30.アンジュ、倒れる!
いい子いい子と誰かに優しく頭を撫でられる感覚に、アンジュはゆっくりと眠りの世界から浮上した。
「う〜ん、まだ眠い」まだ、眠っていたい。
いつまでも身を委ねていたいような心地よさに、再び瞼が閉じてしまいそうになる。まだ身体が眠りたがっていた。
「よかった。アンジュ、気が付いた?」
「・・・・・・?」えっ、誰?
父や兄たちではない男性の声に、アンジュの意識は一気に覚醒する。今まで閉じかかっていた瞼を、思いっきりバチリと見開いた。
いきなりの美形のアップは、心臓に悪いってものではなかった。
「テ、テ、テリュース殿下?」な、なんで?
アンジュの頭を優しく撫でていたのは、テリュース殿下だった。 綺麗なマリンブルーの瞳が、心配そうに覗きこんでくる。
慈愛に満ちたその瞳に捕えられ、アンジュはゴクリと生唾を飲み込んだ。
(お、お顔が近いです、殿下!)
アンジュは慌てて距離を取り起き上がろうとすると、自分がパジャマ姿なのに気づいた。
(だ、誰よ。こんな色気もそっけもないパジャマに着替えさせたの。しかもよりにもよって年頃の娘に、魔獣柄なんて悲し過ぎる。せめてふりふりのネグリジェくらい着せといて、欲しかった。)
毛布を胸まで引き上げ、とりあえず寝間着を隠す。本当は毛布を頭まで被って、隠れてしまいたい気分だった。
辺りにはテリュース殿下以外、誰もいない。
(家族は何処に行ったのよ。侍女は?なんで、私の部屋に殿下がいるわけ?誰かこの状況を説明して!)
寝起きの頭はうまく回転しない。自分が置かれている状況が、よく理解できなかった。
「えーと、殿下?」
「うん、ちょっと待って」
とりあえず寝たままでは失礼にあたるとアンジュが身体を起こすと、テリュース殿下が背中にクッションを入れ、座っても楽な姿勢になるように整えてくれた。(本当に優しいよね。)
「よし、これでいいよ」
「ありがとうございます」
なんでこうなっているのかは解らないが、とりあえずお礼だけはしっかり言っておく。何かをしていただいたら、ちゃんとお礼は言わないとね。
「うん、気分はどうかな?頭は痛くない?」
「えーと。はい、大丈夫です」
今のところ気分は悪くないし、頭も痛くなかった。
「そうか、よかった。アンジュが倒れたと聞いて、本当に心配したんだよ」
「私、倒れたのですか?」
「うん。覚えてないの?」
(私、倒れたの?そう言えば・・・・・。)
ようやく少し記憶が、繋がって来た。
確か異世界素材で妖精さんたちと、【アルティメットスーパーハイパワーポーションもどき】(うーん、長い。長すぎる。)を作って・・・・・・、それで倒れちゃったわけ?
作っている最中、ごっそり魔力を持っていかれて、これってやばいんじゃない?って思ったんだよね。やっぱりやっちゃたみたいだった。
「えーと、私。どのくらい寝てました?」
「まる2日かな。アンジュがぜんぜん目を覚まさないから、みんなすごーく心配していたんだよ」
「2日も?」
「うん。叔父上やトーイの話では、ポーションを50本も作ったんだって?ほんとうに無茶なことをするね」
「・・・・・・・」
(正確に言うと【ハイポーションもどき】だけどね。さらに正確に言うと、ごっそり魔力を持って行ったのは、【アルティメットスーパーハイパワーポーションもどき】(うう、言いにくい。舌かんじゃうかも)なんだけどね。)
「ただの魔力ギレだって、叔父上やトーイが説明したのだけど、クロードが納得しなくてね。大変だった。」
確かにクロードなら、大騒ぎしそうだった。可愛い末娘が倒れたのだから、そりゃあ大騒ぎするよね。きっと後でコッテリ怒られる。うん絶対、クドクド怒られる。この後のことを考えると、恐いなんてものでなかった。
(ああ、、できれば逃げ出したい。起きるの早すぎたかも?)
