通り過ぎようとしただけなのに巻き込まれてしまいました。
時計の音が嫌に大きく聞こえる。
誰も口を開かない。
関係ない私は一体いつまでいればいいのか?
勇気を出して声を上げるか、立ち上がるか?
息を詰めたこの状況で私は結局どちらもできずソファーの隅に座っているしかできなかった。
帰りたい・・・。
クインスがこの場に居合わせたのはたまたま忘れ物をして昼食が遅くなったせいだった。
何故か渡り廊下に五〜六人の人が固まって立っていて、じゃまだなぁ〜と思いながら避けながら通り過ぎようとしたら、突然「どう思いまして?」と聞かれたことが始まりだった。
何のことか解らなかったので、首を傾げて「わかりません」と答えて、通り過ぎようとしたら手首を掴まれた。
「えっ?なんですか?」
「だから君はどう思うかって聞いているんだよ!!」
「だから、何の話か解りませんって言ってるんですよ!!」
と、勢いがあったのはこの瞬間までだった。
角度的に見えていなかった相手が、王子殿下だとは気が付かなかった。
「あの、私、本当に何のことかわからない、ただの通りすがりなので、離してください・・・」
半泣きでお願いしたけど、掴まれた腕は離してもらえない。
「あの、ここでは目立つので、人目のないところで話し合ったほうがいいのではありませんか?」
「王子殿下に唯一まともなことを言ったのは通りすがりの子だとは笑えるよ」
「も、申し訳ありません!!」
「別に責めてないから!!」
「もう、本当に許してください。私これから昼ごはんなんです・・・」
離してもらえない手首を取り戻そうとひねったり、指を一本一本引き剥がそうとしたりしたけれど、その手は離れなかった。
痛くはないけど、しっかり掴まれている。
「不幸にもここを通りかかった君の名前は?」
「クインス・シューベンと申します」
「シューベン嬢、諦めて付き合ってもらおうかな。第三者の意見も聞きたいことだし」
「あの、私が王子殿下に逆らった意見など言えないって、解って言ってらっしゃいますか?」
「私の意見に逆らったからと言って罰したりしない。かまわないから思うままを口にしなさい」
「そんなぁ・・・」
私の手首を握った相手は私を離さないまま、特別室へと私を引き連れていった。
ソファーの隅に座ってから二十分経っているけど、誰も何も言わない。
「あの、誰か説明だけでもしていただけませんか?」
「コスタリア嬢が私に婚約解消を言い出したのだよ」
私とは王子殿下のことだ。
「その理由は?」
「聞いてくださいます?」
「は、はい・・・」
聞かなければきっとこの場から離れられないんだろうな・・・。
「ブルネイ王子はあのピンク頭の男爵令嬢と、肌を見せ合うようなことをしていましたのよ」
「ああ。それなら仕方ありませんね。許せるものではありませんもの」
「そうでしょう」
「だから誤解だって言っているだろう!!キャル嬢が噴水に突き飛ばされたところを助けただけだ。私に疚しいところはない!!」
「誰が突き飛ばしたんですか?その犯人は?」
「誰もいなくて男爵令嬢が四つん這いになって噴水に浸かっていた」
王子殿下とコスタリア様は言い合っているが、聞くべきことは聞いておかないとと思って、私の手を離さない人に向けて質問した。
「キャル嬢などと呼んでいるだけで疚しいと言っているようなものですわ!!男爵令嬢が濡れて服を脱ぐ場所にいること自体、もう、許せるような状態ではないでしょう?!」
「そうですね」
「ほらごらんなさい!!誰だってわたくしと同じことを思いましてよ」
「まさか男の私がいる前で、脱ぎはじめるとは思っていなかったんだよ!!」
「どうでしょうね!!」
「側近達もいただろう?!」
「あのすみません、結局どうしたいという話なのでしょうか?婚約解消をしたいという話でしょうか?」
「そうでしてよ!!」
「でしたら国王陛下の元へ行かれたほうがいいと思われますが・・・」
「・・・・・・」
「皆さん、その事はわかっていて、陛下の下へは行きたくないということでしょうか?」
途端に全員が渋面になる。
「なら婚約解消も破棄もできませんね。これにて解決です」
「そ、そんな簡単に!!」
「簡単な問題ですよ。本当に婚約解消したいなら国王陛下に話さなければなりません。それができないうちは諦めるしかありません」
「殿下の不貞についてはどう思ってらっしゃるのかしら?」
「誤解なのか、事実なのか解りませんが、男爵令嬢にはめられた可能性はありませんか?噴水にはまるっていうのもおかしいでしょう?」
「はめられた?」
この場にいる私以外の六人の声が揃った。
王子殿下とその側近が三人とコスタリア様のご友人が二人がこの場のメンバーだ。
そこに何故か私。
「男爵令嬢が王子殿下を狙っているのは前々から解っていたことですよね?それを理解した上で男爵令嬢に近寄る王子殿下が婚約者に対して不誠実だと思います。男爵令嬢はこうやって王子殿下とコスタリア様が揉めることを一番望んでらっしゃると思いますが・・・側近の方達もそれくらい解っていますよね?」
側近の人達も、王子殿下も目が泳ぐのは何故なのかしら?
