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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第十九話『やがて天則の救世主』

 はく離した大地の欠片が、重力を無視して大空を舞う。表層を被っていた草木や苔、息づいていた虫や微生物などの小さな命は成すすべもなく引き裂かれ、悲鳴さえも上げることなく消滅、そのまま光の粒へと変貌し、今や中央大陸全域を被わんとする瘴気の渦、それを構成する法力として食われていく。

 偶然にも乱気流の内へと入り込んでしまった哀れな鳥が、抗いがたい圧力に負け、地上に向かって異様な勢いで墜落した。それも一羽だけではない。ときには群れが丸ごと犠牲になることさえあった。運よく掟破りの重圧から逃れられたとしても、今度は天より降り立つ破滅の竜と、立ち上がる抹消の巨人、その激突に巻き込まれて命を落とす――


 地獄絵図だった。

 どんな行動でも即座に死へと繋がる、そんな空間がそこにあった。既に育成学園の防衛に当たっていた生徒たちは引き上げ、校舎の内へと避難した。戦場では魔竜と巨人が互いに潰し合い、光と闇をまき散らしてはまた蘇り、終わりの見えない乱闘を繰り広げている。

 街には人っ子一人いない。誰も外に出ることはなく、扉を強固に閉め切って、明日が来るのを祈っている。けれど彼らも理解している。きっと、朝日は昇らない。既に数時間が経過したこの激震は、そのまま世界を終わらせる。


 善性存在の王、『完善』オフルミズド。

 悪性存在の王、『絶対悪』アンリマユ。

 

 聖霊たちの長たる魔人と、異境の民が祭り上げた最終兵器が相食み互いを削り合う。戦いの終結はどちらか片方の生命の全損、それ以外にはあり得ないと断ずるがごとく、牙をむき、拳を振るい、全霊の法術、あるいは憤怒の魔術を駆使して暴れまわる。


『ぐっ……』


 瓦礫をシェルターとして両神の激突を見守るイスラーフィールたちは、目の前に墜落してくる液状の巨体を見た。土砂をまき散らしながら膝を屈するその姿は、激戦の末に無数の傷を負っていた。十二枚の翼はところどころが千切れかけ、体の端々からは法力の欠片が零れ落ちている。

 余裕たっぷりな笑みが浮かべられていた能面には最早表情はない。視線は冷徹極まる光を宿し、仇敵の姿のみを映していた。

 

『まさかこれほどとはね……まぁ、善と悪が相克するのは自明の理。完善たる僕の性能を思えば、絶対悪がここまで成長するのも頷ける、か。だが――』


 その、件の敵対者。

 黒曜の角を三つそなえた、星屑を思わす鱗の龍もまた、満身創痍であった。体中から流れ落ちた血が大地を穢す。じゅうじゅうと音を立てて表皮から上がる煙は、体を構築する魔力が大気中の法力に蝕まれている結果だろうか。苦し気に吐き出される吐息と咆哮が、その限界が近い事を雄弁に語る。


 されど。両神、共に健在。その闘気はいつまでも戦闘続行の意志を溢れさせているように思えた。例え己の身体が砕けようとも、彼らは負けを認めはしないだろう。

 地に落ち、それでもなお食らい合う二柱の姿は、この戦いの結末に、『相打ち』の文字を躍らせる。相克する互いの力は伯仲し、空間を激震させながら、次なる崩壊を引き起こす。


 その最中、オフルミズドが急激に、ニィ、と不気味な笑みを見せた。

 ほぼ同時に、アンラマンユの巨体がぐらりと揺らぐ。全身を維持できない――オフルミズドよりも早く、その体にダメージが蓄積しているのだ。


『秩序ある二重螺旋の時代もここで終わりだ! こちらの世界で僕に勝負を挑んだのが運の尽きだったね』


 勝ち誇る様に両手を広げ、聖霊王は高々と勝利を宣言した。

 両者の実力がほぼ同値なのであれば、その拮抗を覆すのは、『実力』以外のところと相場が決まっている。双神が切り結ぶこの世界は魔力満ちるデーヴァローカではなく、法力溢れる善性存在の世界(アーシェローカ)。悪性存在はその力を制限され、常に命を削られることになる。

 

 たとえ母星が天に蓋をするほど近くにあったとしても――戦場がそこではないことに、疑いは持てないのだ。


『ははは、ははははは……!!』


 オフルミズドが右腕を掲げる。呼応するように、すぐ近くの大地がぼごりと()()()()()()

