ヒトの娘 遭遇する
揺すられてシュナははっと気がついた。どうやらうとうとしていて起こされたらしい。
(いけない……ニルヴァのことを考えていたはずなのに)
しばしばする瞼を何度も開け閉めして、重たい身体に活を入れる。
ただお茶を飲んで話していただけ……の、間にさりげなく広い屋敷の案内なども入っていたためだろうか、城に戻ってくるとすっかりもう遅くなっていた。
「おかえりー。疲れたでしょ、ゆっくり休んで」
「無事に戻ってきましたね。それでまずは及第点です」
お出かけ姿から解放されたシュナは、領主夫妻から温かな労いの言葉をかけられる。
日中は各自離れて行動していることも多い二人だが、晩餐の席では一緒でいることが多い。
多忙であるがゆえに、せめてこの時ぐらいは、ということなのかもしれない。
「で、どんな感じだったかのう。何か困ったことは?」
今日は慰労と報告会も兼ねているのか、護衛の騎士も食卓についていた。早速領主に尋ねられると、物静かな男が口を開く。
「特に異常はありませんでした。……出迎えが壮大で、一瞬だけ抜剣を覚悟したことぐらいでしょうか」
「ははは。ま、サフィーリア嬢のご愛嬌というところだろうて」
「ああ、ただ……」
「ん?」
「いえ、大したことではない、のですが」
「よいよい。言うだけならタダって言葉もあるのだぞ?」
逡巡の様子を見せる騎士に、領主は強いるでもなく、けれど聞き流すよりは促すように相槌を打つ。するといったんは目線を下げて黙り込むかに見えた騎士が、再び話を再開させた。
「帰り際だったのですが……どうもあちで、何かあったようで」
「ほう、何か」
「詳細は?」
領主が興味を引かれたように言えば、夫人が簡潔に補足を求める。
すると騎士は、どこか困ったように眉を下げた。
「その……少々ごたついていたような雰囲気はあったのですが。それだけと言えば、それだけで」
(ニルヴァのことね)
やりとりを見守っていたシュナは思い当たった。
しかし、彼らが直接見たのは、少しだけ騒がしくなった館内の様子と、メイドとサフィーリアのちょっとした会話、それだけだ。
当事者が誰だったかなんて騎士は知らないし、そもそも闖入者があったための騒ぎだったということすら彼はわかっていない。だから説明を求められても、はっきりした答えを返せないのは当然なのだった。
少々もどかしい思いになっている娘の前で、人間達のお喋りは進んでいく。
「ははあ……何事もありませんでしたと隠し通せはしなかったが、露骨な醜態を客人前に晒す程ではなかった、何か。ふーむ、あまり露骨につっつくのも嫌がられるだろうなあ。身内の問題なら、なおさら外部に口だしなぞされたくないだろうし」
「こちらに被害は?」
「全く。多少帰宅が遅れた程度です。それも誤差の範囲内ではありますが」
「現場を直接見たわけでもない、と……。ならば、騒ぎ立てるわけにもいきませんね」
「シシーからそれとなく聞いてもらうにせよ、まー、なんでもないですで一蹴されるだろうなあ。とりあえず覚えてはおこう」
(もしわたくしが今話せたとしても、どうしてニルヴァのことを知ることができたのかまでは、説明できない。仮に、全部話してしまって、さらに信じていただいたとしても、わたくしはともかく、ご領主様達がニルヴァのことをそこまで気にかけてくれるものかしら。そもそも、これはあちらの家の問題。たとえばわたくしの護衛に来て下さった誰かが彼女と接触していた、ということなら、少しは話も変わってくるのかもしれないけれど……)
ニルヴァの事はとても気になるし、正直もっと気にかけて何があったのか調べてほしいところだが、現状のあれこれを考えるとこれ以上の介入は難しそうだ。
「覚えておく」とファフニルカ侯爵の口から出てきただけでも大成果、なのかもしれない。
しゅんと娘が沈み込んでいた様子を見た領主が、慰めるように声をかけてくる。
「今日はどうも、愚息は忙しいらしくてのう。しばらく戻ってこないやもしれぬ。ま、帰ってきたら真っ先に顔を見に来るだろうて」
