親友が"魔法少女"になった日
同年同月同日に同じ病院で産声を上げ、住まいもお向かいどうし。
正反対の性格に育った親友2人は、互いに無くてはならない存在であることをまだ気付けていない。
ある日、近所の公園で遊んでいる時に光が拾った"変身アイテム"が、2人の想いをより一層結び付けるべく、夜闇に光り輝いた。
走り、駆け、ただただ前へと足を踏み出し続ける。
自分が何を思い、何のために突き進むのかが分からない。
それでもただ、前方に進まないといけない。
「――」
ふと眼前に、自身から逃げ惑う小柄な姿が在ることに気が付く。
そうか、自身の"標的"は"それ"なのか。
目的をハッキリと認識し、自身は間合いを詰めるべく前進速度を上げる。
「わぁっ!」
逃げる足をもつれさせ、標的が眼前にうずくまる。
仕留めるなら今、恰好の餌食を逃す手はない。
自身の"右前脚"を振り上げ、標的目掛けて勢いよく振り下ろす。
「――?」
しかし、右前脚が標的に達することはなく、眼前に躍り出た別の小さな身体により阻止される。
左手に光り輝く何かを掲げ、何か障壁のようなものが展開される。
「朔夜は私が守る!」
聞き馴染みのある声とともに、眼前の輝きが一段と増していく。
小さな身体を包む装いが変わり、溢れ出る力に押されて思わず一歩後ずさってしまう。
光が徐々に収まりつつあるタイミングで、自身の標的の姿が明らかになる。
「――!?」
驚愕するが、何に驚いたのかが理解できない。
驚くに値する情報を得たというのに、その本質を掴み切れないでいる。
「――!!」
チラリと視界の端に映るカーブミラーに、自身の姿が映し出される。
言葉で表すことの難しい姿を見た瞬間、激しい頭痛に襲われ思わず身悶える。
「やぁーーっ!」
自身と標的の間に躍り出た少女が何かを振りかざし、自身に向かって強力なエネルギー流が襲い掛かって来る。
「(あぁ、そうか)」
猛烈な力に自らが搔き消されそうになる中、脳内に記憶が一つ一つ、親友と2人で駆け抜けた冒険の日々がゆっくりと思い浮かび、薄れゆく意識の奥底で理解する。
「("この日"は――)」
感覚という感覚が全て光に包まれると同時に全てが朧げになり、"自身"の意識は完全に消失した。
陽向光と月見朔夜。
まるで狙ったかのように正反対な名前を与えられた2人は、物心がつく前より互いを"親友"と呼び合える仲になった。
それもそのはず、同年同月同日に同じ病院で産声を上げ、挙句に住まいもお向かいどうしというのであれば、家族ぐるみの付き合いになるのも当然だろう。
保育園から小学校へ進学する頃には、もはや実の家族以上に時間を共に過ごすようになったのではないだろうか。
何の因果かクラスも常に一緒であり続けたこともあり、特別な約束を交わすことなどないまま2人は常に行動を共にした。
2人の違いといえば、光が活発、朔夜がやや一歩下がりがちな性格であることだろうか。
光が小学生向け"魔法少女アニメ"に憧れの眼差しを送る傍らで、朔夜は児童書を読み耽る。
一見、傍からは嚙み合っていないようにも見える2人の姿も、当人たちの間では純然とした友情が育まれ続けていた。
「――何だろう、これ?」
2人の生活が変わったのは、揃って10歳になってから2か月程度経ったある日の放課後で間違いないだろう。
公園でバドミントンをしていた2人は、光が誤って茂みに打ち込んだシャトルを探していた時に見覚えのない人工物を朔夜が発見する。
「何か、光が好きな魔法少女アニメの変身グッズにそっくりだよね」
「私もそう思った!」
どこかキャッチーな見た目をした手のひらサイズで丸餅型の"それ"は、特に乾電池を取り付ける場所がないにも関わらず、所々でキラキラとした輝きを放っていた。
「私、貰っちゃってもいいのかな?」
「ダメだよ、誰かが落としたのかもしれないよ」
「それもそうだよね......お巡りさんに渡そうか」
「それがいいよ。今日はもう暗くなっちゃうし、明日、学校行くとき交番に寄ろう」
「そうだね......あ、シャトルあった!」
光はポケットに”それ”を入れると、シャトルを拾い上げて再び遊びに興じる。
落とし物を拾って交番に届ける。
ただそれだけのことに留まるハズが、2人を瞬く間に新たな世界へといざなう。
「――あれ?」
気が付いたのは、それぞれ夕食を取った夜のこと。
朔夜は風呂に入ろうとしたところで、光とお揃いの髪留めが無くなっていることに気が付く。