「心配かけて、ごめんなさい」ここはもう謝るしかなかった。
「うん、もう絶対に無理してはダメだよ」
甘い・・・・・。テリュース殿下の言葉も態度も、すべてが甘かった。
言いながら、アンジュの頭をいい子いい子と撫でる。本当に心配したんだと、微笑まれてはアンジュはもう何も言えなかった。
心配させたことはわかるので、大人しく頭を差し出す。撫でたいだけ撫でるがいいと、大人しくしていた。(これでも一応反省しているのです。)
「私も明日には魔物の討伐に出発しなければいけないので、今日アンジュが目覚めてくれて本当によかったよ。これで安心して出発できる」
「明日、ご出発されるのですか?」
「うん、それでアンジュに、これを渡そうと思って」
はい!とテリュース殿下に差し出されたのは、ビロード張りの小さな宝石箱だった。
(なんだろう?)
「妖精の祝福を貰った時から、アンジュには何かお礼をしたいと思っていてね。マークの件でもお詫びしなくてはと、思っていたんだ」
「そんな、お礼やお詫びなんて・・・・・」
「でも、私の気持ちだから受け取って欲しい。開けてごらん」
手渡された箱を開けると中には、可愛いタンポポを模したペンダントが入っていた。
「・・・・・可愛い」
花びらの部分がトパーズで出来ており、キラキラと美しく輝いていた。
「気に入ってくれた?」
「はい。とても嬉しいです。ありがとうございます」
「かしてごらん、つけてあげよう」
「はい、ありがとうございます」
ベッドの上、テリュース殿下がつけやすいように、アンジュは髪をまとめて身体をよじる。
項に殿下の息を感じて、なんだかとても恥ずかしかった。これほど男性との距離を意識したのは、初めてのことだった。
ペンダントをつけ終えると、殿下は少し離れてアンジュを見ると、とても嬉しそうに微笑んだ。
甘さを含んだマリンブルーの瞳が、アンジュを捕えて離さない。アンジュも目を反らせなかった。
「うん、とても良く似合っている」
「嬉しいです。ありがとうございます。大切にしますね」
タンポポのペンダントは、アンジュの胸元でキラキラ光る。初めて家族以外の男性から戴いた、宝飾品のプレゼントだった。
「帰ってきたら一緒に、街へ行かないか?」
テリュース殿下からの突然のお誘いに、アンジュは目を丸くする。ここでまさかのデートのお誘いがあるとは、思ってもいなかった。
(ひゃほー。テリュース殿下との初めてのお街デートだよ。)
でも討伐前にデートの約束って、なんだかフラグが立っているような気がしない?
しかもこの流れだと悲恋もの、完全に死亡フラグだよね。
(ぎゃあ、やめてーっ、縁起でもない!)
「街へですか?」
「うん、きっと楽しいと思うよ」
「はい、行きたいです」
「では決まり、約束だよ」
「楽しみにしていますね。だから怪我などしないで、無事に帰ってきてください。待ってますから」
リシャール殿下にポーション作りの話を聞いたときから、ずっと胸の奥に重たい石のような不安が存在していた。いくら他の事に気を反らしても、その重さは消え去ることはなかった。
できればテリュース殿下を、討伐になど行かせたくなかった。
(これはただの気のせい。だから殿下は大丈夫。)
何度そう思っても、アンジュの気持ちは晴れることはなかった。
「解った。約束する。必ず帰るよ、アンジュのもとに」
「はい、お早いお帰りをお待ちしています」
テリュース殿下が真摯な声で、約束の言葉を返してくれる。だからアンジュも待っていると約束を返した。
「大丈夫だから、必ず帰るから」
心配に顔を曇らせるアンジュを、テリュース殿下が浚うように抱きしめる。意外にも逞しい胸に抱きこまれ、アンジュは戸惑いよりも安堵を覚えた。
額に触れるだけのキスをして、そっと離れて行く。
離れる瞬間、テリュース殿下の唇が、「あいしてる」と声には出さず動いた気がしたのは、アンジュの気のせいだろうか?
別れ際のテリュース殿下の姿が残像のように、いつまでもアンジュの胸には残っていた。
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