第一幕『西洋人形と真夜中の駅』
これはきっと大人と子供の中間で何も知らなかった僕らが、何処かへ行こうとして、どこにも行けなくて、狭くて窮屈な世界を彷徨っている。
世界を心から憎んだし、そしてどこか愛していた。
生きていく事がどうしようもないくらいの世界で生きていた。
異邦人と評される僕達の話だ。
2010年の冬、その日20歳になった僕は立ち寄った駅のホームで一人煙草を吹かしていた。
立ち上る煙の向こうに見える冬の星空は、なぜだかひどく淀んで見えた。
普段はその美しさを自慢気にすら思える態度で振りまく星や月でさえも、
今の僕には燻んで見える。
午前三時ともなれば鹿児島の片田舎であるこの街は当然のように眠りについてしまう。
人々はおろか街を照らす街頭すらも瞼をゆっくりと閉じてしまった。
今日のように淀んだ星空も、学校を辞めバイトですらクビになった僕にとっては、
どこか心地よいものに感じる。
もしかしたら自暴自棄になっているだけかもしれない
昼間のように明るく活気に満ちあふれた現実よりも、すべてが夢の向こうであるかのような今夜が心休まるのも、
今の僕にとっては仕方がない事なのかもしれない。
このまま死んでしまうのも良いかもしれないな、
もしこんな真冬にここで寝てしまうとして、きっと朝方には喜ばしいことに新鮮な凍死体として発見されるだろう。
それはきっと話題の乏しいこの街に少しは話題を提供することだろう。
そんな僕を笑うものこそ居たとして、悲しむ者はどうせいやしない。
僕にとってこの街は忌々しいほどのトラウマの塊であり、そして憎悪の対象である。
今の僕であったらこの街に存在するすべての建物や人々、そして散らばる小石に対してすら、レポート用紙を隅から隅まで埋めるほどの皮肉や罵倒を浴びせることができるだろう。
そんな中、夜空へと昇っていく煙草の香りと煙だけが僕をやさしく包んでくれた。
「なにをしてるの?」
不意に後ろから声がして、僕は飛び上らんばかりに驚き、
僕に安らぎを与えてくれていた煙草は夜空の中へと消えていった。
声のする方を恐る恐る振り向いてみると、そこには今にも僕を襲おうとするブギーマンでは無く、一人の少女が腕を組んでこちらを見ていた。
まるで夜の闇に紛れこんでしまいそうなほどの黒いロリータファッションに身を包んだ少女の瞳はまっすぐと僕の方を見ている。
長く暗い髪はちょうど胸の辺りまでまっすぐと伸び、その小さなその頭より一回り小さなシルクハットが可愛らしくその縁を白いレースに覆われている。
たっぷりと膨らんだ白いレースで彩られている黒いスカートからは、地面に向かってまっすぐと細く華奢な足が伸びていた。
その黒いオーバーニーで包まれた足は、まるで少し触れただけで崩れ去ってしまいそうなほど脆く、人間を一人支えるには少し頼りなく思えた。
まるでほっそりとしたビスクドールのような少女は、表情こそあまり見えなかったが、僕よりも少し年下のように思えた。
このとてもじゃないが現実とは思えない、まるで夢の中の出来事のような出来事に僕は思わず苦笑してしまった。
「この死ぬほど退屈で窮屈な世界の中で、悩み葛藤して前へ進まんと努力しているのさ」
「薬でもやってるの?」
彼女はさっきの表情から眉ひとつ動かさずに間髪入れずそう言った。
「そちらこそ、こんなに遅くまでなにしているんだい?」
彼女は少し片方の頬を上げ、呆れたように笑いながら
「あんたは私の質問にはまるで答える気がないのね」
僕は彼女からひとまず視線を外し、ポケットから煙草を取り出し火をつける。
そして吐き出した煙が夜空へと消えていくのを眺めながら一人考えてみた。
確かに彼女の言うとおり僕は他人の質問にまともに答えることなどしない。