「公園かな」
記憶を辿る限り、公園で遊んでいた頃にはまだ髪についていたハズだった。
「ちょっと公園に落とし物してきちゃったみたいだから、探してくる」
「気を付けなさい、遠くへ行っちゃだめよ」
公園までは片道5分程度。
母に行先を告げ、新月の世闇に身体を送り出す。
「あれ、どうしたの?」
向かいの家、2階の自室から、光が声を掛けて来る。
「公園に落とし物をしちゃったみたい。ちょっと探してくる!」
「手伝おうか?」
「いいよ、大丈夫!」
親友の申し出を断り、朔夜は公園へ1人で向かう。
「どうしよう、見つからない......無くしちゃったら、光は怒っちゃうかなぁ」
2人の繋がりの一つを失うことに、朔夜は激しい焦りを覚える。
朔夜は光という親友こそいるが、学年内の友達は決して多い方ではない。
一方で光は社交的で正義感の強い性格も相まった"みんな友達!"を地で行くタイプであり、友人関係には困ることがない。
気心知れた関係が崩れるハズがないと思いながらも、どこか一人になってしまう可能性を思うと、母へ告げた"ちょっと"の時間以上を公園での捜索に充ててしまった。
「――え?」
遠くの物音で朔夜がふと顔を上げると、公園の中心に先ほどまではいなかったハズの大きな怪物が佇み、朔夜に視線を送っている。
潜在的な恐怖に身をこわばらせ、その場から一歩、また一歩と自宅の方面へと動き出す。
「(何で、こっちを見ているの?)」
怪物は視線を朔夜から外すことなく、動きに合わせるように顔の向きを変える。
公園を出ようかというタイミングで怪物が一歩踏み出した瞬間に朔夜の恐怖心はピークに達し、自宅に向かって一目散に駆け出した。
「追ってくる、何で!?」
こんなことなら、もっと真剣に徒競走の練習をしておくべきだった。
朔夜は体育の授業を億劫に感じていた自身を恨みながら、とにかく本能に従って前へと進み続ける。
「光だったら――あっ!」
徒競走でいつも男子にも勝ってしまう光の姿を思い浮かべた途端、足元が縺れてアスファルトに身体を打ち付ける。
怪物は自身を射程に捉えたと見るや、手ぐすねを引くように近付いてくる。
一方の自身は余りの痛みと恐怖で、思わずその場に蹲ってしまった。
「あぁ、もうダメだ」
背後で動く気配から、自身がもうすぐ物理的に襲われる雰囲気を感じとる。
腰はとうに抜けてしまい、今から立ち上がって駆け出す力は残っていない。
「(光......!)」
思わず心の中で親友の顔を思い浮かべ、その名を叫ぶ。
それとほぼ同じタイミングで進行方向から猛烈な勢いで足音が近付き、直ぐ近くを駆け抜け自身と怪物の間に割り込むのが分かった。
「朔夜は私が守る!」
聞き馴染みのある声が耳に入り、恐る恐る顔を上げる。
周囲に眩い光を散らす親友の背が視界に入り、自身に襲い掛かろうとしていた怪物がジリジリと押されているのが分かる。
「光......?」
直後、左手に持っていた"落とし物"から輝きが溢れ出し、光の姿が白を基調としたまるで"魔法少女"のような装いへと、"落とし物"はそれらしいステッキへと変化する。
「やぁーーっ!」
身悶える怪物に向かって光がステッキを振りかざすと、どういう理屈かは分からないが光の奔流が現れ、怪物を飲み込んでいく。
大きな呻き声と共に怪物は姿を消し、その場には"魔法少女"とその親友だけが取り残された。
「わ、私、魔法少女になっちゃった?」
現実を咀嚼できないまま暫く時間が過ぎた後、煌びやかな衣装を身に纏った光がポツリと呟く。
「す、す、すごいよ!」
力の入らない下半身を何とか奮い立たせ、朔夜はよろめきながら光へと歩み寄る。
受け止めるには情報量が多すぎるが、目の前で親友が特別な力で怪物を対峙し、自身が恐怖の瞬間を脱したのである。
興奮のあまり親友の功績を褒め称え、同時に感謝を伝え続ける。
どうして彼女が特別な力を持つに至ったのかは分からないが、そんなことはどうでもよかった。
ただただ、親友が特別な存在になったことが、嬉しかった。
「......あれ、これって」
光が怪物の"存在していた"場所に落ちる髪留めを見つけ、拾い上げる。
「あ、私のだ。これを落としちゃって、探しに来ていたんだ」
「えっ、......そうなんだ」
光は一度、髪留めを右手移してから改めて差し出し、朔夜へ手渡す。
「大切なものを落としちゃって、ごめんね」
