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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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エピローグ

 呑まれた意識が元に戻ったのは、一体いつのことだっただろうか。

 極光の渦に呑み込まれてから、恐らくそう長い時間は経ってはいまい。体内時計、というやつだろうか。厳密には違う気がするけれど、でもそういう、自分に流れる時間を計る部分が、そう告げてくるような気がしていた。


「……ここは……」


 シュウが瞼を開けると、そこは見渡す限りの白亜の空間。ズルワーンと邂逅した『時空の玉座』……それとよく似ている気がする。温かさと冷たさの同居した、あの不可思議な空気を感じたからだ。

 ところがあちらとは違って、彼方に見える黒い地平線の姿はない。結局のところ、別の場所と判断した方がよさそうだ。


「……っ! マイ! エリナ! アリア!」


 声を張り上げ、少女たちの名を呼んでみる。彼女たちもこの場所に来ているのだろうか。だとしたら、一刻も早く合流しなければ。時間と空間の歪んだこの場所に長期間いることは、多分あまりいいことではない……直感的に、そう思ったから。


 ところが、シュウの耳にはマイヤの自分を呼ぶ声も、アリアの歌も、エリナの良く響く声さえも聞こえてこなかった。それどころか張り上げたはずの自分の声さえも、玉座とよく似たこの空間に飲み込まれ、反響せずに消えてしまう。


「どこだ……皆、どこだ……ッ!!」


 気が付けば、走り出していた。どこかあてがあるわけではない。しかし全力で『探す』という行為をとらなければ、シュウ自身の気が済まなかった。

 思えば、シュウ自身の魔族の部分……本能的な欲求で肉体を動かす精神が、この場所では強く作用していたのだろう。


 まるで、その邂逅に呼応し、共鳴するかのように。


「ここに引きずり込まれてきたのはお前だけだよ。彼女たちはあくまで、お前の影響を受けて神殻種(アルコーン)化していただけだからな。玉座の性質に引き寄せられたりはしない」

「誰だ……ッ!?」


 弾かれた様に、声のした方に振り向く。

 

 そこには、一人の男性が立っていた。年のころは二十代頭くらいか。もう少し若いかもしれない。青年、と形容していいだろう。彼はいたって自然体で、静かに、シュウを見つめていた。

 こんな場所に自分とも、探している少女たちとも、ましてやズルワーンとも違う人物がいる……そのことは非常な驚きだった。


 しかし。

 青年はそれ以上の、驚愕と表すべき衝撃を、シュウに対して与えてきた。

 彼の姿は。黒色の、育成学園の制服とも似た法衣に身を包んだ彼の容姿は。


「……俺?」


 シュウと、恐ろしいほどよく似ていたのだ。

 

「ナラシンハにも似たようなことを言われた覚えがあるよ。そんなに似てるか? 俺たち」


 男性は、困ったように苦笑する。嫌がっている素振りとは違う。どちらかといえば、『意外だ』と思っているように見える。

 確かに……言われてみれば、彼とシュウの見た目はところどころが異なっていた。

 金色の髪も、ちょっと気の抜けた温和な顔立ちも、高くも低くもない身長も、どれもこれもがシュウとそっくりだが、本質的な部分と言うか……『ベースの出で立ち』のようなものが全く違うような気がする。別々の人間が、単純に似たような姿に成長しただけ、というか。


