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05 矛であり盾であり

 タリアはフローリスを連れて、王女たちの翼棟から離れへ向かった。

 道中すれ違った者たちの格好が質素であることから、ここは王族の住まいではないとフローリスは察した。

「仮にも王女がこんなところに何の用だ?」

「仮じゃなくて本当に王女ですー。ここは昔よく遊びに来てたところなの」

 タリアは勝手知ったる様子で進んでいくと、ある部屋の前で立ち止まってドアをノックした。

 ややあって、中から女の声が聞こえた。

「今は着替えているところよ」

「でも、アンブローズ様からの使いです」

 タリアはそう答えると、自身は下がり、代わりにフローリスをドアの方へ押し出した。

「何だ?」

 眉を寄せて振り返ったフローリスの顔が、肩が、開いたドアの隙間から伸びてきた何本もの女の腕に絡め取られた。腕は彼を中へ引きずり込んでドアを閉めた。

 中からバタバタと床を蹴って暴れる音が少し聞こえたが、やがて止む。タリアは手の甲を腰に当てて頷いた。

「これでよしと。あとは淫魔の姉様たちにお任せだね。あー楽しみ、人間は何分保つのかな? まあ、相手はあの姉様たちだもの、すぐ泣いちゃうに決まってるよね!」

 勝利を確信して笑みが止まらない。

 淫魔の姉様たちとは、数十年前のタリアの未熟期にお世話をしてくれたり、遊び相手になってくれた女たちだ。タリアにとってはただの姉代わりだったが、本来の淫魔は、成熟期以上の魔族や人間に性的行為を仕掛けて、精気という生物に必要な活力を吸い取ってしまう厄介な魔人である。

 淫魔は生きるために精気を吸うが、『大食い』なので吸いすぎてしまうことが多く、しばしば相手を無気力の役立たずにしてしまう。かつて魔界に法律が浸透しておらず、権力争いが絶えなかった頃は、淫魔の刺客が大勢いて、罠と淫行が蔓延ったという。そのせいで没落した貴族家門があったほどに。

 人間がそんな淫魔に群がられたら一体どうなってしまうのか。タリアは姉様たちの食事シーンを見物させてもらえたことはないが、貪られた者がどうなるかは知っている。同意の上で身を差し出したある魔族は、目つきがぼんやりとして、口元にだらしない笑みを浮かべていた――多幸感に溺れた者の末路だ。

 減らず口の多いフローリスもさすがに大人しくなるに違いない。

 そう思って、先に部屋に戻っていようとした時、背後のドアが重々しく軋んだ。

「ん?」

 振り返ると、ドアの暗い隙間から淡い煙が滲み出していた。煙の正体である香の、むせ返りそうなほど濃い香りが鼻をつく。その隙間が内側からさらに押し広げられ、目が据わっているフローリスがぬっと現れた。

