第十五話『ヤザダの鼓動』
その『名』に傅くように、法力の波動が荒れ狂う。質量を持った黄金の風は、既に無惨な姿をさらしていた聖堂、その壁、床、天井の罅を更に大きく開き、砕き、破壊する。完膚なきまでに。それこそ、再起不能になるほどに。
新世界創造の第一歩だとでも言わんがばかりの暴威は、仲間たちに悲鳴を上げさせた。シュウ自身、凶悪極まる風圧に、とてもではないが姿勢を維持できない。おまけに皮膚が焼けるようだ。濃度の高い法力の鼓動は、これまで以上にシュウの体力を奪い取っていく。アリアが無事なのが不思議なくらいだ。
『感謝をするよ、シュウ・フェリドゥーン。君は実に価値のある存在だった。救世主の力……善と悪の間に生まれた君に宿っていたからこそ、これは二つの世界を繋げ、狭間の門をこじ開ける力を持つ』
歪んだ哄笑が響き渡る。不気味なそれは生理的な嫌悪感さえ抱かせた。善性存在と悪性存在……シュウの中で、これまで何度も揺らいできたその価値観が、今過去最大の揺らぎを見せる。これが人間たちの創造主だと? ふざけるな、と、柄にもなく叫び出したくなってくる。
『君の持って来てくれたこの力のお蔭で、僕は正式な玉座を得た……この力で、君の母親も、父親や青の魔女が成したことも、そして君自身の積み上げてきた全ても……何もかも、何もかも塵芥に還してあげよう』
オフルミズドは、こちらを見下ろしていた。哀れな獣を見るような目で、じっとシュウ達を見つめていた。
そこに相手を尊重し、理解しようとするような意志は何一つ感じられない。ただただ、自分が君臨することしか考えていない……いいや、それ以外が考えられない、生まれついての支配者の顔。
昏く淀んだ感情が、脳を痺れさすように滞留する。生まれて初めて、シュウは永遠に分かり合えない存在と出会ったのだ、と確信した。互いの認識、価値観、世界の味方がごちゃごちゃに変貌するまで、シュウ・フェリドゥーンはオフルミズドを理解しきることは不可能で、オフルミズドも、人間たちを理解しようとはしないのだ。
『君たちはせいぜい、そこで僕が世界を手に入れる瞬間を、苦しみ足掻きながら見ていたまえよ』
オフルミズドは鉤爪のように曲線を描く半透明の指、それを器用に、ぱちんと鳴らした。
ただそれだけ。それだけが、置き土産。聖霊王と人間たちとを隔てる、絶対的な溝の象徴。それは前述の通りに『価値観差』であるし、神核種……世界を統べる王たる者と、諸人よりも少し強い程度の人間、その間に開いた圧倒的な『戦力差』でもある。
『では、今度こそ本当にさようなら。次は新世界で会おう――』
聖堂の天井を粉々に破壊し、十二枚の翼が雄々しく羽ばたく。
それを最後に、『天則』の偽弁者は、もう一つの世界、そして二重螺旋の境界線が待つ、中央大陸の大空へと姿を消した。あまりにも隙だらけ、余裕綽々な態度。人類には、己を止める力はない、と判断したからこその言動だ。
悔しいことに今のシュウたちは、その認識を覆すだけの力を持たない。そうでなければどうして、あの半透明の神核種が滞空している間、指の一つも動かせぬままだったというのか。六対の翼が操る法力の奔流を、打ち破れずにいたというのか。攻撃呪術の一つも、撃つことができなかったというのか──。
「くそっ……やられた、全く想像していなかった展開だぞ、これは……!」
「すみ、ません……俺の、情報伝達不足、で……」
現状に対して罵倒を浴びせるイスラーフィールの声に答えながら、ようやく動かせるようになった上体を持ち上げる。
「謝るな。お前がどこで何を聞いたかは知らんが、それだけで今起こった全てを予測するのは私でも無理だ。神核種……神核種か……畜生め、ズルワーンが言っていたのはこういうことだったのか……!」
舌打ちはいつもよりも重い。
イスラーフィールはシュウと同じく、既にズルワーンとの邂逅を果たした身。ある程度、彼女からこの世界の真実について語られていたのだろうが……情報の女王をして、一連の出来事は予想外に過ぎたと思える。難しい顔をことさらに歪めて、取るべき行動を模索する。
「うぅ……」
「アリア……大丈夫、か?」
「うーん、ちょっと気持ち悪い……」
