95. 心覗き
日の光を遮り、昼間の空に浮かぶ赤い月の結界が、容赦なく王都の全てを飲み込んでいく。豊は全力で北に位置する城壁監視塔へと駆けた。
彼を待ち受けていたのは、塔の上に顕在する結界の術印と、送り込まれたであろう刺客であった。刺客は豊の前に立ちはだかり、深く、お辞儀をした。丁寧な装いとは裏腹に、消し切れない殺意を醸し出している。
純白の外装に純白の外套を纏う相手は、一際異様な雰囲気を漂わせた。
「神判の時。偉大なる日の光は赤き月の前に陰り、我が純白の前に紅の救世主は倒れ、世界は再び、あるべき姿へと還る」
豊は、キレていた。その証拠に、振り下ろされた一撃は見えず、瞬きよりも早く距離を詰め。対峙する者の顔面に渾身の一撃を喰らわせた。
「随分と詩的だな。昨日寝ないで考えたのか?」
豊は事の発端らしき人物に対し、おおよそ、人間の反応速度では回避出来ないであろう拳を叩き込む。謎の人物は五メートル程、煉瓦上を転げ回る事となる。
「我が身体を傷付けたことは褒めてやろう。紅の救世主……しかしだ、この結界内でこれ以上のぉっ……ッ!」
豊は転げ回る相手を掴み上げ、再び拳を振るう。そこにはいつもの慈愛に満ちた表情は無い。滅茶苦茶にキレている。
「やかましい! どんな理由があろうとも、不特定多数の人々を巻き込んで、こんな危険な結界を、王都中に張り巡らせる様な、頭のおかしい奴には鉄拳制裁じゃい!」
キャラのブレを感じさせる一発。豊の容赦無い打撃が、白い刺客に繰り出されると
刺客が何かを口に出そうとした為、一通り殴った後、胸倉を掴んだ状態で弁明を許した。
「言い訳があるなら聞いてやる。《《俺》》はな、怒ってるんだよ」
「ふっ……野蛮な……コレで救世主とは聞いて呆れる……。野獣の如き剥き出しの闘志……まさしく邪教のあらわれよ」
白い刺客は語り出した。
「我が名は白き支配者……。穢れなき外装のネレイヴ……。貴様ら邪教の輩に神の鉄槌を下すべく顕現した。我こそが、神の使い」
自らを支配者と語るネレイヴ、邪教という言葉から察するに、アリア教関係者である事が伺える。
「救世主……! その手を離してもらおう……!」
胸倉を掴む豊の手を上から握り、力を込めるネレイヴ。徐々に力は加えられ、豊の手から骨の軋む音が微かに漏れる。
「支配者、と言うだけの事はある。と言うことか……」
掴む腕を振り払い、互いの鋭い蹴りから、戦いの火蓋は切られた。
結界の影響で現在、豊の魔術は制限されている。彼の魔術は、その殆どが少ないコストによるものであり、【第一の術】を経由した放出系。汗、油、炎は体現と同時に霧散してしまう。
溜める動作が必要な第五の術、【怒りの鉄槌】も結界の所為で、溜める時間がいつも以上に掛かる。
故に、豊が使えるのは必然的に、体内で発現する時魔術に限られてしまうが、その時魔術ですら、いつもの様な長い発動は出来ないだろう。
「邪教徒よ、お前はもう死んでいるも同然だ。この結界内部において、私は自由に動けるが、お前は魔力、または生命エネルギー、そのものを失うのだからな」
「魔術が使えずとも戦い方はあるっ‼」
豊がネレイヴに向かって駆け出し、剣撃をお見舞いする。一方ネレイヴは、魔術で己の能力値を十分に、底上げしていく。
如何に豊が並外れた猛者であろうとも、このハンデを背負ったままで戦うのは余りにも不利である。何度も激しい攻防が繰り広げられる。豊は攻めねば倒せないが、ネレイヴは徹底的に守りに入り、豊が消耗するのを待つだけで良い。
この差を埋める為の決定的な要素が見つからない。次第に、豊の動きはキレを失い始める。
「動きが鈍って来たようだぞ救世主。どうした? 私を倒して結界を消したいんだろう? ギルダムの人々を救いたいだろう? 早くしないとなぁ!」
ネレイヴは豊から繰り出される攻撃の隙間を縫い、刺突攻撃を放った。それは、最短で豊の喉元へと届きうる速度であった。しかし、それを防いだのは豊の外套。布とは思えぬ手応えに、ネレイヴは一瞬顔を顰める。