結果としてシュナはさらにしょんぼりする。ちょうど、(でも、デュランならニルヴァと面識もあるし、頑張って伝えてみれば何か動いてくれるかも……)なんて頭に浮かべていたところだったのだ。
娘の漂わせる悲しそうな空気の中で、ようやく料理が到着する。
祈りの言葉を済ませ、食欲の低そうな小娘一人を置いて健康的に皿をつついている侯爵が、隙を見て横の夫人に話しかけている。
「というか、夜中に帰ってきて寝顔チェックしてうっかり起こしてそのままノリで既成事実という未来が、儂にはほんのり見えているのだがな、シシー」
「知りません」
「そうですか」
「ああいうところは、本当に旦那様そっくり」
「儂、ちゃんと仕事片付けてから部屋行ったもん。あと手順守ったもん。愚息より儂の方が堪え性あるもん」
「ま、確かに……あの子は時々弾けますからね。困ったことに」
「たぶん噴火癖はシシー譲り」
「何か言いました?」
「今日も世界一綺麗だねって」
「そうですか」
二人のやりとりから目を泳がせた騎士は、露骨に元気のない娘にも目を向けていられず、最終的に黙々と目の前の皿を片付けることになる。飲み会の時とやっていることが全く変わらない。
もう少し気が利いていれば場を盛り上げる努力もするのだろうが、あいにく不得手をあえて晒す性分でもない。ちゃんと伝えるべき事は伝えたし……と彼は心を無にして美食を楽しむことにした。
さて、微妙な雰囲気を漂わせつつ、一応滞りなく晩餐も終了した。
「では、おやすみなさいませ、お嬢様!」
シュナはいつも通り寝支度をコレットに手伝ってもらい、元気な挨拶に微笑んで返した後、寝室の扉を閉めた。
茶会で疲れているだろうという配慮だろうか、多少部屋に戻ってくる時間が早めである。
相変わらず身体には徒労感の重みがのしかかっていて消えない。
休息も大事なお仕事……と大人しくベッドの中に入っていった娘だったのだが、しばらく寝返りを打った後、「うー!」と声を上げて暗がりの中掛け布団をはね除けた。
(だめ。やっぱり気になって眠れない。あの子、どう見てもおかしかったもの)
身体がいくら疲れを感じていても、目が冴えてしまうのは茶会終盤ののぞき見のせいだ。
ニルヴァ=ラングリース。
シュナで出会った時だってそこそこ危険な目に遭ったが、それでもあそこまで酷い顔色ではなかった。なんだか身体の線が細くなって、目元には隈もあったような気がする。
さほど深い縁を結んだ仲というほどでもないが、ひたむきな姿には好感を覚えたし、母を亡くし、残された父親と手を取り合って生きている、という境遇に、きっと共感しているのだろう。
(……そうよ。だって……知ってしまったら、知らない他人なんて、思えないもの)
迷った時間は短い。
のぞき見は本来よくないことだが、罪悪感や遵法意識より、心配と不安の方が遙かに勝った。
そろりと脚を抜いて、ベッドの端に座り直す。
瞼を閉じて深呼吸すれば、スムーズに視界が変更された。
迷宮でも散々特訓した(というかさせられた)おかげだろうか、人ならざる力は使うほどシュナの身体に馴染んでいくようだ。
視界に映り込んだ覚えのある部屋を見回すが、人の気配はない。
(デュラン、まだ帰ってきてないのね)
娘は寝支度を整えてベッドにいるぐらいの時間なのに、領主の言った通り、今日の彼は帰りが遅いらしい。
(いたら……ちょっと強引にでも押し掛けて、伝えようかとも思ったのに)
シュナのできることはどんどん増え、しかも強化されている。この、喋れない問題にも、そろそろ解決の兆しが見えるのではという予感があった。
いったん、自分に戻ってくる。室内は暗いが、シュナが少し念じれば、物の様子はすぐにわかった。
机まで歩いて行って、引き出しを漁る。
手帳に、書く物。
すっと息を吸って、羽ペンをインクに浸し、走らせる。
最初は意味のない線だ。
そしてそれを――一気に、書き上げる。
シュナ。
以前ならば意味のない落書きに強制的にぶれた筆先が、今度は狙い通り、思った文字を描いて止まった。
震えたのは、久しぶりの慣れない感覚にか、それとも興奮か。
自分の名前の下に、恐る恐るもう一つ。
ラングリース。
