竜騎士 家族会議をする 後編
父親に改めて問われると、息子は答えに詰まった。
出会った時の状況、そして今日ここに至るまでの観察から導き出される結論。
あの娘が特に問題ない普通の人間、という可能性を考えるのはさすがに楽観が過ぎるというものだろう。
「特級冒険者。星神教の幹部。王国の貴族――はまあ、全員ではないのだろうが、それでも誰かしら勘づいている、あるいは根拠を持って疑っている人間がいると考えていた方が無難だろう。一度ならただの偶然かもしれない。しかし何度も起こり、重なり、連ねられるなら、それは必然か誰かの意図を意味する。けして邪推ではあるまい。あの子は秘密を抱えている……それも恐らくは、迷宮絡みの秘密を」
侯爵は言い切る。夫人は沈黙を保つが、この場合の意味はあえて否定する理由がないから黙っているだけ、つまり肯定と同義だ。
普段は平凡極まりなく、肩書きのわりに全く雰囲気がない侯爵が手を組んでじっと息子を見る。すると奇妙な圧があった。
「単刀直入に聞こう。勘でも構わん。次期侯爵として、竜騎士として、冒険者として、この地で暮らし、また今後も生きていくだろうお前は、どう考えている。あの子は迷宮に、そして迷宮がなければ生きていけない人間達にとって、利と害、どちらをもたらす存在なのか?」
「……利の方が多いと思う」
「本当かの? 現状怪しい要素の方が多いぐらいで、既に騒動をもたらす気配を見せている。それも本人の素行がどうこうというレベルではない。あの子はいるだけで人を動かす、動かしてしまう。息子よ、重ねて問う。なぜ利があると言える? それはただの、お前の願望ではないのか? 正しくお前の言葉を修正してやろう。わからないが、利があると思い込んでいたい。違うか?」
一瞬の間の後、比較的すぐに答えられた言葉に、当主は静かに、追撃するような言葉を放った。それから逃げるように、デュランはそっと目を逸らす。すると侯爵の表情が厳しいものからまたふっと緩み、彼は場の固まった空気をほぐそうとでも言うように首をすくめて見せる。
「ちと意地悪が過ぎたかの。わしも正直、気持ちは同じだと思う。わからないが、信じたい。なあ、デュラン。儂もシシーもあの子が気に入っているんだよ。思うに、お前の想像している以上に。でなければとっくに、それこそ救貧院に放って知らんぷりするか、地下牢に閉じ込めて外になんか出さん。そもそも最初から人間として扱わんよ。後でお互いに辛いだけだからの」
さらりと何気なく優しい調子で放たれた言葉は、彼が日頃トゥラに向けている言葉と大差ない――どころか全く同じ雰囲気のままだった。それが故により一層冷たい響きを伴う。息子はぎゅっと拳を握りしめたまま、まだ顔を上げられない。
「ダナン=ガルシア=エド=ファフニルカ。儂はその名の意味を忘れたことはないし、またそうなった時が死に時よ。儂の来た道は、いずれお前のたどる道でもある。というかもう既に歩んでいるな。あの子の秘密の真相いかんによっては、個人として、残酷で不本意な決断を下さねばならぬ可能性もある。それは――」
「心得ています。この城に連れてきた時から――いいえ、それよりずっと前から」
今度の返事は素早く、またはっきりしていた。デュランのしっかりした声に、当主の話が一度途切れる。
トゥラについて問われれば迷う答えも、己について問われれば揺れることなくすぐに引き出される。
彼ら一族の使命とは、迷宮の管理であり、かつ迷宮から人を管理することである。
初めて迷宮に足を踏み入れた日、ああそうか、このために自分はここにいるのだとすとんと腹に落ちた。その感覚を一度も忘れたことはない。
金色の目は静かに覚悟を湛えていた。
そこでぽつ、と声を上げたのは今まで沈黙を保っていた侯爵夫人である。
「兄弟姉妹の一人や二人でもいれば、もう少しお前の負担も下がったのかと考える事もあります。苦労をかけますね」
「シシー」
さっと侯爵が顔を曇らせる。夫人は薄く唇をゆがめた。それは自嘲に近い。夫は何か言おうと口を開いたが、言葉が見つからないようだ。それは息子の方も同じだった。
シシリア=ナヴィア=エド=ファフニルカは元々王国の人間だ。二十代半ばを過ぎても良縁に恵まれず、ではもう開き直って修道院に行ってついでに好き勝手ビシバシやります劣悪な環境を改善します――というようなところで、当時二十歳、父親が急死して後を継いだばかりなピカピカの若造ファフニルカ侯爵と出会った。
夫曰く「あんな女性は初めてで心のときめきが止まらなかった」、妻曰く「なんだこの顔薄いちゃらんぽらんは」がお互いに対する初印象らしい。
ヴェルセルヌ王国の――特に貴族女性の結婚適齢期は成人を迎える十八から二十代前半まで、それ以上はきっぱり言ってしまえば行き遅れ。更に言えば二十代半ばまでに初子がいない場合、よっぽど夫がろくでなしで有名でない限り、女性側の身体か本人の性格に著しい難があるのではないかと疑われる。
