魔王様は転生する ~ 世界を救ったのは、英雄でも聖女でも無くウチのオカンだったかも ~
―― ぞぷり ――
冷たい金の塊が肉を貫く感触。
そうか……今回はお前達の勝ちという事か……。
自分の胸に突き立てられた槍を眺め、それからその持ち主を眺める。
長時間にわたる死闘に、その身に纏う輝く鎧は埃と、どちらの物かも分からない血に塗れ、所々ヒビが入り、欠けている。
その鎧の所々から覗く体は、それでよくぞここまで戦い抜いたものだと、敵ながら感心してしまう程に細く。
兜から流れる、元は日の光を映して輝いていたであろう長い白金のその髪は、血と汗と埃に飾り立てられていた。
「これで……終わりです。これからは、人の時代が、始まるのです」
荒い息で肩を上下させながら、槍の持ち主が告げる。
当人からすれば万感の思いであろうが、こちらの心に何ら響く事は無い。
揺れ動く歴史の天秤が、今回はたまたまそちらへ傾いたというだけの話だ。
「構わんさ……。私にとっては同じ事。ただ目を閉じて、開けるまでの時間が多少長くなるだけの話だ」
そう、ただ眠るだけ。それが一晩か、百年か、ただそれだけの違いでしかない。
そして歴史の天秤もまた、片方に傾けば、いつかは反対に傾くのだ。
そうして歴史の天秤は揺れ続ける。いつまでも……、いつまでも……。
「精々一時の平穏を謳歌するが良い……。その間、私は暫しの微睡を楽しむ事にしよう……」
流れ出す血は、即ち命の流出に等しく。
命に支えられなくなった体は重く。
落ちる瞼に抗う事も出来ず。
私を見詰める紫水晶の瞳を見返し、微睡む様に、意識を手放した。
§
「あんた、こんなところで何してるんだい?」
そう声をかけられ意識が浮上する。
見渡せば小汚い路地裏に蹲り、雨に打たれていた。
成程、これが今回の始まりか……。
かけられた声に顔を上げれば、そこには顔をしかめて私を覗き込む女が一人。
「あんんた一人かい? 親はどうしたんだい? 行く当ては有るのかい?」
「いや……親は無い、私一人だ。行く当ては……」
立て続けに投げかけられる質問に、目覚めたばかりで上手く回らない口を開く。
その言葉に、女は更に顔をしかめながら思案顔となる。
「全く、酷い親も居たもんだね。まぁいいさ、あんた、ウチに来な」
気を取り直したように溜息を一つ吐くと、女は私の手を取り立ち居上がらせる。
目覚める時はいつも唐突で、森の中に打ち捨てられていた事も有れば、生贄の胎から這い出た事も有った。
初めから魔王と呼ばれる事も有れば、成長に応じてそう認識されていく事も有る。
この始まりにしても、特段珍しいものでは無かったので、手を引かれるままに女の後をついて行く。
これから先の、代り映えのしない、繰り返しの日々に内心溜息を吐きながら。
§
「お母さんお帰り……お兄ちゃんは誰?」
女の家と思しき簡素な家の扉を開けると、中から女児が元気に飛び出してくる。
母親の帰宅を喜ぶその顔が、後ろに立っている私を見付けて首を傾げる。
「なんだかそこの路地裏で蹲ってたから拾って来たんだよ。今日から一緒に暮らすから仲良くしてやんな」
女はそう言いながら私に構わず家の中へと入って行く。
恰幅の良い体を揺らしながら。
「ふ~ん」
取り残された私を、手を後ろに組んで興味深そうに眺めていた女児は、一頻り私を眺めた後、目を細める。
「よろしくね、お兄ちゃん!」
そう言って笑顔を向けてくる女児の、風に揺らめく白金の髪と、細められた眼から覗く紫水晶の瞳が、前代を思い出させた。
「あんた、いくらその子が私に似て美人だからって変な真似すんじゃないよ! それと、いつまでそんなところに突っ立ってるんだい。とっとと中にお入り」
手荷物を置いててぶらになった女が戻ってくると、私にそう声をかける。
