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02 確実に一歩前進

 ライム、ガル、セルタの三人は、次の日の昼に人間の国、フォルトナ王国に到着した。同じ距離を人間が旅しようとしたら何倍もの時間がかかるだろうが、人間より素早く動けて体力もある彼ら魔人にとっては往復二泊三日程度の楽しいお出かけである。

 三人は早速、王城の窓がよく見える高い木々の中に身を潜めた。たくさんある美しい窓の一つ一つに、人間たちの暮らしの様々な場面が覗ける。

 セルタはゴーグルの縁を捻った。縦長の瞳孔を持つ瞳がレンズの中で拡大する。

「どれにする?」

「人間は装いの豪華さで格付けし合うという。執事曰く、布を最も贅沢に纏っている者にすべきだそうだ」

 ガルの知見豊かそうな意見も参考にして三人は窓を物色した。するとライムが着替え中の淑女を指差す。

「あそこのたくさん服を持ってるやつは?」

「すげ。宝石も。いっぱい」

「確かに位は高そうだ。しかし、隠密しながらあの巨体を運ぶのは困難ではないか?」

「それもそうかぁ」

 次はセルタが何かを見つけた。

「あの小さい動物。皆。服着せられてるぞ」

「本当だ! きっと飼い主は余るほど服を持ってるんだな!」

 その部屋ではたくさんの小型犬が興奮して跳ね回っていた。そこへ窓の端から餌の器を持つ両手が現れるが、手の主が裸だと気づくと、三人は伸ばしていた首を元に戻した。

「期待外れ」

「動物に全財産を使っちゃったのか?」

 他に候補を探し始めた時だった。遠くから乱暴にドアを閉める音が響いてきたので、三人は城の中腹にある広いバルコニーに目を向けた。

 細身の男が荒々しい足取りで出てきて、手すりに両手をついて項垂れ始める。その人間が苛立っていることは三人の目にも明らかだ。厄介な状況を避けるために、三人は一旦今まで以上に気配をころして息を潜めた。

 人間は大きなため息をついたり、指先で手すりを叩いたりしている。その思案は長かった。やがて落ち着いたらしく、淡い金色の頭を上げて部屋の中へ戻った。開けっ放しの大きな窓から、誰かと短いやり取りをする様子が不明瞭に漏れ聞こえた。

 それから人間はまたバルコニーへ出てくると丸いテーブルに腰掛けた。少し待ち、飲み物や食べ物が配膳される。

 一連の様子を見てガルはひらめいた。

「絶好の機会だ。あれを攫おうではないか」

 二人はその意図をすぐに汲めた。

 その人間は、あえて言うなら三人の主と同じくらいの成熟初期段階で、魔族の基準では『弱小』だった。しかし銀糸の刺繍が施されたコートを着ており、立襟や袖から柔らかいレースを覗かせていて優雅なので、身分が高いことは間違いない。それに飲食が必要ということは健康ということだ。その割に細身だが利点はある。運びやすいし、もし抵抗されても余裕で抑えつけられるだろう。

「今。無防備。孤立してる」

「よっし、やるぞ! 作戦その一な!」

 三人は頷き、木をほとんど揺らさずに各々散った。

 人間は、風もないのに僅かに揺れたその大きな木に一瞬目を向けたが、それ以上は気にしなかった。その隙にライムの翼が上空から影を落とした。

 鳥にしては大きすぎる影に人間は驚いて顔を上げた。太陽の中に浮かぶシルエットが人の姿に近いと気づくと咄嗟にコートの下へ手を伸ばす。だが、短い鞘の中身はもう無い。椅子の後ろに忍んでいたセルタがナイフをスリ取った後だからだ。

 人間はテーブルの上の物を揺らして立ち上がったが、同じ時にバルコニーの手すりへガルが着地した。

 ガルの奥が見えないほど長いフードの下から黒い煙が吹き出す。煙は人間の驚いている顔にまとわりつくと、目蓋を閉じさせて意識を奪った。

 力の抜けた人間の体を急降下してきたライムが抱える。

「撤収!」

 ガルがセルタを足に掴まらせ、三人は魔界へ飛び去ったのだった。


 タリアが日課のオルガン練習をしていた昼下がりに三人は帰ってきた。リズム感の足りない曲を奏でるのを止め、タリアは絨毯の上に転がされた眠る人間を覗き込んで、夕日のような朱色の目を輝かせた。

