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反社会的少女  作者: tanakan
6/7

最終幕 旅の終わりと反社会的少女


~あらすじ~

あの日、あの街から逃げ出した僕たちは束の間の夜を過ごす。

それは尊くそしてもう戻ってはこない。

異邦人達の安息の日々を終わりは、いつも唐突だと僕は再確認するのだった。

反社会的少女の最終夜。僕達はどうやって生きていくのだろうか。



その日、僕がバイトから帰ってくると、葵が何やらそわそわした様子で部屋中を歩き回っていた。


「ただいま」


僕がそう言って靴を脱いでいると、葵は僕の方に駆け寄ってきて、すがるような目で僕を見つめた。


「沙耶香ちゃんが帰ってこないんだ」


そう言うと葵は今にも泣き出しそうな表情で、ただただ僕を見つめている。

そう言えばいつも、僕が帰ってくる頃には腹を空かせてすぐに夕飯を催促してくるはずの紗耶香の姿はそこには無く、この部屋はいつにも増して静かだった。


「今日はたまたま買い物が長引いているだけじゃないのか?」


僕が葵をなだめるようにそう言っても葵は強く首を左右に振った。


「だっていつも一人で買い物するときは用事が済んだらすぐに戻ってくるし、何よりも沙耶香ちゃんの携帯電話にメールしても、電話しても全くつながらないんだよ?」


確かにそれはおかしかった。沙耶香は僕らからの通話を無視するなんてことは今までなかったし、何より僕らに対しては絶対に心配をかけないようにしているようだった。

それはどこか僕らを失うことを恐れているようにも感じたが、それは僕も、そしてきっと葵もまた同じだろう。


「とにかく もう少し待ってみよう。そしたら何かが変わるかもしれない」


僕がそう言うと葵は一度だけ僕にうなずいて見せた。


しかし、それから何日もたっても沙耶香が僕らの前に姿を現すことはなかった。その間僕らは何度も紗耶香に連絡を取ろうと試みた。

そのうち沙耶香が受話器の向こうに出て うるさい と怒り出すのを期待して、しかしその願いは果たされることなくいつしか通話そのものがつながらなくなってしまった。

僕らは紗耶香に通話がつながらなくとも必死に街中をかけまわり、時には隣の県にまで足をのばしてみたが事態は何の進展も見せることはなかった。


紗耶香の荷物はピアノの隣にぽつんと残されており、彼女がたった一人で旅立ったとはとてもじゃないが考えられなかった。

僕らはいつしか部屋の中でも会話することなく、紗耶香がいつ帰ってきても良いように僕は三人分の料理を作り、二人で黙々とそれを胃に流し込み、そして残った料理を流しに捨てた。ただただ殺伐とした日々の中、僕の携帯電話が突然鳴り出した。画面には非通知とだけ表示されている。


「もしもし 聞こえる?」


僕が電話に出ると、その受話器の向こうから聞こえてきたのは僕らがこの一ヶ月間待ち望んでいた声だった。


「もしもし、 うん とても良く聞こえるよ」


僕は一言一言必死に声を出した。待ち望んでいた紗耶香の声に僕の全身は震えていた。そして少しでも気を抜くと涙さえ出てきそうだった。


「そっか ごめんね」


紗耶香らしくない口ぶりであった。


そう言った沙耶香の声には僕らといた日々で聞いた声からは想像できないほど弱弱しく、風が少しでも吹いたら吹き飛んでしまいそうだった。

あの、真夜中に駅を訪れ、家での綿密な計画まで立て、二度と家には戻らない覚悟で街を出た少女の姿は、この小さな電話の向こうにはもう存在していなかった。


「いいよ 大丈夫?」


「大丈夫・・・じゃないかも」


「そっか・・・あのさ、いなくなった訳だけでも教えてくれないか?