 開いた指がゆがめられ、リンクするように土塊が砕ける。破片は見る見るうちに光の粒子へと変換され、瘴気内の法力配分を増強していく。善性存在に有利な領域が形成されていくにつれ、『絶対悪』の身体からは徐々に、徐々に力が抜けていく。

 悲鳴めいた鳴声が、白銀の龍の喉から零れた。


『消えろ。そして善性存在の……いいや、僕の世界のための礎となれ』


 勝ち誇ったように笑う聖霊王。

 地に臥した邪龍に止めを刺すべく、半透明の足で、一歩を踏み出し――


 直後、振り払うように暗雲が『晴れた』。


『……なに……ッ!?』


 驚愕の声が、聖霊王の喉から漏れる。

 弾かれた様に周囲を見渡すその顔が、困惑に歪み始めた。


『なんだ、なにが起きた!? どうしてリソースが変換されない!』


 掲げた手、そこに収められた水晶の槍は言うことを聞かない。それどころか彼の意志に反して、大陸を被っていた瘴気そのものが、法力と魔力へと綺麗に分解されていくではないか。おまけに魔力は上空に浮かぶデーヴァローカの大地へ、法力は砕いたはずの大地へ戻り、それぞれ元の姿を復活させていく。

 まるで時間が巻き戻ったかのような、劇的な状況変化。その場の誰もが理解できずに、ワンテンポその行動を遅らせる。


 その空隙を、切り裂くように。


「簡単な話だ。あなたが大地を砕き、生み出した法力。それをただ、元の大地の形へと創り直しただけのこと」


 声が、響いた。


 がばり、と、オフルミズドとアンラマンユ、その首が、上空を向いて固定される。視線を釘付けにされた、と表現するべきかもしれない。

 むべなるかな。そこで起こっていたのは、人智を超える力を持った『神』――最早人ならざる存在へと進化した二者を以てしても、理解しがたい現象だったのだから。


 空が、割れる。

 まるでこの世界はカンバスに描かれた絵画であって、今まさにそれを砕いているのだ、と言われている……その光景を見ていた者は皆、そんな錯覚に陥っただろう。

 勿論、そんなことはない。『割れている』のは、ただしくは空ではなく、空と彼らの視界を繋ぐ空間そのものだ。


 捲れるように、モノクロの極光があふれ出す。

 それを辿って一つの人影が、青い空へと()()()()()()()。その数、碧い雷を纏った光の翼が六枚、紅い雷を引き連れた闇の翼が六枚。計、十二枚――二柱の最高神と、同一枚数。


 痩躯だ。しかしやせ細っているわけではない。畑を耕してきた毎日と、二年間で積み重ねてきた鍛錬のたまもの。よく引き締まったその体の上に、育成学園の制服、そして玉衣を思わす羽織を纏っている。

 金色の髪は本来の長さよりもはるかに長く、腰ほどまでに伸長していた。それどころか先端は青色に染め上げられ、彼方から届く太陽の光や、中空に舞う法力の粒子に中てられ、きらきらとその色を変えていく。形容するなら、海の色。

 瞳の色は青と赤。片方はやはり海を思わす群青色、もう片方は薔薇よりも紅いワインレッド。彼の愛する少女たちを、象徴する瞳の色。


 携えた黄金の槍、『ドゥーエ・スラエオータナ』を高く掲げて、彼は――時空神の力によって、()()()()()()()()()()()()()シュウ・フェリドゥーンは、その視界にオフルミズドとアンラマンユを捉え、静かに、しかしはっきりと宣言した。


「俺たちは――この世界を、救いに来た」



 ***



 ……とは言ったものの。

 正直、自分でも何がなんだかよく分かっていないというのが現状である。


 霧の晴れた中央大陸は、見るも無残な姿をしていた。山は崩れ、川は溢れ、なぎ倒された木々が土砂に紛れて街を壊す。二柱の神の激突が引き起こした被害は、想像を絶する爪痕をこの世界に残していた。

 その傷が、録画映像のリピートを思わす、とんでもない速度で『戻っていく』。砕けた山は、崩壊をなぞるように元の形へ。溢れていた川は、覆水盆に返らずの言葉を完全否定する、物理法則を無視した復元を果たしていた。街々にも活気が戻る。 