「落とし物を探してくるって言っていたのになかなか戻ってこなかったから、心配になって来てみたらこんなことになるし。とにかく、見つかってよかった......私たち2人の、大切なものだもんね!」
屈託の無い笑みを光が見せると、朔夜は内心でホッと胸を撫で下ろす。
「(よかった、落としたことを怒っていないみたい)」
親友はそんなことでは怒らないと、少々疑った自分を反省する。
怪物のいた場所に落ちていたというのはどこか気味が悪い部分もあったが、親友との友情の証を捨てるわけにはいかない。
朔夜は髪留めを光から受け取ると、服の端で表面を簡単に拭き、自身の髪へと付ける。
「ところでさ....」
「どうしたの...?」
冷静さを取り戻しつつある朔夜に対し、光はどこか恥ずかしそうな表情へと移ろいだ。
「この......"変身"って、どうやったら元に戻るのかな」
「......あ」
すったもんだの後、光の装いは自然と元通りになったが、帰りの遅くなった2人は仲良く両家両親から手厳しく怒られてしまった。
「あのさ――」
結局、恐怖がぶり返した朔夜の家に光が泊まることとなったため、2人は一緒に風呂に入り、一緒のベッドで眠る。
恐怖心が完全に消えることはなかったが、馴染みのある行動とかけがえのない親友がすぐ傍にいることで、心の安らぎを得ることができた。
「今日は記念日だね」
朔夜の言葉に、光はキョトンとした表情を送る。
「今日は、光が"魔法少女"になった記念日。光の特別な力は、きっとたくさんの人を助けるために、神様がくれたものなんだよ!」
「......そっか」
光が満更でもないような表情を浮かべる。
正義感が強い一方で、"魔法少女"に憧れを抱き続けるちょっとした天真爛漫さを併せ持つ彼女にとって、自身の置かれた境遇は高揚感を与えるのに十分だった。
「今日は、私が魔法少女になった記念日か」
光は満面の笑みを浮かべ、布団の中で身悶えする。
その様子を、朔夜は自分の事のように喜び見つめていた。
「そう、今日は――」
この日は朔夜にとって、親友が魔法少女になった記念日。
同時に、彼女たちの進む道が定まった日でもあった。
光と朔夜、2人の過ごす日々は、光が特別な力を得て以降は加速度的に密度を増していった。
アニメのように魔法少女をサポートしてくれるような可愛いマスコットキャラクターなど存在せず、どのような条件で変身と解除ができるのか、どのような”技”を繰り出せるようになるのかを、自分で見つけ出さなければならなかった。
秘密を唯一共有する2人はこっそりと練習を続け、ようやっと自由に変身できるようになるまでに1ヶ月を要したものの、不幸中の幸いとでも言うべきか、その間に"敵"と成り得る怪物は現れることはなかった。
後から考えてみれば、魔法少女の存在が確立されて以降、狙ったかのように怪物は2人を、特に朔夜へ襲い掛かるようになった。
「周りの人は、怪物がいることにそもそも気が付いてないんだ」
「見える"私たち"を、しかも変身できない私を狙っているんだね」
何処からともなく姿を現す怪物は朔夜の児童向け小説の中で紹介される神話の生き物に特徴が酷似しており、持ち前の知識を活かして光の参謀役を務め上げる。
自宅の近所から、時には外出先、学校の宿泊学習先にまで怪物は現れたが、不思議と2人の秘密がバレることはなかった。
「私たちみたいな秘密を持っている人って、いるのかな」
「どうだろう......周りの人が気付いていないみたいに、私たちが気付いていないのかもね」
いつまで続くか分からない日々に不安を見せる朔夜を、光が勇気付ける。
「アニメだって長くて1年、しかもラスボスを倒して終わるハッピーエンドが基本でしょ。何とかなるよ!」
時に強力な敵―光は中ボスと呼んでいた―が現れようとも、決して挫けることなく、光は1人で戦い続け、朔夜はそれを見守り続けた。
「......いよいよだね」
目の前に広がる異空間。
光が"ラスボス"と表現した敵が現れたのは偶然か必然か、光が魔法少女となった"記念日"だった。
「どういう目的で怪物に私たちを襲わせていたのか分からないけど、今日が最後だよ!」
いかにも"ラスボス―魔王―"とでも言えそうな人型の存在が、口元をニヤリと緩める。
どうやら、日本語を理解するだけの能力があるようだった。
「〇※×◆□●」
「......?」
魔王の口元の動きから言葉を発しているようだが、言語として理解することができない。