「うわぁ、このコートすごく綺麗。髪も綺麗だし健康そう。これが人間の貴族?」

「他にもたくさんそれっぽいのはいましたが、一番良さそうなのはこいつでした!」

「妥協はしなかったわけですね?」

 執事レイドに探られた三人は頷いたが、自信満々というほどではないようだ。

「まあ、お前たちにしては頑張ったのでしょう」

「私は気に入ったよ! ありがとうライム、ガル、セルタ。後でご褒美のおやつあげるね!」

 三人はハイタッチを交わして喜んだ。

 その騒ぎが人間を魔法の眠りから目覚めさせた。人間は短く唸って碧色の目を開けると、まず目の前にあった一対の朱色の目に焦点を合わせた。

「私を見たよ! ねえ、今日から私がご主人様だよ?」

 人間は目だけを動かして、はしゃぐタリアや周囲を観察したのち、上体を起こした。

「お断りだ。対等に扱え」

 この開口一番にタリアも四人も面食らった。三人の魔人たちが主への無礼を真っ先に咎める。

「生意気だぞ!」

「身の振り方は考えた方が良い」

「弱いやつ。歯向かうな」

 しかし人間は怯まなかった。

「何もできるわけがない。僕が必要らしいじゃないか」

 正しい反論だったので三人は歯噛みするほかなくなった。そこへレイドが咳払いを挟む。

「人間、それでもあなたには敬意を持っていただきたい。この方は魔王様の十五番目の子、タリア様であられます」

 紹介されたタリアは自然な仕草で姿勢を正して胸を張った。これでも王族としての威厳ある立ち居振る舞いは身につけている。人間もタリアの品格の高さは分かったようで、立ち上がると形式的だが礼を返した。

「僕はフォルトナのフローリス、ヨーゼフ王の二番目の息子です」

「それじゃ、あなたは王族ってこと……!?」

 タリアは目を輝かせて自分の家門を振り返る。

「やったよ皆っ! 一番偉い一族の人間を手に入れた! 大収穫だよ!」

「誠に素晴らしい成果をお上げになりましたね、タリア様。このレイドも誇りに思います」

 そう声を震わせ、眼鏡を少し上げて目尻をハンカチで拭いすらしている。魔人三人も肩を組み合って自分たちの仕事の出来栄えを今一度祝う。

「みんな……」

 初めて目にする家門員たちの喜ぶ姿がタリアの胸をいっぱいにした。自分の配下を持って家門が形成されてから四十数年あまりの時が経った今、ようやくこの輝かしい場面に至ったのだ。

「これで魔王様に褒めてもらえるよ」

 満ち足りた気分だった。フローリスが背後で嫌味っぽく鼻を鳴らすまでは。

「父親からの評価が気になるのか。見た目どおり幼稚だな」

 場に衝撃が走り、誰かが息を呑む。

 タリアの拳がわなわなと震えた。強烈な侮辱の言葉を受け止めきれないのだ。四人は白いのか赤いのか分からない主の顔色を窺い、次々に声を張った。

「愚かしい! 下等種族に何が分かるというのやら!」

「せめて角を持ってから言えっ!」

「タリア様は美も力も成長期であられるだけである」

「馬鹿。口。縫うぞ」

 フローリスは冷笑でそれらをかわす。

「どうやら魔族の弱点を突いたか」

 もはや魔族を少しも恐れていないようだ。四人は、角も何もない『たかが人間』が、自分たちの事のほんの一部を知っただけで全てを分かった気になっていることに腹が立ったし、悔しくてたまらなかった。なぜならフローリスの指摘は間違っていないからだ。

 だから四人は主を慰め始めた。

「タリア様はよくやっておいでですよ。家門をずっと保っているではありませんか!」

「その通り。ご立派であられる」

「継続するってすごいよな!」

「美人。美少女。国民の妹。的な」

「……もういいよ、分かったから」

 一生懸命な四人をタリアは暗い声で遮った。拳の力を緩めこそしたが、何かを耐えようと目は閉じたままでいる。

「私が何十年も何もせずに魔族をサボってたのは事実だもの。いちいち言われなくても自分が一番分かってるよ……」

「タリア様……」

「でもこれからは違う」

 朱色の目がかっと見開かれると、その気迫で空気が揺れた。

「私は人間の王族を手に入れて、世界の権力争いに混ざったの。もう後には引けない。だからいっぱしの魔族として、魔王様みたいな悪逆非道を目指す! それでまずはこの狭い部屋から広い部屋に移るっ!」

 レイドたちは主の気合を浴びて目を熱く輝かせ、大きな拍手を鳴らした。

「タリア様、ご立派です! では次の一手はどうなさいますか?」

「次はね、ちゃんと考えたよ。この人間をお披露目して、私もサボってばかりじゃないってことを見せつけるの! どう?」

 さらに大きな拍手が起こった。レイドは主の成長ぶりに感激して、またも目尻を拭う。

 一方、フローリスは冷徹なため息をついた。

「……さてと……」

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