、もう何でもいいよ。勝っても負けても私はどうせ十五番目だと思うから」

 言葉に反して声色は明るく、落ち着いていた。

 これまで家門に漂っていた絶望的な諦めとは違う、ありのままの自分を見つめた結果の、前向きな諦念だ。レイドは食い下がるのをやめ、もはや流れに身を任せることにした。

 今からタリアが行う躾方法は『昔ながらの方法』で、現代の魔族的には野蛮なものだ。洗練されておらず、暴力的なところが見苦しいとされている。貴族たちは皆、顔をしかめるだろう。

 だが、良い面もある。昔の方法を持ち出すということは、それだけその人間の抵抗力が大きいということだ。そして魔族は抵抗力が大きい人間ほど能力が高いと見なしがちである。

 つまり、もしタリアがこの野蛮な躾方法で見事フローリスを御したなら、とても有能なペットを持つ立派な魔族、ということになる。今までの評価を覆すことができるかもしれないのだ。

 タリアはフローリスのリードを引いて裏庭に立つ一本の低木の隣に立った。まるで競走選手の面持ちで。

 運命を賭けた散歩に出る主へ、レイドは頭を下げた。

「では……行ってらっしゃいませ」

 その瞬間、二人は走り出した。

 タリアはフローリスのリードを張り詰めさせようと腕を伸ばしながら。一方、フローリスはタリアと並走しようというつもりだ。両者、裏庭の芝生を削る勢いで疾走する。

 先に息を荒げ始めたのはフローリスだった。タリアは口を開けて笑う。

「あはは! 思った通り、私の部屋の模様替えをして疲れてるんでしょ? 食後のお昼寝でもしてたらよかったのに!」

「はっ、黙って前でも見てろ! 僕の隣でなッ!」

 二人の身長差はさほど無く、フローリスの方が少し高いくらいだ。だから脚の長さもほとんど変わらないのだが、突然フローリスの勢いが一、二段上がり、どんどんタリアを突き放していく。

「ちょっ……待てぇ!」

 タリアも必死に足を前へ出すが、ほとんど差が縮まらない。そこで思いつく。

「あ、そうだ」

 急に方向転換すると、自然とリードが張り詰めた。フローリスの首が締まる。

「ぐっ――」

「私はあなたについていかなくてもいいんだよね! 前を走りたいなら勝手にどうぞ、立ち止まるだけだから! でもあなたはそうはいかないでしょ?」

 フローリスは咳き込みながら恨めしそうに睨みつけてくるが、タリアはどこ吹く風でスキップを始める。

「あなたが首輪をしてる限り、何をやっても無駄な抵抗だよ~」

「…………」

 しばらく引っ張られるがまま歩いていたフローリスだったが、周囲を軽く見渡すと、枝葉を広げている背の高い木へ向かい始めた。

「木登りするの? 私も得意だよ?」

「下りるのも得意だといいな」

 フローリスは首輪に近い部分のリードをしっかり握ると、たわんでいる部分をタリアの腕に素早く一周させてから木の幹へ向かって跳び、二歩歩いた、ように見えた。腕を伸ばしてさらに高さを稼ぎ、太い枝の又に手が掛かると、三歩目で再び跳躍して、枝の上に体を乗り上げる。

 否応なく、タリアは腕を上へ引っ張られて宙吊りにされた。体重がかかり、リードが食い込んだ細い腕は、すぐに痛みの限界を訴え始める。

「いやぁっ! ちょっと、やめてよっ!」

「た、た、タリア様っ!」

 今まで静観していたレイドが血相を変えて飛んでくる。懐から出した小さいナイフでリードを切ってタリアを下ろした。

 手首は痛々しく赤くなっている。タリアはそれを庇いながら涙目で相手の顔を睨む。

「なんてことするの……!」

 だがフローリスもまた、外して投げ捨てた首輪の下には締められて出来た赤い痕がある。

「『人間ごとき』を――僕を、侮るなよ。魔族」

「……!」

 タリアはその時気づいた。彼の瞳の碧色が深く、美しく見えるのは、その奥底に仄暗い光が潜んでいたからだと。

 たかが人間、されど誰かが言っていた……人間は角がないだけの魔族だと。もしそれが事実だとしたら?

 こんな冷酷な目をする者に自分が敵うだろうか?

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