僕がそう言ったあと、少しの沈黙が流れ紗耶香はゆっくりと話し始めた。


「ごめんね・・・今私地元にいるんだ。 連れ戻されちゃった。」


紗耶香は途中、何度も沈黙しながら今にも消え入りそうな声で必死に話し続けた。

途切れ途切れに話す彼女の話をまとめると、失踪の内容はこうであった。


あの日、本屋で買い物を済ませた彼女は二人の男に声をかけられた。いわゆるナンパと言うやつだったのだろうが、紗耶香はその男たちの言葉に何一つ反応することなくその場を立ち去ろうとしたのだが、一人の男がやたらとしつこく付きまとい最後には紗耶香の肩をつかんで強引にどこかに連れて行こうとした。 

その行動に驚いた紗耶香は持っていた本でその男を殴ったは良いが、男はその行為に腹を立て逆に沙耶香を殴りつけた。 

紗耶香も負けじとその男を殴り続け、二人で激しく殴りあったという。 

その場は一時騒然となり当然のことのように警察がその場に駆けつけ二人は事情聴取のために警察へと連れて行かれた。

それだけで事が収まれば事態はまだマシだったのかもしれない。しかし運の悪いことに一人の警察官が沙耶香に捜索願が出せれている事に気が付いてしまったのだ。

そこで直ぐにあの忌々しい街へと強制送還され、ノイローゼ気味になっていた両親から外どころか部屋からすら一歩を踏み出すことを許されず軟禁されていたという。


「今夜やっと両親の隙をついて抜け出してきたの。 今私本当にひどい顔をしているのよ?マンガみたいに目の周りが青く腫れているの」


紗耶香はそう言って少し笑って見せたが、その笑い声はどこか乾いていて消え入りそうなほど弱弱しかった。

僕は紗耶香の話を聞いてから、弱り切っている彼女に対してかける言葉を見つけることができなかった。

居心地の悪い沈黙がしばらく続く中、携帯電話の向こうから小さな嗚咽が聞こえた。間抜けなことに僕はそこで初めて沙耶香が泣いていることに気が付いた。


「何で助けにこなかったのよ。 助けに来てくれると何度も思ったのに 何で来てくれなかったの?」


そう言うと沙耶香は声をあげて泣き出した。 普段気丈な紗耶香がまるで小さな子供のように声をあげて泣く姿は僕の心を深く傷つけた。

そこには気丈さの欠けらもなく、まるで雪の日に巣へ帰るすべを失った雛鳥のように、弱弱しく震える紗耶香の姿がそこにはあった。

僕はそんな彼女をやさしく抱き締めることも叶わずに、ただただ 大丈夫だよ と無責任な言葉を何度もかけることしかできなかった。


紗耶香はしばらくしてどうにか落ち着きをを取り戻すとさっきよりもさらに弱弱しい声で話し始めた。


「ごめん こんな事を今更言ってもしょうがないのにね」


「君は今あの忌々しい街にいるんだろう?」


僕がそう言うと紗耶香は小さく うん と答えた。


「なら今からでも僕と葵で君を迎えに行くよ。 それでまたあの駅から一緒に逃げだそう

そして今度はもっと別の場所で見つからないようにまた三人で暮らそう。」


ただの気休めでそう言ったつもりはなかった。 僕は今すぐにでもそうするつもりであっし、このままではきっと紗耶香は生きることをやめてしまうだろう。 


そんな形で紗耶香を失うのは心から耐えられなかった。


そこで初めて僕が紗耶香に対して、自分で想像していた以上に惹かれていることに気がついた。

たとえそれが僕のエゴだろうとなんだろうと僕は彼女を失いたくはなかった。


「そうね それも良いかもね。 今度はうんと遠くに逃げて みんなで働いて一緒に暮らすの。今度は私もちゃんと料理をするよ」


少しだけ明るくなった紗耶香の声に僕は少し胸を撫で下ろした。


「それが良い。いくらなんでも僕だけが料理をするなんていくらなんでも不公平すぎる。ここしばらくの間で主婦の辛さをよく理解することができたよ」


