先を行く者の戦い 前編
鎧の男は周りを見回し、天を仰ぐ。
その先の青空、あるいは満天の星空に向かって手をかざす。
――かつて届かなかった最果ての理想郷を、今一度手中に収めようとするかのように。
混乱が続く状況、感傷に浸っていられる時間は短かった。
無双の鎧の正式な持ち主は息を吐き出し、すぐさま身の丈ほどの大剣を構え直す。
古代の人間が自分に向かって走ってこようが、その背後から巨大な異形が襲いかかろうが、彼は動じない。
ただ百年前の続き――やり残した仕事をなすのみ。
――我が子が助けを求めているのに、応えてやれず何が父親か。
一閃。大剣が振り抜かれ、それで異形が散る。
不思議と刃を受けたはずの古代人達は切り裂かれていない。
男が線を引くほどに、ただ魔物のみが断たれる。
その異様な光景に、狂乱の現場が静まり返っていく。
「特級宝器……世界を変える特別な器……」
誰かが呟く。まもなく、彼らはかつての伝説の再来を噛みしめる。
デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカが纏って操った鎧には華があった。
よくもわるくも賑やかで目立つ、眩しき動――それがデュランを彩っていた漆黒竜鎧の姿だ。
対して、この男を彩るのは影――まさに吸い込まれそうな闇そのもの。動きは最低限で、音は妙に静かだ。それゆえどこか静止画じみてもいる。
ふと視界に入り込んだ違和感に気がつけば、そのまま目が離せなくなる――最初の持ち主の人目の引き方は、そういう類いのものだった。
影を纏った男が凪ぐ。そこに境界が生まれる。内に庇護者を招き入れ、外に敵対者を退ける。混沌の場が整理され、収められていく。
時折動きの合間に、兜とたなびくマントの影が、翼を広げる竜の形を描いた。鎧になる前は冒険の供を勤め、今も別の形で彼を守護し続ける、相棒の影が――。
「本来の、漆黒竜鎧……」
《唯一絶対、無双の守護。その範囲は限定的なようで、無限の拡張性を秘める。――遊戯の竜が惚れ込んだ相手だからね、可能性の権化ってワケだ》
自らが愛用していた宝器、その別の姿を見せられたデュランが呆然と呟けば、賑やかな竜がピイピイ囀る。
《まあ、元気出せよ色男! 本家に勝てないのは仕方ないって! お前、借り物で戦ってた割には大分頑張ってたよ!》
《うっ……うるさいな!》
《驚嘆》
《あの……ティルティフィクスさん……こちら乗せていただいている身ではあるのですが、今の今まで無言で任務遂行していた中、地上の人には褒め言葉を一言漏らすというのは、結構こちらの心に来るものが……》
《人徳の差だから仕方ない》
《エゼレクスさん?》
《ジョーダンジョーダン……ほら、それより下、下。大分落ち着いたぜ?》
空中で竜達と戯れている間に、男の現れた場――迷宮領の中央部にあたる区画で魔物の掃討が完了した。刻まれた残骸が塵と化し、消えゆく。
脅威を失った古代人達は各々その場にへたり込んで、自分達を救った男を見つめている。
迷宮の人間達もまた、ただその場に立ち尽くし、男の次の行動を見守っている。
彼はいったん呼吸を整えがてら、残っている大物――巨大な柱、強襲強敵を見上げる。
あの大本を断たねば、また空から魔物の実が落ちてきて開花するだろう。
彼はこのまま、大物にも挑むつもりのようだ。
《お父さま……》
と、思わず零れたらしい声が、鎧の男の耳に届く。
奇妙な緊張の中、ふっと彼の空気が緩む。
未だ鎧は顔まで覆ったままだが、おそらく柔らかに笑んだであろうことが感じ取れた。
「……無事で良かった。シュナ」
心底からの、安堵。百年前、追っ手に殺害され無念のうちに愛娘を手放さねばならなかった父の言葉は、やはり娘に向けたものだった。
