14 人間の瑣末な腹積もり《終》
騒ぎが収まったところへヨーゼフ王が出てきて、国民に説明した。王の座を降りたことや、フォルトナは魔界の属国になるであろうことを。
王国軍は既に戦意喪失していたので、フローリスたち魔王軍は、完全に王城を掌握できた。
城の損傷が激しかった一方で、死者は確認されていない。とはいえ怪我人が大量に出たので、これは戦争だった。
これから魔王軍は魔界へ帰還する。フォルトナの統治を始める魔界の高官と入れ替わりになるだろう。
今は、精鋭部隊の面子は王城の食料を漁って帰還前の腹ごしらえをしている。フローリスはタリアと一緒に裏庭の適当なところに腰を下ろしていた。
激動の一日が終わった。夕日が城壁から降りていく。
タリアが抱いているアヒルが、腰に巻いている小さな鞄をくちばしでつつく。タリアは携帯食料のビスケットのことを思い出して鞄を開けた。
「わー……粉々」
ほとんど欠片になってしまっている。アヒルがくちばしを突っ込もうとするのを阻止しながら、一握り掴んだ。
「食べる?」
「いや……」
「あ、無事なのあったよ」
ほとんど欠けていないビスケットを差し出す。フローリスは遠慮がちに受け取った。
「ありがとう」
タリアは比較的形が残っているビスケットを探し出しては手に集める。アヒルはそれ以外を必死に啄んだ。
「おまえも家族には苦労してるな」
「えー? 普通だと思うよ」
魔族なら、という注釈が要るだろう。
「人間の方が大変そう。複雑なことを解消する方法が少なそうだもん」
「……そうかもな」
力なく答えて、フローリスはビスケットを口に入れた。
タリアも気づけば空腹だったので何枚か食べる。
「それで。そろそろ話してよ。さっきの王様の話で何をしてたのかは分かったけど、どうして相談してくれなかったの?」
フローリスは飲み込んでから答えた。
「一人でできることだったから」
「侵略が? じゃ、なんで何も言わずに出ていったの?」
「それは不可抗力だ。魔王に魔法を使われて、兵舎に入れられたから」
「……なんでそうなったの?」
タリアにとっては謎が謎を呼ぶ話だ。
フローリスは順を追って教えることにした。
「フォルトナの侵略は、おまえたちに攫われたのをきっかけに考え始めたんだ」
その日、フローリスは父に政治について意見をしたが、最終的に無意味な口論になってしまった。
フローリスが提起した問題点は、貴族が絡む政治の腐敗だった。
フォルトナの貴族が王の政治に介入し始めたきっかけは、ヨーゼフ王が家庭の問題を抱えるようになったことだった。貴族たちは初めこそ王を支えていたが、段々と権力欲に負けていったという。
「家庭の問題って?」
「僕の父親が誰なのかという、根拠の薄い疑念だ。でもそのせいで僕たちは長年、関係が崩壊していた」
気付いた時には権力の均衡は手遅れなほどに傾いていた。
貴族たちの運営の元で、フォルトナは国境警備が薄く、地域ごとの貧富の差が激しい、いびつで治安の悪い国に変わってしまった。
状態を抜本的に変えるにはとても大きな力が必要だった。
そんな時にフローリスは魔界に連れ去られ、タリアが謁見した夜、魔王に呼びつけられた。
魔王がフォルトナ侵略を予告した時、フローリスはそれこそ自分が求めていたものだと悟った。
自ら祖国を侵略することで改革を行う。恐ろしい方法だが、他に自分ができることはないし、自分の本気をヨーゼフ王に知らしめることができる。
「それに、どうせ祖国の地が踏み荒らされるなら、魔族より自分がやった方がマシだと思った。だから魔王に、自分にやらせろと申し出たんだ」
全て聞き終えたタリアには、一つ納得できないことがあった。
「ねえ、そんなにこの国を大事にしてるのに、本当に他の人に支配させちゃうの? ……王冠はまだここにあるよ?」
預かっているフォルトナの王冠を両手で挟んで鼻先に突きつける。
「父から取り上げたんだから僕は貰えない。それに、僕はこの国を裏切った」
「今は魔界の人間でしょ?」
「だからだよ。国民が僕に反発したら魔王がまた兵隊を出して内戦になるだろう。こんなことをした意味がない」
「それは政治の話でしょ。そうじゃなくて、フローリスはそれでいいの?」
問われたフローリスは苦しいような顔をして、地面に視線を落とした。
「いいんだ。ここには思い出がないから」
「無理してない?」
「そんなに気を遣わなくてもいい……まあ、強いて言うなら、一つだけ」
フローリスが八歳の時だった。エメレンスが、人から八年前に父と母の間に起きた事件のことを聞いて、詰め寄ってきたのだ。
『――父上は噂だけで母上に怒鳴ったんだって。それで母上は自分が分からなくなって、階段から落ちたんだ。脚がお悪いのはそのせいなんだよ。なあフローリス、母上が可哀想だよね? 僕たちも放って置かれてるし。それは全部、父上が悪いんだよ。父上が本当のことを確かめてたらこんなことにはならなかったのに。そうだろう? お前も母上を可哀想と思うよね?』
エメレンスは孤独に苛まれていた。共通の敵を作ることで『家族』を得ようとしていた。
