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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第一章:邪竜の巫女は唄う
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第七話『善であること、悪であること』

「ふーん、それでお前が、この娘の名前を考えることになったと」


魔族の少女が目を覚まし、シュウの手によってアリアと名付けられてから三日ほどが経過した。シュウとマイヤは、昼は学園の授業や実習に出て、それらが終わったら学長棟に赴き、最上階で待っているアリアのところに帰る、という生活を続けている。

 何となく分かっていたことではあったが、アリアという魔族は、16歳ほどの外見をしてはいるものの、極端に精神が幼い。赤子ほどではないが、6歳から10歳くらいの少女が示すものと同じ程度の反応を返すのだ。これが魔族に特有のものなのか、アリアだけに起こっているのかはシュウには分からなかった。マイヤも魔族と直接遭遇するのはこれが初めてだそうで、やはり分からないという。

 

 一般に、魔族は非常に高い知性を持つとされる。アリアも、知識面や精神面が幼いだけで、知能は明らかに高い。部屋にあった、正方形をがちゃがちゃと回して絵柄をそろえるパズルをやらせてみたのだが、恐るべき速度で最適解を導き出す。それはシュウの主観から見た話だ。しかし、「私、あんなに速くできません」とマイヤが驚いていたので、実際とんでもなく速いのだろう。マイヤは座学や知能面でも非常に優秀なのだ。時々空回りするが、まぁ、そこは16歳という年相応だ。微笑ましいと思うべきだろう。逆に完璧すぎては、シュウが年長者として存在する意味が完全に失せる。繰り返すが、今でさえそれはほとんど存在していないというのに。


 そういうわけで、シュウとマイヤは経過報告も兼ねて、学園長室を訪れていた。イスラーフィールはいつでも暇なわけではない。特にここ最近は、『学園内に魔族を匿っている』という事実の隠蔽のために『顕現型スラオシャ』で情報統制を敷く作業に全力をかけていたため、シュウたちと会う余裕がなかったのだ。

 作業がひと段落したという事で、「久しぶりに顔を見せろ」という、なんだか孫との対面を楽しみにする親の様な事を言った彼女のもとに、アリアを連れてやってきた、というのがこれまでの経緯である。


 シュウが彼女に名前を付けるまでの流れを説明すると、イスラーフィールは冒頭の言葉と共に椅子へと体重をかけた。その様子にシュウは苦笑いをして応える。


「ええ、まぁ。俺なんかが考えていいのかは良くわかりませんが……本人も気に入ってくれている様なので……」


 ちらり、と視線を外せば、シュウのすぐ右後ろにはマイヤが立ち、その向こうにアリアがいる。アリアは物珍しそうにきょろきょろと学園長室を見渡していた。イスラーフィールの法術で明るい樹林の風景を映し出しているガラス窓に近づいては、「ふぉぉぉぉ……」などと妙な声を出していた。目をキラキラと輝かせる姿は、成熟した外見とのギャップもあって、妙に小動物的というか、可愛らしさを強調させる。意識を失っている間はただただ美しい少女だと思ったのだが、どちらかというと『かわいい系』という奴なのだろうか。

 良く分からないのでマイヤに聞いてみたいのだが、この手の話題を出してもいいのか分からず、結局シュウは何も聞けず仕舞いである。


 と、アリアが視線に気づいたのか、ふとこちらをみた。


「……?」


 彼女はぱちくりと目を瞬かせると、にへら、と形容するのが似合う、柔らかい笑顔で笑った。


 その姿に学園長は呟いた。


「愛らしいな」

「ええ、本当に」


 マイヤの微笑みと共に発せられた返答に、イスラーフィールが笑う。彼女の笑顔は大抵の場合策謀家の笑顔なので、どこか空恐ろしいのだが、今の笑顔は本当に優しそうな笑顔で。ああ、この人もこんな風に笑うのだな、と、シュウはどこか感慨深く思う。

