身元不明 初めまして(あなたはそう思っている)
迷宮内で見ていた彼はずっと漆黒の鎧に身を包んでいたが、ここではもっと……何と言えばいいのだろう、軽めの格好をしていた。迷宮で水浴びをしていたときになんとなく彼の服の構造は見ていたのだが、それともまた違う。そういえばファリオンはきっちりした外行きの着こなしをほとんど崩さない人だったから、シャツにズボン……でいいのだろうか? こういう服装を見るのはなんだか新鮮だ。
(これは、お部屋着なのかしら? 鎧姿も素敵だったけど、こういうお洋服もとってもよく似合うのね)
ニコニコとデュランを見つめていたシュナは、しばらくの間彼が部屋に入ったポーズのまま固まっているので、はっとなった。
(あ……ええと。そうか。今のわたくしとデュランは、初対面ってことになるのかしら? そうだ、デュランが一緒にいたら、お喋りできるようにならないかしら!)
「うー……うー?」
(駄目みたい……)
しょぼん、とうなだれる彼女は、ゆっくり近づいてこようとする気配を感じて顔を上げた。
目が合うと、デュランはうっとうめき声を上げて止まる。
(……変なの。また、最初から会った時を繰り返しているみたい)
シュナがおかしな気持ちになりつつしげしげと見つめていると、騎士は挙動不審にシュナの近くまでやってきて、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「あ、あの……」
「う?」
なに? とシュナが聞いてみると、なぜかものすごく目が泳ぐ。シュナが首を傾げつつも辛抱強く待っていると、彼にしては妙に小さい声で話しかけてきた。
「えっと……ひとまず、目が覚めて良かった。ただ、まだ無理したらいけないよ。君はずっと、高熱で寝込んでいたんだから。ほら、ベッドに戻って……戻れる?」
ぱちりと二人の目が合った。シュナは金色の目をじっと覗き込んだまま、しばし考えた。
(……どうしよう。デュランはたぶんまだ、気がついていないみたいだけれど。言葉は喋れなくても、わたくしよ、気がついて! とアピールする方と、このままデュランに合わせて、初対面のように振る舞うのと。どちらの方がいいのかしら。エゼレクスは確か、迷宮から出られるということを知られるのは、あまりよくないというようなことを言っていたけれど。デュランなら、わかってもいいんじゃないかしら。ううん、デュランなら、わたくしのこと……)
じーっと見つめていると、ごくりと竜騎士は唾を飲み込む。シュナは思い切って、もう一度だけ声を上げた。
(デュラン。わたくしよ。シュナよ。迷宮から出てきたの。怖いことや、わからないことがたくさんでも、あなたの側が一番だと思ったから、あなたならきっと、助けてくれると思ったから。それとも、迷惑だったかしら? わたくし、あのね……あのね。ねえ……わからない?)
これほど頑張って喋ってみても、相変わらずシュナの口から出る音は意味をなさない音の羅列でしかなかった。聞き苦しい所も多々あったろうに、デュランはシュナが全部言葉を言い終えるまで、じっと彼女が喋るのを聞いて待っていた。それから少し間を置いて、申し訳なさそうな顔になり、首をゆっくりと左右に振る。
「……ごめんよ。きっと今、何かを伝えようとしてくれたんだよな。だけど、俺には君の言っていることが、わからないみたいなんだ」
シュナはそっと伏せた自分の目に、わずかに悲しさと寂しさの色が混ざったことを自覚する。
彼なら、何かが変わる気が、何かが違う気がした。自分たちの間にある不思議なつながりのようなもので、すぐに“シュナ”だとわかってくれるのではないか、そんな希望を抱いていた。そういう自分に気がついて、気がつかされて、苦い笑みを浮かべる。
(……わかったわ。あなたと“シュナ”は知り合いだけど、あなたと“このわたくし”ははじめまして。そういうことなのでしょう? 大丈夫よ。わたくし、ひとりぼっちには慣れっこなの。竜の時だって、あなたにそう言ったものね。だから、大丈夫。ただ、人に戻れたから、ちょっと……少しだけ、期待をしてしまった。それだけのこと……)
ふう、と息を吐き出す。気を取り直すつもりで、何てことはない様子を装ってまた笑みを浮かべた。
(それと、平気よ! わたくしにも自分が何を言っているのか、自分でわからないもの。デュランが落ち込むことはないわ。わからないのにちゃんと聞いてくれようとして、ありがとう!)
