141.空虚
目が見えなくなって、アンジュの生活は一転した。
今までなんでも一人で出来ていたことが、今では人の手を借りなくては何も出来なくなってしまった。
「自分がとても役立たずに、なった気分だよね」
確かに一人で着替えも出来なければ、手を引いてくれる人がいなくては、どこにも行けない。本当に役立たずだった。
「姫様、したいことがありましたら、言ってくださいね」
「ありがとう。でも今はいいわ」
「はい。何かありましたら、いつでも言って下さいね」
侍女のタマラが時々気を使って聞いてくれるのだが、自分のことで彼女を煩わせたくない気持ちの方が強かった。
今日はトゥーリが、ハーブのカフェの進行状況を、話に来てくれることになっていた。
「姫様、オルエム様が、お見えになりました」
「応接室にご案内してください」
「かしこまりました」
アンジュはタマラに手を引かれ立ち上がると、応接室へと向かう。
一人でも動けるようになろうと、アンジュは曲がり角の方向、部屋までの歩数を数えていた。少しでも覚えて、自分でも動けるようになりたかった。
(いつもでもヨチヨチ歩きの赤ちゃんでは、いられないものね。)
「アンジュ!」
扉が開くなり、トゥーリに抱きしめられる。
目が見えていないので、不意打ちは心臓に悪い。予測がつかないことは、恐怖でしかなかった。
「トゥーリ?」
「大変だったわね。目の方はどう?」
抱きしめられながら、心配そうに耳元で問われる。トゥーリの声は、とても優しかった。
「ありがとう、トゥーリ。目の方は、相変わらずよ。まったく見えないの。みんなに迷惑ばかりかけているわ」
「でもアンジュは、良く頑張っていると思うわ」
「・・・・・・だといいのだけど。」
本当に頑張っているのだろうか?と思う。
毎日朝起きて、ベッドから出て、着替えさせてもらい。ご飯を食べさせてもらい。あとは椅子に座って、ぼーっとしている。
あんなにワクワクして、トゥーリといろいろなお店の出店について話し合ったのに・・・・・・。
「これからもアンジュが形にしたいことは、すべて私が形にするから、だから何でも言ってね」
「うん、ありがとう・・・・・」
(私が形に、したいこと?)
目が見えなくなる前は、いろいろと形にしたいことがあったはずなのに、今は何も思い出せなかった。
視力を失って、いろいろな気持ちまで、どこかに無くしてしまったみたいだった。
トゥーリの報告によると、ハーブのカフェも順調にオープンへと向かっているらしい。
レレミアもケントも、お茶の入れ方から接客まで、いろいろなことを今、学んでいる途中らしいかった。
一生懸命になれるレレミアたちが、少し羨ましく思えた。
「次はバーベキューのお店の、報告に来るわね」
「ええ、よろしくお願いします」
「では、またね」
トゥーリを見送り、アンジュはまたヒマになる。
椅子にずっと座っているだけの自分が、とても恥ずかしかった。
「そう言えばキャリーは、どうしているのかしら?」
キャリーと言うのは、リシャール殿下の彼女さんだった。
このところ忙しくて、フィンメースの森には行っていない。
キャリーはずっと目が不自由だったから、今のアンジュの気持ちも解ってくれるかも知れなかった。
アンジュが作った目薬が効いて、かなり見えるようになったと、リシャール殿下から聞いている。
日焼け止めの効果も、直接キャリーの口から聞きたかった。
(キャリーのところへ、行ってみようかな。)
思い立ったら、吉日だった。
アンジュは伝書鳥に、言葉を吹き込む。
「キャリー、お元気ですか?私の目が見えなくなったことは、もう聞いておられますよね。久しぶりに会ってお話がしたくなりました。ご都合はいかがですか?」
鳥はすぐに、アンジュの手から飛び立った。
そう間を置かずして、アンジュの肩にキャリーの伝書鳥が止まった。
(はやっ!)
「アンジュ、目が不自由になったと聞いて、とても心配していました。いつでも来ていただいて、大丈夫です。お待ちしています」
いつまでもグダグダしていては、私らしくない。
ここは1つ先輩の話でも聞いて、前へと進むきっかけを見つけたかった。
「タマラ、これからキャリーのところへ行きたいの。馬車の用意をお願いできるかしら?」
「はい。すぐに用意いたしますね」
目が見えなくなってずっと引きこもっていたアンジュの外出を、タマラは喜んでいるようだった。
アンジュは伝書鳥に「今からお伺いします」と送ると、今度はキャリーから「お泊りセットを、持参できてね」と返信があった。
「タマラ、お泊りセットの用意をお願い」
「はい。ご用意いたしますね。あと、私もご一緒させていただきますから」
「いいの?」
「もちろんです。私もマーサさんに、いろいろ勉強させてもらいますね」
一緒にキャリーのとこに行ってくれるだけでなく、アンジュの為に勉強までしてくれると言うのだから、タマラにはほんと感謝しかなかった。
「姫様、用意が出来ました。さぁ、参りましょう」
「はい。よろしくお願いします」
いつまでも同じ場所に、留まってはいられない。
アンジュは最初の一歩に、まずキャリーのところへ行くことを決めた。
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