はたして、シュナの身体は今やシュナの願った動きを、答えをきちんと返してよこした。
飲み込んだ息をゆっくり吐き出そうとしながら、シュナは考える。
(これなら……少なくとも、単語が書けるなら。十分すぎるほど、話せる)
じわりと滲んだ涙を、慌てて拭い、気を取り直した。
まだだ。まだ、安心するには早い。
ゆっくりと深呼吸して、もう一度目を閉じる。
(今日は泊まっていけ、とサフィーリア様は仰っていた……たぶん、あのお屋敷で眠っているはず。でも、わたくしがこうやって眠れないでいるように、彼女もそうかも……)
寝ているなら、それでいい。ひとまず自分は安心して、今日の所は未練なく就寝することができるだろう。
そうでないなら、あちらからは見えずとも、寄り添っていてあげたい。眠れるようになるまで、側にいてあげたい。
(だってわたくしだって昔、一人きりの日は、寂しかったもの。誰かにずっと、側にいてほしかったもの……)
そうか。
あの少女が、なんだかどうしようもなく一人で孤独に見えたから、なおさら自分は見逃す気になれないのかもしれない。
そんなことを感じながら意識を飛ばしたシュナは、けれど切り替わった視点が映す光景に唖然と口を開いてしまった。
ニルヴァ=ラングリースははたして、貴族の屋敷の中にいる。
どうやら倉庫から客人の部屋まで通されたようで、服もサイズの合わないメイド服から、アルバイトをしているのだ、と言っていたときに近い、町の娘達が着るようなスカート姿に変わっていた。
その彼女が、うめき声を上げながら、自分の上の身体をどかす。
注意深く少女が床に横たえたのは、格好から推測するに、メイドだ。
その口元に手を当て、それから首を探った少女は、青い顔のままほっと息を吐く。
(なんで――いったい、なにが起きて、)
なぜ。
どうやって。
何のために。
殺し――いや、気絶させた――?
疑問は次々浮かぶのに、少女は待ってくれない。
唇を噛みしめた彼女は、きっと眼差しを鋭くすると、立ち上がって軽く自分の埃を払い、部屋の片隅に置かれたか投げられたかしていた荷物を取り、倒れ伏すメイドを置いて出て行ってしまう!
(あ――待って、ニルヴァ!)
慌ててシュナの意識が後を追う。
少女は人のいない廊下を進んでいく。
人に会わず、暗い道を進んでいけるのは、偶然なのか、それとも。
わからないことが多すぎて、けれど考え込もうとすれば彼女を見失ってしまいそうで、シュナの意識は追いかけることに必死になるしかない。
最終的にサフィーリアの屋敷からも、裏庭の片隅から抜け出て、少女は夜の道を進んでいく。その足取りには迷いがない。もはや立っていられそうにないほど悪い顔色なのに、一体この小さな身体のどこにそんな力が残っているというのか。
(どこに行くの……?)
サフィーリアの邸宅は、迷宮領の西側、王国出身者達の集う区画に存在する。
華やかな町並みの中を、より暗い方に暗い方に進んでいく彼女は、最終的にほとんど町外れまでやってきてしまった。
打って変わって、立ち並ぶ建物はどれも月明かりの夜目ですら古いことがわかる。
そのうちの一つ、蔦の這う扉を押し開けて、少女は中に滑り込んだ。
「おやあ? おっかしーなあ」
扉を閉めた瞬間、謳うような声が響く。
ニルヴァを追いかけてきたシュナは、聞き覚えのある声に思わず叫びそうになった。
甘ったるい、けれど冷ややかな男の声に、少女もびくりと肩を震わせ、硬直する。
「僕はなんて言ってお前を送り出したんだっけ……なあ、ラングリースちゃん?」
人の手が全く入っていない建物は、けれど石でできていたために今まで形を保っていられたのだろう。
無造作に床に置かれた照明が、埃の積もった室内と、それだけ奇妙に真新しいらしい椅子に座ってぷらぷらと足を揺らす男の姿を映し出す。
獣の耳、獣の尻尾、腹部の露出度がやたらと高い服装――そして何より、残忍な色を宿す金色の瞳。
ザシャ=アグリパ=ワズーリ。
(どうして、この人がここに――!)
震え上がるシュナの前で、亜人に対峙する少女は自分を落ち着かせるようにゆっくりと息を吸った。