同じ魔族の性質を持つ、銀色の少女は顔を青くして座り込んでいた。イスラーフィールが彼女に近づくと、四苦八苦しながら背中に担ぐ。白い手はぐったりと投げ出されていた。流石に強力な法力を浴び過ぎた。
その姿を後目に立ちあがる。瞬間、ふらりと上半身が傾いた。マイヤとの戦闘で付けられた傷、ファザー・スピターマの光線法術によって受けたダメージが、シュウの身体を弱らせているのだ。
普段ならある程度自分の中の人間の部分が対抗するであろう法力の影響を、今の自分はもろに受けてしまう。ある程度は大丈夫だろう、と推測していたのだが……その慢心の結果が、如実に現れている、といっていい。結局のところあの重圧の中、シュウの体力はかつてない速度で削られていったのだから。
「先輩、大丈夫ですか?」
「すまない……ちょっと手を貸してくれると助かる」
差し出されたマイヤの手を握る。じんわりと広がる温かさ。それがよすがとなり、シュウは平衡感覚を取り戻した。楔が一つあると大分違う、と聞いたことがあるが……どうやら本当のことらしい。
「マイこそ、無理をしないでくれ。ふらついてるじゃないか」
「いえ、私は……」
シュウを支えながら、言いよどむマイヤ。『問題ありません』といつもの彼女なら続けただろう。シュウに心配をかけるのが嫌だから、と理由をつけて。
でも今のマイヤは別だ。もうお互い、誤魔化さないと約束した。不安があるならきちんと言う。
「その……限界以上の力を使いすぎたのか、まだちょっと、戦闘の疲れが残っているみたいで」
「分かった……よし、俺はもう大丈夫だ。今度はマイが寄り掛かってくれ」
「ごめんなさい、先輩……」
「気にするな。こういうときくらい、格好をつけさせてくれ」
可憐な顔が、ふわりと緩められる。肩にかかる重みが僅かに増えた。うん、このくらいなら、やっぱり大丈夫だ。というかマイヤは軽すぎやしないだろうか。時々不安になってくる。曰く、食べた分は訓練ですぐ消費されてしまうとのことだが……。
それを抜きにしても、今の彼女は随分と力が入っていないように思えた。
シュウたちとの戦闘で見せた、殆ど聖霊の行使するそれに近い圧倒的な法術。『武装型アールマティ』に呑み込まれたマイヤは、事もなげにあれを使いこなしてみせたが……その分、相当に自分の身体を酷使していたと見える。
無理もない。いくらアールマティが身体強化・自動回復を兼ね備え、使い手の身体を補強するとはいえ、無茶な動きに奥義の連続発動はあまりに負荷が強すぎる。第一マイヤはこの軽さが証明する通り、実は近接戦闘があまり得意ではないのだ。圧倒的なセンスがそれをカバーするが……本来、マイヤは遠距離から光線や光剣で外敵を切り刻む戦い方の方が向いていたはず。
できれば、じっと休んでいて欲しい。もっと早く決着を付けられていれば、マイヤに無駄な体力消耗を強いることはなかったのだから。
「むぅ……ちょっとマイヤ。さっきからお兄様とべたべたしすぎではありませんこと? いえ、二人とも調子が悪いのは理解できますけど……度を越している気がしますわよ」
「エリナも来るか? 支えてくれる人が増えると俺も助かるんだが」
「喜んでご一緒させていただきます!!」
びしっ、と敬礼を決めたエリナが、失礼します、と近づいてくる。その手が、シュウの腕にかかるかかからないか、という、その瞬間。
「ひゃぁ……っ!?」
「ぐえっ」
ズズン、と重苦しい震動が、地の底から響き渡った。
足下の床の罅が、大きくなる。マイヤは姿勢を崩し、エリナに至っては足場を失い、頭から転倒しかける。
「マイ、エリナ!」
反射的に体は動いた。腹部の傷が開きかけるがおかまいなしだ。激痛に痺れる体を何とか動かして、シュウはマイヤとエリナに両手を伸ばす。
そのかいあって、倒れる寸前の少女たちを無事抱き留められた。上がる感謝の声に応えている余裕はない。強烈な縦揺れの地震は、それからおよそ三十秒ほど、央都の大地を揺さぶり続けたのだから。おまけに本震が終わった後も、小さな揺れが延々と続く。
「ななななんですのこれは……!?」
エリナがわたわたと悲鳴を漏らす。至近距離で見つめる彼女の瞳は、動揺の色を帯びていた。そこに写る自分の顔からも、似たような感情が読み取れる。
