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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第十七話『あの橋の向こう側へ』

我が正義に(ダエーナー・)光をくべよ(ウェイクアップ)……!!」


 銀色の半透明、大剣を模したエネルギー体が、彗星を思わす尾を引いた。

 縦横無尽に飛翔するそれは、一歩、一歩と地面を揺らす、法力の巨人に向けてんで行く。輝く刀身が踊る様に旋回。淡く発光する巨人の身体を、切り裂き、分断し、あるいは輪切りの要領で分解していく。斬撃を受けた箇所が爆発し、小さな炸裂を次々起こしていく様は、まるで昼空に咲く花火のよう。


 法術、『展開型キャメロット』。使い手を中心に、一定のアルゴリズムで駆動する、光の刃を打ち放つ術。凡そ展開型法術としては最高クラスの出力を持った、固定砲台超特化の能力だ。


「どうだバケモノどもめ! 見たか、この僕の見事で華麗な剣捌き!」


 その宿し手……金色の髪を揺らす痩躯の少年、エリック・アフレッド・アルバートが、防衛ラインの最前線――法術師育成学園()()城壁の上で、自信満々に声を張り上げた。

 無論、言葉の綾である。エリックの法術は展開型。それも武装などには一切影響を与えないタイプだ。そのため、武装型法術の使い手や、能力付与(エンハンス)系の展開型法術を持つ人間と違い、何か触媒剣のようなモノをもっているわけではない。固定砲台が向いている、というのも、法術の中では珍しく、彼本人へのステータス強化が殆どないことがその由来である。ちなみに実際にエリックが剣を振ったとしても、刀身の放つ輝きに怖気づいてへっぴり腰になったり、重さに振り回されたりと、お世辞にも『華麗』とは言えない剣舞が出来上がって終わりだろう。


 しかしそんなことは気にしない。こういうのはキメること、叫ぶこと自体が格好いいのだ。

 己の美学に従って、エリックは余裕綽々、金色の髪をかき上げ、月を思わす黒い星の浮かぶ、雲一つない碧空に流し眼を送った。


「ふっ……あまりの壮絶さに声も出ないか……まぁこの僕の技だからね! 是非もないね! あーっはっはっはっは!!」

「エリックくん、後ろ、後ろ~っ!」

「へ……? って、うわっ、うわわわわわわぁぁぁっ!?」


 城壁の下、幽霊を思わす小さな模造聖霊と戦闘していたリズベットが声を張り上げる。それにつられて背後を見れば、目と鼻の先に巨人の顔があった。しまった、仕留め切れなかったのか! 

 何を写しているのか分からない、一部の法術師が占いに使う水晶のような、あるいは内部に液体めいた法力をためていることを思えば、金魚鉢かなにかだろうか……そんな目玉をぎょろりと動かし、巨人はエリックをロックオン。


「だわぁぁあああっ!」


 悲鳴と共に飛びのけば、つい先ほどまでいた所に巨腕が着弾。ずずん、と音を立てて、石造りの見張り台が崩れていく。普段の学校生活で見慣れた城門ではないが……その崩壊には、どこか哀愁を感じてしまう。

 もちろん、そんなものに浸っている暇は、全くさっぱり無いわけで。


 もう一度掲げられた半透明の腕は、今度こそエリックを的確にとらえていた。

 両足が引きつる。悲鳴すらでない。何か手立ては、考えろ、考えろ僕……! などと頭を悩ませてみるがまるで無意味。戦闘慣れしていない彼の頭脳からは、現状への対抗策が全く出てこなかった。


「我が正義に光をくべよ――『波濤の一突き、(ネレアディオ・)天をも焦がすが如く(ノーデンランス)』!!」


 その頭上に螺旋を描き、矢じりを思わす激流が奔る。

 発生源ははるか後方。戦場に駆け付けた甚平姿の老人、彼がごつごつした腕に握った、鈍色の槍だった。

 ディン・バルガス――中央都市東端、シャローム・シティの漁師であり、かつて育成学園の長を務めた上級法術師。そして現在は、この育成学園防衛網の総司令官でもある男だ。


 全身から力が抜ける。その場にへなへなとへたり込みながら、エリックは胸を撫でおろした。


「た、助かった……」

「馬鹿者。敵から常に目線を逸らすな。お前の力にはそちらの方が向いているだろう」

「あ、ああ……っ!」


 潮の影響で深い皺を刻んだその顔を、いっそう険しく歪めながら、バルガスはエリックを叱責する。その声に込められた確かな期待が、エリックの自尊心を刺激。彼を奮い立たせ、素早く態勢を立て直させる。