「あ、あれ……?」

「女たちなら中で寝ているぞ」

 タリアは慌てて部屋の中を覗いた。雰囲気のある暖色の照明が天井から垂れ下げたベールの中を照らしており、絨毯の上で薄着の女たちが脚をかばって悶えているのが見えた。

「ちょっと! 何したの!」

 勢いよくフローリスを振り返る。彼は廊下の壁に凭れかかって答える。

「脚に効くツボを衝いてやっただけだ」

「なにそれ、危ないの!?」

「タリア様、あたしたちは平気ですぅ~」

 部屋の中から淫魔の一人がうめき声を上げ、他の者が泣き言を言う。

「えーん、そいつ魅了が効きませぇん」

「淫魔の魅了の魔法がかわせる訳ないよ。どうやったの?」

 フローリスはタリアの半信半疑の顔を一瞥して一言だけ返した。

「気合」

 それが淫魔たちの矜持を揺さぶった。

「ふざけてるんじゃないわよっ!」

「あたしたちは魔王様お抱え淫魔なのよ!? 人間の気合ごときがなんだっていうのよ!」

 絨毯の上から発せられる負け惜しみを、人間の王子は嫌な笑みで封じた。

「ふっ――厳格に鍛えられた僕の精神力と護身技術を侮るなよ」

 唸るしかなくなった姉様たちと同じようにタリアも悔しかった。だがもう大人だ、姉様たちに情けない姿を見せたくない。なので無理やり勝ち気に笑った。

「ま、まあ、次はこうはいかないと思うよ? 気合とかツボを押すとかじゃ解決できないんだから」

 とはいえ二連敗のせいで内心は不安だった。


 二人は誰もいない部屋に戻った。タリアがいつものようにソファへ座ったので、フローリスは少々期待外れといった目で見た。

「強がっていたのに何もしないのか?」

「ちょっと休憩。階段を下りたり上ったりして疲れたの」

 気だるげに伸びをしているところへレイドが外から戻ってきた。彼はタリアを見つけると、焦った様子で言う。

「タリア様、姉姫様方が集まっておいでです……緊急のご家族会議です」

「えっ。も、もしかして、朝の首長狼のことで皆怒ってる?」

 レイドは曖昧な角度で頷く。タリアは片手を頭の後ろにやって困った顔をした。

「わぁ~どうしよう、行きたくないなぁ。でも理由を説明したら分かってくれるかも。よーし行ってみよう」

 弾みをつけてタリアはソファから立ち上がり部屋を出た。レイドがドアに鍵をかけ、二人は廊下を歩き始める。

 向かった先は屋内運動場だ。広い板張りの床は白い線で区画分けされ、球技用や剣技用のコートが数面ある。

「さーてと」

 タリアとレイドは腕まくりをした。


 一方その頃、フローリスはタリアの部屋に一人残されていた。監視の目から解放されるのは王城からさらわれて以来初めてだ。しかも話しぶりからしてタリアたちがすぐに戻ってくるとは思えない。

 これは逃走経路を見つける良い機会だ。

 まず窓を開けてバルコニーに出た。三階から見下ろした地上は遠すぎることもないが近いわけでもない。外壁の出っ張りを利用すれば下りられないこともなさそうだ。

 下りた先は裏庭だ。芝生が生え揃っている他は刈り込んだ低木しかないので身を隠せる場所はない。翼棟中の窓に睨まれながらこの裏庭を移動するのは少々難しいだろう。特に、この翼棟は王女のためのものなので、細身とはいえ男のフローリスは目立つに違いない。

 一旦窓を閉めてその場に足を組んで座す。目を閉じて聴覚に集中してみても、廊下からはまだ何も聞こえてこない。

 時間はもう少しありそうだ。


 長方形のテーブルを二分する細長い網の仕切りの上を、ぶよぶよした半透明のボールが危なっかしい軌道を描いて行き来している。ボールはタリアとレイドがそれぞれ握っている小さなラケットにはたき落とされたり、テーブルで弾む度に、べちょ、べちょ、と粘着質な音を屋内運動場中に響かせる。

 長く続いたラリーの末、タリアが自陣で一度弾んだボールを打ち、レイドの側へ返した。だが打たれた衝撃がボールの形状を波打たせるため、重心が定まらず、軌道は不安定だ。

 その結果、タリアが打ったボールはテーブルに触ることなく床に落ちた。

「あー! やっちゃった……」

 テーブルに手をついて悔しがる。レイドの方はラケットを両手で握って喜んだ。

「十対九、試合終了です。ということで、約束ですぞ」

「分かったよ~。ご褒美はマレブランケの唐辛子チョコレートね」

「楽しみですな」

 レイドはうきうきとした様子で互いのラケットとボールを倉庫へ戻しに行った。タリアはハンカチで額の汗を拭いながら、壁の高いところにある大きな時計を仰いだ。

「えーと、二時間くらい稼いだかな」

 激戦を繰り広げたり、昼食休憩をしたりしている間にすっかり昼下がりだ。

「人間はどうしてるかな。もし寝てたら叱ってやらなきゃね」

 戻ってきたレイドが悪戯な含み笑いを浮かべる。

「あんなふうに部屋を出たタリア様が実はスライム卓球をして遊んでいたなんて、奴は夢にも思わないでしょう」

「レイドの演技が良かったよね。本当に家族会議に呼ばれたみたいに緊張しちゃったもん」

「恐縮です。何よりタリア様の作戦が見事だったのですよ。『人間にとって、時の流れとは鉛より重くのしかかるものだ』。さすが魔王の王女、教養が身についていらっしゃる」

 部下からの率直な賛辞がタリアに自信を取り戻させた。

「よし、戻ろう」

 二人は部屋への帰路についた。

 ――二人は時々このように主従の関係を忘れてゲームを楽しむことがある。友達もおらず出不精なタリアに最低限の運動をさせたくてレイドが提案したのが始まりで、今では何十年と続く習慣だ。

 タリアはその習慣ついでにフローリスへの躾を行った。部屋に閉じ込めて無意味に暇を過ごさせる、という『躾』を。

 無意味に、というところが重要なので、タリアは自然な流れで部屋を出ていきたかった。そこでレイドに協力させて、でっちあげを喋ってもらったのだ。今回のゲームはレイドへの報酬を決める意味もあって行われたのだった。

 部屋の前に到着し、レイドが鍵を解錠してタリアのために開く。

 中へ入ろうとした二人だったが、ぎょっとして脚を止めてしまった。

「え? 部屋間違えた……?」

「そんなはずは……タリア様の鍵で開けたのですよ」

 二人の目の前には家具が全く違う場所に配置されている見知らぬ部屋が広がっている。

 厳密には全く知らない部屋ではなく、家具は見慣れた物だ。なのに、ソファとテーブルのセットが窓辺に移動し、壁際の棚の並び順が変わると、まるで他人の部屋のよそよそしさがあった。

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