148.置き去り【アンリ視点】
アンリ視点です。
妹のアンジュが茶会を退出しようとしているのが見えて、俺は周りに気づかれないようにそっと彼女に近ついた。
「アンジュ?」
名を呼ぶと俺だと気づいたのか、アンジュはほっとしたような顔を見せた。
目が見えないことで、毎日かなり緊張して生活しているのだと思う。
特に貴族令嬢たちは足の引っ張り合い、隙を見せればつけこまれ、引きずり降ろされる。本当に弱肉強食の、凄い世界だった。
そのせいでアンジュの目が、不自由になったと言っても過言ではない。
いろいろやらかし体質の妹だが、決して自業自得とは思えなかった。
「ドレスを汚されてしまいました。カレン様がお付合いしてくださるので、一度部屋に戻りますね」
「ああ、酷い奴もいるもんだな」
目の不自由なアンジュにわざとお茶をかけるなど、酷いことをするご令嬢もいるものだと思った。
お茶をかけたのがあの因縁のマリエ・ラルミレラ男爵令嬢と知って、納得する。
あのバカ女は何かにつけ、アンジュに敵意むき出していろいろ突っかかってくる。
マークのおバカには、お似合いの相手だった。
テリュースから贈られたドレスは、アンジュに良く似合っていた。
アンジュもとても気に入っていたのだろう。
少しでも早くドレスの染み抜きに向かいたそうな様子だったので、帰る場所を確かめるだけにしておいた。
勝手にアンジュを返したと知ったら、テリュースからあとから文句を言われるに違いない。
帰る場所さえ知っていれば、後はどうにでもなるはずだった。
「家ではなく、王宮の部屋に戻るのだな」
「はい。早くドレスの染み抜きをして戴きたいので、王宮の部屋の方へ帰ります」
「解った。テリィにも、そう伝えておく」
「はい、お願いします」
マリエにドレスを汚され、アンジュがお茶会を途中退席したとテリュースが知ったら、きっと怒り出すに決まっていた。
(こっちの身にもなれってんだ。)
テリュースは甘い顔立ちの所為か、全体の印象が柔らかそうに見えるが、あれで結構な頑固者だった。
宥めるには、幼馴染の俺でも、骨が折れる。それがアンジュのことなら、尚更だった。
ふとアンジュに部屋までつき合ってくれると言う、貴族令嬢を見つめる。
第1騎士団を束ねる騎士団長、ガレツアル・アバッシヌーク侯爵の次女カレン嬢だったと思う。
小さな頃から王族のテリュースにマーク、兄たちと、年上の異性ばかりに囲まれ育ったアンジュに取っては初めての、同性で友達になれるかも知れない相手だった。
ぱっと見、外見だけでは解らないが、ある低度地位も教養もある名家のご令嬢が、アンジュに危害を加えるとは思えなかった。
アンジュを支える仕草に、嘘はなさそうに見える。
だからアンリは、今テリュースの側を離れられない自分に変わり、アンジュを部屋まで送り届けてくれるように頼んだのだ。
「カレン・アバッシヌーク侯爵令嬢、アンジュのことをよろしく頼む」
「はい、お任せください」
カレンは嘘のない笑顔で、アンリにお任せくださいと答えたはずだった。
◇◆◇◆◇
「アンジュが部屋に戻っていない?」
「はい。姫様はまだ戻っておられません。どうかされたのですか?」
アンジュたちを見送って、すでの2時間以上が過ぎていた。
「アンリ!アンジュが部屋に戻っていないとは、どう言うことだ?」
どういうことだ?と言われても、俺の方が聞きたかった。
「確かにカレン・アバッシヌーク侯爵令嬢に付き添われて、王宮の部屋に戻ると・・・」
「トゥルースの家の方でなく、こちらに戻るとアンジュは言ったのだな?」
「ああ、ドレスについた染みを早く抜いてもらいたいから、王宮の部屋に戻ると。こちらには侍女のタマラもいるしな」
「それではアンジュは何処に?」
(本当に何処にいるんだ、あいつ?)
「とりあえずトゥルースの家に、鳥を送ってみる。母がいるはずだから、返事はすぐに返って来るはずだ」
「では私はカレン嬢に、アンジュのことを聞いてみよう」
アンリはアンヌに、テリュースはカレンに、アンジュの所在について伝書鳥を送る。
返事はすぐに、返って来た。
アンヌからの返事は、トゥルースの家にアンジュは帰っていないと、簡潔な返事だった。
「やっぱりアンジュは、トゥルースの家には帰っていない」
「そうか、それならアンジュは、何処に行った?」
テリュースへと返って来たカレンからの返事は、何ともいい加減なものだった。
「アンジュ様とは、中庭に面した回廊で別れました」
可愛い小鳥がカレンの声で、何とも冷たく言い放つ。
アンリの前で「はい、お任せください」と言った人と、同じ人物とはとても思えなかった。
「中庭に面した回廊で、別れたって?」
それを聞くなりテリュースが、走り出す。
少し遅れて、アンリもその後を追った。
まさかカレンがアンジュを途中で、放り出すとは思わなかった。
彼女なら大丈夫だと思った自分の人を見る目のなさに、アンリは深く落ち込みそうになる。
「目の不自由なアンジュを、回廊に置き去りにしただと!」
「あの中庭に面した回廊は、滅多に人は通らないはずだ」
アンジュが置き去りにされた回廊は、普段あまり使われてはいない回廊だった。
確かに目が見えていれば、アンジュの部屋までは最短距離で行けるのだが、目の不自由な彼女では、一人でたどり着けそうにはなかった。
おまけに人通りが少ない為、人に頼ることもできない。
きっと心細い思いをしているに、違いなかった。
やっと回廊へとたどり着き、辺りを見回すがアンジュの姿はなかった。
「アンジュ!アンジュ、どこだ?何処に居る?」
テリュースが狂ったように、アンジュを探す。
「あれは?」
中庭へと降りる階段に目をやったテリュースが、急に駆けだした。
階段を駆け下り、その下に倒れたアンジュをテリュースが抱き上げる。
「アンジュ?アンジュ、返事をしろ。頼む、返事をしてくれ」
テリュースが呼んでも揺すっても、アンジュの返事はなかった。
かなり長い間、雨に打たれていたのか、ドレスも何もかもがびしょ濡れだった。
「この階段から、落ちたのか?」
数段の中庭へとつながる急な階段は、目が不自由なアンジュでは踏み外してもおかしくはないものだった。
この階段を落ちたのかと思うと、痛かっただろうと思う。
雨に濡れて、アンジュは冷たくなっていた。
あまりにも痛々しくて、早く温めてやりたかった。
「アンリ、私はすぐにアンジュを、部屋に連れて行く。至急、医者の手配を頼む」
「解った。部屋で待っていてくれ」
テリュースはとても大切なものを守るように、アンジュを抱きなおすと、足早に歩きだす。
アンジュの身体に負担を掛けないように、気を使って運んでいた。
アンリも医者を呼ぶため、今歩いて来た回廊を全速力で走り出した。
(アンジュ、守ってやれなくて、ごめん。アンジュ、目を覚ましてくれ。)
何度も心の中で、繰り返す。アンリはまるで呪文のように、アンジュに向かって必死に謝っていた。
読んで戴きありがとうございました。