 第一、目の色が違う。

 シュウの瞳は母から継いだ、空を思わす真っ青な瞳だ。

 だが青年の瞳は、むしろアリアや『エリナ』と同じ、紅玉めいた深い赤色。


 しばし、見つめ合う。紅の瞳に、困惑に立ち尽くすシュウの姿が写り込む。

 それを機に、男性はふっ、と優し気な笑みを浮かべた。


「確かに似てるかもな。もし、気のせいじゃないなら……うん。何かを遺せたみたいで、俺は嬉しい」


 その口調、その口癖、そしてその外見。シュウと極めてよく似ていながら、少しだけ軽妙で、明るい雰囲気を帯びた、彼自身の個性。

 理解した。目の前の人物が誰なのか、直感的に。


 ああ、ああ――まさかこんなところで、出会えるとは思わなかった。

 だって何の手がかりも無かったのだ。もしかしたらどこかで――そう期待してはいたが、それが今になるとは、想像すらもしていなかった。


 別々の人間が、似たような姿に成長した……そう思うのも当然だ。

 ほかならないシュウが、男性の持つ身体的特徴を、受け継いで大きくなったのだから。


「……父さん」

「そういうことになる、みたいだな」


 そう応えながら、青年……ヴィクトール・グノーシスは、息子とよく似た顔をほころばせた。

 自然と、シュウの方も、頬を緩ませてしまう。


「会えて嬉しい」

「俺もだ。本来ならば知ることができなかったはずの我が子の成長、それを見届けられることが、こんなに喜ばしいとはな」


 ヴィクトールはくすくすと、本当に嬉しそうに笑う。


「ラジアが大喜びするわけだ。俺も昔はトゥランのくせに無感動だのなんだのと言われたけど……それでも、随分興奮する」

「そういうもの、なのか?」

「らしい。俺も今知った。そのうち分かるよ、お前にも」


 先の台詞から察するに、もしかしたらマイヤたちのことも知っているのかもしれない。どうして、どうやって、とは問えなかった。多分聞いても、それは自分たちにとっては理解しがたい、外側の法則によるものだろうと直感したからだ。

 

 代わりに、別の質問を投げかけることにする。というより、これが今聞くべき、一番大切なことな気もする。


「ここはどういう場所なんだ? どうして父さんが?」


 再会の喜びに浸り過ぎて受け流してしまったが、冷静に考えればいろいろとおかしい。

 シュウの両親はどちらも、スプンタマンユの前回の計画の際に命を落としたはずだ。滅ぼされてしまった先代のズルワーンに代わって時空神の座に就いた母ラジアは、今も神として生き永らえているが……ヴィクトールがどういう状況にあるのか、シュウには全く知識も無ければ、予想することも難しかった。


 息子からの訝し気な視線を受けて、ヴィクトールは神妙な顔つきになる。たまにシュウもやる表情だ。今更になって強い実感がわいて来る。この人は、自分の父親なのだ、と。


「ここは『橋』だ。お前たちの世界(アーシェローカ)俺たちの世界(デーヴァローカ)、そして現実と外側とを繋ぐ、審判の橋(パル・チンワト)。お前たちの活躍で、世界が創り直されたからな……この橋も、境界世界に現出してきた。俺は防人としてこの橋を守護する役目を、ズルワーン……ラジアじゃなくて、先代の時空神から授かっていた」


 死んだはずの俺がこうして会話できているのは、そういうことだよ。

 ヴィクトールは微笑みながら、そんな途方もないことを言う。


 彼は境界線の見えない世界の端を指差して、静かに続けた。

 

「橋を引き揚げることが、再創造の最終局面になる。『救世主』として選ばれた人物、その身体識別……まぁ、この場合は流れている血だな。それと合致する人物が橋を渡ったとき、世界はあるべき姿、導かれた明日へ至る。救世主の成すべきこと(ヨーガ)、その最後の一つ」

「……そうか」


 驚くほど静かな声が、シュウの喉から零れ出た。自分でも理解できないくらいに、ヴィクトールの語った『成すべきこと』……それが、自分が選ぶべき未来なのだと、なんとなくわかってしまったのだ。

 受け入れがたい内容ではあった。シュウは約束したのだ。マイヤとこの先の人生を、ずっと一緒に歩いて行くと。実際シュウの思考はガンガンと、己の決定に異議を唱える。駄目だ、俺は帰らなくては、マイにただいまを言わなくては――。


「……じゃぁ、渡らないとな」


 でも自分の口が勝手に動いて、そんな決意を述べてしまう。

 足もまた、意識していないのに踏み出していた。この白い世界を、彼方まで――ずっと、歩いて行かなくてはならないのだと。そんな義務感に、シュウの身体は突き動かされていた。


「馬鹿を言うな。橋を渡るのは、俺一人で十分だよ」

「え……」


 けれどその全部は。他ならない、それを告げた父自身から、否定された。

 びっくりして彼の方を向けば、ヴィクトールは深紅の瞳で、静かに、そして優し気に、息子の顔を見つめていた。

 話の流れが読めない。一体全体、彼は何を言おうというのか。


「どうしてそうなるんだ。必要なのは『救世主』じゃないのか?」

「『救世主』だよ。他の人物じゃ駄目だ。だが――」


 ヴィクトールは、静かにかぶりを振った。


「俺とお前なら、話は別だ。お前の中には俺の血が流れている。それはつまり、逆説的に……」

「……父さんにも、『救世主』の血が流れている。父さん自身を『救世主』と誤認させることが可能になる……!?」


 盲点。 

 世界のルールの穴を突いた、荒唐無稽な計画。


 この瞬間、シュウはヴィクトールという魔族が、一体どういう人物であったのかを理解した。

 シュウが得意とする呪術は、この世の理の力を借りる術。世界のルールに則って、現象を書き換えていく力と思考傾向だ。

 しかしヴィクトールは違う。彼はルールをよく理解しながらも、その全く真逆の思考スタイル。


「約束したんだろう、ずっと一緒だ、って」

「……っ!」


 やっぱり、見ていたのか。

 急に首筋が熱くなってくる。ラジアに少女たちを引き合わせたときも思ったけれど、恋人との会話を親に見られるのは、想定外に恥ずかしい。


「……ああ」

「三人の内、誰が本命なんだ?」

「マイ……海みたいな色をした髪の子だ。彼女がいなかったら、俺はきっと、ここまでこれていない……色々、感謝したいことがある。返していきたい、想いがある。ここでは語りつくせないくらい、沢山……だから彼女が、一番だ」

