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迷宮の眠り姫は竜騎士の呪いを解く  作者: 鳴田るな
三章:姫 自分を知る
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姫 迷宮に戻る

 さすがにしゃくり上げているのをそのままにもできないと思われたのだろう。間もなく騎士に促され、席を立つ。止めようと意識しようとすればかえって悪化し、優しい言葉をかけられれば更に酷くなる。本人もままならぬ自分の状態に戸惑っていた。


 シュナは図書室の中にある個室に連れてこられた。静かに読書をしたり、何か集中して勉強したい人のためのスペースのようだ。今いるスペースはそれほど人がいないが、図書室から移動しようとするとどうしても受付や入り口付近は人目につく。この状態のシュナを連れてそこを歩くのは憚られると判断されたのだろう。


 しばらくメイドの方がシュナの目元を拭ってくれていたが、きりがないと思ったのだろうか、やがて「少々お待ちくださいませ」と一声かけてどこかに行ってしまう。

 無表情直立不動の騎士と残されると気まずいことこの上ないが、彼が置物のように本当に何もしないため、かえって落ち着いてきた。


(過剰に構われすぎるより、少し放っておかれるぐらいの方がいいこともあるのね……)


 しみじみ考える余裕がある程度には頭が冷えてきた。いや、元から頭は冷えているのだ。ただ、身体が言うことを聞かないだけで。


 深呼吸を繰り返すが、まだ少し嘔吐く感覚が残っている。水がほしい、とふと思った。化粧室は近くにあるだろうか。目の周りが熱くなっている感覚がある、顔を洗ってついでに冷やしたい。化粧は落ちきってしまうかもしれないが、どうせ涙で酷いことになっているのだ。問題はそれをこの護衛騎士にどうやって伝えようかと言うことと、無事伝わったところで許可が出るのだろうかということだが……。


 そんなことを考えていたら人の戻ってくる気配がして、顔を上げる。

 個室に青年が入ってくると、入れ替わるように護衛の騎士が出て行く。

 もともと一人か多くて二人用の小さな部屋だ、大人が三人いると身動きが取れなくなるせいだろう。


「……トゥラ?」


 見慣れた人の登場でまた涙腺がぶり返してしまった。本当に、自分でもなぜ泣いているのかわからないのが困ったものだ。

 ただ、こういう時いつも現れる彼が、煩わしくもあり、ほっと心安らぐ所もあり――ああ、せっかく収まったと思ったのに、また頭も顔もぐしゃぐしゃになってしまってわからなくなる。


「大丈夫? どうかした?」


 優しい声と共に手を握られると、ぐすぐす鼻が鳴ってしまう。

 大丈夫、と返したいのに全く説得力がない。

 胸が震えて、苦しくて。

 つい先日、頼ってばかりではいけないと思って行動を開始したはずなのに、一体何度これを繰り返せばいいのだろう。


「……本を読んでいて。何か嫌なことがあったの?」


 しばらくじっとシュナを見守っていたデュランが優しく声をかけてきた。

 びくっと身体が震えたのが分かる。今はもう本を持っていないが、メイドか護衛騎士から話を聞いたのかもしれない。

 震えたまま何も返せずにいるシュナに、彼は一冊の本を取り出し、広げて見せた。


「この人を知っている?」


 息が止まった。デュランの指先が示すのは痣を持つ男の絵だ。金色の目がじっとシュナを見つめている。いつものように。

 いや、いつもとは少し違うかもしれない。

 これは問いではない。()()だ。


 促されると唇が開いた。


 けれどそこから言葉が続かない。


 いつの間にか、開けたはずの口は以前に増して硬く閉ざされている。


「答えられない?」


 ぎゅっと唇を噛みしめ、両手を祈るように握りしめたままのシュナに、やがてデュランが再び静かに声を上げた。


 ゆっくり頷く。目が合わせられない。


(頼ってばかりでは駄目だ。自分でなんとかしないと)

(なんとかって? どうすればいい? 何ができるの?)