「しゅう、みんな……あぶない……!」
か細いアリアの声が届く。はっ、と顔を上げれば、はく離した天井の一部が、自分たち目掛けて降ってくるところだった。間一髪、落下地点から離脱。バキィ、という重苦しい音が、もしかしたら自分たちから放たれていたかと思うとぞっとする。
見れば震動の影響だろうか。戦闘によって既に無惨な姿になっていた聖堂が、見る見るうちに巨大な罅我を生んでいく。崩壊が近い、と悟るのに、時間は全く必要なかった。
イスラーフィールが忌々し気に吐き捨てる。
「くそっ……巻き込まれるか……!」
「撤退するぞ。ここに居ては全員生き埋めだ」
その道を切り開くがごとく、アルケイデスが剣を振るう。放たれた純白の衝撃波が、聖堂奥、スピターマが最初に使おうとした扉を破壊した。外の景色が飛び込んでくる。アリアを背負ったイスラーフィールを先頭に、シュウ達は駆け足でをの門を潜り抜けた。
殿を務めたアルケイデスが距離を取るのとほぼ同時に、つい先ほどまで激戦を繰り広げた、銀の尖塔が瓦礫と変わる。四百年、この世界を象徴していた建造物の最期――あまりにも呆気ないそれが、言いようのない寂しさを与えてくる。
一応、敵対組織の根城、ということだったのだろう。そう考えれば、なにか達成感の一つでも味わいそうなものだが……ただ、もの悲しさが残るだけだった。スプンタマンユは兎も角として、ファザー・スピターマと分かり合うことはできたのではないか、という後悔が鎌首をもたげてきた。
けれど、その感傷に浸っている暇などない。
何せ大空を隠していた塔の崩壊は、今まで見えていなかった風景の変化を見せつけてきたのだから。
「なんですの、あれ……」
瓦礫の向こう――来る時に見た、噴水広場のすぐ近くに、半透明の、粘土細工のような物体が屹立していた。
形状はヒトガタ。先端に行くにつれて太くなる、異様に長い腕が特徴的だ。昔見た歌劇に、あんな感じの魔物が登場した様な気がする。確か……そう、模造生命。
先の地震は、あれが出現したときのものだったらしい。
全長、目算にして四十メートル以上――迷宮の最奥、『門』を守護する超巨大魔物ですらあそこまで大きくない。
額の辺りが、ちりちりと違和感を訴えてくる。全身が湧き立つようなこの感触……覚えがある。というより、つい先ほどまで自分たちを抑えつけていたものとまるで同じだ。
あの巨人は魔物などではない。それどころか正反対の位置にあると確信する。
「法力の、巨人……?」
屹立する半透明の肉体は、全て法力で構成されていた。
生命維持に法力を使う、完全なる結晶生命。
異境における魔族。この世界に最初から存在していてもおかしくはなかった、聖霊王の眷族たち。
「馬鹿な――」
耳に届いたイスラーフィールの声は、聞いたことがないほどに震えていた。淡い黄金に煌く双眸には、今、情報の女王ですら理解をためらう、壮絶な事実が描かれているに違いない。
彼女は一人、己に現実を叩きつける機巧の天使と口論する。
「あの半透明の模造生命が……全て聖霊、だと……!? それに……なんだこの反応……十柱……いや、ニ十柱か!? 央都及びその近郊だけでその数。八大陸全てに目を向ければ、想像もつかん総数だ……!」
「な……」
耳に飛び込んでくるその内容に、エリナが絶句する。マイヤもまた、言葉を失っていた。シュウ自身、自分の呟きが肯定されてしまった戦慄に、体を動かせないでいる。
スラエオータナが宿っていた一年間の間で、シュウは大気中の法力と魔力を詳細に探知し分けることが可能になっている。滞留する粒子をはっきりと視認できたのも、その影響によるところが多い。恐らくエリナやアリアには、聖堂内に満ちていた光は見えていなかっただろうから。
そんな彼女たちにすら目視できるほどの、濃密な法力の結晶体。スライム、あるいは幽体めいた半透明の身体は、あれを呼び出した張本人、聖霊王オフルミズドのそれとまるで同じ性質を備えているように見える。
分体、という言葉が脳裏に浮かんだ。一柱で自分たち全員を凌駕して見せた、最強の法術、その化身。
その力を宿した巨体……いわば『模造聖霊』が、この央都だけで二十柱……!?