 法術や魔術では到達しようもない、一種の神の御業。

 それをこの手で引き起こしたのだという事実に、シュウは戦慄を覚え身震いする。

 既にこの時点で、これまでの人生で体験してきたどんなことよりもとんでもない、何か大きな出来事が起こっているのだ、と直感できた。 


 オマケに――


『こ、これってもしかして……先輩の視点、ですか?』

『どどどどういうことですの!? 私たち、お兄様と合体してしまったのですわ……!?』

『~ッ!? エリナ、大声で叫ばないでください! ただでさえあなたの声は良く響くのに……直接頭の中で乱反射されてはたまったものではありません!』

『なぁんですってこの青髪! あなたの方こそぎゅうぎゅうこちらを圧迫してこないでくださいまし! 体が見えない分余計に鬱陶しいですわ!!』


 この状況である。何が起こっているのか、シュウ自身まるで理解が追い付かない。

 頭の中で声がする。それどころかマイヤとエリナの気配、身じろぎ、考えていることの全てが、自分の者として伝わってくるのだ。まるで自分たち三人が、最初から一人の人間として生まれてきたかのような妙な一体感。そのせいだろうか、自分の意志だけでは体が上手く動かせない。三人分の意識が別の行動をオーダーしている影響で、逆に鎖でしばられたかのような拘束感がある。


 ズルワーンが『三人で力を振るえ』と言った理由が、今になって理解できた。というより誰が想像できただろうか。まさか物理的に合一して、一柱の『救世主』に仕立て上げられるだなんて!

 無茶苦茶だ、と叫び出したくなる感情を、シュウは半ば無理矢理抑え込んだ。


「二人とも、ちょっと落ち着いてくれ。今は目の前のことに集中しなくては」


 ついでに頭の中で大喧嘩を繰り広げる二人のことも抑え込んだ。

 皆がてんでばらばらの事を考えていては、状況を打破することは永遠にできまい。


「どうやらこの体、三人で共に動かすようだからな」

『……分かりました』

『お兄様がそう言うなら……』


 三人の気持ちが一つになり始める。体のコントロールが安定してきた。よし、今ならいける。


「マイ、エリナ。オフルミズドとアンラマンユの中から、ファザー・スピターマとアリアを救い出す。力を貸してくれるか?」

『勿論。先輩のためなら、いくらでも……でも、本当に大丈夫でしょうか? さっきみたいなことを、もう一回やるんですよね?』

『き、緊張してきましたわ……! 失敗したら爆発四散の気配がぷんぷんします!』

「大丈夫、俺達ならできるさ」


 不安がる二人に、力強く頷いて見せる。

 だって少なくとも――


『馬鹿な……その、姿は……!』


 こちらの姿を見上げて震える、唯我独尊の聖霊王よりはずっとずっと、力と心を合わせることは得意なはずだから。その証拠に半透明の巨人は、目の前の出来事を何一つ理解できていない様子であった。余程己の勝利に自信があったのだろう。あまりにも急な『どんでん返し』に、彼自身の本能が、状況の理解を拒んでいるようにも見える。


天則の救世主(フシェーダル・マー)……ということは、ズルワーンが直接干渉したのか!? 嘘だ。そんなことあるわけがない。何のための法力と魔力を乱したと思っている……! 人間どもが地上から境界世界へのアクセスするための経路は、完全に遮断できていたはずだったのに……!!』

「だとするなら、それはあなたの大きな勘違いだ。俺たちは自分だけの力で、あそこにたどり着いたわけじゃない……様々な人の力を借りて、ようやく繋いだ可能性の結果だ」


 たった一柱だけで頂点を目指した、聖霊王とは対照的に。

 自分たちが頂点へと至るまでの道は、たくさんの人が切り拓いてきてくれたのだ。勿論、自分たちもそこに力を合わせた。当事者だけでも、周りの人達だけでもない――皆で開いた、玉座への扉なのだ。

 当然、オフルミズド一人が弄した策ごときで、阻まれるような道ではない。


『許さない……許さないぞ。今度こそ貴様に、僕の邪魔はさせない……!!』


 十二枚の翼が、大地を被うように広げられる。法力の光が収束し、その全長が数メートル以上も伸びていく。マイヤの使う聖霊の翼と同じ、解き放てば相手を砕く、一撃必殺の破壊法術。オフルミズドのサイズおよび蓄えられる法力の容量を思えば、余波で中央大陸が砕けてもおかしくないレベルだ。

