173.本当に好きな人
テリュースたちとのお茶会を終えたアンジュは、アンリと一緒に家に帰る為、彼が仕事を終えるまでの間、王宮図書館で待つことになった。
「いいかアンジュ、俺が迎えに来るまで、絶対に何処にも行かずここで待っているんだぞ。とりあえずすぐにトーイを寄こすから、それまで人の来ない所にいろ。絶対だぞ。解ったな」
アンリはアンジュの3つ上だが、さらにその上に2人の兄がいる為、あまり威張ることができない。なのでアンジュに対してだけは、兄であろうとする。まぁ威張りたいだけなんだろうけどね。
「アンリ兄様、今はアンジュではなく、アンジーです」
アンジュが間違いを指摘すると、アンリは一瞬シマッタと言う顔をしたにもかかわらずさっさとスルーして、もう一度、「解ったな」と繰り返した。アンジュのこめかみを、左右から拳でグリグリされる。
「アンリ兄様、い、痛いです」
どうやらアンジュは、アンリの兄としてのプライドを傷つけてしまったみたいだった。
(今は誰も聞いていなくても、間違いは間違いだよね。)
異臭返しのようにアンリにこめかみをグリグリを繰り返されて、アンジュは悲鳴を上げる。
ここは大人しく、言うことを聞いていた方が賢明だった。
「解りました。トーイが来るまで、地下書庫にいます」
地下書庫には専門書が多いので、滅多に人が訪れることはない。アンジュの大好きな場所のひとつだった。
「よし、いい子だ。何かあったら、鳥でテリィに連絡するんだぞ」
「はい。大丈夫ですよ。お仕事、頑張ってくださいね」
「ああ、じゃあ行って来る」
「はーい。いってらっしゃい」
アンリと別れて、アンジュは約束通り地下書庫へと移動する。少し薄暗い螺旋階段を降りるとそこには本の世界が広がっていた。
案の定、地下書庫には誰もなかった。
「この辺りはずいぶん古い本が、多いですね」
前世では図書館には、とてもお世話になった。前世でも古い本の建ち並ぶ一角が、とても好きだったのを覚えている。
今世でも古本の独特な匂いが、懐かしい感じがしてとても好きだった。
「この辺は、シューティア語で書かれた古い薬の本ですね」
パラパラと、本を捲ってみる。中にはアンジュの興味のある薬の調合法が書かれていた。
古い本なので、傷つけないように気を使って読んだ。
どうせなら何かメモを取れるものを、持って来ればと思ったが、ここを動くとアンリに怒られる。今回は我慢することにした。
「それにしても、トーイ遅いよね」
研究に夢中になり過ぎて、アンジュのことなど忘れているのかもしれなかった。
「アンジー様では、ございませんこと?」
突然、声をかけられ、アンジュはビクリを振り返った。
本に夢中になり過ぎて、誰かが降りて来たことに気づかなかった。
声の主は、カレン・アバッシヌーク侯爵令嬢だった。
今一番会いたくない人にここで会ってしまうとは、ついていないとしか言いようがなかった。
アンジュは驚きのあまり、固まってしまっていた。
「アンジー様ですよね」
再び問われて、自分がアンジーと呼ばれていることに気づく。まだアンジュだと、ばれてはいないようだった。
「アンジュ様の弟の、アンジー様でしょ」
「はい、アンジー・ド・トゥルースです。カレン・アバッシヌーク様ですよね。先日薬草園でお会いした」
アンジュはできるだけ男の子ぽくを、意識して喋ることにした。アンリに言われたように、品よく良家のお坊ちゃまをイメージしてみた。
「まぁ、覚えて下さって嬉しいわ。本当にアンジュ様に良く似ておられるわね」
(良く似ているって、・・・・本人だけどね)
「アンジー様も、本がお好きなのね。アンジュ様も良くここで本を読んでおられたわ」
「・・・・・姉がですか?」
確かにアンジュはこの地下書庫が好きだが、何故カレンが知っているのか不思議だった。
「そうよ。ここに来られるときは、今アンジー様がしているように、大切そうに本を読んでおられたわ」
「・・・・・そう、ですか?」
しかし自分のことを他人から聞かされるのには、とても違和感があった。
それにアンジュはこの場所で、カレンに会った記憶はない。
なのにカレンはアンジュのことを、良く知っているような口ぶりだった。
「カレン様は、姉と仲が良いのですか?」
アンジュ自身の記憶では、カレンと言葉を交わしたのは、あの王家のお茶会の時が初めてだったと思う。
仲が良いとはとても言える関係ではないことは、アンジュ本人が一番よく解っていた。
「アンジュ様とは、仲良くなりたいと思っていたのですが、なかなか機会に恵まれなくて。あのお茶会の時が唯一お近づきになれるチャンスだったのに、スザンナ様に邪魔されてしまい。ほんと腹正しい」
「あの、それはどう言ったことでしょうか?」
(お茶会の時って、あの回廊に置き去りにされた時のことだよね。)
あの時のカレンは、今までアンジュが話したどの貴族令嬢とも違っていた。なんだか好みも合いそうで、とても仲良くなれそうだと思っていたことを覚えていた。
あの時スザンナ様が現れなければ、良い関係が築けたかも知れなかった。
(結局、回廊に置き去りにされて、酷い目にあったんだけどね。あの時、テリィたちが探しに来てくれなければ、どうなっていたか)
「私、アンジュ様が、大好きなの」
