その76(アレンビー侯爵家王都館〇)
アレンビー侯爵家の王都館にやって来たレスターは、妹のクリスタルが王城キングス・バレイに行ったきり戻らない事を知らされた。
アレンビー侯爵家では既に次期領主が兄と決まっていたので、レスターは領主予備の役目が無くなったのを契機に、王都で騎士団に入団していたのだ。
貴族家出身の騎士の役目は、北の王城と王都東側の貴族街が警備範囲となる。
西側と南側は、平民出身の警備隊が担当していた。
そしてあの日、同僚のウィッカムが何かを捕縛するため平民街に出かけたと聞き、意外に思ったのだ。
彼は、そもそも選民意識が強い奴で、自分から平民街に行くようなことは無いはずだった。
ウィッカム達が戻って来た時そのがっかりした姿を見て、任務に失敗したのだと分かったが、それ程興味は湧かなかった。
だが一緒に行った連中が話している内容が伝わると、がぜん興味が湧いだのだ。
いや、焦ったといった方が近いな。
それというのもその任務が、あのクレメンタイン嬢の捕縛だったからだ。
そして学園の卒業パーティーでの顛末を知ったのだ。
最初に思ったのは、高嶺の花が突然手の届く範囲に落ちてきたという喜びだったが、直ぐにクレメンタイン嬢が直面しているであろう苦難を思い心配になったのだ。
あの時クレメンタイン嬢が平民の恰好で追手から逃げていたのは、お忍びで遊びに出かけたのではなく、本当に追っ手から逃げている最中だった事に初めて気付いたのだ。
クレメンタイン嬢は俺の事など放って逃げるのが普通なのに、態々捕まる危険を冒してまで俺の事を助けてくれたのだ。
俺は、そんな相手を見遊山の最中だと勘違いし時間を取らせたうえ、再開した時は手伝わせた挙句お茶に誘ったのだ。
自分が何も考えてない阿呆だった事に気づいて、ひどく後悔していた。
だからウィッカム達が捕縛に失敗した後、まだ騎士団に捕まったという話は聞かないので、ホッとしていた。
まだ王都に潜伏しているのなら何とか助けたいと思ったが、レスターにはクレメンタイン嬢の居場所の見当が付かなかった。
「無事に逃れていてくれたらいいのだが」
それから数日後、父親であるアレンビー侯爵が王都に慌ててやって来た。
大事な妹が婚約破棄されたうえキングス・バレイに軟禁されたと聞いては、領地に引き籠っている訳にもいかなくなったようだ。
何とかクリスタルを解放してほしいと使いを送っても、良い返事は全然貰えなかった。
そしてキングス・バレイに潜入させている使用人から送られてきたクリスタルのメモを読むと、がっくりと長椅子に座り込んだ。
「つまり、大人しくしていろという事か」
父上のその独り言を聞いてからクリスタルのメモを読むと、そこには同じようにラッカム家とレドモント家の令嬢も軟禁されている事や、この件は王家の借りになると書かれていた。
待つ以外何も出来ない状況の中、部屋の中には重苦しい空気が漂っていた。
そんな酒を飲む時の音しか聞こえない空間に、突然「バン」という静寂を破る扉を開く音が響きわたると、そこにはラッカム伯爵家で外交を担当しているサイラスが興奮した面持ちで立っていた。
「なんだサイラス、無作法だぞ」
父上の譴責にサイラスは全く怯む事なく、興奮した口調で話し出した。
「そんな事はどうでも良いのです。侯爵様、我々は強大な力を手に入れたのです。これで事態が動くかもしれませんよ」
「意味が分からん。順を追って話せ」
サイラスの話だと、ラッカム伯爵領の領都アインバックに、あのクレメンタイン嬢が現れたそうだ。
それを聞いたレスターは、クレメンタイン嬢が無事だったことが分かりとても安堵していた。
そしてサイラスは、ブレスコット、ラッカムそしてレドモントの3家と盟約を結ぶという話をしていた。
だが、それを聞いた父上はとても困惑した表情になっていた。
「サイラス、お前だって辺境伯の一人娘がどんな人物なのか知っているだろう? その話信じても大丈夫なのか?」
確かに俺も、クレメンタイン嬢の本当の姿を知らなければ、どれだけ魅力的な話だろうが疑っていたことだろう。
それというのも失敗した時の損害が甚大では無いし、権力闘争に負けたら没落の憂き目にあうからだ。
「それが実際のクレメンタイン嬢はとても聡明で、王家の捕縛隊から逃げ延びる程の行動力を持っているのです」
「本当なのか?」
「はい、私はこの目でそれを目の当たりにしました。辺境伯は、盟約の使者としてクレメンタイン嬢をラッカム伯爵家に差し向けられたのです。そして、ラッカム伯爵はこの盟約に同意すると私に断言されました」
「父上、私もクレメンタイン嬢は聡明で、行動力のある人物だと思いますよ」
私がサイラスに同意すると、父親は怪訝そうな顔をこちらに向けてきた。
「なんだレスター、知った風な口ぶりだな」
まあ、貴族の間の噂しか知らない父上なら、うさん臭い話に聞こえるだろうな。
ラッカム伯爵といえば、海千山千の詐欺師が持ってくる怪しげな話の中から有益なものを見つけ出す能力に長けていると言われていた。
そんな相手がクレメンタイン嬢の話をあっさり信じるという事は、俺の見立てが間違っていないと言う何よりの証拠だった。
「それに辺境伯との同盟に参加すれば、キングス・バレイに拘束されているお嬢様の解放に力を貸してくれるでしょう。いや、本気になった辺境伯に否と言える者はそれほど多くはありません」
サイラスがそこまで言うと、俺もその案に賛成の意を示した。
「父上、これは当家に齎された幸運です。是非ともこの話お受けするべきです。それにクレメンタイン嬢は信用できます」
俺が父上のそう言うと、ますます疑わしそうな顔になって聞き返してきた。
「レスターよ、お前はクレメンタイン嬢を敬遠していたのではないのか? どうしてそんなに入れ込むのだ?」
「実は逃走中のクレメンタイン嬢に偶然出会ったのです。彼女は身の危険を顧みず、私の事を助けてくれました。それに平民に変装して騎士団の追及からまんまと逃げおおせるだけの胆力もあります」
「そこまでか?」
「ええ、とっても可愛らしい方です」
俺がそう言うと、父上は呆れているようだった。
「そういえば、お前の婚約相手もそろそろ見つけてやらねばと思っていたが、もしやお前?」
俺は父上のその言葉に、耳が赤くなるのを感じていた。
それを見た父上は目を見開くと、首を横に振っていた。
「待て、待て、相手がブレスコットでは、お前を差し出すことになる。お前も知っているだろうあれの病気の事を、最悪お前がアレンビー家を継ぐ事になるのだ。考え直せ」
次期侯爵である兄は、今病に臥せっていて容態は一進一退だった。
そして不幸な事に兄にはまだ子供が居なかった。
最悪兄が亡くなった場合、レスターが次期侯爵を継ぐ可能性が高いのだ。
その事実にレスターは、深いため息をつくのだった。




