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背後でタイヤが鳴る音がして、女は坊やの匂いから気持ちを途切れさせた。
あのゲボチンカスだ!
臭いに気がつき、そして坊やの匂いに戻った時、少年が右方向に移動したのを知った。
女は、直進していたバイクを横倒しに倒して、急ブレーキをかける。
夜の道路に、派手に火花を散らし、女は反対車線に飛び込んだ。
女を避けようとした大型トラックが、青山一丁目の信号機にぶつかり、紅蓮の炎を噴き上げた。
燃え盛る炎を背中に背負って、漆黒の女とバイクは、外堀通りに飛び込んでいった。
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「まずいな…」
永田はスマホを見て、呟いた。
どうしたの、と質問した美鳥に天井を指さし、囁く。
「青山一丁目で事故が起こった」
「それがなにか?」
誠も聞く。
「追跡者がいると言っただろう。
スマホを傍受されたのかとも思ったが、どうも我々を直接感知し、追ってきている感じがするんだ。
青山一丁目は真上だよ」
「じゃあ、やはり音を頼りに?」
「慌てて右折する感じは、音とも言い切れないな」
「ダンサーさんではないのかしら?」
美鳥は聞いた。
「彼らで無いとは言えないが…、嬢ちゃんは判るだろ。
本部まで敵を引っ張っていく訳にはいかない。どこかでまかないと」
「本部の位置は秘密なんですか?」
誠の問いに、永田は頷く。
「元々、官庁街ではなく、浜松町に本部があるのも我々の動きを知られないためだ。
間違っても敵を連れてはいけない」
誠は、慌てて体を探った。
「まさか、発信機が付けられているんじゃあ…」
「それは無いわ。
最初に車に乗った時、センサーで調べているから」
「動物的な追跡能力か、それとも未知の感知能力か、ってところだな。
さて、どうするか?」
永田は顎に手をやり、考える人のようなポーズを決めるが、実のところ誠の発言を待っていた。
この少年、能力もそうだが、それ以上に不思議な発想力の冴えがある。
地下鉄を落ちて移動する、など、そうそう考え付くことではない。
「どうすべきなんでしょう?
何らかの方法で僕らの位置が判る以上、本部に連れて行かないためには、敵を動けなくする必要がありますね」
永田は頷いた。
「最も好ましいのは、誠君の言う通り、敵の動きを封じることだ。
二番目は、殺すこと。
なにしろ、本部の位置は秘密だからな」
「逆に大門まで行き、竹芝桟橋あたりの広い場所で行動不能にしたほうが良くないでしょうか?
むしろ、不自然に遠ざかることで、暗に本部の位置を示してしまう可能性もある、と思うんですが?」
永田は考えた。
誠の言い分にも一理ある。だが、上は喜ばないだろう。
「上層部は嫌がるだろうな。
作戦自体は頷けるんだがな」
「私たちの上司は影繰りだけど、その上にはお役人がいるのよ。
エリート官僚様が。
彼らは平べったい秀才ぞろいで、危険を犯すことを何より恐れる子猫ちゃんなのよ」
美鳥の言葉には容赦がない。
永田は苦笑した。
「まぁ、影繰りとしては、度々カチンと来るのは事実だが、彼らが世界規模の政治的視点に立っているのは事実だ。
お膝元の竹芝桟橋で荒事が起これば、世界の視線が浜松町に集まるからな。
動きづらくなるのは本当だよ」
誠は、人差し指の爪で顎を擦るようにして、考えた。
「敵はどうやら、特別な力を持っていて、黙っていても、僕らを追ってくるんですね?」
永田と美鳥が頷いた。
「では地下道に誘い込むというのはどうでしょう?
僕たちを追う以外の人は、絶対に入らない地下道があるんですが」
「人の入らない地下道?」
「そうです。
今、東新宿を復旧中の大江戸線線路内です。
ここにいれば、黙っていても彼らは自分から侵入してくる。
大江戸線は、半環状線ですから、そこから位置の特定は難しいでしょう。
場所は六本木近くの線路内が良いと思うんです」
「線路内か?
電車は止まっていても、なんやかや人の出入りはあるんじゃないかな?」
「東新宿で爆発がありましたから、あの周辺に人員を集中させると思います。
六本木なら、近そうですが、実際は6の字型を描いている線路なので、真逆になります」
「全員が影繰りなのよ。
仮に隣りを駅員が歩いていたとしても、気づかないわ」
美鳥が言った。
永田は、ふむ、と考え。
「それでいこうか。
どこで落ちればいい?」
「はい。
それならすぐに、千代田線に乗り移ります」
二人は誠の周りに集まった。
「落ちます」
言った時には、永田の視界は闇に包まれ、走行中の千代田線の扉脇に立っていた。
「…ギリギリだな…」
「この子、狙って、ここに落ちているのよ」
「驚くべき探知能力だな。
仮に地下施設があるとしたら、彼にはどんな暗証番号も、鍵もなしで中に侵入できるわけだ」
凄い可能性だと思わずにはいられない。
潜入と、脱出こそが、施設攻略時の最も難しい部分だ。
それをフリーパスで通過できる能力が存在するとは!
「入れるけど出られませんけどね」
へへへ、と誠は笑う。
「あら、あの手で、天井を抜けられたじゃないの」
「あ、そうか。
じゃあ、手の練習をしなくちゃ」
それからしばらく、千代田線の車内では、影の手が、あちらこちらに出現する事になった。




