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迷宮の眠り姫は竜騎士の呪いを解く  作者: 鳴田るな
七章:迷宮の至宝 目覚める
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虜囚 封じられる

(そん、な……)


 男が楽しそうに告げた内容に、シュナは自分の顔が赤くなり青くなり、最終的に真っ白になるのを感じた。


 百年前、父が死に、大地が裂けた。

 目の前で何人かの人間達が死ぬのを目の当たりにした。


 それはとてつもなく辛い記憶だったが、言ってしまえばシュナにとっての現実とはその程度でしかなかったのだ。


 百年前、国が滅んだ。世界が大きく変わった。

 そういう話を繰り返し聞いてはいたけれど、塔の外の話、言ってしまえば他人事にしか過ぎなかった。


 今までは。


(お母様が、したことだと)


 聞かされていたし、そうだとも思っていた。

 だからこそ、余計に、自分が関わっていても、深い当事者だという認識がなかったのだ。


 ――けれど。


 男が歌うように紡ぐ推測は、ほとんど事実であると、シュナの知識と経験は示していたし、何よりその言葉はとてもしっくりと来た。


 なぜ。


 百年前、母は国を滅ぼしたのか。

 シュナだ。シュナがあの時、母を呼んだのだ。


 怒り、憎しみ、そして禁断の扉を開けた。


 ――開け(オルタペンド)迷宮(セザミア)


 何度も舌に転がした、その言葉。


 たった一言、それだけで。


「……ワズーリの言葉はいささか大げさな部分があり、全て鵜呑みにするのは愚の骨頂です。けれど事実も含まれているのでしょう」


 男が語る間ずっと、シュナの周りで立ち上がったりしゃがみ込んだり、あるいは床に手を滑らせたり、指を結んで何か唱えたり……ということを続けていた女神官が、もう一度シュナの前に戻ってきて跪いていた。


 しゃらん、と彼女がいつの間にか手にしていた杖の金属飾りが擦れて澄んだ音を立てる。


「たとえば、貴女が迷宮の至宝、女神の愛娘であること――百年前の大厄災の引き金となったこと」


 頷きもしなかったが、今まで強い眼差しで睨んでいた娘が気まずそうに目を伏せる、それだけで意図は充分に伝わっただろう。


「もともとわたくし達の故郷は、反迷宮派の人間達が集められていた土地です。西の秩序、南の中立、そして東の混沌……百年前に知恵も人材も多く失わせなければなりませんでしたが、今でもいくつかの反迷宮機構は健在です」


 ユディスが喋れば、ザシャは黙り込んで微笑んだまま成り行きを見守っている。


 冒険者は牢の壁に背をもたせかけさせたまま、不気味なほど大人しくしていた。

 ただ、暗がりで金色の目が爛々と光る様子だけがやけにくっきりと網膜に焼き付く。


「だから、わたくしは貴女にこちらの国に来てほしい。もう一度、百年前のようなことを起こしてほしくはない」


 女は捕らえた娘の手を取ろうとでもしたのだろうか。

 片手を空に彷徨わせ、戒めたままではかなわぬことを思い出したのか、はっとしたように握りこぶしを作って自分の胸元に戻す。


 こうして近づいてみれば、けして年老いているわけではない、むしろ思っていたよりずっと若々しい姿をしていることがわかる。


 なのに初めて会った時から女はいつも老成して見えた。彼女の目には徒労と苦難と、そしてどこか諦念がいつも滲んでいたのだ、と今気がつく。


「短い時間でしたが、貴女自身はとても善良な御魂の持ち主であることが感じられました。百年前の大厄災は貴女にとっても苦痛であったはず。我々と共にお越し下さい。そうすれば、貴女は普通の人間として一生を終えられる」


 その瞳は燃えていた。静かに、何か秘めた激情をたたえて揺れていた。きっと甲冑の下、あの時の男の顔もこうであったのではないか、となんとなく感じさせる。


 静かに、抑揚なく喋るが、押し殺した興奮が伝わってくる。


 鈍い思考。

 お前のせいだ、と指差され、なおさら重くなった頭。


 けれどどうしてだろう?

 うん、と頷く。それはできない。


(――だって、それは)

「だけどねえ、それは、」


 黙っていた亜人が口を開いた。


(わたくしに、シュナを捨てろという意味ね?)