「そっか」

「……でも正直、みんな同じくらい好きかもしれない。大切に想う気持ちは、三人ともに持ってるから」

「罪作りだな、お前」


 笑うヴィクトールは、本当に嬉しそうで。

 ふと、父親というのは息子の恋の話を聞きたがるものだ、と、昔師匠に言われたことを思い出す。もしかしたらヴィクトールも、そういう会話を、シュウとしてみたかったのかもしれない。


 その問いは、彼が心底愉快そうに伸びをしながら口にした言葉で、肯定された。


「ああ、すっきりした。父親としてやりたかったこと、大体果たした気がするよ」

「本当に?」

「本当だ。だから――」


 それで、父は。

 その、シュウのそれより一回り大きくて、ちょっとだけごつごつした手で、我が子の頭をくしゃりと撫でた。


「お前は、もっとしてやれ。俺よりもずっとずっと、家族を大切にしてくれ」


 ああ、それは――。

 彼ができなかったこと。してやりたくても、することが叶わなかったこと。

 つながらなかった、彼の未来。


「……分かった。()()()()

「うん。その言葉が聞けてよかった。やっぱりお前は、俺たちの子供だよ」


 だから、受け継ぐ。

 二人の未来の延長線上にいるシュウ・フェリドゥーンが、ヴィクトール・グノーシスとラジア・フェリドゥーンの明日を継ぐ。

 きっとそれが、自分が二人にできる、ちょっと遅めの親孝行なのだと確信できた。


「じゃぁな、シュウ。どうか――幸せな人生みらいを」

「ありがとう、父さん。母さんにもよろしく頼む」

「ああ」


 その返事が、別れの合図。

 直後、シュウの意識は、来た時と同じモノクロの極光に呑まれて、落ちた。



 ***



 うすぼんやりと目が覚める。白と黒の光の代わりに、柔らかい太陽の光が見えた。

 シュウの身体はうつぶせになっていた。下から微かに吹き付ける、風の冷たさが心地よい。


 これは――ゆるやかだが、落下している、のだろうか?

 大気中の法力濃度が極端に乱れたせいで、重力や浮力におかしな影響が出ていた。もしかしたらそれの影響がまだ続いていて、そして今まさに、元の状況へと回帰しているところなのかもしれない。


「……んぱい、先輩!!」

「お兄様!」

「しゅう!」

「はっ――」


 肩を揺らす、小さく柔らかい手の感触。自分を呼び続ける少女たちの声に、シュウは今度こそ完全に目を覚ました。見渡せば、心配そうにこちらを見る、三人の顔があった。何故だろう、ものすごい安堵感が、次から次へと溢れてくる。

 橋での父との邂逅が、もしかしたらこれまで以上に、彼女たちへの愛情を自覚させたからかもしれない。


 溢れる感情がそのまま奔流となって突き出てきた。


「マイ、エリナ、アリア……」

「よかった、めがさめた!」

「もう、合体が解かれてもお兄様だけ意識が戻らないんですもの! どうなってしまったのかと……」


 碧色の瞳に雫をためて、えぐえぐと泣き始めてしまうエリナ。豊か極まる感情表現が、彼女の不安を物語っているようだった。これは悪いことをした……罪悪感がふつふつと湧き上がってくる。

 そしてその気持ちは、続くマイヤからの叱責のせいで頂点に達してしまった。


「先輩の、ばか……っ!」


 これまでに見たこともない、いろんな感情がないまぜになった表情を、彼女は取っていた。

 怒り、悲しみ、喜び、愛情と信頼とそれから一抹の不安――マイヤがシュウに向ける甘い想いの全部をつぎ込んだような、そんな憤怒。


「心配、したんですよ? まるで昔みたいに不安にさせて……先輩、実は全く成長していなかったりとかそういうことはありませんよね?」

「……ごめん」


 それこそ、一年前まで毎日のように掛けられていた、シュウを律する言葉の数々。彼女の事をよく理解できずに、すれ違ってばかりいた日々を思い出す。今の関係性を考慮するとちょっと辛い回想になってしまった。好きな女の子から冷たく突き放される日々を思い出すのは結構キツい……ここに来てシュウは、なにか新しいこの世の真理を、一つ学んだような気がする。