「外套の下に盾でも仕込んであったようだな。攻めの型からしてスタード流。盾が無くては始まらぬか……」
「ほんの少し、剣を交わしただけで見破ってきたか。大した技量だ」
外套の下から煌びやかな小盾が現れる。覇王竜から受けた恩恵サイグリアである。自身の攻撃を防いだものの正体を目の当たりにし、ネレイヴは刮目した。
「バカな……!【幻惑結界】……! 人の世界になんてものを持ち込んだんだ……! 例え使いこなせずとも、その存在は不可侵! 冒涜だ! 許される事ではない!」
「神の使いというのは大変だな。どうやら自分の姿だけ見えないらしい」
「【幻惑結界】はこの世にあってはならないものだ! 【天鎧魔装】がこの世界に何を及ぼしたのか、貴様は知らないのか⁉」
「許されない事をしてんのはお前の方なんだよ」
豊は、盾を持つことで完成した【真のスタード流剣術】で、ネレイヴへと攻撃を仕掛ける。先程までの戦いとは全ての流れが異なる。盾で相手の視界を塞ぎ、攻撃の選択肢を大幅に増やしたことで、相手は警戒心を上げざるを得なくなる。死角から飛んでくる剣撃は接近すればする程不利になる。
だが、如何に鋭い攻撃であろうとも、ネレイヴの装着した白い外装と外套が、攻撃の殆どを遮る。外装に当たれば弾かれ、外套に当たれば受け流される。どうにも攻めきれない。こうしている間にも、時間は刻々と経過している。
「部下から話は聞いている。お前は禁術と呼ばれる時魔術を使うそうだな……。この状況を覆し、私を倒すには時魔術しかあるまい……。見せてみるが良い……」
「余裕……というワケですか……。そんなに見たけりゃ見せてやるさ……第二の術! 第弐派生!」
【ヘイストギア】
「一速ッッ!」
滑り出しの一速による一撃は、僅かにネレイヴの頬をかすめる。その鋭い攻撃に眉ひとつ動かさず、攻撃を躱し、豊に対し反撃を放つ。繰り出された一閃を剣で弾き上げ、軌道を変える事で回避し、続けて二速へシフトしていく
「二速ッッ!!」
踏み込みからの刺突、的確な体重移動による斬り込み、反動から、運動エネルギーを十分に乗せた回転斬り。これらの攻撃は回避、受け流し、軸ずらし、剣による弾きと、目まぐるしく戦況は変化してゆく。ネレイヴの一番厄介な要因、それは外装である。一体どの様な素材で作られたのか一切解らない、純白の外装。
首鎧と肩鎧が一体となった様な、特殊な防具により、致命打は防がれている。特殊な合金で幾層にも重ねられ、そこから伸びる白い外套が身体を隠し、足運びが本体を幻惑する。
スタード流剣術に体術を組み合わせた、豊の特殊なアーツに対して、ネレイヴの対応は常に正確無比。豊が攻撃法を考えて行動すると、ほぼ同時に回避、防御の体勢が完了していた。
この一連の対応力に、一つの仮説が生まれ、豊の頭の中にいくつか候補があがる。
「満更馬鹿でもなさそうだな」
ネレイヴの言葉で、豊の仮説が信憑性を増した。腕をとられ煉瓦へと叩きつけられた事により、ヘイストギアは速度を失った。
「心を覗くのが趣味とか……大した支配者も居たもんだ」
「面白いだろう。自身の考えが読まれるというのは」
【心覗き】
純白の支配者、ネレイヴの持つ特殊技能。
相手の考えを声として脳内再生させることが出来る。
レベル差に関係なく発動する。他者を掌握するには、
心に入り込むのが一番的確で手っ取り早い。
心を読まれている。豊には、それの正体が技能によるものか、魔術によるものかの判別は付かないが、数々のバトル作品を読んできた豊に、とってこの手の対策法は幾らでもある。
まず第一候補。
「右ストレートでぶっ飛ばす!」
思考に偽りなく行動し、例え次の動作が読めても、
回避出来ない程の速度で攻撃を放てば良い。
「【純白外装】発動」
「【クイックアップ】」
全ての時間が停止に近い状態まで遅延していく、いくら行動が読めると言っても、相手の反応速度を超えれば良いのだ。
しかし、この方法は相手との実力差にかなりの開きがないと実行出来ない。