髪の色を含めて容貌から体格まで、何一つ似ていない二人を見比べて溜息を吐く。
低級魔族ならいざ知らず、私は人間の女に興味など無い。などとは決して口に出さずに。
そう、ここは人間の町。
今までの繰り返しと唯一違う点。
それは、私が人間の領域で覚醒したという事だった。
§
「お兄ちゃん、お洗濯手伝って!」
女は、昼の間は近所の工房とやらでお針子なる仕事をしているらしい。
自然、家には私と女児が取り残され、共に過ごす時間も長くなる。
女児は家事を自らの役割と捉えているらしく、女を見送った後は家の中をころころと動き回る。
掃除に洗濯、食器の後片付けと、小さい身ながらも次々にそれらを片付ける。
何の気なしに手伝ったところ、大層喜ばれたのでその後も手伝う事が慣例となる。
手伝わないと、泣きそうな目でこちらをじっと見詰めてくるのが煩わしいというのもあるが。
意識が覚醒しているとはいえ、未だ魂が器に定着しいておらず、力も戻っていないこの状態で自分が魔王だと悟られるのは些か都合が悪い。
今暫くは普通の人間の子供のふりをしている方が得策であろう。
そう結論付けて、心の中で溜息を吐きながら女児の仕事を手伝う事にする。
「有難うね、あんた達のお陰でいつでも家はピカピカさ、気持ち良いねぇ!」
日も暮れる頃に家に帰って来た女は、家の中を見渡し、飽きもせずに毎日女児と私を褒め称える。
言葉と同時に、その手で私と女児の髪を掻き回すのだが、女児の方はこれまた毎日嬉しそうに目を細める。
§
「お兄ちゃん! この本読んで!」
家事が終わり、余った時間を女児と二人で過ごす。
今まで一人で過ごしてきた反動か、女児は私に纏わりつくようになっていた。
断る理由も無いので女児の手にする絵本を受け取ると、女児は私の膝の上に座り込む。
まるでそこが自分の指定席だとでも言うように。
絵本に描かれているのは聖王と魔王の戦い。
選定の儀によって選ばれた聖王が、仲間達と大軍を率いて魔王軍と戦い、その末に魔王を打ち取り、世界に平和が訪れるというありきたりな物語。
繰り返し読まれて手垢のついたその本に、女児は目を輝かせて見入っていた。
「ちゃんと仲良くやってるようだね。この子もあたしが居ない間、一人で寂しかったんだろうさ。あんたが居てくれてよかったよ」
仕事から帰って来て、読み聞かせている間に私の膝の上で眠ってしまった女児と、椅子から動けなくなった私を交互に見て、女は嬉しそうにそう言った。
§
「お兄ちゃん! お外に行こう!」
私の手伝いの甲斐もあり、家の中の事は早々に終わるようになった。
それまでは、空いた時間は家の中で過ごすか、出歩いても小さな庭先程度だったらしいが、私と一緒であれば危険も少ないと思われたのか、女から外出の許可が出た。
家の外に出るのが余程嬉しいのか、女児は家事が終わると盛んに私を伴って出掛けたがるようになる。
とは言うものの、精々町の広場へ繰り出す程度なのだが、それでも女児は上機嫌で私の手を取りながら飽きる事無く出掛け、些細な変化を見付けては夕食の席で女に語る。
「そうかい、もうそんな季節なんだねぇ」
同じような話を繰り返し聞かされながら、女は時に顔を綻ばせ、時に恰幅の良い腹を揺すりながら笑い声をあげ、女児の言葉に耳を傾ける。
良くもまぁ飽きもせずに聞いていられるものだと、女の忍耐強さに少しだけ感心していた。
§
「お兄ちゃん……頭痛い……」
風に冷たさが混じり始め、日の入りも随分と早くなってきた頃、女児が流行り病にかかる。
朝食の席に着いた時、女が異変に気付いたのだ。
いつもなら溌溂とした様子で席に着く女児の、覚束ない足取りと赤らんだ顔、苦しそうな吐息。
慌てて女児の額に手を当てた女は、その後女児を寝室へと連れて行く。