 その様子を満足気に眺めてから、バルガスは戦線を構築する法術師達へと号令をかける。


「絶対に城壁の内に入れるな! 奴らをここで食い止めろォォォオオオオッ!!!」


 方々で鬨の声が上がる。かつてバルガスの下で働いていた法術師達からすれば、その声は非常に頼もしく思えるのだろう。気迫が違う。


「くそっ、どうなっていやがる……倒しても倒しても湧いて来るぞ!」

「この戦い、一体いつになったら……」


 一方で学生法術師たちからは、焦りの声も上がってくる。先の一撃を皮切りに、巨人たちからの攻撃も激しさを増していた。バルガスの怒号に反して、城壁は次々と穴を開けられていく。


「まずいよアローン兄さん。全体の士気にも影響が出てる」

「一端引いた方がいいかもしれないな……『雲行き』も大分怪しい」


 その様子を後方、簡易野営所から観察していたロザリアとアローンは、冷や汗を一筋流しながら、戦況を冷静に分析していた。


 突如世界中に出現した、法力の化身――『模造聖霊』。当然だがその魔の手は、育成学園にも迫っていた。これまで邂逅してきたどんな相手とも違う、あまりにも異質な『善性存在でありながら人間を狙う怪物』。想定外の異常に、生徒はおろか教師陣まで大混乱に陥った。

 イスラーフィールとアルケイデスを訪ねて、偶然バルガスが来校していなかったら、と思うと空恐ろしい。最低でも、今のように組織立った反抗はできなかっただろう。


 かつて学園長の地位にあったバルガスは、この学校の構造を完全に把握していた。

 育成学園は央都に勤めるような優秀な法術師を輩出するための養成校、という以外にも、巨大迷宮、『樹海』を監視する観測所としての側面を持つ。そのため、もしもあの薄暗い色の森に異変があり、魔物があふれ出してきたとき――第二、第三の城壁を形成し、襲撃を封殺する機能が備わっているのだ。

 先ほど崩壊したのは第三城壁。次の防衛ラインにして迎撃の中心となる第二城壁は、もうすでに展開を終え、学生や教員の中から優秀な人材を配備し終わったところだろう。

 斥候を兼ねるローゼたちは、第三城壁の崩壊開始を目途に撤退、第二城壁で彼らと合流し、本格的な模造聖霊討伐作戦を決行することになる。


 ――司令官はまだここで食い止めるつもりみたいだけど……ボクらの戦闘力じゃ、もう持ちこたえるのは大分難しいぞ……!


 平和な時代が続き、バルガスの率いていた頃ほど育成学園の生徒達は強くない。彼がそれを把握していないわけではないだろうが、カバーしきれない部分が出てきているのは事実だ。

 撤退を進言しなければ。

 決意したロザリアは『展開型ランスロット』を発動する。前線までの草原を濡らす、結露の水を掌握・操作。レール、あるいは絨毯のように敷かれたこのラインを通れば、波乗りの要領で高速移動が可能になる。

 今ならまだ、被害の余分な創出を減らせるはず――身を屈めた彼女が、走り出そうとした、そのとき。


「ッ! ローゼ、危ない!!」

「え……!?」


 アローンが、彼女を強く引き留めていた。

 直後、ロザリアの目の前から、城門の辺りにかけてまでを、暗黒の火球が襲撃する。一歩遅れて、強烈な爆風。上がる悲鳴は巻き込まれた法術師たちのものか。


 咄嗟に空に視線をうつせば、黒い謎の天体から、丁度何か――流星のようなモノが射出された直後だった。

 それはどんどんこちらに近づいて来る。翼をはためかせ、確かな意志を以て、この戦場に介入しようとしている。


 長い首。紫の身体と、翼。黒曜石を思わす角は、雄牛のそれのように緩く湾曲して、側頭部から前方へと突き出ていた。

 翼の数は二枚。しかし足の数も四本。異質だ。一般的に竜と呼ばれる魔物……『亜飛竜(ワイバーン)』は、翼の代わりに前足を持たない。逆に前足を持つ『亜地竜(ドレイク)』と呼ばれる種別なら、翼を持っていないことがほとんどだ。

 両方を兼ね備えた竜種など……その存在すら、聞いたことがない……!


