memoria06: when she became 'Deus'
×××はあれ以来、全く姿を見せなくなった。というより、白服のニンゲン達が大勢やってきて、ずるずると引きずっていってしまったのだ。散々泣きわめいていたのにごきりと音がして、大層かわいそうに見えた。
だが神が水槽の中でどれほど手を伸ばそうと、彼女には触れられない。
扉が閉じれば電子音が鳴り響き、部屋の戸がロックされた音を聞いた。いつもよりも、さらに厳重に。
そしてそれっきり、誰もこの部屋にはやってこない。清掃係すらも。
人類は神の入眠を期待したのだろう。完全に断ってしまうのはもったいないが、常にフル稼働させていても意味がない。だから再び必要とされるまで、大人しく眠っていてほしい。
おそらく自分に期待されているのは、そのようなことだ。大人しい神は、そのぐらいはちゃんとわかっていたし、表向きは従っていた。
放置の日々は退屈だったが、女はそれまでに多くの刺激を神に与えていった。ぼんやりと退屈に日々を過ごすしかない無能者が、一人遊びの仕方を思いつく程度には。
まどろむように穏やかな状態を保ちながら、神は思考する。
やはり未練があった。主に×××のことだ。
最後に見た彼女の様子は、明らかに尋常ではなかった。かわいがっていた相手が処分されたと言っていた。神に彼女の心の浮き沈みは共感できずとも、非常に動転を与える出来事であっただろうことぐらいは容易に想像できる。
神はほとんど眠っていた。眠るようにゆっくりと心音を鳴らしながら、考えていた。
――この状況から、少しだけ変わる方法。
最初のヒントは、神の生かされ方の説明だった。
女は神に、接続されている膨大な管の行き先を教えた。
それらは巨大な計算機に管理されており、神はそれなくては維持できぬらしい。
より正確に言えば、神が死ぬことはない。ただ意識が途絶えるだけだ。だが連続的に同一個体としての自我と記憶が保持されねば、「生きている」とは表現できないらしい。この今のイシュリタスを連続して起動するのには、電気の信号が欠かせないのだ――まあ、×××が解説していたことをざっくりとまとめれば、そのような内容であった。
だから小さな神はあるとき、自分につながれているいろいろな線をたどっていった。そして女の説明通り、自分が巨大な電子機器の一部である自覚を持った。
旧神イシュから分離された、脆弱な因子である自覚は元からあった。神の残滓――イシュリタスを正確に表すなら、彼女はそうした存在だった。
しかし、別の端末の一部でもあるという新たな発見は、神に可能性を示唆した。
旧神イシュの端末としては、彼女は明らかな失敗作である。それはもう、彼女も、彼女を研究していた先生も悟っていた。
――別のアプローチならばどうだろう?
暇と退屈が神に実験を行わせた。
管理計算機との接続は、けして不可逆の一方通行ではない。電子機械はバイタルをコントロールしている――ということは、こちらの情報をあちらに伝えている導線も必ず存在する。
神はゆるやかにその道をたどり、じっくりと観察し、そしてそのうち、静かに主従関係を逆転させた。誰に知られることもなく、施設の制御部の一部になっていたのだ。
そんなわけで、神はその頃には、×××が自分の部屋までやって来ずとも、どこで何をしているのか、あるいは本人以上に詳細まで把握していた。×××だけでなく、先生をはじめとした施設の人間達についても、奉仕種族と称されるモルモットたちについても。
×××は衰弱していた。
だが、新たな子供達が彼女をかろうじて正気の世界に保たせていた。
しかし、奉仕種族の時間はジンルイとは異なる。
成長促進剤によって数日間で成熟し、互いに、時にはジンルイと交配させられ、一年後には廃棄される。
最もそういった扱いが顕著なのは第一種族だったが、エネルギー補給要員として労働させられていた第二人種も、新鮮な臓器の提供元としてプールされていた第三人種も似たような物だった。
新人類計画とは、あくまで現人類のためのもの。
三種の奉仕種族は消費物だった。
――だが、女にはそれが許容できなかった。
六年目。×××の中のか細く危うい葛藤の糸が、ついに切れた。
その日、彼女は泣きながら薬殺室送りにされる子供達を、ただ見送るのをやめた。
まずはいつの間にか手に入れていた電子銃で、同胞達を気絶させる。
目を丸くしている子供達――成熟個体も全部集めて檻から出し、先導する。
不思議な事に、防御設備はまるで×××を庇うかのように、追いかけ、あるいは女の暴走を止めようとするニンゲン達に牙を剥いた。
×××が通り過ぎれば隔壁が閉じ、×××の行く手に障害が現れれば自動電子銃が応戦した。
『×××! 戻れ、この愚か者が!』
怒鳴りつける無線に反射的にびくりと体をこわばらせたのは一瞬。
女は先生に――かつてあれほど娘として愛してほしいと願った相手に、うなり声を上げた。
『うるさいっ、くたばれ人殺し!!』
それはどこか、×××が子供達に読み聞かせるおとぎ話に似た光景だった。
女が引き連れた子供達の前に次々照明が灯り、道が開き、誘われるように奥へ奥へと進んでいく。
何年も解除されていなかった扉にパスワードを打ち込むと、開いた扉の中から埃がもうもうと立ちこめた。
咳き込む子供達を宥め、女は薄暗い培養室へと足を踏み入れる。
『――イシュリタス』
水槽の中に、変わらず少女の姿の神は在った。
『あたしの神様。全部お見通しだったのですね。あたしの声も、全部聞こえていた?』
女がかすれた声で囁けば、うっすらと神が瞼を上げる。
『――肯定します』
女は唇を震わせ、膝をついた。
子供達も母にならい、同じように行動する。
かみさま。
かみさま。
部屋に静かに、信仰の芽生えがこだまする。
『ようこそ、人類の皆さん。わたしはイシュリタス。イシュのひとかけらにして、人造の神』
少女の声は小さかったが、誰の耳にもよく聞こえた。
いつの間にか皆、頭を下げている。何に命じられずとも、自然と体がそうしたいと感じるのだ。
『――わたしを神と崇めるのなら、我が権能を用い、我が全能を以て、あなたたちを呪いましょう。何を願いますか、人の子よ』
子供達は母を見つめ、母は神を見つめた。
彼女だけが最初から、神と崇め続けた人造のできそこない。
背後で閉じた培養室の扉が、乱暴に叩かれる音がする。
もう迷っている時間はない。
女の褐色の頬に、涙がひとしずく伝った。
『神様。人類を、助けて』
銀色の目を細め、神は厳かに応じた。
『心得ました、マスター』




