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女は匂いを辿って都営大江戸線六本木駅前にバイクを停め、地下駅の階段を降りた。
匂いは動かない。
血の匂いや恐怖の臭いが無かったから、何かの事故という事はなさそうだ。
ただ…。
アドレナリンの匂いを感じる。
そーかい、そーかい、坊や。
戦う事に決めたんだね…。
女は自分でも無意識に、唇を舐めていた。
邪魔な二人はぶっ殺す。
そして、坊やを手に入れる。
ライダーブーツの足音を響かせながら、女は地下道を歩く。
弟が自分の背中にぴったりとしがみついていた、あの時の風がよみがえる。
弟は、本当に良い影繰りだった。
あたしが傷をつけると、弟の影、霧、が得物の体内に入り込んだ。
あとは自由に操るも、脳をぶっ壊して即死させるも、自由自在だった。
無敵の能力だ。
だが、とても繊細なコントロールを必要とした。
弟はとても頭が良く、とても勇気があり、完璧に影をコントロールしていた。
二人は組んで、沢山の仕事をした。だが…。
二人の間に、ズベタ女が入り込みやがった。
ズベタは弟の同級生だったが、何人も男を乗り換えているゲボマン女で、本当に臭かった。
それでもあたしは、弟の初恋を見守るつもりでいた。
だけど…。
ある日、家に帰ると、弟の匂いが変わっていた。
ゲボマンの臭いが移っていた。
女が、弟に手を出しやがったのだ。
それから数か月、弟は死んだ。
普段の弟には考えられないような、初歩的なミスだった。
影で操ったつもりの相手に微かな自我が残っていて、背後から弟を撃ったのだ。
弟は、あたしの腕の中で死んだ。
死に際、弟はズベタの名を呟いた。あたしではなく…。
弟の考えていたことは、すぐ分かった。
クリスマスに帰れるように、急いで仕事を終わらせるつもりでいたのだ。
馬鹿な子。
弟の部屋の机の上には、カルティエの小さな包みがあった。
あのズベタに渡すつもりでいたのだ。
それでも、あたしは弟の最後の意思を尊重したかった。
通夜にも顔を出さなかったズベタを、臭いで追いかけて街に出た。
ズベタは、チャラい馬鹿そうな男と腕を組んで歩いていた。
ブチ殺そうと本気で思ったが、それでも弟の愛した女だ。
あたしは、そのまま、クリスマスソングで溢れる街を彷徨った。
だからカルティエの箱は、弟の机の上に、まだ乗っている。
女は、真理に気が付いた。
どんな聡明な少年も、クソ女とくっつけば愚かになってしまう。
だから女は、少年が、聡明なら聡明なほど、ズベタから守ってやらなければならない。
坊やはそうはさせられない…。
女は決意を固めていた。
地下鉄のシャッターが閉まっていた。
近くのホワイトボードによると、東新宿ホームの火災により全線運休、と書いてあった。
これを知っていて、利用しようというんだね、と女は微笑んだ。
賢い子だ。
だが、あたしを止められると思っているのは、まだ戦闘バージンだからだね。
その青臭いチンカスは、あたしが取り除いてやるよ…。
女は再び、唇を舐めた。