「王子殿下も、側近の方達も男爵令嬢にいいように扱われているんですね。申し訳ありませんが愚かとしか言いようがありません」
「そうですわよね?!」
「コスタリア様も男爵令嬢の掌の上で踊ってらっしゃいますので、殿下たちだけを責められないと思いますよ」
「男爵令嬢が王子殿下と脱いでいるところに出くわしたのなら、ゆったりした気持ちで、それを眺めるくらいしてください」
「そんなはしたないことできませんわ!!」
「はしたなさで言うなら、いまもかなりはしたないと思いますよ。私を巻き込んだ時点で」
「王子殿下、コスタリア様、お互いのことは好きなのでしょうか?それとも政略なので受け入れなければならないのでしょうか?その違いだけでも、判断は大きく変わってくると思います。お二人の気持ちを確かめ合ってくださいませ。側近の方々、私に付いてきてください」
「ですが、お二人を二人っきりにするわけには・・・」
「婚約者なんですからいいじゃないですか。何なら二人で服でも脱いでみられてはどうですか?」
二人がポッと顔を赤くする。
本当に馬鹿らしい。
私はまだ手首を掴まれたまま立ち上がり、ドアへと向かう。
側近の人達はどうしていいのかウロウロしているけど「行きますよ!!」と私が声をかけると付いてきた。
「私、まだ昼ごはんを食べてないんです!!」
「私達もまだだ」
「では昼食に向かいましょう」
それから王子殿下とコスタリア様がどんな話をしたのか知らないけれど、二人が一緒に居る時間が増え、男爵令嬢が近寄る隙を側近達も与えなくなったらしい。
王子殿下とコスタリア公爵令嬢の婚約が破棄されなくてホッとした。
私の手首を握って離さなかった側近のゼットン様は何故か我が家に婚約の申し込みをしてきている。
お断りしているのだけど、何故か手首を握られて、その後恋人繋ぎをさせられてしまう。
学園では私とゼットン様の婚約は成ったものとして扱われていて、微妙に敵対してくる女の子たちが鬱陶しい。
今日は我が家の馬車に乗り込み「お父上に話がある」と言って、馬車の中でも恋人繋ぎをやめない。
私はため息をついて「我が家ではゼットン様に釣り合いませんよ」と伝えても「私の妻は君しかいない」と人目も憚らず答える。
屋敷に着くと、ゼットン様の家の紋章のある馬車が既に止まっていた。
「まさかと思いますが・・・」
「父上が来ている」
「お断りはできない状況に持ち込みましたね?」
「正解」
「あの時もどうして手首を握ってらっしゃったんですか?」
「逃したくなくて・・・」
「そうですか」
一体私のどこを気に入ったのか理解できない。
屋敷に入ると執事が「旦那様がお呼びです」と私とゼットン様を応接室へと案内した。
テーブルの上には父の名前もサインがされた婚約届が置かれていた。
私はマーヴェル侯爵と初対面の挨拶をして、何も話さずペンを渡された。
私は溜息と共にサインした。