嘘だ、と叫び出したくなる。
けれどその衝動はすぐに鎮静化された。正確には、真正面から突き付けられた現実に敗北した……と言った方がいい。
水平線を覆い隠し、『教会』本部と中央都市を隔てる城壁。その向こうに、新たな模造聖霊の姿が屹立したのだ。それも一柱だけではない。二柱、五柱……いや、もっと。それこそ、イスラーフィールが告げた通り、二十柱いるように見える。
「ど、どどどどうやって戦えばいいんですの、あれ!? 流石の私でも死にますわよ!?」
「いくらなんでも、あの数は……!」
マイヤが歯噛みする。敵が法力の塊である、ということが何を意味するのか、気付いているのだろう。
善性存在なのだ。
あの巨人は、人間と同じ、こちら側の世界の象徴。つまりは同胞なのである。本来仲間たちに向けられるべきではない技である法術は、模造聖霊たちを撃ち抜く前に、減衰してしまうに違いない。
「真正面から打ち破るしかなかろう。そうしなければ、あの腹立たしい聖霊を追いかけることもできん」
――それでもなお、やるしかない、と。
アルケイデスが銀の剣を抜き放ち、構える。
「ちっ……狭間への扉が開き切るのが先か、人間たちが聖霊を潰し切るのが先かのデスレース、ってことか……!」
舌打ちと同時に、機械の天使を顕現させるイスラーフィール。ああもう! と悪態をつくと、エリナも十字槌を展開。それに続くように、マイヤも光の翼を展開した。皆、本調子ではなさそうだが……文句を言っている暇はない。
シュウも腰から、黒曜石の短剣を取り出す。メンテナンス無しで随分酷使した。帰ったら、綺麗に磨いてやるからな、と、心の中で愛剣に誓う。こういう約束事をしておくと、危機的状況からも帰還できる、というジンクスを聞いたことがある。別段、それを信じているわけではないが……この状況では、そんな小さな行い一つが、未来を変えるように思えてならなかった。
敵は模造聖霊。大気中に滞留する法力を結晶化させた、いわば法力の塊だ。
スラエオータナがあれば……と歯噛みする。法力と魔力を操り、吸収し、削り取ることが可能なあの槍があれば、この状況に苦戦することもなかっただろう。一振りで数多の聖霊を打ち倒すことができたはずだ。
「……ううん、それじゃぁだめ」
しかし、その決意を、否定する声が一つ。
アリアだった。先程まで、活性化した法力に苦しめられ、青ざめ呻いていたはずなのに……今の彼女は、不思議なほどに落ち着いていた。
ゆっくりと首を振るアリア。見開いたその銀の瞳に、屈む巨神を静かに捉え、吐息を一つ。
彼女の言葉、振る舞い、その雰囲気が、どこかいつもと違っているように見えて、視線を外せない。動けと命令しても、足が自由に動かない。
「それじゃぁ、だめだよ。おいつかない。むこうのほうが、ふえるのがはやい」
「増える……?」
「うん。あすらのおうさまがいきてるかぎり、あれはずっとうまれつづけるから」
知り得るはずもないことを紡いでいくアリアの姿に、今更ながらに思い出す。
アリア=ザッハークは悪性存在最強の存在、魔族。そしてその中でも、最上位に位置する氏族の娘。
特別な存在。
この状況、善悪のバランスが極端に崩れた現状に対抗する……そのために生まれた女の子。
「しゅう」
異境の歌姫は、そっとこちらを伺ってくる。不安げに揺れる視線は、この状況への畏怖だろうか……いや、違う?
なんだろう、あの表情は。確かに弱気な情動からくるもののように思えるのだが、死や破滅に対する恐怖感から来たものではないように見える。どちらかといえば、そう――
「しゅう、おねがいがあるの」
「お願い……?」
「うん。あのね――」
欲しいもの、それも絶対に親が『駄目だ』と答えるようなモノをねだる、子供のような瞳だ。
直感的に悟った。それはこの状況を打破する、切り札に近いモノなのだと。
同時に……今までとこれからを分断する、禁じ手に近いモノなのだと。
アリアの桜色の唇が開く。
出逢ったころのような、硝子を思わす儚い声で。
「しゅう。わたしをころして」
邪竜の巫女は、歌うようにそう願った。




