172.カレンの訴え
――――――私を側室に、してください!
カレンの叫ぶ声が、今も頭を離れない。
おかげでアンジュは、今日は寝不足状態だった。
(まぁ、自分の婚約者に側室志願者が現れたら、不安にもなるよね。)
この世界ではごく当たり前の側室だが、アンジュには前世の記憶があるせいか、他人と愛する人を分かち合うなんて絶対に無理な話だった。
愛する人には、自分だけを愛して欲しい。
それを王族のテリュースに求めるのは、間違っているのかも知れないが、できればアンジュは一生ひとりの人を愛していたかった。
しかもこれから1年間も婚約者とは遠距離になるのだから、カレンのこの言動はアンジュにとって不安でしかなかった。
(私が領地に帰っている間に、テリィを取られたらどうしょう。浮気は絶対に許さないからね。)
「でもカレン様は何故急に、テリィの側室になりたいと言い出したのでしょうね」
もともとはマークの妃候補が何故、突然テリュースの側室になりたいと言い出したのかも不思議だった。
「そうだね。カレン嬢は本気で私のことを、愛しているわけではないと思うよ。マークがダメだったから、次って感じなんだろうね。アンジュの重病説を聞いて、取って代われるとでも思ったのかもしれないけど」
―――――アンジュ様が生きておられる間は、側室で我慢します。だから私を側室に、してください。
生きている間って・・・・・、何だか死を待たれているようで、気分が悪い。カレンが、怖いとさえ思ってしまった。
「もともとカレン嬢は彼女の父親も含めて、テリュース派だったはずなのに、何故マークの妃候補になったのかの方が気になるよな」
アンリの言い分に、アンジュは確かにと思う。
何故、マークの妃候補になったのかも、気になるところだった。
アンジュは今日もアンリの弟、アンジーに変装して薬草園に来ていた。この変装にも、すっかり慣れてしまった。
クロードに切られた期限の1週間も、残すところあと5日になっていた。
お茶の時間のテーブルには、テリュースの好物がずらりと並んでいた。
「凄いね。みんな、私の好きな物ばかりだ」
「おお、旨そう。早く食べようぜ」
「本当に、美味しそうですね」
カレーパンにサンドウィッチ、ケーキやクッキー、プリンなど、テリュースが喜びそうなものばかりだった。
テリュースの胃袋だけでも繋ぎとめておこうと思ったわけではないが、カレンの言葉に触発されて頑張ってしまったことは事実だった。
(これって、やっぱり焼もちだよね。テリィは絶対、渡しません!ってね。)
「どうぞ、召し上がれ」
美味しい、旨いと、アンジュが作って来たものが、3人の胃袋の中に消えていく。
今日はリシャール殿下は、王宮の方で会議とかでこの場にはいなかった。
3人がお菓子とお茶に満足した頃、昨日と同じように突然薬草室のインターフォンが鳴った。
なんだか、アンジュは嫌な予感がした。
「テリュース殿下、カレンです。カレン・アバッシヌークです。どうぞ中に入れてください」
聞こえて来た声の主は、やはりカレンだった。
「うわぁ、まただよ。執拗いなぁ。こりゃあ、テリィが彼女を側室にするまで、毎日来るんじゃないのか?」
アンリが本当に嫌そうに、扉を見つめる。テリュースもコンラットも、ウンザリした様に扉を見つめた。
「本当に、執拗いよね」
「私がお相手して、帰っていただきましょうか?」
「いや、それではカレン嬢は、納得しないだろう」
「それなら、どうする?」
アンジュの気持ちとしては、テリュースには二度とカレンとは会って欲しくなかった。
カレンには近づかないで、欲しかった。
テリュースがインターフォンに向かって、話し始める。
冷たい声だった。
「・・・・・何の用かな?」
不機嫌そうなテリュースの口調に、インターフォンの向こう側のカレンが一瞬怯んだようだった。
「・・・・・・テリュース殿下」
「側室の話は、もう終わったはずだ。これ以上話すことはない」
「私・・・・・、マーク殿下より、テリュース殿下のことが、ずっと好きでした」
いきなりのカレンからの、告白だった。
ずっと好きだったと言われても、テリュースには何の変化もなかった。動揺すらないように見える。
愛情を押し付けられても、受け入れることはできないと態度で示していた。
「しかし、きみはマークの妃候補だった。今更それがダメになったからと言って、私にすり寄って来るのは可笑しいだろう」
「それは・・・・・、マーク殿下の妃候補だったのは、スザンナ様に脅されたからで・・・・」
(スザンナ様に、脅されたって・・・・・?いったい、なんで?)
「スザンナ様に脅されて、マークの妃候補になったと?」
「はい。弱味を握られてしまいました」
「弱味を握られ、脅されて王族の妃候補になったと言うのか?」
もともとカレン嬢は彼女の父親も含めてテリュース派だったと、アンリが言っていた。
弱みを握られ、脅されてマークの妃候補になったと言うのなら、辻褄があうと言うことだった。(でも、なんだか変だよね。)
しかし王族の妃候補は、貴族のお年頃令嬢たちにとっては夢のような話だと思う。誰もが夢見る立ち位置だった。
その場に立てたことを、カレンは喜んでいるように見えたのに、今ではまるで被害者のような言い方だった。
(彼女の弱味って、いったい何だったのでしょうね?)
「それなのにアンジュ様よりも劣っているから、破談にするって言われて。私もうどうしていいのか解りません。みんなアンジュ様、アンジュ様って。アンジュ様って容姿も普通の、ただのやせっぽちな公爵令嬢じゃないですか。アンジュ様なんて、このままずっと戻って来なければいいのに!」
カレンの言葉は、アンジュにとって呪いのようにも聞こえた。
――――――アンジュ様なんて、このままずっと戻って来なければいいのに!
「おお、女って怖いな。しかしやせっぽちな公爵令嬢って言うのは、当たっているか」
「アンリ、兄様・・・・・」
(そこはスルーして、欲しかったよ。確かに、間違ってはいないけどね。)
「アンジュ姫、お気になされないように。彼女のはただの嫉妬です」
「そうだね。アンジュ、気にしたらダメだよ」
テリュースやコンラットが慌てて、アンジュを慰めてくれる。アンリは女は、怖いと繰り返していた。
やせっぽちな公爵令嬢って言うのは自分でも認めるが、勝手に肯定しなくてもいいと思う。
ここにアンジュがいないと思っているのでカレンは言葉にしたのだろうが、言葉が刃となりアンジュに突き刺さる。
言葉が痛いと思ったのは、アンジュには初めてのことだった。
「私の婚約者に暴言を吐くのなら、2度ときみとは話はしない。もうここには来ないでもらいたい。これ以上私に近づくようなら、それ相当の処分は覚悟しておけ」
「テリュース殿下、お願いです。中に入れて下さい。お願いします。このまま何もなく、帰ることなんてできません」
「何を期待しているのか解らないが、これ以上何も話すことはない」
テリュースはそう言うと、一方的にインターフォンを切ってしまった。
その後、扉を叩く音が響いていたが、しばらくするとパタリと聞こえなくなった。
諦めて立ち去ってくれたようだった。
できるなら、もうここへは来ないで欲しかった。
読んで戴きありがとうございました。