 真竜。そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。


「なんだ、あれは……」

「ドラゴン……? 魔物、なのか……!?」


 これまで見たことのない、しかし明らかに強敵の気配を備えた悪性存在の登場に、戦場にはさらなる混乱が広がっていく。

 しかもその紫竜が、人間たちではなく、何故か模造聖霊を狙って攻撃を始めたとあれば、余計に理解は難しくなる。城壁に被害が出ている以上、味方、というわけでは決してなさそうだが。


「馬鹿な……『善滅悪護の呪翼狂竜(アジ・アエーシュマ)』だと!?」


 バルガスが顔を引きつらせる。呻くように呟かれた名前は、聖典、あるいは教会のお告げたる『天則』に造詣が深い者なら、一度は聞いたことがあるものだった。

 悪性存在の情動の塊。全ての善性存在を呪う、殺戮の化身――『絶対悪』。その降臨と同時に世に解き放たれる、善を滅ぼす『浄化作用』。それこそが紫紺の魔竜、『善滅悪護の呪翼狂竜(アジ・アエーシュマ)』であるらしい。善悪大戦の折にも姿を現し、旧時代文明の崩壊に一役を買ったという、まさに破滅の象徴。

 目の前に姿を現した竜の群れは、まさにその特徴を完璧に備え切っていた。


「チクショウめ、まるで正真正銘、本物の終末戦争だな……ッ!」


 吐き捨てられた言葉は宙に溶け消える。

 バルガスが撤退を指示しつつも槍を構えるのと、再び紫竜が模造聖霊と激突するのは、ほぼ同時だった。



 ***



 異境(デーヴァローカ)の大地を背景に、喰らい、斬り合い、互いの術をぶつけ合う、完善(オフルミズド)絶対悪(アンラマンユ)。妄執と君臨欲求と言う名の『信じる心』と、愛情と守護欲と言う名の『激情』が、かつてないほどの威力を生み出し、弾け、互いを蹂躙していく。

 激突の衝撃はそのまま烈風を思わすエネルギーへと変換され、戦闘領域直下、『教会』本部領を見るも無残に破壊する。とてもではないが、その場で戦闘を見守ることはできない。

 

 雷鳴と咆哮、それから空間の乱れによって降り始めた大雨から逃れるように、シュウたちは瓦礫の下、何とか衝撃をしのげそうな場所へと身を隠し、反撃の機会をうかがっていた。

 依然として、その『反撃の機会』が、あるのかどうかは不明だったが。


「ああもうっ……どうして、どうしてですの!? 何故私たちには何もできることがないのです!!」

「暴れるなキュリオスハート。気持ちは分かるが……この現状、私たちが動いたところで、何ら自体は好転しない。むしろ怪我人、あるいは犠牲者という形で無用な被害を増やすだけだ」

「だからって、黙って見ているのは間違っていますわ!!」


 悔し気に地団駄を踏むエリナ。親友がその身を犠牲にしてまで、諸悪の根源と戦っているというこのとき、自分がただ見ていることしかできないのが余程辛いのだろう。その感情がよく分かるが故に、青と赤の双眸に溜まった感情が、行き場を無くしてぐるぐる渦巻く、その様子がシュウの胸を痛めつけてくる。


「ええいうるさい! 今そのための検索をしているところだ! アリアが心配なのはわかるが、今は打開策が見つかったらすぐに行動できるように準備しておくだけにしろ!!」


 イスラーフィールが怒声を飛ばす。

 彼女は今、スラオシャの力を総動員して、この善悪大戦の再演をどうにか終わらせる手段を考察していた。全てを見通す情報の女王をして、一発では見つけられない戦いの行方……凡そ本来、人類の知恵が及ぶところに、その結果はあるのだろう。


 壁に背を預けて宙を見つめるシュウの隣に、そっとマイヤが座り込む。彼女の身体の熱を求めるように、シュウはとさり、とその肩に身を預けた。自分からこうするのはちょっと珍しい。マイヤの方も驚いたのか、心配そうにこちらを見てくる。