 撃たせるわけにはいかない。まずは、この聖霊王から倒させてもらうとしよう。


「エリナ、行くぞ!」

『おまかせください、お兄様!!』


 脳裏で義妹と頷き合う。

 直後、肉体のコントロール権が、自分とエリナの二人に分配された。

 三叉槍の結晶部分に写り込んだ『救世主(じぶんたち)』の顔。その左右で色の違う瞳が、両方とも同じ真紅の光を宿しだす。『エリナ』と同じ、認識変換の魔術(ヴェーダ)


闇より出でよ(カルマ)

我らが愛(ブレイズ)!!』


 詠い上げる。

 靂天の黒斧、万神天魔打ち倒せし暴嵐の禁忌十字。

 二人の祝詞に呼応して、紅の雷が、青い空に深紅の薔薇を描いていく。


『――至れッ!!』

「『黒銀の鍵(マルート・)万聖潰滅すは(ネスハ・)紅の薔薇(イブリース)』!!」


 ドゥーエ・スラエオータナが、大気中の魔力全てを掌握する。それは一瞬にして雷霆へと姿を変え、法力の巨神へと向けて飛翔を開始した。空気を引き裂く雷鳴の音――

 無論、幻想の雷だ。エリナの『武装型ハルワタート』と『武装型アムルタート』は、あくまで相手の『認識』を改変する技。相手の強い意思力次第では、何の結果も残すことなく防がれてしまうことも多々あった。

 しかし、この状況、この相手。

 聖霊王オフルミズドの性格を十分に考察するならば、選んだ一手は最高の結果を導き出すはずだ。


『がっ……ぐあぁああっ!?』


 四方八方から己の身を打つ雷電の熱に、オフルミズドがもだえ苦しむ。翼を畳んで膝を屈するその様子から察するに、どうやら特効レベルでダメージを受けたと見える。

 無理もない――エリナの一撃は、彼にとっては他のどんな技より効くだろう。何よりも自分自身に自信を持つ、全聖霊の頂点に立つ者……その肥大化した自尊心は自らの主観に、絶対的な信頼を持たせるはずだ。

 結果、オフルミズドは己が『認識』した現象を否定することができなくなっているのだ。


 エリナの力は、『認識した現象を否定できない』限り、いつまでもその力を発揮する。

 今やこの世界に滞留する魔力の全てが、オフルミズドを喰らう赤薔薇の茨だ。


 急速に大気中の法力が活力を失っていく。自分たちを支配し、暴走に近い形で駆動させていた王が斃れんとする今、光の粒たちもまた、荒れ狂う必要性を失くしていっているのだ。


 だが直後、呼応するように『絶対悪(アンラマンユ)』が翼を広げた。

 創造、維持、破壊――世界創世の三大原則を表した、黒曜の角が発光する。十二枚の翼の影から、ぼとり、ぼとりと滴る様に、アジ・アエーシュマが無数に姿を見せていく。


『いっぱい湧いてきたのですわーッ!?』


 ぎえーっ、とエリナが悲鳴を上げる。翼を広げて飛翔せんとするアエーシュマたちの姿は、巣から飛び立つ蜂の群れを思わせた。聖霊王の瘴気の次は、あれが世界の空を覆う……どうやらそういうシステムになっているらしい。絶対悪の殲滅本能……よりにもよって何故、今になって活性化を始めたのだろうか?


『世界のバランスが悪に傾いた、ということでしょうか』

「分からない。けど、やることは一つだ。打ち墜とす――頼むぞ、マイ」

『はい、先輩』


 身体の使用権を、マイヤと自分で二分する。今度は瞳が、深い海を思わす青色を纏い出す。同時に、背中の翼が輝きを放つ。その光はドゥーエ・スラエオータナへと伝播し、そのまま穂先を光の刃に変身させた。

 法術、『武装型アールマティ』が誇る二つの特殊技能。以前マグナスと斬り合ったときにもそのまねごとをさせてもらったが――今度は本人と一緒に放つ、正真正銘の本物だ。


我らが正義に(ダエーナー)

我が意を告げる(ライトアップ)