もちろん必要な場合には理論的に話すこともできるし、社交辞令だって言える。
ただその必要性が感じられないときは、極端な嘘や詩的で抽象的な言葉遣いでのらりくらりと相手を混乱させ、話す気を無くさせるようにしていた。
まず普通の人ならそういう風に返答されると、気味悪がったり気分を害したりして適当な相槌を打ちつつ僕から離れていった。
僕はなるべく日頃からそういう風にして無用な対人関係を避けるようにしていたのだが、
目の前に立つ彼女のように、僕の言葉に対して少し可笑しそうに頬を緩ませた人は正直ほとんど初めてであったため、僕は驚いてしまっていた。
「悪かった。 質問に答えるよ。 まず僕は薬はやっていない、この煙草を薬とカウントしないのならばだけど、 ちょっと運の悪いことが重なって自暴自棄になっているだけさ。これでいい?」
観念して僕がそういうと彼女は満足したのか大きくうなずいた。
「じゃぁ僕の質問にも答えてもらってよいかな?」
彼女は腕を組んだまま顎を少し傾けるようにして、中空に視線を漂わせ何やら考え事をしているようだった。
しばらくして僕にもう一度視線を戻すと彼女は
「いいわ あんたは正論しか話せない偽善的な人間でもなさそうだし」
「それはありがとう」
僕は彼女に恭しく頭を下げてみせる。
「簡単なことよ。私は家出してきたの。そして今から電車で遠くに逃げるつもりだったけど、とっくに終電はいってしまったようね。」
彼女は電気が消えて真っ暗になってしまった駅を見つめ、悔しさを隠しきれないのか、血でも滲んできそうなほど薄い唇を噛んだ。
よく見ると彼女の足もとには、今まで暗くてよく見えなかったのだが大きな旅行カバンが無造作に置いてある。
僕は彼女のあまりに世間知らずで向こう見ずな行動にため息をつかざるを得なかった。
「そりゃそうだろう。こんな時間まで電車が通っていたらこの街の人間のことだ。耐えられなくて半数は首をくくりもう半数は凶器をもってこの駅と電車を破壊するだろうね」
「えらくこの街のことを悪く言うのね。あんたこの街の人間じゃないの?」
彼女はそういうとまるで何かに遠慮しているかのように少しだけ頬を持ち上げ微笑んで見せた。
「もちろん。そればかりは神に感謝するばかりだよ」
僕は中指を立てながら彼女に頷いて見せた。
すると彼女は、まるで何かの束縛が解けたようにお腹を抱えて笑いだした。
その笑い方は、普通の少女のような明るさに満ちた朗らかな笑い方ではなく、何かをはらんでいるかのようなどこか空虚で陰のある笑い方だった。
「やっぱりそうだよね。 この街の人間ならまずこんな時間に出歩かないし、まず私の格好を見てまるでリアクションをしないということはないしね」
そういって彼女は小さなシルクハットの位置を少し直した。
僕は少女の言葉に心から同情してしまった。
この街の人間は自分たちの固定観念の外には決して出ない上に、新しいものを認めようとは決してしない。
それに自分の意見は絶対に正しいものと考え、過去の偉人ですら鼻で笑い飛ばし、自分たちの作り出した小さなコミュニティ以外のすべてを否定するような考えの持ち主だ。
もちろん今まで出会った人たちの中ですべてがそういう人ではなかったのだが、その確率と言えば地表に隕石が燃え尽きずに到達するような確率、すなわち限りなくゼロだということだ。
「そういえばこの後はどうするつもりだい? 今から家出するには不可能に近いと思うけどさ、 それにこんな時間に出歩いていたら補導される可能性も低くはないと思うけど?」
そうね・・・ そう一言言うと彼女は腕を組み、そして自分の顎を人差し指でコツコツと叩きながら何やら考えているようなしぐさをした。