「水で濡らした布をおでこにあててやって、後は手を握っててやんな」
そう言いながら、後ろ髪引かれる様子で仕事へと出掛けて行く女の後姿を見送り、女児の世話をする。
回復魔法の心得が無いのが気に病まれるが、今は取り急ぎ言われた通りに布を水で濡らし、女児の頭へと乗せる。
そうしてふと首を傾げる。
何故私は回復魔法の心得が無い事を残念に思ったのだろうかと。
埒も無い事を考えたと軽く頭を振り、女に言われた通り、苦し気な息を吐く女児の手を握る。
苦し気だった女児の表情が少しだけ和らぎ、私の手を握り返してくる。
成程、回復魔法は無くともこのような行為で人間は症状を和らげる事が出来るのだなと感心した。
「お兄ちゃん、おはよう!」
翌朝、すっかり元気になった妹が抱き着いてくる。
「あんたの看病のおかげさね。有難うね」
戸惑う私の頭を、そう言いながら掻き回す女の手。
いつもなら煩わしく感じるそれが、何故か今は少しだけ誇らしくあった。
§
「え~、お兄ちゃんは一緒に行かないの?」
私の顔を見ながら、口を尖らせた妹が不満げな声を漏らす。
この町の子供は、一定の年齢になると町の教会で習い事をするのが慣例となっているらしい。
読み書きや簡単な計算に加え、素質のある子供には基本的な魔法も教えてくれるらしい。
妹も類に漏れず教会に通う事になったのだが、私が一緒でない事が酷く不満らしい。
私はと言えば、今更教わる事も無し、何より人間と違う魔力を発現させたりなどしたら色々と面倒な事になりそうなので辞退する事にしたのだ。
代わりに、妹の相手をしていた時間を外で仕事をする時間に充てる。
やはり無為に過ごすよりも、体を動かしていた方が力が馴染むのが早いからだ。
町の自警団とやらに入り、ついでに多少の金稼ぐ。
朝に妹を教会まで送り、夕方に迎えに行って共に家に帰るのが日課となった。
人間であればこうするであろうという考えに基づいた行動であったが、
「自分で決めた事なら反対はしないけどね、家の事なら気にしなくて良いんだよ?」
女は困ったような顔をしながらそう零していた。
§
「何言ってるのさ! 元はと言えば、あんたんとこの馬鹿息子達がうちの子を苛めるような真似をしたからじゃないのさ!」
女は玄関前に腕を組んで立ち塞がり、近所の女達に大して声を張り上げる。
人間の子供にとって、異物は迫害の対象となるらしい。
その日、教会まで妹を迎えに行った私は、妹が数人の子供に囲まれているのを目撃した。
少しだけ様子を窺っていたところ、どうやら妹の珍しい髪色が彼らの迫害の根拠だったらしい。
涙を堪えながら立ち尽くす妹の前に立ちはだかれば、迫害者達は狼狽える。
躾の成っていない人間の子供など魔獣と大して変わらないというのは周知の事実である。
言葉より力の方が余程有効だ、そんな彼らを大人しくさせる為に拳を振るう。勿論、十分な配慮を加えた上で。
蹲る彼らを尻目に妹の手を引き家路へと着いたのだが、何を不服に思ったかその夜、彼らが親を引き連れ我が家を訪れた。
そうして玄関先で口論となり、女の口から放たれたのが先程の言葉である。
「そんなに言うなら謝ってやろうじゃないか。うちの子が、女の子を寄って集って苛めるような尻の穴の小さい弱虫を苛めて御免なさいってね! ほら、あんたも謝ってやんな、弱い者苛めして御免なさいってね!」
女に言われた言葉をそのまま口にして、形ばかり頭を下げる。
彼らは分かりやすく顔を真っ赤にするが、女の大声に顔を出した近所の者達の好奇と侮蔑の視線にさらされている事に気付くと、悪態をつきながら去って行く。
「はんっ! 他人に文句を言う前に自分とこの子供の尻の穴でもおっぴろげて来いってんだ!」
去って行く後姿に悪態を吐いた後、振り返った女の顔には笑みが浮かんでいた。