だから基本的には成人前から行き先の当てを見つけておき、成人と同時にはい嫁入り即子作り! というコースが一番円満なのだ。他の競合する二国とて、基本的には二十歳過ぎたらちょっと配偶者捜しに焦れよ。という感覚は一致している。
はっきり言ってファフニルカ侯爵の求婚は前代未聞だった。
これがシシリア二十歳、ダナン十三歳で少年が微笑ましい背伸びしたとかいう話ならわかる。
環境のせいで急遽準備不足のまま継がなければならくなった継嗣にさっさと結婚を根拠に後ろ盾をつける必要があったとかなら、まあわかる。
シシリアにかなり年齢の離れた年上の男から、あるいは早くに妻に死に別れ後妻として、という話でもまあまあわかる。
シシリアが経産婦の未亡人で、生活に困った彼女の方から声をかけたとか、あるいは財産、出産経験を逆にプラスに考えて……というのでもまだギリギリわかる。
二十歳の男が、三十手前で未婚の女性に初婚を申し込むのは、正直頭がどうかしている。
しかしなぜか最終的にこの結婚は成立した。「知らない間に外堀が全て埋められていて、後は本人達がお互いサインするだけになっていた」が関係者の証言である。
さて、そんな波乱と陰謀(?)に満ちた結婚をしたシシリアは、すぐには子どもに恵まれず、三十になってようやく跡継ぎを生んで周囲を一安心させたが、それ以降は続かなかった。
幸いなことに跡継ぎがとてつもなく優秀だったからネガティブな声は少数派だが、それでも侯爵家は未だに、陰口を叩かれたりオブラートに嫌味を当てこすられたりもする。
普段はよそはよそ、うちはうち、という顔を崩さない侯爵夫妻、特に夫人の方からぽつりとこういう本音を漏らされると、言葉を失う。
一人っ子だから逆に大事に好き勝手させてもらっているという気もしているのだが……。
「――しかしトゥラちゃんは、呪いや迷宮との関連云々を抜きにしても、謎多き娘さんだよ、まったく」
咳払いをした侯爵が声を上げる。
ちょっとあからさまな所はあったが、しんと沈んだ空気が浮上したような感じがあった。
「しっちゃかめっちゃか、てんでばらばら。背景が見えてこない。どこか神秘的でもあり、また単純に危うくもある。それでこれがまたみょーに魅力的なんだな、総合すると」
侯爵が首を捻りながら言葉を続けると、残りの二人も考え込んでいる。
「記憶喪失にしては無邪気が過ぎる。物知らずにしては知性を見せる。世間知らずにしては教育を好んで求める。常識外れにしては順応に抵抗なくまた学習も早い。美人にしては警戒心が薄いが、かといって性に詳しいようにも見えない。……儂なあ、それなりに色々な人と会ってきたし、そこそこ人を見る目はあると自負しているが、あの子は生まれも育ちも状況が全くわからんのだよ。一体何したらあんな人間ができあがると言うのだ」
「――あの子のお辞儀を見たことは? デュランはあるでしょうね、当然」
「え? あ、うん。すごく綺麗だなって思った。それがどうかした?」
侯爵が言葉を切ると、引き取るように夫人が声を上げた。話題を振られたデュランが困惑すると、夫人はすっとソファから立ち上がり、手を広げて膝を折り曲げ、頭を下げる。一般的な女性のお辞儀の仕方だ。それを見ていたデュランが、あ、と声を上げると、彼女はそちらに顔を向けた。
「気がつきましたか?」
「シシー、ついででいいから儂にも説明してくれると嬉しいな」
「今あたくしがやってみせた通り、お辞儀は普通、膝を曲げて頭を下げるだけ。手はこうして広げたまま、ドレスは触りませんでしょう?」
「ああまあ、今風だとね。昔はスカートつまんで広げてたらしいし、今でもちょっと気取りたいときとかかっこつけたいときとかそうするけど――あー、わかったかも。確かにあの子、すっごく自然にスカートつまんでた気がする。自然すぎて気がつかないレベルで」
「……毎回やってた。片手の時も」
一番接触回数の多い自覚のあるデュランが一通りの情景をぱっと思い出してから言うと、夫人は更に頷いてソファにまた座り込む。
「あれはかなり格式の高く、またかなり古風に育てられた姫君の所作です。しかもそれを、何気なく違和感なくやってみせる。動きが身体に染みついているのでしょう。軸がぶれずにしっかりしていること、姿勢もピンと伸びて良いですが、何より足捌きと手の動きが素晴らしい。一朝一夕、付け焼き刃やその場の思いつきで咄嗟にできるものではありません。そのわりには食事の作法で戸惑いを見せるのが不思議です。お風呂場等でも困ったような仕草を見せていたとメイド達から報告を受けました」
「そう。そうか。そういうことか。つまりね、あの子はできることのレベルの高さに、できないことのレベルの低さが釣り合わんのだよ。教育が偏ってるなんてものじゃない。あの子が育った環境はどう考えてもおかしい。なのに性格が明るく、まるで愛情たっぷり授かりましたな子どもそのものだ。それが何とも……うーん、なんだろう、モヤモヤして気持ち悪い!」