僕が必死にそう言うと彼女はクスクスと笑いだした。


「ねぇ またあの駅で待っていてくれる? そしてまた最初から始めましょう」


「もちろん 準備ができたらいつでも連絡してくれ。 僕も葵もずっと待っておくからさ」


うん 沙耶香は受話器の向こう側で嬉しそうにうなずいたように感じた。


「ありがとう 貴方の声を聞けて本当によかった」


じゃぁ そろそろ帰るね。 そう言うと沙耶香はそっと受話器を下ろした。


僕は形がどうであれ少しでも紗耶香の声を聞けたことで安堵感を感じていた。


これであの幸せな日々を取り戻せる、そう考えていた。


しかし もう紗耶香から連絡が来ることは二度とない


僕と電話で話したあの夜の次の日、 彼女は死んだ。



自ら命を絶ったのだ。




紗耶香の死から三日たった時、その事実を僕らはわざわざ葵の家まで訪れた警察の口から聞かされることになった。


「すみません。紗耶香という少女が亡くなった件について少しお話を聞きたいのですが、」


その警察官はまるでニュースを読むかのように淡々とした口調でそう告げた。

片方は神経質そうな顔をした細身の眼鏡をかけた男で、もう片方はまるでテレビドラマに出てきそうながっちりとした体型の警察官であった。


「なんで?」


僕はその言葉を理解できずに、まるで馬鹿みたいに口を開いたまま聞き返してしまった。

まるで理解出来ていない僕に対してその警察官は少しうんざりした表情をしながら、あくまで事務的な口調で説明し始めた。


「今から三日前の午前八時、近江沙耶香という少女が学校の屋上から飛び降りました。その後しばらくして病院に搬送されたのですが全身を強く打っていたために一時間後に息を引き取りました。前後の状況から自殺の線が濃厚なのですが、一応警察署の方でお話を聞かせて頂きますのでご同行願いますか?」


そうして僕らはまだ訳が分らぬまま、有無を言わせず警察署に連れていかれ、僕らは別々の部屋に分かれて事情聴取を受けた。

僕を担当した初老のどこかくたびれたような印象を受ける刑事は、僕の予想とは裏腹にこちらが恐縮してしまうほど終始、礼儀正しく話してくれた。

僕はその初老の刑事に 沙耶香と一緒に街を出て、三人で暮らしていたことを隠さずに話した。さすがに駅で少女に対して酷い行いをしたことは離さなかったが出来る限り隠さず僕は話した。

僕の行動が何らかの罪に当たることは用意に予想することができたのだが、紗耶香の自殺という言葉が僕から嘘をつく余裕どころか思考する力さえ失わせていた。

僕が話し終わった後、刑事は僕に何度か質問し、それに答える形で淡々と取り調べは終わった。


その中で僕は紗耶香がどうやって命を失っていったのかを知ることができた。

僕と電話で話した次の日の早朝、紗耶香はあの黒いロリヰタファッションで部屋を抜け出し学校へと向かった。 

そしてそのまま屋上の扉を開けた彼女は靴を脱ぐこともせず、まるで散歩をするかのように、何のためらいなく金網の向こうへと飛んだ。

その時、右手には少し小さい黒い日傘をさし、左手には単行本がしっかりと握られていたという

題名はカミュの異邦人であった。その日は平日であったために学校には多くの生徒が居て、その生徒の大多数が彼女が飛び降りる瞬間、そして命を失っていく様子を目撃していた。救急隊が学校へと駆けつけた時には、多くの生徒が泣き叫び立ち尽くしていたりして、そこはまるで地獄絵図であったという。

その後、紗耶香の部屋からは真白であるはずのレポート用紙が一瞬黒い髪だと思えてしまうほど、所狭しとこの世のすべてに対しての恨みが書き綴ってあった紙が見つかったという。 