「先輩、大丈夫……では、ないですよね」

「ああ……すまない、マイ。しばらく……こうさせていてくれ……」

「もう。つらいときに頼ってくれ、って最初に言ったのは、先輩のほうじゃないですか」


 彼女の細い腕が、シュウの方に回される。密着した肌が心地よい。


「吐き出してください。先輩の思ってること、全部。私、受け止めますから。全部一緒に、背負いますから。それでちょっとでも、楽になってください」

「ありがとう。マイはやっぱり、良い子だな」

「昔してもらったのと同じことを、そっくり返しているだけですよ」


 その言葉にもう一度、ありがとう、と返してから、シュウはマイヤの、海色の髪の気が結わえられた首筋に顔を埋めた。ああ、安心する……こうしていると、言葉にするのも辛い感情の一つ一つが、なんとか、絞り出せるような気がする。

 

「……俺はアリアが選んだこの道(いま)を、信じ切ってやれないんだ……今までにないくらい、後悔している。もっと別の道があったはずだと煩悶している。『絶対悪』の封印を解除するにしても……アリアを、言い方は悪いけど『贄』にくべるような手段以外に、方法があったんじゃないか、って」


 ずっとアリアは、特別な存在ではない、と断じてきた。人間だろうが魔族だろうが関係ない、同じ人類だ、と。アリアが異界からやってきた悪性存在だからといって、自分たちと何か違うところのある、理解不能で不気味な人物などではない、と。彼女は平和に笑って、泣いて、美味しいものを一杯食べて、楽しい事を沢山して、彼女自身の好奇心を満たす……そういう生活を送る、自分たちと同じ『普通の存在』なのだ、と。


「だというのに俺は!! ほかでもない、俺自身の血に負けて……」


 結果として地獄を塗り替える、新たな地獄を地上に降誕させてしまった。地獄の塗り替えによってなにか光明が見えることなどありえない。そんなこと、ちょっと考えれば誰にでも理解できるはずなのに。

 結果として、アリアを『特別な存在』にしてしまった。彼女は魔族と人間の決定的な違いを見せつけるかのように、シュウの中に流れる魔族側面を覚醒させ、それを操って去ってしまった。


「何が救世主(サオシュヤント)だ。何が善と悪の狭間に立つ者(ギンヌンガガップ)だ。あの槍がなければ、母さんから託された力がなければ、俺は何もできない呪術師の……いいや、ただの『落ちこぼれの法術師』じゃぁないか……」


 無力だ。

 こんなに自分の無力を恥じたのは、いつ以来だろうか。きっとマグナスとの戦闘で、あわやマイヤを喪うところであった、あの時以来だろう。

 身近な誰かを。それも、心底から大切な人を失くす、というのは、痛いほどに辛いのだ。忘れていたわけではないけれど……けれどもきっと、覚悟はできていなかったのだと思う。


 奥歯をぎりりと噛みしめる。零れ落ちそうになる涙を、マイヤの温かさをよすがにして必死に堪える。


「まだあの子に、何も返してやれていないのに……俺には、取れる手段がなにもない……!!」

「――ううん、まだやれることはある。むしろ世界にとっては、ここからが『本番』」


 その慟哭を、否定する声が、響いた。

 弾かれた様に、顔を上げる。声のした方向へと視線を動かせば、瓦礫で編んだシェルター、その入り口に、パールホワイトの髪に紅い瞳、ローブ型法衣の女性が、いつの間にか立っていた。つい昨日、出会ったばかりの人だった。


「先生……ッ!?」

「シロナ・カミノリ……! 何故ここに……?」


 エリナとイスラーフィールが目を見開く。

 その驚愕、その問いは、二つの事柄について投げかけられたものだ。

 一つは、この純白の聖女が、『何故』ここにいるのか。

 もう一つは、『どうやって』ここに来たのか、ということだ。荒れ狂う法力と魔力の嵐は、あのアルケイデスでさえも突入が難しい、極めて強烈な重力異常を引き起こしている。


「あの子が役目を果たしたように、私も役目を果たしに来た。ただそれだけ」

「役目……?」


 それで思い出した。

 彼女はありとあらゆる現象から、自らを、そして周囲を守る、最強の結界法術師。それと同時に、異世界から二重螺旋世界へと訪れた、神の遣い――『神殻種』の一柱だ。あれほどの大嵐の中を悠々と歩いて来ることなど、造作もないことなのだろう。