「●◎....;ojhlfjdg...こで、co、le、re、で、伝わるな」
たどたどしい言葉から流暢な日本語に切り替わり、双方の意思疎通が図れるようになる。
「お前、目的は何かと言ったな」
「当然、この1年間、私たちを襲い続けた理由は何?」
「理由、か」
魔王は短く言葉を発した直後、予備動作なしで放たれたエネルギー波で光が吹き飛ばされ、朔夜は反対に魔王の元へと引き寄せられ、左腕で拘束される。
「光っ!」
「さ、朔夜...っ!」
2人が肌で感じる圧倒的な力の差。
「理由はこいつダ、こいつが欲しかっタ」
魔王は淡々とした言葉とともに、朔夜を指差す。
「......私?」
「そして、お前も、"使っタ"」
そして光を指さし、嘲笑う。
「お前、使いやすかっタ」
初撃のダメージでふらつく足を何とか抑え、光が鋭い眼光を魔王へと向ける。
「――を」
「光?」
「朔夜を、離せーーっ!」
感情的を露にした光は、迫り来るエネルギー波で傷付きながらも魔王へと飛びかかろうとする。
「言っただろう、"使いやすかった"、と」
魔王の右腕が光の頭部を掴み、身動きが取れない状態になる。
「我が欲しいのは、こいつ。こいつが持つ不安、恐怖、絶望、その力」
魔王が大きく振り被り、右腕を振り下ろす。
「っさ――」
「光っ!」
地面に叩きつけられた光は、いくら呼びかけてもピクリとすら動かない。
「ひか、り?」
魔王に対して湧き上がる恐怖と、親友を失う絶望。
負の感情に心が染まると同時に、魔王がケタケタと笑う。
「これダ、これが欲しかっタ」
「――?」
虚ろな瞳で見上げると、魔王が破顔する。
「お前の感情、特定の相手に強く依存。お前、1人。お前、いつも不安。その相手、いなくなれば、不安が大きく、心、恐怖、絶望に染まる」
魔王は朔夜を自身の眼前まで持ち上げ、言葉を続ける。
「お前タちの絆深め、あいつを始末すれば、より大きな負の感情、手に入る。だから、あいつに特別な力を与え、怪物と戦わせタ。これ、必要な投資、投資よりも得られるもの、大きい」
朔夜は全てを理解した。
魔王は朔夜を"より価値の高い状態"で確保するため、光を当て馬として利用したのだ。
そもそも自分がいなければ、光が大変な思いをすることも、傷つくこともなかった。
何が"記念日"だ、"厄日"じゃないか。
「あぁ――あぁっ!」
自身の感情が暗く染まっていく。
魔王が欲した感情を与えてしまうと分かっていたとしても、自分の心の琴線は振動を止める術を知らない。
「いい、いいぞ」
魔王は目を輝かせ、品定めをするように朔夜を見る。
正に、負の感情がピークに達した瞬間だった。
「いタダく」
朔夜の視界が全て奪われ、暗闇の中に1人になる。
正しく、魔王に”喰われた”と表現するのが正しいだろう。
「あ――あ......」
徐々に感情が吸い取られ、先程まで暗く染められた感情は真っ白に、そして透明に。
存在自体が曖昧になっていき、朔夜自身は思考が纏まらなく、何も考えられなくなっていく。
「私が、いなければ」
最後に纏まった思考を感じ取り、魔王がニヤリと笑う。
「そうか、その手があっタな」
全ての感情が消えかかる直前、正しく"ペッ"っと吐き出された朔夜は、動かないまま突っ伏している光へ覆い被さるような状態となる。
「ひ...か...」
殆ど残っていない力を振り絞り、動かない親友を抱きしめる。
「ごめんね、私がいなければ、こんなことには――」
朔夜に残った、2つの感情。
一つは光への贖罪。
「あの日、私が、髪留めを忘れなければ......私がいなくなればいい」
一つは、激しい自己否定。
「褒美ダ、お前の願い、叶えてやろう――」
魔王が朔夜に手をかざす。
自身の身体が徐々に消えていく感覚は、自己否定も相まってどこか心地良ささえ感じられる。
身に着けたもの全てと共に、朔夜はその場から完全に消え去った。
走り、駆け、ただただ前へと足を踏み出し続ける。
自分が何を思い、何のために突き進むのかが分からない。
それでもただ、前方に進まないといけない。
「――」
ふと眼前に、自身から逃げ惑う小柄な姿が在ることに気が付く。
そうか、自身の"標的"は"それ"なのか。
目的をハッキリと認識し、自身は間合いを詰めるべく前進速度を上げる。
「わぁっ!」
逃げる足をもつれさせ、標的が眼前にうずくまる。
仕留めるなら今、恰好の餌食を逃す手はない。