 二人の声が連鎖する。意識の中、愛する少女と手を執り合って、シュウは金の槍を構え直した。その穂先の向く方向に、翼を広げたアンラマンユをロックオン。


『虚ろなる者に導き在れ』

「『光輝女神の(メーザー・オブ・)眼差し(シャイニング)』!!」


 砲門が、開く。

 まるで咆哮の響くが如く、甲高い射出音と共に千を超える光の剣が、雨となって降り注いだ。一本一本が驚異的な正確さをもって、紫の竜を撃ち抜いて行く。一体、また一体と撃墜されていく、破壊衝動の化身たち。悪性存在が携える、当人ですらコントロールできない激情の暴走を、一つ一つ、丁寧に解決していくような、そんな不思議な感覚に襲われた。

 もしかしたら本当に、アジ・アエーシュマとはそういうものだったのかもしれない。

 魔族たちが持つ、魔術の源泉となる本能(プラーナ)。それが寄り集まって、あれを生み出していたのかも……もっとも、所詮は推測でしかないわけだが。


 やがて光の剣は竜たちだけでなく、大本である白銀の巨龍の身体も焼き始めた。上がる苦痛の声が胸を痛ませて来る。だが一度、『絶対悪』の殻を弱らせておかなければ、次にシュウたちが成すべきことに、影響が出て来てしまう。


 そうとも。


『おのれ……おのれおのれおのれぇぇえええ!!!』


 傷を癒し始めた、この簒奪の聖霊王と、決着を付けなければならない。


 オフルミズドは翼を震わせ、これまで以上の激昂を見せた。余程この戦況に我慢がならないのか、まるで子供の様に地団駄まで踏んでいる。

 その姿を、哀れだ、と思うことは、シュウにはできなかった。

 四百年。オフルミズドが……スプンタマンユが、世界を手中に収めるためにかけた時間。その全てが水泡に帰そうとしているのだから、文字通り余人には理解できないほどの怒りを感じていることだろう。シュウだって同じ目に遭ったら、流石に怒ってしまう気がする。

 でも。そうなのだとしても。


『玉座に座るのはこの僕だ! 誰にも……誰にもこの世界の支配権は渡さない!!』

「そうはさせない」


 共感(それ)容認(これ)とでは話が別だ。


「そもそもこの世界を支配する権利なんて、本来誰にもないはずだ。確かに、人々を動かすためには、なにか大きな力が必要かもしれないけれど……」

『ならば何故邪魔をする! 僕がその大きな力に……全人類を導く絶対正義に、『天則(サダメ)』になってやろうというのに!!』

「でも、人々を動かすもの……それは誰か一人だけの意志、誰か一人だけの正義じゃないことだけは、俺にも分かる」


 自らの体の中に意識を向ければ、今この瞬間、シュウ自身と一体となって、共に歩んでくれているマイヤとエリナの温かさを感じ取ることができる。

 法力や魔力を伝って世界の様子を観察すれば、中央大陸の空を見上げ、自分たちの勝利を祈ってくれる、イスラーフィールやアルケイデス、それにバルガスにリズベット、ロザリア、アローン、エリック……果ては、極東大陸の家族たちの姿までもが認識できた。

 

「人と人が手を執り合って、繋いだ絆、広げた輪。それが世界の行く末を決める天則(サダメ)になる。誰かが一人でつくった正義は、きっといつか、その先の未来を紡げなくなる」