「もしおせっかいでなければ助言をしてもよいかい?」
「どうぞ」
彼女は僕の顔を見ることなくそういった。視線はまだ中空を彷徨っている。
「まず基本的に家出というものは昼間に決行するものだよ。そして両親に友達の家に2・3日泊ってくると伝えればなおよろしい」
「どうして?」
彼女は首をかしげながら不思議そうに僕を見た。
「夜中に大荷物を持ってウロウロする人を補導員が放っておくわけないだろう? それに夜中に両親の目をかいくぐって外出するという余計なスリルも味あわなくても良いしね」
「なるほど・・・アンタの言うことにも一理あるわね。 ということは今日の私の行動は呆れかえるほど無意味だったって事か」
彼女はそういうと、うつむいたまま、また悔しそうに唇を噛んだ。
僕はそういう彼女にわざとらしく両手を大げさに左右に振り、できるだけ明るい声に聞こえるようにそんなことないと言う。
「どうして?」
彼女は僕の顔を覗き込むようにしてみながら、またもや不思議そうに尋ねた。
僕は彼女の行動に好感を持たずにいれなかった。
どうやら彼女は自分の考えをしっかりともっており、そして何にでも自分の納得しなければならないタイプの人間らしい。
あくまで僕の主観だけれどもそういうタイプの人間には、まず頭ごなしに他人の考えを否定はしないし、何より少なからずの想像力をもっているような気がする。
「まず君は基本的な家出の方法を覚えた。 そして何より僕の有り余る退屈な時間につきあってもくれたじゃないか」
大げさに両手を広げながら恭しく見えるように言ってみた僕に対し 彼女はまるで不思議な生き物を見るかの様な視線を浴びせていた。
そしてしばらくして クスリと笑うと
「物も考えようね」
どうも 僕は彼女に対して頭を下げる
「さて そろそろ今日のところは帰宅したらどうだい? 予定外のことが起こったらすぐに戦略的撤退をするのが優秀な軍師だよ。」
僕がそういうと彼女は人差し指を僕に向かって突き出した。
「ひとつ聞いていい?」
「どうぞ」
「あなたって少し変わったしゃべり方をするのね」
「よく言われるよ。普段ならごくごく一般的な話し方もできるのだけど なぜだか君に対してはそうする気にはなれなかったよ。」
彼女は そう と一言だけ言うと踵を返して駅のホームから出て行った。
彼女の履いていたヒールが、地面に当たる度に規則正しい無機質な音となって反響し僕まで聞こえていた。
そしてその音は次第に小さくなりやがては消えていく。
不思議な夜だな。僕はポケットから少しシケった煙草を取り出し火を着ける。
空虚な真夜中の駅のホームで黒いロリヰタファッションの少女に出会い、そして家出について話し合う。
まったくもって不思議な夜だ。
ふと、足元を見てみると一枚の小さなメモ用紙が落ちており、僕はそれを何と無く拾ってみた。
そこには小さく、そしてどこか可愛らしい文字で福岡までの路線図がきっちりと書き込まれていた。
きっと彼女が書いたものなのだろうがその計画には重大な欠陥があった。
料金と道のりはしっかりと調べられているもののなぜか時間については全くの白紙であったのだ。
取り敢えず僕はその紙切れをポケットに入れ駅を出た。
明日の朝に僕の助言を忠実に守り、もう一度この駅に姿を現すかもしれない。
「どうせやることもないし届けてやるか」
僕はそう思ってみたものの、それは明らかに大義名分であり、実を言うと僕は彼女にもう一度会ってみたかった。
ホームの横にいつから置いてあるのかわからないほどの古ぼけた掲示板にかすれた文字で「愛する街を忘れずに」と書かれていた。
僕はタバコを精一杯吸い込み、そしてそれをゆっくりと吐き出す。
まったくもって今夜は不思議な夜である。