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キャハ!
楽しそうな奇声を上げて、ハーレーダビットソンが永田のセダンとすれ違った。
「うーん、チンカス! チンカスの香り!。キャハ!」
女はフルフェイスのヘルメットの中でスンスンと匂いをかぎ分け、強引に右折をした。
ビルの間の細い一本道に轟音をまき散らして突っ込み、新宿西口の高層ビル街を三十キロオーバーの速度で突き抜け、職安通りに飛び込んだ。
「キャハ!
間違いないねぇ。チンカス坊やの匂いだよ! 怯えて、緊張した、少し湿ったチンカスの匂いさ!
やっぱ、あたしの坊やは最高だよ。
こんなに怯えながら、裏をかこうと夢中で泥沼を足搔いているのさ!」
うっとりと、猛スピードで走りながら、匂いを追っていた女だが、急にムッと眉をひそめた。
ハーレーを路地に停め、東新宿の駅に降りる。
「違うチンカスの匂いがする!
こりゃあ、ゲボな臭いだ。女とやりまくっているチンポの臭いだよ!」
女はヘルメットを取ると、首を回して、長い茶髪を整えた。
黒い革ジャンの前がはだけ、爆乳が半ば飛び出しているが、全く気にしていない。
カツカツと、ライダーブーツの音も高らかに地下駅に降りていく。
ひくり、と女の美しい鼻梁が動いた。
「…ゲボチンカスの臭いが、坊やの方に近づいている!
マズいんじゃないか、これは!」
女は、長身を生かして三段抜かしに階段を走り降りた。
改札を飛び越え、大江戸線のホームに立つ。
「坊やー!」
女が叫んだ!
ホームの中央に美鳥と誠が立っていた。そして…。
今、まさに走り去った列車から降り立ったらしいベルサーチの男と、小柄な少女が、誠たちを挟んで、反対側に立っていた。
「ダンサー!」
美鳥が叫んだ。
「おいおい、あたしの可愛い坊やに、チンカス臭い汚れた手で触ろうとするクソ蛆虫共は誰なのかな?」
誠は叫んだ。
「落ちます!」
美鳥と誠は、ホームから一瞬で消え去った。
「坊やぁー!」
女が絶叫する。
その女に、ベルサーチの男がツカツカと歩いてきた。
「君は何者だ?
僕たちの獲物に、異様な興味を示しているようだが?」
女は、スイッチが切り替わったように、瞬間、獰猛な笑みを浮かべた。
「煩い変態ズベ公だね! それに奥のチンカス小僧!
おめぇ、反吐が出るほど臭いんだよ!」
ヒッ! とレディが驚愕の表情で顔を押さえた。
「あっ、あたしがチンカス臭いっ!」
ベルサーチの男が、目を細める。
「僕のレディに、なんて事を!」
二人の女の間で、影の濃度が濃くなっていく。
「ウォラァァァ!」
革ジャンの女が、上から振り下ろすような、大ぶりのヤンキーパンチを放った。
「ふっ、馬鹿め!」
ベルサーチの男は、体を丸め、ボクシングスタイルから、素早いジャブを革ジャンの女の顎に突き刺す。
本当ならば、鍛え抜かれたジャブパンチが、革ジャンの女の顎にヒットする方が、ヤンキーパンチよりは早いはずだった。
だが、革ジャンの女の腕が、巨大な影の塊に、一瞬で、変貌した。
四本の巨大な爪が、ベルサーチのスーツを引き裂いた。
「キャー! ミオッ!」
レディが駆け寄ろうとするが…。
ベルサーチの男、ミオが、手でレディを制した。
「獣の爪か。
なかなか恐ろしいな。
だが僕の影には役不足だよ」
スーツの袖が引き裂かれていたが、ミオはボクシングのフットワークで革ジャンの女の攻撃を避け切ったようだった。
懐に飛び込んでカウンターパンチを狙ったミオが、どうして獣の爪を避け切れたのか、革ジャンの女には分らなかった。
ミオの体の周囲には、いつの間にか影が広がっていた。
光りの方向とは関係なく、ミオの前後左右に黒い花弁が開いたように、四方に影が広がる。
片腕が、漆黒の巨大な四本爪に変った革ジャンの女が、爪を駅のホームの床に擦り付け、ガリガリと嫌な音を立てながら、用心深くミオに近づいていく。
革ジャンの女が、前方のミオの影に触れようとした瞬間、ミオの影から、何かが飛び出した。
革ジャンの女は、敏捷に背後に飛び退いた。
女の足も、黒く獣化していた。
「キャハ! やるじゃねーか!」
革ジャンの女の顔が、喜びに輝いた。
「ここまでされちゃあ、遊ばないわけにはいかねぇよな…」
茶髪が風に巻き上げられたかのように、浮き上がってくる。
長い髪が、鬣のように女の顔の周囲に広がった。
同時に両肩が、盛り上がり、革ジャンの上から影が、獣毛のように広がっていく。
革ジャンの女は、黒い巨大な獣に変化していた。
黒い獣は、ごうっ、と唸り、ミオに飛び掛かるが、ミオは滑るように影の中を移動した。
するり、と獣の爪を避け、ボクシングスタイルで獣に飛び込んでいく。
ミオの四枚の花弁のような影が、ゆっくりを回り始めた。
獣の叫びと、ミオのフットワークの音だけが、無人の地下駅のホームに響いていた。
「止めろー!」
奥にいたレディの手から、何かが飛んでいた。
黒い影で出来ているが、前にレディがダウンジングしていた、細い金の鎖に付いたラピスラズリの振り子とそっくりな形をしていた。
レディの影が、巨大な獣と、ミオの回転する花弁の間のコンクリートに突き刺さると、突然、爆発音とともに炎が燃え上がった。
影ではない、本物の紅蓮の炎だ。
駅のホームのコンクリートが弾け飛び、再び、凄まじい爆発が巻き起こった。
ミオの手をレディは掴み、走っていた。
「馬鹿か! あたしたちの目的は、あんなアバズレと戦う事じゃないでしょ! 忘れたの?
あたしたちはスイートを予約してあるんだから!」
「おお、そうだった。
男ってものは、つい熱く燃え上がってしまうものさ。
血の気が多くて困るよ」
ミオは苦笑し。
「しかし、あのアバズレは僕たちと同じ得物を追っているようだが、放置しておいていいのかな?」
「報連相よ、ミオ。
電話一本で済むこと。
そんな、服を破ってまで戦う事じゃない。
だって受けた指令は、あくまで手助けなんだから。
戦うのは、あの二人で構わないんだ」
喋りながらも、彼らは全力疾走で駅の階段を上がっていた。
背後のホームでは、大量の可燃物が燃え上がったような火災が続いていた。