 みんなが自分を作ってくれた。

 今の自分に至るまでの道を築いてくれた。

 そしてこれからの自分を待っている、明日という名の運命(サダメ)を、形作りながら待っている。


 それはシュウただ一人だけに関係することではない。

 この世界に生きとし生ける、全ての人類、命……それから、命ではないものも含めるあらゆるモノ。

 その未来とは、みんなで一緒に、創っていくものなのだ。


「だからこれは、俺だけの決定じゃない」

『私たちが、私たちをここまで連れて来てくれた人たちが』

『みんなで出した、答えですわ!』


 故にこの救済(いのり)も、ただ一人だけで示すのではなく。


「超越せよ、我らが(サダメ)。無限の螺旋に讃美を捧げよ」


 紡ぐ祝詞もまた、シュウ一人だけのものではなかった。

 ドゥーエ・スラエオータナが、ばらりと一対のリボンの姿へと変貌する。

 旧時代文明、生物の姿を決定すると言われた二重螺旋――その姿によく似た、光の柱が屹立した。


 地の底から、天の果て――この世界(アーシェローカ)異境(デーヴァローカ)、二つの世界を貫いて、伸びる、伸びる、どこまでも。


『目もくらむような光の中でも、階を映す闇であれ』


 エリナの言葉に呼応して、大気中の魔力が鼓動する。溢れる光の二重螺旋へ、悪性存在を肯定し、その未来を繋ぐ詩を編みこんでいく。


『どうか虚ろなる闇の中でも、我らを導く光であれ』


 マイヤの願いに突き動かされて、滞留する法力が光を放つ。二重螺旋と絡まり合って、まるで太陽の様に温かく、善性存在を見守る詩へと変わっていく。


重なり(ブレイズ)連なり(アンド・ブレイズ)道となれ(アンド・ブレイズ)未来へ繋がる、(アンド・)明日と変われ(ブレイズ)……!」


 束ねていく。

 廻していく。

 シュウの叫びが、天則の救世主の呪術が、この世界に「かくあれ」と、辿ってゆくべき未来を示す。


「我らより出でし、我が意を告げる――」


 それはきっと、この世界の全員が、共に叫んだ名前だった。



「『やがて天則の(サオシュヤンテ・)救世主(リタ・ヴェスター)』……!!」



 変化は、劇的だった。

 二重螺旋の階層構造が弾ける。大地を、天空を、その向こうに見える異境の地表を、瞬く間にモノクロの極光が覆っていく。

 同時に地上を埋め尽くしていた、法力の巨人と魔力の竜たちも、純粋なエネルギーに変換され、オーロラの内へと還っていく。


 その還元現象は、オフルミズドの身にも起こっていた。

 禍々しく歪められた爪を思わす、半透明の指先。その先端が、より薄く色を喪っていく。さらさらと砂の零れ落ちるような音を立てて、彼の身体が無数の粒子へと戻っていく。


 焦燥に満ちた悲鳴が、聖霊王の喉から漏れた。


『馬鹿な……僕が、消える……!? 崩れていく……いいや、還元されている、のか!? この世界そのものを構築する、リソースの一部として……!』

「善悪を導く救世主には、法力と魔力をコントロールする力がある……そう言ったのはあなただったはずだ、オフルミズド。だからあなたは、俺の力を狙い、奪った」


 スラエオータナは法力(ガーサー)魔力(プラーナ)を自在に操る。それがあれば、スプンタマンユは自分をオフルミズドへと進化させることが可能だと判断したのだ。

 逆に言えば、それは……救世主の力がなければ、彼は自らを維持できない。そういう意味でもある。


「そして同時に、自分を『法術(ティスティ)』と表現したのも、あなただ」

『――まさか』


 息を呑む気配。どうやら、ようやく理解したらしい。


「あなたが『聖霊王』であるかぎり、その体は全て法力でできている。当然、俺たちはその法力が、世界の意志のままに自然へと還る――そう導くことが可能だ」

『貴、様ァァアアアアア!!!』


 絶叫が、アーシェローカの空に響いた。それが仇となったのか、どさり、といびつな音を立てて、聖霊王の身体がボロボロ崩れ落ちだした。いよいよ完全に、自分を維持できなくなり始めたらしい。

 能面が悲痛に歪み始める。自分の身体が、世界のリソースとして還元されていく感覚……想像するだに恐ろしい。

 でも、それが彼にとっての、四百年分の罰になってくれれば、と思う。人々の運命を弄び、自分の欲望のためだけに生きた四百年間を、償ってくれれば、と。

 

「俺たちは何も、今この瞬間に俺たちの未来を自分の手で決めてしまおう、というわけじゃない。誰かの定めた運命じゃなくて、この世界そのものの自然な行く末……それが未来を導くようにしただけだ」


 それで、まっさらな状態に、戻ってから。


「あなたも――今度は、世界の流れの一部として、俺たちの行く先を見守っていて欲しい。」

『ふざ、けるな……ふざけるなよ……!!』


 絞り出すような罵倒の言葉に、何も感じないわけではない。実際、ふざけているなと自分でも思う。

 これはきれいごとだ。誰とでも手を繋ぎ、分かり合えるというのはきっと、人類に意志というものがある限り、土台難しいことなのだと思う。

 シュウ・フェリドゥーンの手だけでは、世界を救うことなんてできないように。

 シュウが願って良いのは、せいぜい大切な人たちと手を繋いで、平和に生きていくことくらいだ。


 だからこれは、ただの願い。

 そうなったらいいな、という、絵空事。

 