自身の”右前脚”を振り上げ、標的目掛けて勢いよく振り下ろす。
「――?」
しかし、右前脚が標的に達することはなく、眼前に躍り出た別の小さな身体により阻止される。
左手に光り輝く何かを掲げ、何か障壁のようなものが展開される。
「朔夜は私が守る!」
聞き馴染みのある声とともに、眼前の輝きが一段と増していく。
小さな身体を包む装いが変わり、溢れ出る力に押されて思わず一歩後ずさってしまう。
光が徐々に収まりつつあるタイミングで、自身の標的の姿が明らかになる。
「――!?」
驚愕するが、何に驚いたのかが理解できない。
驚くに値する情報を得たというのに、その本質を掴み切れないでいる。
「――!!」
チラリと視界の端に映るカーブミラーに、自身の姿が映し出される。
言葉で表すことの難しい姿を見た瞬間、自身がかつてその姿ではなかったことを思い出すと同時に、激しい頭痛に襲われ思わず身悶える。
「やぁーーっ!」
自身と標的の間に躍り出た少女が何かを振りかざし、自身に向かって強力なエネルギー流が襲い掛かって来る。
「(あぁ、そうか)」
猛烈な力に自らが搔き消されそうになる中、脳内に記憶が一つ一つ、親友と2人で駆け抜けた冒険の日々がゆっくりと思い浮かび、薄れゆく意識の奥底で理解する。
「("この日"は、"私"が怪物に襲われた日だ。私を襲ったのは、私がいなくなればいいと願った"私自身"だったんだ)」
感覚という感覚が全て光に包まれ、全てが朧げになっていく。
「(光が大変な思いをしたのも、傷つくこともなかったんだ。ごめんね、光、ごめんね)」
湧き上がる贖罪の感情は、朔夜だった"それ"に残されたもう一つの感情だったからかは分からない。
そしてもう一つ、意識が完全に消失する直前。
朔夜だった"それ"は、一つの感情を取り戻す。
「(光に会えて、よかった)」
感謝。
大切な相手への想いは、人だった時に身に付けていた親友との思い出の髪飾りへと形を変える。
「(ありがとう、負けないでね、そして、元気でね)」
親友への感謝の言葉を思い浮かべた直後、朔夜だった"それ"の意識は完全に消失した。
身体が脳の司令を受け付けず、思うように動かすことができない。
視界はブラックアウトし、自分がどうなってしまったのか、周囲の状況がどうなっているのか、把握することができないでいる。
直後、背中に”ふわり”と何かが覆い被さる感触を覚えるが、それが何かを確認することができない。
「ひ...か...」
動かせない身体を抱きしめられ、僅かに聞こえる声から、自身に覆い被さる存在が朔夜だと気付く。
「ごめんね、私がいなければ、こんなことには――」
朔夜の弱々しい声。
自らの存在を否定する言葉を今すぐにでも撤回させたいが、いくら願っても身体はピクリとも動かない。
「あの日、私が、髪留めを忘れなければ......」
「(違う)」
ぼんやりとする意識の中で、光は朔夜の言葉を否定する。
「(髪留めを忘れたのは、私だ)」
* * *
光が魔法少女になった日。
公園で朔夜とバドミントンをするために家を出た直後、光はいつもの髪留めを家に忘れてきたことに気が付く。
朔夜だったら、忘れてきたとしても許してくれる。
朔夜だったら、どんなことをしていたとしても自分と友達でいてくれる。
絶大の信頼を寄せていたからこそ、些細なことなど考えずにいることができた。
「(あっ)」
気が付いたのは、茂みに打ち込んだシャトルを打ち込んだ時だった。
朔夜は髪留めが外れて落としてしまったようだが、当の本人は気が付いていない。
「(もう、私が"していない"のに気が付かないし、自分が落としたことにも気付いてない)」
足元に落ちていた朔夜の髪留めを見つけると、何事も無かったかのように自身の髪につける。
「(ちょっと脅かしちゃおう)」
「――何だろう、これ?」
俗に言う"変身アイテム"を見つける、ほんの直前だった。
辺りが徐々に暗くなってきた頃合いもあり、そのまま朔夜の髪留めを着けたまま、光は帰宅してしまう。
「(まぁ、明日返せばいいか――ん?)」
自室から外を眺めていると、向かいの家から朔夜が飛び出す様子が飛び込んでくる。
「あれ、どうしたの?」
夕食時もすぎた時間帯、辺りが暗くなっているにも関わらず、声色から朔夜が焦っている様子が手に取るように分かった。
「公園に落とし物をしちゃったみたい。ちょっと探してくる!」