 ずーん、と沈んでいると、でも、と、優しい声が、耳を撫でた。

 顔を上げてマイヤを見れば、彼女は打って変わって、いつもの陽だまりみたいな笑顔を、見せてくれていた。


「……帰って来てくれたので、帳消しにします」


 淡く頬を染めながら告げられたその言葉に、どくん、と心臓が強く躍動する。どきどき、どきどき……鼓動はどんどん早くなる。彼女の笑顔を見る度に、いつまでもこんな風に胸がざわめき続けるんだろうなぁ、と思うと、なんだか嬉しくなってきた。


「お帰りなさい、先輩」

「……ただいま、マイ」


 腕を伸ばす。開いた指の隙間に、マイヤの指が絡んできた。二人で、ぎゅっと手を繋ぐ。「あーっ!」とアリアが羨まし気に叫んだ。エリナに至っては「ずるいですわ!!」と直球。マイヤと笑いながら、四人で大きな輪をつくる。


 雲の隙間を抜ける。

 地上が見えてきた。


 ふと、何かに吊られるように、シュウの視線は彼方へと移る。


 そこには、思わず息を呑むような、そんな景色が広がっていた。


 どこまでも続く紺碧の空と、そこに浮かぶ、流れるように細く、白い雲。

 陽光を受けて煌く大海原は、まるで波打つ宝石のよう。ミルクの色はしていないけど、代わりに、愛する少女の髪の色と、そっくり同じ光の色。


 その先。うっすらとぼやける水平線に、今まで見たこともない景色があった。連なる山々、見慣れない建築物の姿さえも見受けることができる。

 別の大陸だろうか、と最初は思った。けれどすぐに、それは違う、と自らの考えを否定する。距離があまりにも違いすぎる。中央大陸から最も近い西方大陸島嶼部ですら、ここまではっきりとは視認できない。


 疑問符を浮かべるシュウの耳に、驚きに満ちたアリアの声が届いてくる。


「ぱーたりぷとら……」

「ぱー……なんだって?」

「わたしたちのせかいの、『しゅと』」

「……ッ!!」


 では。

 ではあれは、『異境』の大地だというのか。

 オフルミズドの力によって空へと顕現した、もう一つの黒い大地。それがこの世界と混じり合って、ああして新たな大陸として顕現している、と。


「ああ、そうか……そういう、ことだったのか……」


 再創造、とヴィクトールは言っていた。その意味を、今更になって理解する。

 自分たちの祈りを受けて、ズルワーンは二つの世界、その境界を新たな形へと『接合し直した』のだ。


 善と悪、アーシェローカとデーヴァローカ。二つの世界が、物理的な意味で一つになった。四百年前の善悪大戦、それよりも前の時代と同じ、両存在が一緒に暮らす星。それが新たに、誕生したのだ。


 次の時代が、やってきた。


 はじめまして(ホシュバフタム)新しい(ジャディーデ)世界(ジャハーン)――

 そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。


「凄い……」


 気づけば、意味もなく感嘆の言葉だけが、喉の奥から零れ落ちていた。


「先輩が、繋いでくれた明日です」


 そっ、と、羽毛でくるむように。マイヤはそう告げてきた。


「俺だけじゃないよ。皆で紡いだ――」

「でも、そんな風に私たちを集わせてくれたのは、先輩です。私たちを救って、いろんな絆を重ねて、未来へ続く道を作ってくれたのは、先輩なんです」


 大切に。なによりも、大切に。マイヤはその事実を、言葉に紡ぐ。

 シュウが彼女たちから自分を作ってもらったと思うように。彼女たちもまた、シュウから今の自分を作ってもらったのだと、教えてくれた。


 それが、信じられないくらい、嬉しくて。

 ぐるぐると胸中を渦巻く、ごちゃまぜになった想いの丈を、どうしてもうまく言語化できなくて。

 

「……そっか」


 一言、そう返すのが精いっぱいだった。


 眼下に、大きく手を振るイスラーフィールの姿が見えた。アルケイデスも無事だ。シロナもいる。

 どうやら、自分たちが帰ってくるのを待っていてくれているらしい。


「帰ろうか。(あした)が待ってる」

「はい、私の先輩」

「よろこんで!」

「ごーほ~む!」


 笑い声が響く。

 つないだ手に力を込めれば、しっかりと、確かな柔らかさと温かさが、それを握り返してくれた。


 見上げた空はどこまでも澄んでいて――


 新たに続く未来を、祝福しているようだった。


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