その上、ネレイヴの心覗きは発動が早く、この方法を実行する為のクイックアップ使用よりも前に、超防御体勢を整えていた。
【純白外装】
魔法に最も近い魔術であり、白い外装の真名。
攻撃と認識した行動に対し、完全防御が発動する。
一度の発動で約十秒間、無敵に近い状態となる。
急所は全て守られ、決定的な攻撃を当てる事叶わず、豊が最後の悪足掻きを仕込むと、時は再び動き出す。遅れてやってくる無数の衝撃。有効打にはなり得なかったが、ネレイヴは時魔術の威力を己が身に受ける事で、豊への評価を改める事となった。
「成る程、大した魔術だ。私以外の雑魚を倒すには十分過ぎるだろうな」
「これだけのハンデをつけた戦いを強いておきながら、勝手な事を……」
「戦いの前に十分な処置を施すのは定石であろう。些か私の外装に小細工を仕込んだ様だが……無駄だ……。私の外装にはあらゆる物理や毒、魔術に対しての耐性が施されている。故に誰にも崩す事は出来ん‼」
ネレイヴが歩みを進めると、外装内で何かが弾ける音がした。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?? 何事だぁぁぁぁぁ!! 熱い! 身体が焼ける! ぁぁぁぁぁ! なんだこの痛みはぁぁぁぁぁ!!」
謎の痛みに襲われ悶え苦しむネレイヴ。床に転がり続ければ続ける程、外装内部で破裂音が起こる。
「貴様ぁぁぁぁぁ! 私の外装に何を仕込んだのだぁぁぁぁぁ!!」
「お得意の覗きでもしてみなよ」
「馬鹿な⁉ 調味料だと⁉ 毒ではないのか⁉ ぁああ! ぁぁぁ!!」
豊がネレイヴの外装に仕込んだのは第三の術【過剰なる糧】の、
サブメニューから取り出した。
【デス・リーパー】と呼ばれる唐辛子から作ったソース、通称【悪魔のソース】
辛さの単位であるスコヴィル値(SHU)
一般的に有名なハバネロが約10〜35万SHU
一部界隈が発狂するジョロキアが約100万SHU
上位者のみが使用するキャロライナが約220万SHU
という辛さだが、このデス・リーパーは更にその上
約300万SHUという驚異的な辛さを誇る。
その名は死の鎌、死神の鎌などと呼ばれ、食べた人間が死ぬとまで言われている恐ろしい唐辛子である。それから作られた悪魔のソースは、1000万SHU、触れば火傷を引き起こし、食べれば胃腸に穴を開ける。
豊が現代にいた時、身内ネタで一雫舐め、三日寝込んだという即堕ちの経験からサブメニューに追加されていた。
それは一つ一つの扱いが厳重なもので、瓶ではなく分厚い袋などで販売されている。この世界では調味料と認識されている所為で、攻撃に該当せず、外装の護りは発動しなかったのだ。
「プレゼント。気に入ってもらえたかな」
何故、ネレイヴはこの事を【心覗き】で読めなかったのか、それは至って簡単な理由で、【クイックアップを使ってから思い付いた】作戦だっただけの話である。
時が限りなく停止に近い状態で行われた思考、行動では、如何に相手の心を覗こうとも、対応は不可能。ただそれだけの話である。
「うぉのれぇぇぇい!! 卑怯者めがぁぁぁぁぁ!!」
「人に強制デバフを押し付けて来た奴のセリフとはとても思えんな……」
その声が悲鳴なのか、罵倒なのかも理解出来ないが、今のネレイヴは痛みにより、のたうちまわることしか出来ない。それどころか、藻掻けば藻掻く程、被害は大きくなる一方である。
豊がネレイヴの外装に仕込んだ悪魔のソースは三十袋。一袋十グラムとして、三百グラムの唐辛子ソースを、身体中に塗りたくられれば普通は死ぬ。一通り悲鳴をあげて転げ回ったネレイヴは、痙攣した後、泡を吹いて気を失った。
なんとも締まりの無い戦いとなったが、豊は塔の天辺に登ると術印を破壊し、結界が弱まるのを確認した。
その後、情報を引き出そうとネレイヴの倒れた場所へ降りたが、
彼は何者かに担がれて城壁を脱出していた。
確認出来たのはその後ろ姿だけであった。