侯爵はぐしゃぐしゃ頭をかきむしった。日頃なら夫人が一言ぐらい言うかもしれないが、彼女も同じような何とも説明しがたい不快な感情を自覚しているのだろう。しばらく奇声を上げていた侯爵が、急にピタリと止まった。
「のう。冗談ではなく、本当に迷宮からやってきた説すら選択肢に入ってくるのではないか」
「旦那様、それはさすがに」
「しかし、仮に――仮にでもそうだとすると、なんとなくどころか、ぴったりあの有様の説明もつくではないか。日頃の言動――いや喋れないから行動か、それもそうだし、発見時の状況もなんとなく腑に落ちる」
侯爵の危うい発言は、彼が迷宮の管理人として一般人には公開されていないいくつかの補足事項の知識を得ていることと、この場にいる三者が全員それを知っているからこそ出せるものだったろう。
とある条件を満たした時のみ、人は迷宮で生きていける可能性が存在する。
その条件とは、迷宮神水だ。あれは一般には一定量以上摂取すると絶命するとのみ公表されているが、迷宮内部でのみ、稀に過剰摂取しても生き残る人間が存在する。
しかしその場合、人間として蘇生するのではなく、迷宮内の生物として新たに身体を作り替えられる、という方が表現として正しい。
生前最も力を発揮した若々しい姿で不老不死、迷宮神水さえ摂取していれば無限の時を生きていく事ができる。
しかし迷宮からは出られないし、場合によっては人間としての記憶や人格も消失する。また、誰が迷宮神水によって蘇生され、誰が死亡するかも解明されていない。
それゆえこの知識は秘匿され、細かい注釈を端折って「飲むと絶命する」とのみ一般には伝えられている。下手に明かして試す輩が出てくる方が面倒だ。
だから当主が今口にしたのは、彼女が迷宮神水によって生きながらえた別の時代の人間なのではないか、という推測だ。それを聞いた瞬間、デュランの動きがピタリと止まる。すぐに夫人が異を唱えた。
「ですが一度迷宮に飲み込まれた人間は、二度と地上に出られないのですよ。迷宮から生物は誰も外に出られない。古人との遭遇報告は、迷宮の中の話です。あの逸話だって、最終的に死んだと思っていた恋人が生きていたと喜んで外に連れ出そうとしたら灰になってしまったという終わり方ではありませんか」
「そうなんだよなあ、見つかった場所が迷宮内部とかならまだしもなあ。ただねえ、シシー。ほら、例えばさ……女神イシュリタスは、自分自身は出られずとも、人の願いを叶えることなら可能だと思うんだ。ほら、なんだっけ。伝承にもあったじゃないか? ある男が地上に戻りたいと望んで――デュラン? どうかしたか?」
「……なんでもない」
当主は何気なく視線をずらした先、息子が口を押さえて真っ青になっているのを見てぎょっとする。真面目に考え込んではいたが、血の気を失っているとなるとさすがに両親が心配そうな顔になる。
未来の侯爵候補は真っ白な顔で無理に微笑んだ。
「ちょっと深刻なシュナ不足で体調が急激に」
「やかましいわ、アホ。トゥラちゃん来てから少しは騒がなくなったと思ったら、まったく」
父親は一蹴し、心配して損をした、というような空気が部屋に漂う。
しかし彼がどうもあまり調子が良くなさそうなのは事実、時間も時間だしそろそろお開きにしようか、という流れになった。
「……ま、トゥラちゃんに対して結局は今まで通り、目を離さず臨機応変に、変化があったらすぐ報告、情報共有。これっきゃないかの。決断を下すには材料不足なのかもしれん。なんとなく気をつける対象が絞れてきた、これだけでもよしとしよう」
「と言っても材料が何なのか、どれほど揃えれば良いのかも検討がつかない状態ですから、厳しいですね。今まで通り、やれるだけやってみましょう。とりあえず冒険者と枢機卿にはそれとなく妨害を続けるとして、あたくしは茶会対策をします。大丈夫です、あの子ならすぐプルセントラのご令嬢とも戦えるようになります」
「シシー、君は一体、何を目指しているの……?」
謎の使命感に燃えている夫人を引きつった笑みで見送り、父親にどこかぎこちない微笑みを見せて別れの挨拶を交わし、ようやく一人になったデュランはしばし一人で立ち尽くした。
立ち止まった足が行く先に迷っている。
自分の寝室か、あるいは――。
(……さすがに駄目だろう、時間が時間だ。今日は疲れていたみたいだし)
窓の外は暗い。寝顔を見るだけだとか、確認しに行くだけだとか、頭の中に湧き上がる言い訳を振り払い、全力の自制心で自室の方に歩き出す。
しかし気持ちははやり、落ち着かない気分のせいで到底眠れそうにない。今日話していて、また改めて思い出していて、一つの答えにたどり着いてしまった。そう考えるしかないと気がついてしまった。
(――トゥラは。迷宮の人間だ)