 体の奥に、ファザー・スピターマの姿が見える。

 地上からもその光景が視認できるようになったか。何人かの法術師たちが、教祖墜落の気配を察し、慌てて廃墟の中から姿を見せ始めた。


 うん、やっぱり、スピターマの方はそれなりに信頼があるみたいだ。

 これならきっと、スプンタマンユの方も、やり直せる。いつか、一緒に手を繋ぐ、輪の中に彼も入れる気がする。

 

『シュウ・フェリドゥーン……シュウ・フェリドゥゥゥゥウウウウン!!!』

「違うよ。言ったはずだ――俺一人ではなく、みんなの意志だ、と」


 心残りがあるとすれば、その言葉が、少し突き放すようなものになってしまったことだろうか。

 でも多分、そうした方が、この我儘な聖霊王には、丁度良いお灸になるとも、そう思うのだ。


『いやだ……いやだいやだいやだ!! 僕は……世界の王に……一柱(ひとり)だけの、絶対者に……!!』


 その悲鳴を、最後に残して。


『王様に、なるんだ……!!』


 善性存在の玉座を騙る聖霊王は、純粋な力の渦へと還って行った。


 時を同じくして有角の槍が、その黄金の穂先を震わせ始める。どうやら自分たちの役目も、今こそ、本当に終わりを告げる時が来たらしい。

 長いようで短かった……そんな、不思議な感覚。どうにも、変な感傷に浸ってしまいそう。


「ここまで、だな」

『お疲れさまでした、お兄様! さいっこうに格好良かったのですわ!』

「エリナもお疲れ様。力を貸してくれてありがとう」

『お兄様の活躍に花を添えられて、私感無量です!』


 戦いの終結を、エリナと一緒に喜んでいると。


『あう……?』


 か細い声が、聞こえてきた。もうずいぶん長い事聞いていなかったような気さえする、透き通っていてどこか儚い、けれど好奇心に満ちた少女の声。


『しゅう……? みんな?』

「アリア、大丈夫か!」

『うん……なんか、へんなかんじ……ふわふわしてるみたいな?』


 言葉に反して返答ははっきりしていた。どうやら明確に、『絶対悪』の精神とアリアの精神が分裂したようだ。作戦成功、と判断していいだろう。アンラマンユの肉体も、アリアを残して魔力の渦へと変換され始めているようだ。


「よかった、『絶対悪』を構成する魔力とは、上手く切り離せたみたいだな……ありがとう、マイ」

『いいえ。アールマティの奥義を撃ち込めば、魔力操作を行使できる……そう思いついたのは、先輩ですから』

「でも君の照準の上手さと、苦痛にならないだけの威力調整がなかったら、アリアを苦しめていたかもしれない……やっぱり、マイのおかげだよ。君がいてくれて、本当に良かった」


 紛れもない本心だ。ああ、彼女には、何度感謝してもし足りない。なんなら死ぬまで返し続けても、毎日新しい感謝が蓄積してしまって、永久機関が誕生してしまいそうだ。


『むぅ、一緒の身体に私もいるの、お兄様もマイヤも忘れていませんこと? 思考がダイレクトに伝わってくる分、凄くイライラするんですけど。けど!!!』

「す、すまない……」

『お兄様に怒ったわけではありませんわ! 全てはマイヤがところかまわずいちゃつくからで――』

『雰囲気も考えずに文句を言う無遠慮な金髪には言われたくありませんね』

『なんですってこの青髪!!』


 マイヤとエリナが取っ組み合いをする光景が、シュウの脳裏にありありと浮かべられた。もしかしたら伝わっているのかもしれない。アリアまで、おかしそうにくすくす笑っていた。

 ああこの瞬間、このやさしさ、この暖かさ。ずっとシュウが求めていたもの。欲しかった未来。


 家族の、感触。


 無事、導いてもらうことが、できたらしい。世界(ズルワーン)にも、それでいい、それがいいと、思ってもらえたようだった。


 ほっと、安堵のため息をついたところで、シュウは自分の身体が、三つに分かたれるような不思議な錯覚を覚えた。どうやら、融合が解ける前兆とみえる。

 裏返っていく世界と、あふれ出すモノクロの極光の中で、シュウ達の境界は再び曖昧になっていく。

 それが確固とした、『個』へと変換されきる前に――


 シュウの意識もまた、曖昧な意識の渦へと、溶けていくのだった。


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