「ま、まさか先生も、アリアみたいにでっかくなるとかそういう……!?」

「ごめん、そういうタイプじゃない」


 物理的な参戦を期待したエリナを鎮めると、シロナはゆっくり、シュウの方を見た。


「私は道を示す梟(ミネルヴァ)として、あなたを導く義務がある。それが私の果たすべき役割」


 ごくり、と自分の喉が鳴るのを感じる。

 多分これから伝えられる『神託』は、シュウの……そしてこの世界の運命を変えるのだと、本能的に感じ取っていたから、かもしれない。


「善悪大戦を終わらせたのが誰かは、知っている?」

「初代ファザー・スピターマ……ですよね? 壊れかけた世界を二つに分割し、各々に聖霊と悪魔を隔離することで、両者の抗争に無理矢理幕を下ろした『奇跡』……」


 聖典にも記されている、この世界の歴史。人間はおろか魔族でも誰もが知っている、兄弟がごとき二つの世界の始まりの記録。


「でもそれは、スプンタマンユ……オフルミズドの謀略だった」

「けれどあの瞬間、確かに彼は『救世主』だった。あのまま戦争が続けば泡と消えていたはずの世界を、確固たる二重螺旋の世界へと構成し直し、救った。例えその先に待つのが長い長い闘争の歴史であろうとも、彼は間違いなく、『未来を繋げた』」


 結果として人類は、争い合い、傷つけ合いながらも、確かに四百年を紡ぐことが可能になった。相応意味では、初代ファザー・スピターマは紛れもなく救世主だし、英雄だ。彼がいなければ、今シュウがこうして仲間たちと過ごすことも、その仲間を取り戻すために頭を悩ませることも、なかったのだから。


「そして救世主の役割を担った人間は、もう一人いる。歴史の転換点、善と悪が接触し、戦が再開されようとしたとき……それを鎮め、また『未来を繋げた』、二番目の救世主が」


 その名前を知っている。むしろ、シュウが知らなければおかしいくらいだ。まだ記憶の無かったころ、邑の長老に聞いてまで意味を確かめた、自分を象徴する名前……その由来となった人物なのだから。


「……英雄、フェリドゥーン」

「そう。あなたと同じ名前の英雄。善性存在でありながら、悪性存在との共存の道を探した者では、聖典に名を残す唯一の人間。ズルワーンがシュウに託した救世の槍は、元々彼が扱っていたもの。それを授けられたシュウには、二人と同じく、善と悪の相克を終わらせる力がある」

「だが……俺は『スラエオータナ』を奪われてしまった! 救世主の力は今の俺にはない……俺はもう、この状況をひっくり返せるような人物では、ない……」


 そもそも最初から、そんな大それた存在だったのかどうかすらも、分からないのに。でも可能性の一つとして、選択肢を広げることはできたはずなのだ。シュウは俯き、ぎゅっと拳を握りしめる。

 ところが、予想に反して、シロナは静かにかぶりを振っただけだった。

 そうして諭すように、続きの託宣を下すのだ。


「いいえ。あなたには、まだ救世主の力が残っているはず。あなたがズルワーンに選ばれた、というその事実が、既にあなたを救世主たらしめている」

「……どういう、ことですか?」

「どうか考えてみてほしい。神核種としての神格(じんかく)に支配され、いまやラジアの意識など僅かにでもあれば御の字のはずのズルワーンが、どうしてあなたを選んだのかを。それはただの運命(サダメ)ではない、もっと大切で、根源的な理由から来ているもの」


 ああ、どうしてだろう。

 その言葉を聞いたとき、脳裏に浮かんだのはシュウがはっきりと『自分の記憶』と認識できる、たった一つの、両親との想い出だった。

 揺り篭に揺られる自分を慈しむ母。それを遠くから眺める父。紡がれる歌は『異境』に伝わる小さな民謡。二人が紡いだ絆の証。

 そうして母は、その青い瞳でシュウを見つめて、呟くように言うのだ。

 大好きよ、と。


「――あなたが、ラジアとヴィクトールの子供だから。それはズルワーンが、自分の息子としてあなたを優遇したから、という意味ではない。あなたは善と悪の狭間に立つ者。二つの世界が手を執り合って、絆を結んで、愛し合って……そうしてようやく生まれてきた子」


 かつて世界が分かたれていなかった頃、四百年と少し前の世界でなら、いくらでもいたはずの存在。そしてこれからの世界では、いくらでも生まれてくることが出来るはずの存在。けれど今の世界では、決して生まれるはずのない存在。