「僕は、分からなかったから、兄の仲間にはならなかった。兄の話はまるで他所の家のことのようだった。生まれた時の騒ぎのせいで、三人ともほとんど僕を構わなかったから、自分は養子じゃないかと疑ったこともあったよ。なのに周りは僕にあの家族の何かを変えることを期待していたようだった。僕から見れば、普通の家族だったんだが」
フローリスは軽くため息をついた。
「まあ、何も出来ないのに偉そうな兄が好きではなかったせいもある。服もどんどんおかしくなっていくし……」
長い話を終えた彼をタリアは少々物珍しく眺める。
「フローリスのことを聞いたの初めて。でも、いい思い出じゃないね」
忌憚のない意見を返されると、フローリスは口の端を力なく上げた。
タリアは改まって、王冠を持ち上げた。
「だったら、これ、私がもらっていい?」
一拍後に理解したフローリスは、碧眼を丸くしてタリアを見つめる。
「覚悟があるのか? 王女様……」
「そっちこそあるの? 家門の皆でここに引っ越すんだからね」
自信に満ちた笑顔が人間には眩しい。
フォルトナを奪取したフローリスはタリア家門の一員だ。だから家門の主であるタリアにフォルトナの統治権が発生してもおかしくないのだ。
自身のことに夢中だったせいで、今の今まで魔族の常識を失念していたのだった。
「はっ……それは、楽しみだな」
フローリスはどこか清々しかった。
タリアは元気に立ち上がる。
「よし、じゃあ早速魔王様に頼みに行こう!」
そこへ上空から声が近づいてきた。魔人たちだ。
「タリア様ぁ~! 酷いんですよ、人間どもが!」
「手が空いているなら手伝えと居丈高に呼び寄せて……」
「片付け。やらされた」
着陸するや否や口々に不満をわめくが、怪我もなく体力も余っているようだ。
それを確認するとタリアは腰に手を当てて言った。
「お疲れ様。でも休む暇はないよ。すぐ魔界に帰るから」
「今からですか!?」
大変な一日はまだ終わらないらしい、と魔人たちは驚いて顔を見合わせる。
「こんなことならもっと台所を漁ってくればよかったな……」
「……あ。その鳥」
セルタが地面に座り込んでいるアヒルを指差す。タリアは急いで抱き上げた。
「新しいペット。食べちゃ駄目」
「ちぇー」
魔人たちは荷物をまとめ始めた。
空に夜が忍び寄っている。薄暗くなってもなお白いアヒルの背を撫でると、食後のせいか眠そうに目を閉じる。
「タリア」
呼ばれて振り返る。フローリスがこちらを見つめている。
「言いたいことがあるんだが、聞くのは三年後まで待ってくれるか」
「……ん? どういうこと?」
「そのままの意味だ。僕が二十歳になったら言わせてくれ」
焦らされると気になるが、妙に真剣だし、フローリスのことなので、きっと大きな意味があるのだろう。
「いいけど、人間には三年って長すぎるんじゃない?」
「必要な時間なんだ……君に追いつくのに」
そう言って、初めて見る感情で微笑んでいる。
タリアはただ、首を傾げた。
――それが三年前のこと。
この三年の間にあらゆることが起きた。
フローリスが魔王にフォルトナを差し出したことで、国は魔界の属国となった。
フォルトナ総督には魔王の娘タリアが任命された。
総督は早速フォルトナ王城に家門ごと移り住み、国内格差の是正や治安改善に乗り出した。
国民は、政策立案に元フォルトナ王族で反逆者のフローリスが関わっていることを知ると様々な反応をしたが、生活が良くなっていく実感が湧くと、彼が元々人気の高い人物だったこともあって、批判の声は小さくなっていった。
魔族の女総督も、若者であることや素直な性格を評価されて、支持者が増えていった。
今日はその二人の結婚式が行われる。
修復された元王城、現総督府の大広間に、両家の家族が勢揃いしている。
花婿側の元フォルトナ王家の三人は、元王妃の実家から。花嫁側は家門員たちの他に、兄弟姉妹や伯爵夫人が魔界から来ている。
音楽が始まると皆の背後の扉が開き、花嫁が入ってきた。
ドレスは赤色の生地と黒いレースを使った魔界風の仕立てだ。ベールやティアラではなく、金色の華麗な角飾りをつけている。
視線の先には花婿が待つ。
こちらはフォルトナらしい白いコートを長身で着こなしている。淡い金色の髪を撫でつけて、整った顔立ちをあらわにしている。二十歳になっても輪郭はまだ細いが、いずれは少したくましくなりそうな気配がある。
フローリスは手を差し出して、やってきたタリアの赤い手袋に包まれた手を取った。
音楽が止み、皆が長椅子に座り直す。
この式はどちらの国の様式でもない。よって誓いの言葉を促す者がいない。
二人は向かい合って語りかけた。
「僕は君のように与えられる力を持っていないが」
「私は人間みたいに歳をとらないけれど」
――永遠に愛することを誓います。
美しい言葉が甘やかに響く。
割れんばかりの拍手が二人を、そして新しい時代を祝福する。
魔王は千里眼から目覚め、白い髭の下でおかしそうに微笑んだ。
「してやられたよ、人間」
アヒルは長椅子のクッションの上で、人知れずガァと一鳴きすると、首を縮めて目を閉じた。
《終》