(外の世界は、広くて、複雑で。一人ではすぐに、溺れて息の仕方も忘れてしまいそう。誰かに助けてほしい)

(困っているとき、いつもすぐに一番近くに来てくれるのはこの人)

(知ってほしい。わかってほしい。もう全てを暴かれて投げ出してしまいたい――)

(――でも。だけど)

(全部わかってしまったら……)


 予感があった。きっと、この人の手を取りたい気持ちは既に自分にある。

 けれど正直になったら、夢が覚めてしまう。

 だってシュナは知っている。


 人だった父。

 迷宮の女神だった母。

 あんなに幸せそうだったのに、ずっと忘れ合うことがなかったのに、別れなければならなかった。


 ――どうして?


 人は外の世界で生きていく。

 迷宮で生まれた者は迷宮の中でしか生きられない。


 ――ならば、自分は?


 どこで生きていけばいい。どこに居場所がある。

 そもそもなぜこの場に存在できるのだ。

 迷宮からは誰も出られないはずではなかったのか――。


「……トゥラ?」


 彼のそっと囁きかけるような声が、どこか膜越しのような――別の世界で起きていることのように、遠く感じられた。呆然と目を見開く。


(――そうか。だから)


 迷宮の至宝。その正体を今、彼女は知った。


 頬を一筋の水滴が伝い、顎からぽたりと落ちていく。

 それが最後の涙だった。



 落ち着く頃を見計らって、シュナは部屋に戻された。

 気遣う周りの声が聞こえるが、入ってこない。

 不気味なほど落ち着き払っている自覚があった。

 大丈夫? と問いかけられて、何度も微笑みを浮かべた。

 今までの自分とは違う自覚を持ちながら。



 シュナの様子の変化は、さすがに感じ取られていたようだが、今の段階でも十分過ぎるほど気にかけられているし、結局の所こういう場合彼らの下す判断は「何かが起きるまで様子見」であると学習していたし、実際今回もその通りになった。


 ベッドに入るまでなるべくいつも通りを振る舞った。デュランやメイド、護衛、皆何か違和感を覚えていたようだが、シュナが冷静に平気だと態度を示し続ければそれ以上強くも出られない。


 お休みの時に優しい抱擁を受けて、デュランと別れた。

 温もりが身体の中に残るような感覚を得たまま、静かに寝台に入り、人が寝静まるのを待った。


 今度は、前とは違う。彼女は確信を持ってするりと布団の中から抜け出た。

 照明の落とされた室内を、今度は迷わず歩いて行く。扉までは行かなかった。部屋の中心で立ち止まり、ふ、と自嘲するような笑みを零す。


(外のことにばかり意識が向いていたけれど、難しく考える必要なんてなかったのだわ。だって迷宮はここにある。いつも、わたくしの内側に)


 そっと手を当てる。胸の内側で脈打つ心臓。その更に内、深い深い、自分の裏側に意識を潜り込ませていく。


(わたくしの生まれてきた場所。わたくしの還る場所。――そうよ。関係ないのだわ。常識的な距離や位置なんて、わたくしに何の意味も成さない)


 唇を震わせる。まるで喉を縛っていた紐が解かれたような、不思議な解放感。開いた口から、少しかすれた、けれど聞き慣れた自分の声がふわりと空に放たれた。


開け(オルタペンド)迷宮(セザミア)


 呪文は静かに、確かに解き放たれた。

 音もなく、シュナの足下に黒い円状の影が現れる。

 ひやりとした空気が漂う。窓は開いていないが、黒い髪が微かに揺れた。足を踏み出そうとした彼女は、ふと人の姿ならば必要で、そうでなければいらないものの存在を思い出す。


(……邪魔)


 眉をひそめ、腕を広げる。するりと身体を布が滑り、蛹から蝶が抜け出るように人の皮から抜け出した。


 あんなに恐ろしかった暗闇が、今は恋しくて仕方ない。渦状の暗闇の中に入ると、それは柔らかくシュナを包み込み、飲み込んで誘った。


 ――戻っておいで、シュナ……。


 呼んでいるその人の声に笑みを浮かべた。応える言葉は既に人のものではない。


《お母様。今、参ります》


 彼女は一人、深い穴の底、母の呼ぶ方に下りていった。

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