このことから彼女が自殺したという事で間違いないでしょう。


話の最後を初老の刑事はそう締めくくった。


「そういうことですので、一応お話を伺っただけでした。正直なところ気になる所は有りますが今日の所はもう帰って良いですよ」


そう刑事は言うと、ご足労をかけました。 といって頭を下げた。

僕もまた どうも と一言だけ行って頭を下げる。


「それにしても最近の若者が考えていることはさっぱりとわかりませんよ。些細なことでも死んでしまうのですから。本当にわしらの世代から言わせると考えられませんよ」


刑事はそう独り言のように言うと、ポケットから一本の煙草を取り出し火をつけた。

僕は何も返答することなく部屋を出た。


おそらく何を言っても無駄だろう。そう思ったからだ。


それから数日間、僕は葵のアパートと駅を往復しながら、何度も沙耶香の携帯電話に着信を入れる、そんな日々が続いた。

しかし、何度着信を入れても紗耶香が電話に出ることなく、いつしか電池が切れてしまったのか着信すら入らなくなってしまっていた。

まともに食事すらとらない僕を葵は心配し、気晴らしに旅行でも行こうかと持ちかけてきたが僕はそれを断り続けていた。

そんな気分にはならなかったし、何より沙耶香が帰って来た時に二人とも居なかったならきっと彼女は困り果ててしまうだろう。

彼女は一人で料理をする事も出来ないのだ。それに意外ととんでもない偏食家だから困る。

インスタント食品は食べるが料理を食べない。あれはダメこれもダメ。全く困ったものだ。

それでも流石に好みは覚えて来たから。今ならきっと大丈夫大丈夫。

そういって靴紐をしっかりと結び立ち上がる。そしてドアを開ける。どこかで迷っているはずなのだ。


「沙耶香ちゃんは死んでしまったんだよ もういないんだよ」


駅へと向かう僕に葵はいつも悲しそうな眼でそう言った。

自分でもこれが無意味な行動だと理解はしている。しかし僕はどうしても沙耶香が死んだなんて信じることができなかった。

僕はまるで夢遊病であるかのようにその無意味な行動を辞める事ができなかった。

紗耶香は死んだのだ、と自分に言い聞かせてみたりもした。しかしそれは僕の勘違いであり、今にもひょっこりと沙耶香があらわれて、僕らが


「てっきり死んでしまったと思っていたよ」


と言うと 彼女は大声で笑い転げながらきっと僕らを馬鹿にするのだ。

そして今日もまた僕は駅前で煙草をふかしながら黒いロリヰタファッションの女の子が意気揚揚と歩いてくるのを待っている。

しかしいくら待っても紗耶香は僕の目の前に姿を現すことはなかった。

きっと僕は分かっていたのだ、だからこそあの街に向かいその真実に目を向ける事なく、この場所に止まり続けている。そんな事は分かっていた。だけどもそれを確認する強さが自分に欠けている事も、どうしようもなく臆病な事もわかっていて、目を背け続けているのだ。