「兄貴ってのは妹を守ってやるもんさ。あんたは良くやったよ!」
そう言って私の頭を撫でる女の手は、出会った頃と比べると少し小さくなったように感じるが、それも大きくて温かな、母の手であった。
§
「やだな~。私が選ばれちゃったらどうしよう……」
この街に限らず、人間の国に生まれた者は、ある年齢になると『選定の儀』とやらに挑むらしい。
挑むといっても教会で選定の水晶に手を当てるだけの話だが。
選定の儀、それは昔妹に読み聞かせた絵本に登場した儀式で、要は聖王を選び出す為の儀式。
選定の水晶が選んだ人間を聖王に認定し、王都で聖槍を授けた後、魔族との聖戦における総大将とする。
あれだけ目を輝かせて絵本に見入っていたのでは? と訊ねてみれば、
「物語に憧れるのと、現実は別なんだよお兄ちゃん。聖王様になんてなったら、お母さんやお兄ちゃんと一緒に居られなくなっちゃうもん!」
そう言って細い体を反らせて講釈を垂れる妹には残念と言わざるを得ないが、私の見立てでは妹は恐らく聖王の器だろう。
魔王がここに覚醒している以上、対となる聖王が誕生するのは必然。何より魔王の魂がそう言っている。
だがしかし、妹にその気が無いというのであれば是非も無い。
私としても聖王の誕生によって魔王の存在に気付かれるような事はなるべく避けたい。
目覚める前に刈り取ってしまえば今代の聖戦は魔族の勝利となる。のだが、そうしたら私もこの町には居られまい。
妹と私が居なくなったら母は泣くだろうか。そう思い至ると、何故かその気になれなかった。
選定の水晶とやらを胡麻化すのは難しいだろうが、要はそれを見る人間に伝わらなければ良い。
妹の付き添いと言う事で訪れた教会で、水晶を覗き込む人間の意識を少しずらしてやる。
その程度の魔法など容易い事。目論見通りに選定者は水晶を見誤り、妹はただの町娘と判断された。
「あんた達は私の子供さ。自分で飛び立つまでは何時までだって此処に居て良いんだ。そりゃあ自分で決めたのなら喜んで見送るよ。少しだけ寂しいけどね」
安堵する妹の髪を撫でながら母は語る。
相も変わらず恰幅の良い母ではあるが、その姿は、以前よりも少し小さく見えるような気がした。
§
「お母さん! 死んじゃやだぁっ!」
いくつかの季節が廻り、今度は母が流行り病を患った。
妹は母から離れようとせず、看病の傍ら、その手を握りしめている。
「大袈裟だねぇ。こんなのは大人しく一晩も寝ときゃ治るもんさ」
困ったように笑いながら妹の髪を撫でる母はいつも通りの様子で。
ただ、少しだけ赤みの差した顔と、その額には幾許かの汗が浮かんでいた。
私はと言えば、仕事の方を疎かにする訳にもいかず、いつもと同じように家を出る準備をする。
人の世と言うのは面倒なもので、金を稼がない事には食べる事もままならぬのだ。
着替えを済ませ、家を出る前に母の様子を窺う。
泣き疲れて眠る妹と、母の少しだけ寝苦しそうな表情を見て、何とはなしに母の手を握りしめている妹の手に、自分の手を重ねる。
眠っているはずの母が、少しだけその手を握り返してきたような気がした。
「二人ともおはよう」
翌朝、目を覚まして部屋を出れば、いつも通りの母が笑顔で私達を迎える。
安堵した笑顔を見せる妹の髪を撫でながら、
「有難うね。二人のおかげで、また元気いっぱいさ」
そう言って笑う母ではあったが、その表情に、少しの老いを感じていた。
§
「あ~もうっ!」
最近妹の機嫌が悪い事が多い。
何かあったのかと聞いてみれば、いつぞやの子供の一人が妹に懸想しているらしい。
例の一件以来、妹の奴らに対する好感度と言うものは皆無に等しいのだが、あれは素直になれなかっただけだの云々かんぬん言いながら近付いて来るそうだ。