 シュウ・フェリドゥーンとは、そういう『ヒト』なのだ。

 善と悪の……そして、過去と未来の狭間に立つ者。


「そんなあなただからこそ、過去と未来を繋ぎ、現在(いま)を生きることができる。昨日を束ね、今日を羽ばたき、明日を掴み取ることができる。それができるから――ズルワーンは、あなたを選んだ。二つの世界を束ね、救い、善悪超越の明日を生み出す、『救世主』として」


 不思議と、シロナの言っていることが理解できた。

 造り上げられた運命、偽物の『天則』などではなく。

 世界を動かす未来への流れ、本物の宿命たる天則に従って――あるべき未来へ明日を繋ぐ、そういう人物になれると信じたから、両親はシュウに、そんな大層な役割を授けたのだ。


 そして実際に、その期待に応えられると……そう、母を上書きしたズルワーンもまた、考えたのだろう。だから、『スラエオータナ』をシュウに託した。シュウを『救世主』として、この世界の歴史、その歯車を動かし始めた。


 ならば。


「俺がそういう風に在れたのは、これまで俺を育てて来てくれた全ての人と……今、一緒に居てくれるひとたちのおかげだと、そう思います」


 ぴくり、とシロナの瞼が震える。そう返すのは予想外だった、と言わんばかりに。それと同時に、きっとそう返すだろうと思っていた、と言わんばかりに。

 

 今のシュウを形作っているのは、記憶を失ってからの十二年間、自分を支えてくれた全ての人達との出会いだ。彼らとシュウとの関係が、互いを繋ぐ『橋』となって、シュウと今を繋いでくれたのだ。


「マイと、エリナ、アリア……それに、みんなが居てくれなかったら、きっと俺は、今みたいに在ることはできなかった」

「先輩……」

「お兄様……」


 マイヤとエリナが、頬を緩める。ああ、この笑顔に何度助けられたことだろう。彼女たちがいなかったら、もっと自分は卑屈で、無感動で、誰かのことなんて考える余裕もない、そういう人間になっていたかもしれない。

 そういう部分への、目一杯の感謝を込めて、シュウは仲間たちに「ありがとう」と礼を言う。


「……そっか」


 その返答を、噛みしめるように。

 シロナは、静かに微笑んだ。まるで自分の子供たちを見るような、優しい瞳で、シュウを見つめながら。


「……うん、きっともう一個、ラジアがあなたを選んだ理由はあるんだわ。そうなのね。あなたが、そういう選択をするから、なのね……」


 一言、一言、産着にくるむように大切に、彼女は『答え』を紡いでいく。ラジア・フェリドゥーンから託された使命、その行きつく先を確かめていく。

 そうして、白の聖女は告げる。


「ならば切り拓きなさい。選び取りなさい。あなたたち自身の明日(ミライ)を……!」


 シュウの……いいや、()()()()()成すべきことを。


「超越せよ、汝が(サダメ)。無限の螺旋に讃美を捧げよ」

「な……ん……!?」


 耳慣れない祝詞が響く。法術のそれとも、魔術のそれとも違う、しかしそれらと同じように力のある言葉。

 それは何故かシロナではなく、イスラーフィールの身体を発光させた。彼女の瞳から、金色の渦が消え失せる。代わりにその光は機巧の天使を、無理矢理この世に顕現させた。


「おい、どこへ行く……スラオシャ!? おい!」

「ごめんなさい。あなたの力を、少しだけ借りる。シュウたちを()()()()()()()()に連れていくには、彼の力が必要だから」


 少しだけ目を伏せて、イスラーフィールに謝罪するシロナ。彼女はそのまま、ついとシュウ達の方を見ると、こくり、と頷き、片手を上げた。

 蓮の花が開く様に。彼女のその手を中心に、世界が『捲れる』錯覚を覚えた。いや、錯覚ではない――本当に、次元が変貌していく……!?


「な……」

「こ、れは……!?」


 マイヤとエリナの困惑の声。

 直後、捲れていく世界の隙間から、とてつもなく眩い閃光が、溢れた。

 見えるのも声を聞くことができるのも、彼女たち二人だけになる。


「マイ、エリナ……!」


 彼女たちの居る方向へと、手を伸ばす。向こうからも伸ばされた、細く、あるいは小さく、柔らかい手が、シュウの右手と左手を、それぞれ確りと握りしめた。


「あなたたちなら、大丈夫――どうか、世界の、未来を――」


 その瞬間、シロナの声が、もう一度響いて――シュウの意識は、白黒の激流に呑まれて暗転した。 

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