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迷宮の眠り姫は竜騎士の呪いを解く  作者: 鳴田るな
四章:竜姫 騎士と過ごす
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竜姫 母と出会う 前編

連続更新1話目

 懐かしい暗闇の中を下りていく。

 今はさほど怖くなかった。

 誰かの歌が聞こえる方に、翼を羽ばたかせ、進んでいく。


 しばらくそうしていると光が見えた。迷わず真っ直ぐたどり着くと、足下でばさりと音が立つ。散ったのは花の群れだった。辺り一面甘く芳しい匂いが立ちこめていた。上方から月明かりのような銀色の光が差し込み、静かに揺れる花々を照らしている。


(夢で見た場所だわ。お父様とお母様がいらした所……)


 見回してシュナは思った。奇妙な感覚だ。まるで夢の続きを歩んでいるような、あるいは自分が夢の中に入ってしまったような。訪れたのは初めてなのに、ようやく帰ってきたような気さえする。


(人になったり竜になったり、現実自体が夢みたいなのだもの。そのうち区別がつかなくなってしまうかも……)


 そんなことを考えて、ちょっとぞっとした。ぶんぶん頭を振って、花々を踏みしめ歩き出す。きっとこの場所にいるはずの人を探して。


 しかし最初に見つけた物は人ではなかった。

 花畑の中にぽつんと浮かぶ異物は、直方体の箱だ。

 材質は木のようでもあり金属のようでもあり、はっきりとしない。

 漆黒の箱が花の群れの中に沈んでいた。


 なんとなく引き寄せられるように歩いて行った彼女は、近くでじっと観察して、それが蓋をされている状態であることを知る。

 何かに促されるように、竜は鼻先でちょんと箱を小突いた。


【――認証しました】


 頭の奥に久方ぶりの音声が響き渡ると、箱が何か模様を浮かべて輝き、煙を吐き出すような音を上げてずるりと蓋がずれる。見守っていると、ゆっくり蓋は動いて最終的にごとりと地面に落ちた。


 箱の中身を見た彼女の反応もまた不思議な物だった。

 驚きもしたが、ああやっぱりそうか、と思う気持ちもある。

 叫び声よりは大人しく、驚きよりは静か、でも納得よりは諦めている。そんな何とも言いがたい情を孕んだ息が鼻から、口から漏れて間抜けな音を立てた。


 不思議な黒い箱はなみなみと黄金色の液体で満たされていた。

 その中に誰かが沈んでいる。

 胸で両手を組み、まるで眠っているかのように液体で満たされた箱に横たわる男の顔には痣があった。改めて比べると、トゥラの顔によく似ている。

 口元や服に微かに残る吐いた血の痕にも、腹部に開かれた傷にも、いつもの誕生日と違って乱れていた服にも、シュナを衆人の目から隠すように被せた上着にも見覚えがある。


《お父様……》


 ファリオン。シュナの父親。十八年間、シュナの世界で在り続けた人はここにいた。思えばあの崩落を起こしたのはシュナの母であり、この人を最も愛して愛された女性だ。死んだ身体とてそのままにはしておけなかったのだろう。このような形でまた会うことになるとは想像していなかったが。


 瞼を閉じた彼はどこか微笑んでいるようにも見えた。

 記憶の中の彼は瞼を半ば下ろした所で事切れたはずだ。黒い瞳が熱を孕んで、それからふっと光がかき消えたのを覚えている。ここに連れてきたシュリが閉じたのだろうか。


 ゆらゆらと揺れる黄金色の水面越しに、じっと父親を見つめている。

 さくり、ともさわり、とも聞こえる音が背後から鳴った。

 シュナの竜の耳が反応してぴりりと揺れるが、彼女はまだ振り返らない。


《触っては駄目よ。お父様はお休みだから、邪魔をしないでね》


 花を踏みしめて誰かが歩いてきた。横に立たれたところで初めてシュナは顔を向ける。


 ――竜だ。シュナよりももう少し大きい。空のような青色の鱗に、滑らかな肌。シルエットは細長く、ちょうどシュナが成長して大きくなった姿を思わせる。

 違うのは目の色だ。彼女の瞳は銀色で、ナイフのようなきらめきの中に鋭い瞳孔が浮かぶ。


 名乗られずともわかる。これがシュリで、イシュリタスだ。シュナの母親であり、ファリオンの妻であり、そして迷宮の主でもある。


 彼女は一度箱の向こう側に歩いて行った。鼻先で器用に蓋を拾い上げ、元の位置に戻す。上部に乗せられると、開いたときと同じように蓋は自動で戻り、一度銀色の模様を光らせてからまた黒色の箱に戻った。

 そのまま閉ざされた棺桶に頭を乗せて、優美な竜は歌うように言う。


《知っているわ。こんなことをしても何の意味もない。この人がもう一度目覚めるわけではない。それでもわたしは……嫌だった。誰にも渡したくなかったの。朽ちる所を見たくなかった……》


 夢の中で、夢うつつに、そして現実で、シュナを呼び、歌を口ずさみ、恋人の死を嘆いていた。その声が今まさに放たれている。


 何も言えずに立ち尽くし、言葉を聞いている娘に向かって、あるいはただ独り言を述べるように、銀の瞳を持つ竜は続ける。


《でもこんなことをしても空しいだけね。ここにあるのは魂の抜け殻。あの人はもうどこにもいない。星はもう、見られない。わかっていたはずだった。別れると決めたその時から。いいえ、こうなるのがわかっていたから、辛くて別れた。その身勝手さの結果がこれなのかもしれない》


 母竜は頭を上げた。箱のあちら側から、しゃくりしゃくりと音を立てながらゆっくりと歩いてくる。シュナは少しだけ、怯むように、あるいは逃げだそうとするかのように自分の腰が引けたのを感じた。けれど躊躇している間に大きな竜は彼女の所までやってきて――翼と足で娘をすっぽり包み込み、ため息のような大きな息を吐き出した。


《ああ、だけど、シュナ――わたしの子。まだお前がいる。ようやく戻ってきた。ずっと探していた。わたしの赤ちゃん……》


 頬ずりをされ、身体を舐められる。最初は緊張で凍り付いていたが、愛撫が首から顔にやってきて、頬を舌で何度かなぞられると不意にくたっと力が抜けた。


《お母様……》


 ――色々と。

 この人に言いたいことがあった。聞きたいことがあった。そのはずだったが、何も浮かばない。

 ただ、きっと今自分は安堵しようとしている、それはなんとなく身体の感覚でわかった。遠く、自分にはない概念だった母親と言う生き物を近くに感じる。


 一通りシュナを舐め回していたシュリだが、満足したのだろうか。喉奥で音を鳴らしながら一度顔を離し、じっと小さな竜の目を覗き込む。


《目が本当にファリオンそっくり。生まれたばかりの時もそう思ったけど、もっと似てきたみたい。子どもが育つってこういうことなのね。でも他の部分はわたしの素体に似ているのかしら。不思議ね、人間の親子って》

《お母様。あの……》


 シュナは勇気を振り絞って声を上げてみたが、未だ言葉が見つからない。

 どうして、なぜ。たくさんあるのに、ありすぎて何から始めたらいいのか。

 何より父相手なら遠慮なくそれらをぶつけられたが、この人相手に未だどう振る舞うのが正解なのかわかっていないのだ。

 今までシュナが見てきたシュリは、夢の中の過去の映像か、でなければシュナの言葉なんか一切届かないような存在だった。こうしていると……とても普通の人(いや竜か?)に感じる。


《わたしのことを恨んでいるでしょう。あなたたちを守れなかったから》



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