美しいと言って良い程に成長した妹を見て今更ながらにすり寄ってくる相手に好意など抱こう筈も無く、素気無く対応はしているが中々にしつこいらしい。
そんな訳で、妹の要請を受けて私が立ち合いせざるを得なくなってしまうのだが、私が一睨みして心からの説得を試みれば、あの時の事を思い出したのか、青い顔をして逃げて行ってしまう。
その程度の覚悟で妹に手を出そうとしていたとは、むしろその事に驚きである。
なんともなれば、必然的に私とも顔を合わす事になっていただろうに。
「うちの娘はあたしに似て良い女だからねぇ! あの程度のひよっこなんざ釣り合いが取れやしないね、一昨日来やがれってなもんさ!」
妹からその話を聞いた母が、腹を揺すりながら笑う。
「私の息子であるあんたも、当然良い男さ」
そう付け加えながら。
§
「お兄ちゃんは気になる子とか居ないの?」
唐突に妹が問うてくる。
何を言っているのかと、その意味を理解するのに暫しの時間を要する。
そんな私の表情が余程可笑しかったのか、妹がくすくすと笑う。
何の拍子に魔王の存在に思い至る者が現れるかもしれぬと考えながら過ごした結果、私の人付き合いとやらは非常に狭いものになっていた。
家族である母と妹、それに自警団の連中。その程度だ。
妹はと言えば、教会で知り合った連中と出歩く事もあるが、それでも私や母といる時間の方が余程長い。
私の事を変わり者だと笑ってはいるが、そんな変わり者と長時間共に居る妹も、余程の変わり者だと思う。
「あんたたちも良い人を見付けてくれれば、私も少しは安心できるんだけどねぇ」
そんな私達を見て、母は呆れたように溜息を吐くのだった。
§
「あたしも肩の荷が下りた気分だねぇ」
母がしみじみと呟く。
更に幾許かの季節が過ぎ、気付けば私は妹と番となっていた。
暫く前からの、妹と母が徒党を組んでの大攻勢に、抗う術など有るはずも無く、あれやこれやと言う間にあっという間に周囲を固められ、気付けば身まで固められていたという訳だ。
してやったりと満面の笑みを浮かべる妹と、未だに現実を受け入れ切れていない私を見比べ、母はおかしそうに笑う。
これからは私が一家の柱だと言われ、反論も許されずに仕事に精を出す。
その結果、団内での地位も上がり、受け取る給金もそれなりの額になる。
家に帰れば母と妻が温かい食事と共に待っている。
これはこれでそう悪くは無いか、そんな事を考える自分に少しの驚きを覚えながら、それでも日々を過ごして行く。
そんなあるひ、母が漏らしたのが件の言葉であるが、その姿には隠し様の無くなった老いが、そこかしこに見られるようになっていた。
§
「なにやってんだい。ほら、貸してごらん」
妻が私を呼ぶ声が、「お兄ちゃん」から「あなた」に変わった頃、我が家に家族が増えた。
この器が人と子を成せる事にも驚いたが、其れよりも今は我が子の事である。
成れないながらも火のついた様に泣き叫ぶ我が子をあやそうと努力してみるが、余程私に抱かれている心地が悪いのか、その勢いは止まる事を知らない。
躾の成っていない子など魔獣と同じだと以前にも思ったが、力尽くで黙らせる訳にもいかない分更に質が悪い。
妻に笑われながら四苦八苦している私を見かねて、母が横から手を伸ばす。
流石と言うべきか、母の腕の中であやされた我が子は、少しの間に泣き声を潜めてきゃっきゃと笑い声をあげる。
些かの屈辱と、次こそは上手く出来るという根拠のない自信を胸に抱きながら、笑い合う三人を眺める。
何時の間にか、人の世で生きていく事を自然と受け入れていた自分に気付きながら。
§
「あんたと会ったのも、こんな天気の日だったねぇ」
どんよりと曇った空から落ちる雨を眺めながら、思い出したかのように床に伏せた母が呟く。
かつての恰幅の良かった姿は既に無く、所々血管の浮き出た手で、ふと私の髪を撫でる手も、温かくはあるが弱々しいものに変わっていた。
