その87(帝国の参謀1)
私が帝国軍兵士を驚きの眼差しで眺めていると、兵士の中から指揮官らしき人物が進み出てきた。
その勝ち誇った顔は、まるで追い詰めた獲物に止めを刺す狩人のようだった。
「参謀殿が会うそうだ。一緒に来い」
私はビンガム男爵に振り返ると睨みつけた。
どうやら私は売られたらしいという事に気が付いたからだ。
「まさか、王国を裏切ったのですか?」
すると男爵は嫌そうに顔を顰めたが、直ぐに視線を外して横を向いた。
「裏切ったのは王国の方さ」
ビンガム男爵が言った言葉の意味が良く分からなかったが、男爵はそのまま執務室を出て行ってしまった。
残された私は帝国軍の兵士に腕を掴まれ、そのまま参謀が待つという場所まで連行されていった。
そして連れて行かれた先には、1人の男がくだけた恰好でソファに座っていた。
その男は、私達が部屋に入って行くと片手を挙げて声を掛けてきた。
「やあクレメンタイン嬢、会うのは2度目だね。それともクラーラ・マレットと呼んだ方がいいのかい?」
そのハスキーボイスは前にも聞いた事があった。
そして帝国軍の軍服を着ているが、その女性的な顔立ちにも見覚えがあった。
「まさかこんな所で貴方に会うとは思ってもいませんでした。アーベル・バルリングさん」
するとバルリングは自分の相対の席を指し示すと、後ろの帝国兵に頷いて合図していた。
「まあ、座ったらどうだい。おい、こちらのお嬢さんにお茶を用意して」
私は指定された椅子に座ると、目の前の男に視線を据えた。
この男はアインバックで武器商人をしていたが、それが表の顔で、裏の顔は帝国の参謀だったようだ。
私の目の前のテーブルには、帝国兵が用意したお茶が置かれた。
だが、敵が用意したお茶を飲もうとは思わないので、手を出すつもりは無かった。
「別に毒は入れてないぜ」
私がお茶に出を出そうとしないのを見てそう言ってきたが、私はそれでも手は出さなかった。
「他の兵隊さんに聞きましたが、貴方は帝国の参謀だそうですね?」
「ああそうだよ。俺はアンシャンテ帝国のバーボネラ王国方面軍の作戦参謀だ。任務は王国内での攪乱、敵の篭絡それに情報収集といったところだ」
そう言うと襟に反対側に付けていた部隊章を付け直して見せてきた。
その部隊章は鳥の首を握り締め雄叫びを上げている熊の姿だった。
「攪乱・・・」
バルリングが見せていた部隊章を見て、途中で襲われた村を思い出していた。
すると王国内の村を襲っていたのは、この男の指図ということなのね。
成程、ラッカム伯爵がこの男の事を警戒していたのも頷ける。
「貴方達が王国内の村を襲わせたのですね?」
「ほう、気が付いていたのか。敵国を攻めるのに、混乱を引き起こすのは常道だよ」
「お父様が居る限り貴方達が王都に辿り着くことはありませんよ」
帝国軍が侵攻してきても、きっとお父様なら何とかしてくださるだろう。
だがバルリングは、それでも余裕の表情を崩さなかった。
「それはいずれ分かる事だ。ところで、俺がここに居て驚いたかい?」
そう言えば、この男はどうしてここに居るのだろう?
この男と最初に会ったのはアインバックの夜会だった。
その後、私達は途中で寄り道はしたが冒険者しか使えないツォップ洞窟を通ってここに来たのだ。
一体どうやって、私達を追い越したのだろう?
「ええ、アインバックに居たはずの貴方が、私達より先にどうしてここに居るのですか?」
私が疑問を口にすると、バルリングはさも嬉しそうな顔でニヤリと笑った。
「君がツォップ洞窟を経由してバタールに帰ると踏んだのでね。山越えをして待ち構えていたんだよ。いやあ、タバチュール山脈の山越えは本当に骨が折れたよ。おかげで時間稼ぎのため、君を足止めする必要に迫られたよ」
という事は、あの宿場町の酒場であった男やツォップ洞窟の偽ガイドブックは、この男の仕込みだというの?
だが、それが事実ならあの巧妙な詐欺の手口にも納得がいった。
「それならなぜアインバックで捕まえなかったのです? チャンスはあったはずですよ」
「ああ、どうせならこの地で捕まえた方が、帝国に護送するには手間要らずだろう」
どうやら私は帝国に連れて行かれるようだ。
そこではっとなった。エミーリアとエイベルはどうなるのだろうかと。
「私と一緒だった2人はどうなるのですか?」
「ああ、お前の使用人か。あいつ等はここで始末する」
私の背中にはひやりと冷たい汗が流れた。
拙い、何とかしなければ2人が殺されてしまう。
何か良い手は無いかと必死に考えたが、焦っていたのであまり上手い考えが思い浮かばなかった。
「どうしてです? あの者達は唯の使用人ですよ。ここで放逐しても害は無いでしょう?」
だが、バルリングは顔の前に突き出して右手人差し指を左右に振りながら、「チッチッ」と言っていた。
「あまり俺の事を侮らない方がいいぞ。あの2人を解放させてダグラスにお前を救出させるつもりなのだろう? その手には乗らんよ」
いや、そこまでは考えていなかったんですけど。
でも、確かにお父様が知ったらそうするでしょうね。
「それならあの2人も、私と一緒に帝国に送った方が良いのではないですか?」
「はあ? 何を言っているんだ。ここで殺しておいた方が確実だろう?」
うっ、確かにその通りなんだけど、ここで言い負けたら2人が殺されてしまう。
なんとしてもこの男に翻意して貰わないといけないのだ。
でもどうやって。
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