光は瞬時に、朔夜の落とし物が髪留めであることを理解した。
いくら探そうにも、見つかるはずはない。
何せ、自分の手元にあるのだから。
「手伝おうか?」
口から出た言葉に、光は自身の感情を疑った。
髪留めなら、私が持っているよ。
その一言を言えばいいのに、イタズラをした事実を隠そうとしてしまった。
なら、一緒に行って、公園で見つけたフリをして返せば――
「いいよ、大丈夫!」
朔夜は光の申し出を断り、公園に向かって一目散に駆けて行く。
「朔夜、帰って来ないなぁ。今から行こうか......でも、外は暗いし、怖いなぁ」
光は途方に暮れ、しばし自身のベッドの上でヤキモキした気持ちのまま時間を過ごす。
当然、公園に朔夜の探し物は存在せず、帰宅は当然遅くなる。
「......よしっ!」
光はベッドから飛び起き、自分の髪留めを着け、先程拾った"変身アイテム"を手に取る。
外は暗くて怖いことに変わりはないが、"変身アイテム"を持っていれば何故だか勇気を貰えるような気がした。
「ちょっと出て来る!」
「え、えっ!?」
戸惑う母の静止を振り切り、光は家を飛び出す。
「(なかなか戻ってこないから、心配で見に来た。そういえば、髪留めが落ちていたけど、落とし物ってもしかしてコレ?)」
朔夜への声のかけ方をシミュレーションしながら公園へ向かっていると、前方から弱々しい悲鳴が聞こえる。
「朔夜!?」
親友の声だと認識し、何が起こっているのか前方へ目を凝らす。
ぼんやりと見えるシルエットを見る限り、朔夜が得たいの知れない怪物に襲われているではないか。
次の瞬間、光は前へと駆け出していた。
よく分からない何かへの恐怖よりも先に、右手に握る親友の髪留めでイタズラをしてしまった親友を助けたい想いが勝った。
湧き上がる恐怖心は、ポケットから左手で取り出した"変身アイテム"が打ち消してくれた。
朔夜と怪物の間に割り込み、左手を前方へ掲げる。
「朔夜は私が守る!」
そこからの出来事は、振り返れば一瞬のように思えた。
左手に持った"変身アイテム"から光が溢れ出し、自身の服装が変化し、よく分からない光の渦で怪物は消え去った。
「......あれ、これって」
怪物の"存在していた"場所に落ちる髪留めを見つけ、拾い上げる。
自身の右手には、親友の髪留めが握られたまま。
「あ、私のだ。これを落としちゃって、探しに来ていたんだ」
「えっ、......そうなんだ」
光は一度、髪留めを右手移してから改めて差し出し、朔夜へ手渡す。
渡したのは当然、本来は朔夜のものだった方。
拾い上げたものは、そのまま右手に握りしめたまま。
「大切なものを落としちゃって、ごめんね」
「落とし物を探してくるって言っていたのになかなか戻ってこなかったから、心配になって来てみたらこんなことになるし。とにかく、見つかってよかった......私たち2人の、大切なものだもんね!」
光はツラツラと嘘を口にする自分が、ほとほと嫌になった。
すったもんだの後、恐怖心から一人で寝られないという朔夜に付き合ったのも、贖罪の一環だった。
* * *
「私がいなくなればいい」
「褒美ダ、お前の願い、叶えてやろう――」
朔夜の言葉を受け、過去を後悔していた時間はほんの一瞬だっただろうか。
耳元で囁かれた言葉の直後、覆い被さっていた重みが徐々に無くなっていくのが分かる。
「――さ」
ぼんやりとだが、視界がようやく回復してくる。
身体もほんの僅かに、声もか細くなら出せる程度だろうか。
「さ...くやっ!」
渾身の力で身体を起こした瞬間、朔夜だったものが霧散する。
「―――――っ!」
声にならない悲鳴をあげ、存在しない親友の姿を探し求める。
「何ダ、まダ生きていタのか」
魔王は弱々しい動きの少女に向け、嘲笑を送る。
朔夜の負の感情を取り込んだせいか、その身は肥大化し、醜くなっていた。
「......返して」
「何をダ」
「私の親友を、朔夜を返して!」
叫んだ直後、光はまた見えない力で吹き飛ばされ、地面に突っ伏す。
意識が飛ばないよう何とか堪えたが、あと何回も耐えることは難しいだろう。
「......?」
目の前にあったのは、朔夜に預けていた私物の小物入れだった。
変身してしまうと手持ちのものが一時的にとはいえ全て消えてしまうため、余裕がある時は傍らにいる朔夜へと預けるようにしていた。
小物入れに手を伸ばし、中から髪留めを取り出す。