その日の夜に降り始めた雨は、最初は小雨だったけれど、夜が更けるにつれて次第に強くなっていった。

それはいつしかまるでバケツをひっくり返したかのような大雨へと変わっていった。

僕はいつものように終電を見送った後、傘を忘れた僕は帰ることも出来ずホームで一人立ち尽くしていた。

目の前に降り注ぐ雨はすべてを洗い流してしまうかのように降り続け、なんだかそれを眺めていると僕と葵と沙耶香で過ごした日々はすべて幻想であるような気がした。


そして、目が覚めると僕はまだあの夜の中で駅のホームでただ一人煙草を吹かしているのだ。

そう思うと、この世の全ての出来事がが何だかバカバカしく思えてきた。

すると、突然僕の瞳からはまるでマンガみたいな量の涙が溢れ出してきた。

別に泣こうと思ったわけでもないのに、僕の意思に反して流れ出してくるこの涙に僕は正直困惑してしまっていた。

その時、僕の後ろから聞き慣れた声が聞こえた。


「待ち人ですか?」


振り向くとそこには真っ赤な傘をさした葵が立っており、片方の手にはもう一本の傘を持っている。 きっと僕に持ってきてくれたのだろう。


「そうですよ。 今日もまた来なかったみたいですけどね」


僕はそう言ったあと、葵に背を向けた。正直なところこんなに涙を流しているところを葵に見られるのは何だか気恥かしかった。


「きっと貴方はその待ち人のことを愛しているのでしょう。だからあなたは毎日ずっと待ち続けている」


葵のその言葉に対し僕はゆっくりとうなずく。


あの日、あの夜の電話の向こうで声を上げて泣く紗耶香を感じて、僕は彼女を愛していることに気がついた。

気丈でありながら、いつもどこか崩れ去りそうなほどの脆さを持つ不安定な彼女を、何事対しても真剣であるからこそ自分にも他人にも嘘をつくことができず傷ついてしまう。


そんな強さと不器用さを持つ彼女をいつしか僕は愛していたのだ。


「なぁ 僕はどうしたら良いのだろう?」


僕がそう葵に尋ねると、彼はゆっくりと僕の後ろから抱きついた。

それは、以前葵が泣きながら僕に抱きついた時とはまるで別の、母親が泣きじゃくる子供を慰めるような温かさに満ちた優しい抱擁だった。


「紗耶香ちゃんのお墓参りに行こう。あの子の苗字は珍しいからすぐ見つかるはずだよ」


耳元に当たる葵の感触から、彼もまた泣いていることに気がついた。

紗耶香を実の妹のように可愛がっていた葵もまた、紗耶香の死を僕と同じくらいに悲しんでいたはずなのだ。

僕はそんな当たり前のことにも気がつくことができなかったのだ。

しかし僕とは違い、葵はその事実に真正面から挑み苦しみながらも受け止めたのだ。

それなのに僕は自分自身にそれは真実ではないと嘘をつき続け、現実から逃げ出していた。

そして自らそれを事実として受け止めてしまう事からもまた逃げていた。

なんともまあ 我ながらあきれ果てるくらいの臆病者だ。

降りしきる冷たい雨の中で背中越しに伝わる葵の温もりが、この現実が僕が作り出した幻想ではなく紛れもない真実であることを伝えていた。

 

そして紗耶香が死んでいることも。


「そうだね。 沙耶香が退屈しないように 本をたくさん買っていこう。」


僕がそう言うと、葵は嬉しそうにうなずいた。


「そしてそろそろ、離してくれないか? いくらなんでもこんな街中で抱きつかれているのは恥ずかしい。」


葵は ごめん と言って僕からすぐ手を放した。


「これじゃ 俺が抱きつく以外の感情表現ができないみたいだよな」


そう言って葵は僕に笑って見せた。

泣き腫らして、くしゃくしゃになった顔は見れたものではなかったけど、それはきっと僕とお互い様だろう。

僕らはその後、雨に打たれつつ帰り道についた。


この世が不条理であるのは理解している。


それに僕らみたいな考えが迫害されることも。


しかし、それでも必死に生きようとしていた少女を死にまで追い詰めるなんて くそったれな世界だ


「ばかやろう」


僕は空に向って叫んだ。


こんなことでは世界どころか、神にすら聞こえないとも思ったが、僕は叫ばずにはいられなかった。


「このばかやろう」


僕はもう一度叫ぶ。


しかし、僕の独り言など空に容易く呑み込まれてしまい、世界は何一つ変わることなく今日も回り続ける。



その日の夜、僕は夢を見た。

その夢の中で、僕と葵、そして沙耶香は三人で本屋を開いていた。

その広いとは言えないが、不便ではないくらいの広さで、どこか心地よい本屋の中には小説や絵本が所狭しと並べられている。

僕が接客をしている隣で紗耶香が辿々しくも懸命に本の包装を行い、葵はと言うと本棚の整理をしていると、小さな少女に声をかけられてしまい一緒に本を探す羽目になっていた。しかしその少女をどう扱ってよいのかわからず、少女相手にも関わらず緊張しながら接していた。

