竜姫 迷宮を知る 前編
飛ぶ感覚にも大分慣れてきて、離陸、着陸、上昇や下降、旋回など飛行時の基本動作もそこそこ綺麗になってくると、アグアリクスは場所を移すことを提案する。
シュナは彼に先導され、その後方にエゼレクスとネドヴィクスが控えるように飛んでいく。エゼレクスは当初アグアリクスが主体となってシュナの教育を始めたことにブーブー言っていたが、他の二竜にそれぞれ「お前の真似をいきなりさせたら落ちるだろうが」という趣旨のことを言われると黙り込んだ。
他人にも指摘されているし自負しているような節もある。エゼレクスの飛び方は本人の性格や言動を反映するかのようにトリッキー、かなり特殊でどう見ても応用分野、上級者向けだ。
《ボクの高性能すぎて周りがついてこられないだけですー、使いこなせるような高レベルな人間がこの時代にはいなくなってるだけですー》
《デュランは貴様も乗りこなしたがな。ほぼ完璧に》
最終的に鼻息を荒くして放った言葉すらアグアリクスにひゅんと打ち落とされると、今度こそ彼は沈黙した。どうも彼は人間を振り落とすことにむしろ楽しみと達成感を覚えているような気があり、落とせなかったデュランの話題を出されると露骨に不機嫌になる。敵意をむき出しにしているのはそのせいなのだろうかとシュナは首を傾げた。
都合の悪い話題になるとそのまま離れていくかのように思われたエゼレクスだったが、この場を去るのも嫌らしく、結果ちょっと離れた場所からむっつりと、アグアリクスが丁寧にシュナを導く様子を見守るという現状に落ち着いている訳だ。
《迷宮の内部のことはどれだけ知っている? 例えば今いる場がどういう空間か、わかる限りで良い。知っていることを話してごらん》
促されてシュナは記憶を手繰り、知識を参照し始めた。
《ここは大木の間、と聞いたわ。初めてガーゴイルと戦ったの。でも、デュランはあまりここには出てこない魔物だから珍しい、って言っていたわ》
《その通り。この階層は魔物の出現が少ないが、見ての通り人間が移動しようとすればそれなりに苦労する場だ》
アグアリクスが顎で示す先は大木の枝だ。シュナ達竜が何匹も乗れるほど大きいし、上で跳ね回っても折れることはなかったが、枝と枝の間はかなり距離があるし、かといって下を見下ろせば大木の根が下りている場所まではかなりの高さがある。落ちたら痛いだけでは済まなさそうだ。
《わたくしが人間の姿だったら、枝から枝に飛び移る事も難しそうだわ》
《ふむ、その通り。冒険者がこの場所で満足に動くには、竜の助けを借りるか、術を使うか、宝器など装備品を整えて己の技で乗り切るか……階層攻略の難易度自体は低かろうが、移動に少々工夫が必要な場所ゆえ、総合すれば中級者向けと言えような。移動手段が確実に確保できるなら初級者向けだ。魔物の数も少ない。比較的安全に過ごせる場であろう》
《ガーゴイルはどうして出てきたの? 別の場所ではマンドレイクに襲われたこともあったの》
《あれはシュリの防衛機能の一つだ。デュランの言うとおり、通常状態ならば大木の間には現れない。あれらは本来、石像化した状態で待機し、入ってきた者が宝物を持っていこうとした時のみ動き出す魔物だからな。しかし貴方の前に現れたのは、シュリが貴方を取り戻そうとする働きによるものだ》
《……どこであれ、迷宮内を探索中、普段は会わないようなイレギュラーな魔物と遭遇する可能性は常にある、ということかしら?》
《そうであるな》
それはちょっと困った、とシュナは思う。
デュランの冒険の手伝いをしようとしても自分の存在が邪魔になってしまうかもしれないし、何度も同じような事があったら、厄介事を持ち込む相手として敬遠されてしまうかもしれない。
「シュナ……君はいい竜だけど、君と一緒にいると俺は疲れちゃうんだ。残念だけど、はい、これ、もう必要ないから……」
――なんて言葉と共に逆鱗を返されるような日が来たら。
(そっ……それは嫌よ! そんなことあったらわたくし、きっと立ち直れないわ! 絶対に泣くわ! 毎日泣いて暮らすことになるわ!)