それは、光が魔法少女として初めて倒した時に発見した、朔夜とお揃いで買ったものと同じデザインの髪留め。
自分でも分からないが、どういう訳だかこの髪留めをしていれば、朔夜と一緒にいられるような気がした。
「何を、している」
「親友から、勇気を貰ったのよ――!?」
自身の髪留めと反対側に着けた瞬間、視界が真っ白に染まり、身体の痛みも感じなくなった。
「......朔夜?」
眼前にぼんやりと現れる何かに向かい、光は親友の名を呼ぶ。
次第に明瞭になっていく親友は"ふい"と近付き、自身の身体を抱きしめ、耳元で囁いた。
「あの日、私を襲ったのは、私がいなくなればいいと願った"私自身"だったんだ。光が大変な思いをしたのも、傷つくこともなかったんだ。ごめんね、光、ごめんね)」
湧き上がる贖罪の感情から、親友は涙を流していた。
朧げになっていく親友は涙を拭き取り、最後に呟いた。
「光に会えて、よかった」
耳元に届いたのは、真っ直ぐな感謝の言葉。
「ありがとう、負けないでね、そして、元気でね」
最後の瞬間まで、朔夜は親友を信じ続けていた。
最後の言葉を届けた直後、朔夜の形をした"それ"は完全に消失した。
意識が現実へと戻り、光は再び魔王と相対す。
「大丈夫、負けないよ」
光の眼光が鋭く光る。
強大な敵ではあったが、先程までの恐怖心もなければ、身体の痛みもない。
「(あいつが悪い感情をエネルギーにするなら、こっちは良い感情。気持ちで負けなければ大丈夫なはず。だよね、朔夜!)」
肥大化した魔王が鈍重な動きからエネルギー波を放つが、光はかわし、時には弾き返しながら前へと進む。
「そこにいるんだよね、朔夜!」
光がステッキを振り下ろし、エネルギーを斬撃に変えて魔王へと浴びせ掛ける。
魔王から感じる僅かな気配、そして髪留めを通じて知覚した朔夜の記憶の一部から、朔夜の存在が魔王の中に取り込まれていると確信する。
「やぁっ!」
ステッキを囮にして魔王の死角に入り、光は朔夜の髪留めに力を込める。
髪留めはレイピアへと形を変え、魔王の動きの隙を突きその身体に風穴を穿つと、小さな穴に右腕を突っ込んで無理やりこじ開け、内部へ自身の声を叫ぶ。
「朔夜、一緒に帰ろう!」
* * *
暗く深い闇の中。
どれだけの時間が経ったのか、一瞬なのか、悠久の時が流れたのかは分からない。
絶望により閉ざされた殻の中に、"私"は閉じこもっていた。
「(私って、誰だっけ)」
自分が何者だったか、私は忘れてしまっていた。
自分を照らす陽向の光が失われれば、反射により輝きを得ていた存在は、周囲から存在を気付かれなくなってしまう。
「......?」
暗い闇に、一筋の光が差し込んでくる。
いつ振りに感じたか忘れてしまった程に、時間が過ぎ去ってしまったのだろうか。
「――や、一緒に帰ろう!」
光の方向から、声が聞こえる。
ずっと耳に入れてきた、懐かしく馴染み深い声だ。
それと同時に、絶望が"私"を呼び寄せ、光へ背を向けさせる。
どんなに明るい光でも、背を向けてしまえば表情は分からない。
「――えっ!?」
肩を掴まれた感触とともに、身体が光の方向へと引き寄せられる。
驚きとともに振り返ると、"私"の正面には太陽のように輝く光がいた。
「朔夜、一緒に帰ろう!」
月は太陽の光を反射し、その輝きを地球へと伝える。
満ち欠けは地球から見て月が太陽と一直線になった"朔夜"を起点とし、無限の循環を開始させる。
周囲に存在を認められて、初めて"それ"は存在としての価値を与えられる。
朔夜の名を取り戻した"私"は、かけがえのない親友との再会を心から喜んだ。
「光......なんだよね?」
「当然、私以外に誰がいるの?」
光はおどけて見せると、真剣な表情で朔夜に向き直す。
「ごめんなさい」
深々と頭を下げた光に、朔夜が狼狽する。
「あの時、私が"魔法少女"になった日、朔夜が落とした髪留めを私が見つけて、イタズラしようと思ってそのまま家に持って帰っちゃったの」
「え、えっ?」
「朔夜だったら、私のことを分かってくれる。朔夜だったら、どんなことをしていたとしても自分と友達でいてくれる。だから、朔夜が髪留めを落としたからこんなことになったんじゃないの。私が、朔夜にイタズラをして、それを素直に謝らなかったからこうなったの。朔夜は全く、これっぽちも悪くない!」
光は朔夜を強く抱きしめ、改めて謝罪する。
「ごめんなさい、私のせいで朔夜を深く傷つけて」