とても大切な打ち明け話をするように、カレンがアンジュが好きだと告白する。大好きと言われて悪い気はしないが、同性からの告白は初めてで、どうしたらいいのか解らなかった。
「えーと。しかし、あなたはマーク殿下の、妃候補ですよね」
「ええ、最初はスザンナ様に、私がアンジュ様のことが好きなことがばれてしまって、それで脅されたの。
それでマーク殿下の妃候補になれば、黙っていてくれると言うので、最初は脅されて妃候補になったの。
でも良く考えたらマーク殿下の妃候補になれば、同じ妃候補同士アンジュ様とお近づきになれるチャンスだと思ったわ。
それなのに殿下同士兄弟仲は悪いわ。スザンナ様はアンジュ様を目の仇にしているわ。一緒に勉強できると思った妃教育は、早々に終了されていて、ほんと上手く行かないことばかりで、マーク殿下は最悪だし、破談になってくれて助かったわ」
なんだかアンジュの頭の中が、混乱して来た。カレンの言っていることは解るのだが、理解が追いつかなかった。
「先日、テリュース殿下のご側室にと、言われていましたよね」
「そうよ。だってアンジュ様が、正妃になられることは決まっていますもの。側室になれば、アンジュ様の側にいられるでしょ。だから側室になりたかったのに、テリュース殿下から断られてしまったわ」
アンジュは少し頭の中を、整理してみようと思う。
カレンがマークの妃候補になったのは、スザンナ様に弱みを握られ脅されたからで、その弱みと言うのがカレンがアンジュを好きだと言うことだった?
始めは脅されてなった妃候補だが、アンジュとお近づきになる為の近道だと思い受け入れていたが、殿下同士兄弟仲はあまり良くなくあまり妃候補になる利点を見出さなくなったカレンは、スザンナ様やマークの無茶振りに耐えきれなくなったところで、破談になったらしい。破談になったこと自体に、悔いはなさそうだった。
その後テリュースの側室になりたかったのは、アンジュの側にいられるから?
それって・・・・・・・・、アンジュが好きってこと?
(え―――――――っ!私を好きって・・・・・・?)
「えーと、カレン様はうちの姉が好きなのですか?」
「ええ、そうよ。私、アンジュ様が好きなの」
(え――――――――――――――――――――っ!)
驚いた、何てものではなかった。
「アンジー様は、本当にアンジュ様に良く似ておられるわね」
アンジュの全身に、悪寒が走るのを感じた。
身の危険を感じると言うのは、このことなのかと思う。
(これって、本当に危ないんじゃない?)
粘りつくような視線に捉えられ、アンジュは目を反らすことが出来なかった。
カレンの綺麗な指先が、アンジュの頬をそっと撫でる。次に両手で顔を包み込まれた。
女性の細腕なのに、振り払えなかった。アンジュはただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
カレンの顔が、だんだん近づいて来る。
もしかしてキスされる?と思った瞬間、
「ストップ。子供に悪い遊びを、教えないで戴きたいのですが・・・・・」
どこから現れたのかトーイの手が、アンジュとカレンの間に割って入った。
アンジュはトーイの背に隠され、ほーっと息を吐き出す。
前世でも経験したことのない体験だった。
(危ない、危ない。危うく危ない道に、引きずりこまれるところだったよ。)
「あら、残念。アンジュ様の代わりに、アンジー様でもいいかと思ったのですが」
「いやいや、それはダメでしょう」
「まぁいいわ。今回はここで引き下がりますわ。アンジー様、またお会いましょう。その時はもっと楽しいことをしましょうね」
ひらひらと手を振ると、カレンは図書館を出て行った。
本当に良く解らない人だと思う。
(怖い、怖すぎる)
アンジュのことを好きだと言われても、良く解らなかった。
「姫さん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。もしかして私、かなり危なかったのかな?」
「そうですね。彼女、かなり本気で、迫っていましたからね」
(えーっ、そうなの?)
本気だったと聞いて、怖さがぶり返してきた。トーイが間に合ってくれて、本当によかったと思った。
「トーイは、どこから聞いていたの?」
「カレン様が来たところからですね」
と言うことは、最初から聞いていたと言うことだった。
もっと早く助けてくれればよかったのにと思うが、今までの謎がすべて明らかになったのだから、文句は言えなかった。
「熱烈に愛の告白を、されていましたね。まさかカレン様が、姫さんのことを好きだったとは・・・・・」
「本当に、驚きましたね」
「姫さんはもともと人たらしですからね。同性に愛されていても、別に驚きませんけどね」
「え――――っ、私かなりショックなんですけど」
「まぁ、今回は実害もなかったことですし、良かったと言うことで」
確かにアンジュには、実害はなかった。
カレンの側室志願の理由も解った。テリュースが狙われていなくて良かったと思う。
しかしアンジュの鼓動は、まだドキドキと落ち着かなかった。
(かなり刺激が、強かったみたい。初めての経験ですからね。)
ほんと一難去ってまた一難。王都に居られる時間も、あと5日だった。
読んで戴きありがとうございました。