想像しただけで涙目になったシュナは、慌ててバタバタ羽ばたき、追いついたアグアリクスに必死に問いかける。
《アグアリクス。魔物との遭遇は避けられない? お母様はわたくしの意思を尊重するって……》
《正気のシュリは貴方を手放すことを選択したが、彼女の基本的な願望は貴方を安全な場に匿うこと。冒険者達の入ってこられるような階層は彼女にとって安全とはとても定義できぬ。襲撃がなくなると考えるのは楽観的に過ぎような。また、敗北すればシュリの望み通り、貴方は冒険から引き離され、再び眠りにつくこととなろう》
黒い竜はシュナの勢いに何か感じ取った風もあったが、あくまで淡々と答えた。
――だからまだわたしが冷静でいられる今のうちに、誰も来られないような深いところに隠してしまいたいの。それがわたしの一番の根源的欲求。
母の言葉を思い出してしんみりしたシュナだったが、簡単にめげるわけにはいかない。
《せめて、いつそういう魔物と会うか、わかったりはしない?》
《ふむ。予兆を感じ取ることか。それならいずれ可能になるだろうよ。貴方はシュリと繋がっている。シュリが貴方を感じ取ることができるように、貴方もまたシュリの気配を感じることができる》
《じゃあ……危険を感じて、逃げて、魔物やお母様との争いを避ける……そういうこともできるかしら?》
《いずれはな。最初のうちは難しいだろうから、我々のうち誰かがついてサポートをすることになると考えられる。襲撃を感知して不意打ちを避けることぐらいなら比較的容易に習得できると思われるぞ》
ほっとシュナは内心胸をなで下ろす。襲撃自体を止めることが不可能でも、少しでも後手に回らない対応を取る道があるのなら取らない手はないし、デュランとも協力していける。
(あ……でも、どうやって説明すればいいのかしら。わたくしが狙われているってことは、言わない方がいいはずよね。どうして? って聞かれても、わたくしがお母様の娘だから、なんて絶対に答えられないもの。だけど、デュランは冒険慣れしていて、きっとわたくし以上に迷宮のことを知っている。それなら魔物の出現が異常なことも、わたくしが原因であることも、すぐにわかってしまうかしら? だったら、疑われる前に、ある程度のことは話しておくべき? でも……)
ちら、と横目でアグアリクスを見てから、くるっと首を回して背後を見てみる。
存在感をかなり薄くしているが、エゼレクスもネドヴィクスもしっかり後をつけてきていた。エゼレクスがピンと耳を立ててこちらの会話をしっかり聞いているらしいことまで目視で確認できる。
(……デュランのことは、なるべくエゼレクスが聞いていない所で話題にした方がよさそう)
《そろそろ別の場に移る。少々気を引き締めよ。運が悪いと飛ばされる》
ふう、とシュナがため息を吐いた直後、アグアリクスが再び声を上げた。我に返り、慌てて彼に続いて上昇し、枝を抜けるとこれまた見たことのある茶色い大地が広がっていた。
《ふむ。問題なく移動できたようだな。このように、正しい形であれば、第三階層は第二階層と第四階層に繋がる。人間達の呼称に変換すると順に、大木の間、砂の間、森の間だったな》
《……森の間?》
《木々が鬱蒼と茂る場所であるからな、そのように称される。昼時間ならば比較的安全な空間だな。夜時間は魔物の出現が頻度、強さ共に増すからおすすめできないが、逆に魔物と戦って戦闘の経験を増やしたい、資源を得たい者があえて潜ってくる場合もある。ここは第二階層、砂の間だな。大木の間より更に魔物の出現率が少なく、かつさほど脅威の高い魔物も現れない。代わりに資源集めにはそこまで適さぬようだが……ま、初めて迷宮に挑んだ者を慣れさせる訓練だとか、他の場の冒険の準備や休憩などに使われている事が多いな。確実に魔物との遭遇を避けたいなら第一階層にいるのが一番だが――》
《待って、アグアリクス! 正しい形って? その、第二とか第三……それに階層って、なに?》
放っておくとそのまますらすら話が続いていきそうだってので、慌てて止めた。アグアリクスは中断させられたことに特に気を悪くした様子はないが、「そうか、それも知らなかったのか」という顔になったような気がする。
《迷宮は場が不安定で、普通に移動していたつもりがとんでもない場所に飛ばされることがある、という話は聞いたか?》
《デュランから少し……》
――まあまあ普通の日って?
――大木の間は砂の間と、砂の間はその先の待合所と繋がっている――のが、普通の日。だけどここは迷宮、迷いの宮殿だ。普通に歩いていたはずが、思いもよらない変な場所に飛ばされる。そういうことだって、しょっちゅうある。
一緒に砂の間を飛んだ時の事だったか。思い出しながらシュナは唸った。
《でもそれって、普通のことなのではないの? わたくしがお父様に見せていただいたご本でも、思いもよらない場所に迷い込んでしまって出られなくなる場所だから迷宮って名前がつけられたんだってあったわ》
《うむ。それはもっともだが……昔はここまで酷くはなかった。迷い道にもある程度の規則性があったのだよ》