彼女が笑うと、相手も釣られるように口角を上げようとするのだが、眉は下がったままだった。
シュナはなんとなく気まずくなって視線を逸らし、そのままきょろきょろと辺りを見回そうとして、自分がベッドから落っこちたままだったことを思い出す。
(そうだ。デュランも、ベッドに戻れって言っていたわね。戻れるかしら? 二足は無理でも、四足なら頑張ればできる気がするわ……!)
彼女が急にぺたっと身を伏せたかと思うと、そのままベッドの方にずりずり這い上っていこうとするので、デュランはぎょっとした顔になり、慌てて華奢な身体を捕まえた。
「ちょっ……そりゃさっき確かにベッドに戻った方がいいって言ったのは俺だけど、やっぱりまだ、立ち上がれないんじゃないか! ほら、無理しない!」
(ひゃっ!?)
くるっと簡単にひっくり返されたことに目を丸くしていると、騎士は手慣れた動きでシュナの身体の下に手を入れ、ひょいと抱え上げる。
そのままベッドに下ろそうとしたが、そこで目を輝かせた彼女が抵抗した。
(今の何!? すごい! もう一回やって! くるってやってすってなってばって奴、もう一度やって!)
「うわっ待った、だから、なんでそこで抵抗するんだ!? 普通あっても逆だろ、なんでそこで下ろされることを拒絶する!? いや、あのね、いやいやじゃなくてね……あの、本当に! それはまずい、その抱きつき方は本当にまずいって、おいっ、あのねっ、やめなさいっ……!」
最終的には腕力の差が勝敗を決した。デュランが肩をつかんで引き剥がすと、シュナはむくれ顔でベッドにぽすんと落とされる。成り行き上彼女をベッドに押し倒すような形になったデュランが、顔を赤くしたままぜーはーやけに息を荒げながら、ふと首を捻ってブツブツ何か言っている。
「な、なんだろう……この感じ、ものすごく既視感があるというか、最近どこかで同じようなことがあったような……?」
(あら。わたくしが乗せてあげた時のことかしら? それにしても、竜の時は押されてもその気になれば押し返せたのに。この姿のわたくしったら、全然力がないのね!)
思い出して見れば、塔にいた頃持ち上げたことがあるのは黄金色の液体を入れた容器や本ぐらいだ。
……本は、束にすれば結構重たくなったけど。そんなに無理をしたことはなかったし、必要もなかった。
(お父様だって、わたくしのことを抱え上げられたけど。ここまで軽々とはできていなかったと思うの。デュランは鎧を着ているから力持ちなのだったかしら? そういえば、鎧は今、どこにしまっているのかしら?)
見上げたまま考え事をしていたシュナだが、ガチャリと鳴った音に引き寄せられるように顔の向きを変える。
デュランもまた、釣られるように顔だけそちらに向け――さっと血相を変えた。
「あら、若様。先にいらしていたの、です、ね……」
先ほど部屋を出て行った黒服白エプロンの女性だ。
和やかに親しげな雰囲気で入って来たはずが、ベッドに仰向けに乗せられているシュナと、その上に覆い被さるように手を突いているデュランを見比べた瞬間、顔から表情が消える。
「若様……いくらなんでも、病人相手にそれはちょっと、ええ……? そんな人だとは思ってなかったのに……」
「違う! クソッ、なんでよりによってこのタイミングで来るんだ――おいやめろ、そんな目で見るな、誤解だから! 話聞いて!?」
デュランはやけに焦った様子で、慌てて飛び跳ねるように身体を起こした。
シュナの方はそんな彼のことを、のんきで無邪気な笑顔で見守っていた。