そのあまりに不慣れな対応の仕方に僕と紗耶香は顔を見合せて笑った。

それはまるで三人で暮らしていた時のような、午後の陽だまりの中を心地よい風が流れていた。

そんな事を夢から覚めても僕はいつまでも覚えていた。


その後、僕はアルバイトを再開し、葵の部屋で引き続き生活をしていた。

未だにピアノのすぐそばに置かれている紗耶香の荷物には誰も手を付けれずにいた。

もしかしたらある日突然沙耶香がこの部屋に帰ってくる。

我ながら女々しいとは思うのだけれど、僕はまだそんな気がしていた。


そんな日々の中、郵便受けの中に僕宛の封筒が届いていた。宛名の文字は小さくて細かくどこか見覚えのある文字が書いてあった

急いで開いてみると、小さなメモ用紙が僕の足もとへ風にのって落ちてきた。

拾ってみると、力の籠もった太い字で


「娘の紗耶香の机の中にしまってあったものです。私たちには憎しみしか抱かなかったのに、心から貴方様を恨みます」


そう書かれていた。 そして僕はすぐに封筒の中から一枚の便箋を取り出した。


「こんにちは お元気ですか?

 手紙というものを書くのは、実を言うと初めてなのでなんだか緊張してしまいます。

 本来文才のない私にとって手紙を書くということは本当に恥ずかしい行為なのですが、      

 他に貴方達に想いを伝える方法が思いつかなかったので仕方がありません。

 今貴方との電話を終えた後にこの手紙を書いています。随分と恥ずかしい姿を見せてしまったと後悔をしているのですが、たまには女の子らしくて良いでしょう? 貴方の声を聞くと泣きそうだったので状況の説明を淡々として電話を切ろうと考えていたのですが貴方が私を責めることなく優しい言葉なんかかけるから見事に泣いてしまいました。

 本当にみんなでどこか別の場所で暮らすことができたら良いのに

 その暮らしを考えてみるだけで胸が幸せでいっぱいになります。

 でも残念ながら時間切れとなってしまいました。でも最後に幸せな気持ちや楽しい思い出を抱いたまま死ねるのと言うのは本当に幸せだと思います。

 今でも貴方と葵さんと三人で過ごした日々を鮮明に思い出すことができます。

 葵さんはまるで本当のお姉さんのようで、本当に男にしておくのがもったいない位綺麗で可愛らしくて、素晴らしい人でした。

 そして貴方の料理は素晴らしくおいしかったし、葵さんと一緒に貴方をからかうのはすごく楽しかったです。

 それに貴方はあの夜のことを覚えていますか?

 こういう風に書くとなぜかいやらしく感じてしまいますね、貴方が私達のことを異邦人だといったあの夜のことです。

 どうやら私は結局の所、首をくくることになりそうです。

 家出をすると決めたときから私は死ぬつもりでした。ところがあの夜、あの駅で私は貴方と出会いました。

 それからは素晴らしく楽しい日々を送ることができました。

 本当に貴方と会えて良かったと心からそう思います。

 貴方の言うとおり自殺するまでの間十分楽しむことができました。 

 本当はもうちょっとでも長く続けられたらよかったのですが そう上手くは行かないものですね。

 どうしよう この手紙を書く間、ずっと私の頭の中には貴方達とすごした日々が自動再生され続け、この手紙を書いている間ずっとニヤニヤ笑いをしていました。

 自分の遺書をこんな気持ちでかけるなんて、なんて幸せなことなのでしょう。

 それでは、外から雀の鳴き声とみんなが登校する音がしてきたのでそろそろいきます。

 死ぬ時に、貴方のことを忘れないように家にある本を持っていきたいと思います。

 私らしくはありませんが今は、妙に気分が高揚しているので仕方がないと思ってください。

 それではいつまでもお元気で」

      

 反社会的少女より


P・S

最後に読み返してみたら、いつの間にか貴方一人に対して書いていました。 葵さんが怒らなければ良いのだけど、その時は私の代わりに怒られてくださいね。」                             


僕は紗耶香からの最初で最期の手紙を読み終わった後、それを丁寧に畳んでポケットへとしまった。

目の前には往来を行き来する雑多な人間が俯いたままいつも通りの朝を迎えている。

今日も世界は回り続ける。その速度に耐えられない僕らを置いてすごく速く。

それでも僕らは生きねばならない。

せめて首を括るまでは。

この思い出がいつか風化してしまい消え去ってしまう。

それまでは。


そして僕は久しぶりに煙草に火を付ける

やたらと乾いていて甘ったるい香りがしたが、煙の向こうに見える景色はぼんやりと輝いていた。


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