171側室志願
「テリュース殿下、中に入れてください。私の話を、聞いて欲しいのです」
切羽使ったカレンの声に、アンジュは言い知れぬ不安が過ぎる。
開けてはいけない扉が開いてしまうような心地で、アンジュは扉を見つめていた。
「薬草園へ入れていただき、ありがとうございます」
薬草園へと入っていたカレン・アバッシヌーク侯爵令嬢は、テリュースに向かって深々と頭を下げた。
先日『森の恵み亭』で会った時より、幾分やつれている様に見える。
マークとの破談が原因であることは、想像できた。
「それで私に、話したいこととは?」
テリュースに急かすように用件を問われ、カレンは辺りを見回す。本当なら2人きりになりたいような雰囲気だった。
「リシャール殿下も、突然の来訪申し訳ありません。カレン・アバッシヌークと申します。コンラット様、アンリ様、ごきげんよう」
カレンはテリュースの回りの顔ぶれを確認すると、淑女の挨拶カテーシーの形を取った。
顔を上げ、アンジュと目が合うと、不思議そうな顔をする。
「こちらのお子様は、どなたでしょうか?」
ここでもアンジュは、お子様扱いだった。
アンジュだと解らないように認識阻害までして変装しているのだから、お子様扱いはあたりまえなのだが、なんだか納得がいかない。
「この子はアンジー、アンリの弟だ」
最初からみんなで決めて置いた設定を、テリュースが紹介する。
今のアンジュは、アンリの弟アンジーだった。
「えっ、アンリ様の?」
カレンが不思議そうに、アンジュを見る。アンジュは何も言えず、目を反らした。
「確かトゥルース公爵家は、アンジュ様が一番下だと記憶していますが」
「うん、対外的には、それで間違いないよ」
アンリがさも当然とばかりに、カレンの考えを肯定する。しかし対外的にはと、意味深な言葉がついていた。
「この子は婚外子でね。できればカレン嬢も、内緒にしていただけると助かる」
アンリの口からスラスラと出る嘘に、アンジュは呆れてしまう。
これではクロードの不名誉にならないかと、心配になった。
(だって、婚外子って、クロードが外で作った子供ってことだよ。もし噂にでもなったら、気の毒だよね。絶対母のアンヌに、問い詰められるに決っていた。)
「まぁ、そうなのですね。そう言えばお顔がアンジュ様によく似ておられますわ」
カレンが納得したように頷くと、アンジュの顔をまじまじと見る。
本当にアンジュによく似ていると、繰り返した。
(本人だからね。似ていて当たり前だよね。)
「そんなことより、私に話したいことと言うのは何かな?」
アンジュが自分の変装がバレはしないかと、そればかりが気になって忘れていたが、カレンはテリュースに話があって来たことを思い出した。
「それは・・・・・・」
言いながら、周りを見る。こんな人の多いところでは、言えないそんな感じだった。
「テリュース殿下、人払いをお願いできませんか?」
「人払い?おかしなことを言うね。私は王族、あなたと一対一で、気安く話すことはできない。自分の身分が、解っているのかな?」
テリュースにしては、とても冷たい言い方だった。
しかし彼が言うことは、もっともなことだった。
王族が誰彼構わずに、二人きりになることは許されない。変な噂を立てられたり、時には命を狙われることもあるのだから、用心は必要だった。
カレンはマークの妃候補として、二人きりになることが多かったので、その辺が解らなくなっているのかもしれなかった。
「・・・・・・」
テリュースに二人で話すことはできないと断られて、カレンはプライドを傷つけられたのか、羞恥に染まった顔で再びテリュースをじっと見つめる。
本来なら王族をじっと見るのも、不敬にあたることだった。
しかしここは様子見とばかりに、周りも何も言わない。
「・・・・・テリュース殿下♥」
急にカレンの声に媚びが、籠ったような気がした。
粘りつくようなべたべたとした甘さを含んだ声音に、アンジュは気分が悪くなりそうだった。
「私を側室に、してください!」
突然のカレンの願いに、周りはシーンと静まり返った。
アンジュ自身、今カレンが何と言ったのか、理解できなかった。
――――――私を側室に、してください!
「お願いです。私をテリュース殿下の、側室にしてください。正妃になど望みません。お願いですから、側室にしてください」
正妃など望まない。側室にしてくれと言い張るカレンに、みんな目を見開き凝視するだけで、言葉にはならない。
何を馬鹿なことを言っていると、割って入ることもできないようだった。
マークの妃候補だったカレンが、いったいどんな気持ちでテリュースの側室にしてくれと言い張るのか理解ができなかった。
「カレン嬢、私にはアンジュと言う、生涯愛すると誓った婚約者がいる。側室など、必要ない。このことは聞かなかったことにするので、すぐに立ち去れ。不愉快だ!」
テリュースのカレンを拒絶する強い口調から、かなり怒っているのを感じた。
生涯愛すると誓った婚約者と言われて、アンジュは嬉しかった。
テリュースに愛されていると思うと、力が湧いてくる。
「嫌です。アンジュ様は、重病なのでしょう。でしたら私を、側室にしてください。正妃にしてくださいと、言っているわけではないのです。アンジュ様が生きておられる間は、側室で我慢します。だから・・・・・」
アンジュはカレンの話を聞いて、ゾクリと身体が冷たくなって行くのを感じた。
(・・・・・私が死ぬのを、待っている人がいる。)
こういった悪意は、これからもずっとアンジュに向けられるのだろうと思う。
アンジュを1年、領地に隠すと言ったクロードの言葉の意味と優しさが解ったような気がした。
「アンリ、コンラット、カレン嬢にお引き取り願え!」
「解りました。カレン嬢、お帰り下さい」
「これ以上は、不敬になりますので、早々に退出をお願いします」
アンリとコンラットが、左右からカレンの肩を掴む。
「嫌です。テリュース殿下、どうぞお慈悲を。私を側室に・・・・・」
身体をねじって二人の手から逃れようと暴れるカレンに、アンリもコンラットも容赦はなかった。
騎士2人に抑えられては、カレンも抵抗できないようだった。
「嫌――――っ!離して!」
大声で叫びながらカレンは、扉の外へと放り出される。突き飛ばしたと言ったほうが、正しいかも知れない。
彼らにしては、とても手荒な行為だった。
勢いよく扉が、閉まる。
何も考えられずアンジュは閉じられた扉を、じっと見つめていた。
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