「君はもう二度と竜にはなれないって事なんだよ」


 シュナの思考と、ぴったり彼の言葉は重なる。


 ぼんやりと目を向ければ、男はニコニコと笑っていた。

 横やりに、神官は煩わしげにわずかに表情を歪めた。


「何か困ったことがありますか? 貴女の迷宮での生活はけして快適なものではなかったはず。女神は百年前、致命的損傷を抱えた。貴女自身すら攻撃することもあったのではありませんか」


 そんなことはない、皆よくしてくれた。


 と返そうとした言葉が、後半まで聞き届けると喉でつっかえた。


 女が指摘した部分は、まさに娘に迷宮の永久滞在を最も躊躇させる理由だ。


 本人にも、竜達にも、イシュリタスは全盛期の調子は出せない、半ば狂気に染まり、ぼんやりと夢とうつつを漂っていると聞かされた。

 母の溢れるばかりの優しさに触れてさえ、何を考えているのかさっぱりわからなかった。


 ――それに。


 哄笑が空を切る。

 亜人は腹を押さえて身体を折り曲げ、笑い出したのだ。


「ユディス、やっぱり駄目だよ! 理屈じゃあさあ、たぶんわかってるんだ。自分が法国に行けば、百年前みたいなことは起こらない。もしかつて大勢殺した経験があるなら、償わねばならない……」


 いよいよ冷ややかな目で振り返った神官に、亜人は目元を拭ってから口の端を歪めた。


 笑った、というより、それはどこか獰猛な肉食獣の威嚇に似ていた。


「でもねえ、ユディス。君も知っているだろう? その子は目覚めた。()()()()()()()()()()()()()()()。初めからもう、選択は済んでいる。だからやっぱり、頭でその方がいいかもって思っても、はい、あたち、迷宮を捨てまーす――とは、絶対にならないんだよ」


 そうだ。

 娘の心は肯定する。


 そうだ。

 迷宮を捨て去るということは、彼の側を離れるということだ。

 そんなことはできない。


 ――君が何者でも。

 ――この先、二人にどんな困難が訪れても。

 ――俺は側にいる。

 ――少しでも一緒にいよう。


 あの人はそう言ったのだ。そういうことを、言ってくれたのだ。だから――。


「――だから。言ったのに。穏便に事を進めようと思うならね、まずこの子には大失恋してもらう必要があるんだ。デュランに振らせて傷心の所につけ込めばワンチャンス――それでも大分分が悪い賭けさ。だってこの子、結局好きなんだもん。迷宮が、外と同じぐらいに」

「……そんな人道にもとる卑怯な真似はしません」


 あの人と一緒にいたい。

 そうだ、それが自分だった。


 もしかしたら間違っているのかもしれない。

 それでもきっとこれが自分のしたいこと。

 貫いていこうと、考えた道。


 娘がおぼろげに自分を取り戻そうとしている背後で、柔らかな男と固い女の応酬が続いている。


「そ? でもねえ、失敗したならすっぱり諦めますってならともかくさ。前々から小汚く仕込んで籠絡することと、今からやろうとしてることの一体何が違うのか。僕にはさっぱりわからんねえ。大体、拉致して拘束してる時点で人権は全力で踏みにじってるんだからさ」

「そうです。結局の所、こうなることはわかっていました。それでも……わずかばかり逃げ道を探した。それは臣の弱さゆえです。ああ、そうだ。臣はこんなにも弱く、愚かで、恐れている。認めましょう。これがユディス――レフォリエルで洗礼を受けた、ユマ」


 男のせいで少し気分をささくれ立たされたらしい神官だったが、また頑なまでの静けさを取り戻した。


「……主よ。いと高き天におわします我が主よ。お導き下さい」


 娘に向き直った神官が、立ち上がり、数歩下がり、杖を前に掲げれば、シャン、とまた音が鳴る。


 朗々と彼女が唱える言葉に応じるかのように、娘の周りの床が、壁が、そして天井が、輝きだした。

 正確には、そこに描かれている何かの模様が。


 女が束の間、祈るように杖を両手で捧げ、目を閉じた。


「――猊下メジェ。わたしに、あと少し勇気を」


 囁くようなそれは、確かに祈りの言葉だったはずだ。


 だが目を開けた女には、もう成す決意の光しか残っていない。


「術式、起動」


 しゃん。揺らされた杖が鳴る。

 微細と巨大の円を幾重も連ね、線と点を結ぶ幾何学模様の群れは、縛り付けられた娘の柱を中心に輝き広がり、脈動する。


 うなじがあわだった。

 光り輝く模様から風が舞い上がり、それが一瞬、娘の鈍い頭に鋭い冷たさをもたらす。


 呪文。

 魔法陣。

 ここに展開される術の意味。

 そして何が起こり、残されるのか。


 恐慌の気配に、ただ蚊帳の外の男が微笑んでいた。


 ――君はね、この後二つの選択肢を与えられるよ。幸せな不自由か、不幸な自由か。――()()()()()? ()()()()()()


 ああだけど、どちらを選んでも、結局本当に望むものは得られないのだと。

 理解してしまった娘の絶叫が、封具に吸い込まれ、かき消された。

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