「......大丈夫、私も大事な髪留めを落としたことに気付いていたのに、失くしたことを伝えたら一人ぼっちになっちゃうと思って、怖くて言えなかった。光を信じてなかった。私も、ごめんなさい」
2人が互いに謝罪を伝え合い、呼吸を整える。
「仲直り...て言うのかな」
「そうだね、たぶん」
少々気恥ずかしそうな光に対し、朔夜が微笑む。
「じゃあ、仲直りも済んだことだし、ここから出よう」
「どうやって?」
「あの穴から出ればいいんじゃない?」
「でも、魔王も倒さないと......」
「それなんだけどさ」
光が朔夜へ耳打ちし、朔夜が小さく頷く。
「やってみるよ」
「私たちなら、できるよ!」
* * *
光が思いっきり腕を引き抜くと同時、朔夜の身体が魔王の外へと躍り出る。
それと同時に魔王の肥大化した姿が小さく萎み、その場で蠢く様は、元より弱々しくも見える。
「朔夜!」
「光!」
距離を取るように跳躍した2人が手を繋ぐと、空中で"魔王の力を纏った"朔夜の装いが変化する。
白を基調とした光の装いに対し、朔夜は黒を基調とした衣装。
パッと見の雰囲気はまるで反対だが、装束は左右対称の同じデザインとなっている。
「上手くいったね!」
魔王が朔夜の感情を食べて強く大きくなったのなら、反対に朔夜が魔王の力を奪い取ることだってできるはず。
強い気持ちがあれば、負けることは無い。
「当然だよ、光と私、2人でやったんだもの」
白は黒があるからこそ映え、黒は白があるからこそ際立つ。
2つが互いを活かして並び立てば、何物にも負けることはない。
「それじゃ」
「決めよう」
武器となるものを持ち合わせていないが、作り出すことはできる。
互いが互いの髪留めを取り、繋いだ手に握らせる。
大きく息を吐き出し、繋いだ手を魔王に向かって突き出すと、同時に地面を強く蹴り、勢いよく突進する。
『いっけーーーーっ!!』
2人の手と魔王が触れた瞬間、その場で光と闇が爆ぜ、天と地、上下左右の概念が崩壊していく。
白と黒、2人の"魔法少女"が役目を終え、行く当てもなく身体が流されていく。
「これで終わりだね」
光の言葉に、朔夜が小さく頷く。
「一緒に帰ろう。そして、これからもずっと一緒にいよう」
「うん、約束だね」
認識を共有したところで2人の意識は薄れ、微睡みに沈んでいった。
光が"魔法少女"となってから丸1年が経過したこの日も変わらず太陽が西へと沈み、黄昏時を迎えていた。
夕焼け小焼けの曲が流れても帰らない我が子を心配して、光の母が朔夜の家を訪れる。
「......あれ、帰っていたかしら」
「でも、靴はあるわよ?」
「本当だ」
光と同じく、朔夜の部屋も一軒家の2階にある。
「部屋にいるのかな?」
試しに呼びかけてみても、全く降りて来る気配がしない。
2人の母親が揃って朔夜の部屋を開けると、髪留めを握りしめ、ベッドに横たわりスヤスヤと寝息を立てる娘の姿があった。
「ねぇ、思い出さない?」
「私も同じこと、言おうと思った」
朔夜の母がアルバムを取り出し、娘が生まれたばかりの写真のページを開く。
「2人とも、昔と変わらないポーズで寝ているわね」
起こさないようケラケラと笑いながら、スマートフォンでこっそり写真を撮る母親2人。
同年同月同日に同じ病院で生まれ、向かいの家で育った娘たち。
首も座らないうちに同じ布団で寝かせてみると、互いの存在を認識しているのかどうかは分からないが、2人は手を繋ぎ、そのまま直ぐ眠ってしまった。
「あら、これ11年前の今日じゃない」
「本当だ。......早いものね」
「そうね」
記念としてアルバムに残した写真の脇に、若き日の自分たちが書き残した文字へと視線が移る。
「......仕方がない、このまま寝かせておいてもいいかしら。起きたら帰ってくるよう、伝えてくれる」
「分かった、せっかくの"友達記念日"だもの。邪魔したら悪いわよね」
書き残された文字を、2人の母が優しくなぞる。
正反対な性格に育った娘たちはこの日からずっと一緒に過ごし、共に成長してきた。
大事な愛娘たちがこれからもいつまでも友情を育んでいくよう願いながら、2人の母は部屋を出る。
目を覚ましていないことを改めて確認すると、音を立てないようそっと扉を閉じた。
Pixiv様でも投稿させて頂いております。
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