妻は子を連れて仕事へと出掛けている。
跳ねが上がるのが楽しいのか、次から次へと水溜りに足を踏み入れる下の子を追いかける上の子。
そんな二人を笑いながら見守り後を付いて行く妻。
三人を見送り、家の戸を閉める。
今日は非番の私が、母の傍についている日だ。
「あんた達がうちに来てくれたお陰で、私の人生は幸せだった。そりゃあ色々苦労もしたがね、今となっちゃあどれも良い思い出さ」
母らしい言い草ではあるが、恰幅の良い腹を揺すって笑っていたかつての姿は既にない。
「私は……貴女に拾われてから今日までの間に、恩なり何かを返せたのだろうか……」
その小さくなった母の姿に、思わず零れた私の言葉に母は笑う。
「馬鹿だねぇ。子供ってのは、親の所に来てくれただけで全ての恩を返してくれているのさ。子供は親に恩や借りなんてのを返すんじゃない。それは、自分の子供に送ってやれば良いんだよ」
そう言って微笑む母の姿に、何故か目頭が熱くなった。
それから数日後、母は眠る様に息を引き取った。
「悲しかろうが腹は減る。嬉しくっても腹は満たされない。人生なんてそんなもんさ。あんたたち、私が居なくなってもしっかりやるんだよ」
それが母の最期の言葉。
姿は衰えども、矍鑠たるあの人になんとも相応しき言い草であった。
その後は、やれ葬儀だ、やれ埋葬だと、何かにつけ儀式を行いたがる人間に呆れつつも、忙しく日々は過ぎる。
全てを終え、ようやく人心地吐いた頃、家の中が少しだけ広くなっているように感じる事に気付く。
息子が魔王だったなどと、魔王を育てたなどと知れたら、人の世においては母の名誉を損なう事になりかねぬ。
どうせ繰り返される戦いであるなら、今代程度は静かに過ごしたところでなんら変わる事もあるまい。
妻と子は既に眠りについた夜半、一人星を見上げて思う。
居るはずも無い神に願うほど酔狂でも無し、叶う事もあるまいが、それでもまた、母に会う事が出来ればと。
■魔王
御存じ魔族や魔獣の王様。
繰り返し転生しては聖王と軍を率いて戦う事を宿命づけられている。
聖王を殺せる唯一の存在。
随分と前から、転生前の記憶を保有し続けている。
が、聖王と争う事に特に疑問も不満も抱いていない。淡々と自分の義務を果たすだけの存在。
今回の件で『人間大好き! 聖王ちゃん可愛いちゅっちゅしたい!』とはならない。
次代においては普通に人間に戦争を仕掛け、人間側の領土を大きく削り取る事になる。
■聖王
魔王に対する人族の切り札。
繰り返し転生しては魔王と軍を率いて戦う事を宿命づけられている。
聖『王』と呼ばれているが、王族とは何の関係も無く市井に誕生する。
魔王を殺せる唯一の存在。
魔王と違って転生前の記憶は保有していない。
『聖王』と言えばロマ〇ガ3だが、今作においては『聖王ちゃん』なのでイメージはRSの方。
獲物が槍なのもその為。
■魔王と聖王
歴史の天秤を揺らし続ける為、既にこの世界を去った神がかつて作り上げたシステム。
曰く「歴史の天秤は、多少揺れてこそ云々かんぬん」
灰色のなんとかさんと同程度のメンタルの持ち主と思われる。
今回魔王が人間側に誕生したのは、システムを構築した際に想定していたよりも人間側が領土を拡大していた為。
先代の聖王が勝利した際に、想定上は魔族の領土であったところまで削り取っていた。
いかに優れたシステムであっても、メンテも無しに使い続ければ不具合でるよね。というお話。
聖王には前代までの記憶が無いのに、いつからか魔王だけ記憶を残すようになったのも、バグの一種。
■魔族と人族
産まれた時点では身体的特徴に差異は無い。
魔族として覚醒した際に、角とか翼とか尻尾が生える。
魔王様は魔王様なので出し入れ自由。