けして大きい声量ではなかったが、竜達には――そして次代女神候補には充分に届いていた。
百年越しにもう一度聞くことになった声は、懐かしくもあり、聞き慣れない印象もある。
竜達と念話を共有しているデュランの耳に、ぐすんと鼻をすする音が届いた。
おそらく彼女の傍らに寄り添っているのだろうアグアリクスが慰撫する様子が、目にせずとも手に取るように理解できる。
もう一度会えたなら、何を言いたかったのか、言ってほしかったのか……。
手に余るほどあったはずの言葉が何一つ出てこない。ただ、シュナの溢れる気持ちは痛いほど伝わってくる。
しかし、親子の感動の再会ばかりに集中していられない。
大きな魔物の幹が脈打った。次の実を落とす準備、といったところだろう。それに他の区画でも、未だに戦闘は続いている。
――にしては、少し静かではあったが。
「長話をしてもいられない。私達は地上を押さえる。……君達でやるべきことはわかっているね」
《……うん。まずはあの幹――いいえ、柱達を討たないと。デュラン!》
「あっ、はい!」
流れ上なんとなく呆けてしまったデュランに、シュナからのご指名である。
迷宮領を束ねる彼に、次の指示を促すものだったのだろうが、状況が状況、妙に気の抜けた返事をしてしまったことを責められないだろう。
何しろ今までは魔物達に意識を向けていただろう地上の男の視線が、空中の自分に向いたことに気がついたからだ。
次期迷宮領当主はそれなりに察知力、考察力の高い人間である。当然、初代漆黒竜鎧の使い手がシュナの実の父親であることぐらいは察している。
つまり、これは将来の義父との初コミュニケーションなのである。
襟を正す――動作をしたわけではないが、姿勢を伸ばし、デュランは地上の男に向き直った。
「お、お義父様……」
「君の父親になった覚えはないな」
擁護するなら、柄にもなくデュランは緊張していた。テンパった結果、頭の中でちゃんと文章を組み立てる前に口から単語が出ていってしまったのである。
だがしかし、まさに一蹴。にべもなかった。直前、愛娘に話しかけていた時の口調はあんなに優しかったのに、完全に他人行儀である。いや赤の他人だから、何なら彼の態度の方が正しいのだが。
宙を羽ばたくティルティフィクスが、竜騎士の下で珍しくため息を吐いている。
《初印象これ以上ないほど最悪でマジウケる》
《あの本当に、全面的に俺に非があるのは噛みしめている上で……もうちょっとこう、手心を……》
そして横合いを飛び回る混沌の竜は非常に楽しそうである。もう少し余裕のある状況なら腹を抱えて笑っていたかもしれない。
《デュラン! しっかりして! 皆で対抗しないと、乗り切れないの!》
《う、うん――》
こんな時でも優しい彼女からの叱咤激励に、折れそうだった、というか一回確実にバッキリ折れた精神をなんとか立て直す。
地上の男は身を翻し、既に次の波に備えていた。
気持ちを落ち着けるために深呼吸したデュランは、他の場でも起きている変化に気がつき、そして戸惑う迷宮領の人間達に自分がかけるべき言葉を理解する。
《各位、落ち着いて。……迷宮の思い出が、俺達と一緒に戦ってくれる》
――静寂の理由。
それは各所に湧いた不気味な魔物達が減らされたことも原因だが、それ以上に迷宮領の人間達に衝撃をもたらし、言葉を失わせることが起きていたためだろう。
見たことがない造形の強い魔物。
とっくの昔に死んだ旧時代の人間達。
これ以上に驚く何者かが現れうるのか? 是、である。
シュナが蘇らせた心強い助っ人は、一人ではない。
迷宮領のそこかしこ、今を生きる者達を守るように、かつて一足早く迷宮領に還っていった人間達が立っていた。