 学園長の少女時代のことは、当たり前だが全く知らない。が、彼女にもこんな笑顔を日常的に浮かべるような時期があったのだろうか——と、柄にもなく考えてしまった。


 その思考を読まれたのか。


「……フェリドゥーン、何か失礼なことを考えていないか」


 学園長はじとっ、とした目つきでこちらを睨んでできた。焦って「何でもないです」と返すと、


「ふん、どうだかな」


 鼻で笑われてしまった。やはり嘘は良くない、と悟ったシュウである。


 イスラーフィールは再びアリアに目を向ける。


「彼女を見ていると、人間と魔族の間に根源的な違いなど存在しないのだ、という事を強く強く実感するよ……はぁ、なぜこんな世界になってしまったのか」


 彼女のつくため息が、シュウの心にも突き刺さる。

 

 人間と魔族。本来は一つの『人類』であったはずの両者の分裂は、善と悪の勢力に分かれての対立が起源であったとされる。だが、何故人類は善と悪、という、綺麗に二分割された勢力に分かたれたのか? 何故争いをはじめ、世界さえも一度は滅ぼすことになったのか? ——そもそも、『善』と『悪』の基準は何なのだろうか? 善性存在、悪性存在とはいうモノの、それはトゥランの側から見れば、逆なのではないか——?


 渦巻く。疑問が。不信感が。何への? ——無論、この世界への。

 何が正しいのか。自分が成すことは正しいのか。何を成すべきなのか。何を信じるべきなのか。


 分からない。

 分からない。

 分からない。

 

 何も。何一つとして———————


「先輩……先輩!」


 はっ、と我に返る。マイヤが心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。思考の海に沈みすぎたらしい。考え出すと止まらない、悪い癖だ。彼女は良くそんな自分を引き上げてくれる。感謝しかない。


「悪い、マイ」

「いえ……あの、どこか具合が悪いのですか? ここ最近、働き尽くめでしたし……その、少し休養を取られては……」


 ああ、またこの娘はこのような事を言う。本当に大変なのは彼女の方だろうに。自分よりもあらゆる面で力のある彼女は、もしもの時にシュウとアリアを護ると言って、ここ最近常に警戒しっぱなしなのだ。


「いや、大丈夫だ。ありがとう。マイはやはり優しいな」

「……そんなこと、無いです。先輩に倒れられたら、いろいろ困るだけですから」


 ふい、とそっぽを向いてしまうマイヤ。性懲りもなく機嫌を損ねさせたらしい。いよいよ何を言えばいいのかさえも良く分からなくなり始めている。

 が、せめてこれだけは言いたかった。


「マイも疲れているだろう。君の方こそ休んでくれ」

「大丈夫です。先輩が起きていらっしゃるのに、私だけ休むわけには行きませんから」


 しかしマイヤは生真面目な表情で、即座に答えてくるだけだ。彼女のこういうところが頼もしくもあるのだが、同時に不安でもある。いつか、耐えきれなくなって壊れてしまうのではないか、と。

 シュウはそれをひどく恐れる。ただでさえ、自分の力不足のせいで彼女には負担をかけているのに——


「何か手伝えることがあるなら言ってほしい。俺の力が及ぶことなら、可能な限り手伝おう」

「ありがとうございます、先輩」


 ふっ、と、マイヤが笑ってくれた。良かった——と、シュウは心の中で安堵した。


「やはり君は笑っている方が可愛らしいな」


 無意識に口に出していたらしい。マイヤがぼっ、と真っ赤になって、


「また先輩は……! 馬鹿なことを言わないでくださいっ!」


 と怒りだしたことでそのことに気づく。最近、彼女を怒らせてばかりだ。ああ、どうすれば良い——


 シュウが真剣にそう悩んでいると、イスラーフィールが笑い出した。


「はははは、お前たちはいつ見ても面白いな。だからこそ、魔族の娘——アリア、と呼ぶことにしたのだったな——彼女も不安がることなく過ごせているのだろう」


 そうだろうか? と、シュウは心の中で自らに問う。そうかもしれないな、と、回答した。

 

 アリアの精神は幼い。そして幼子というのは、周囲の人間の感情の機微に妙にさとい所がある、と、何処かで聞いた覚えがあった。

 シュウがおかしなことを言うと、マイヤは良く冗談を言うなと怒りだす。しかしシュウが悪意を持ってそれを口に出しているわけではないし、マイヤも別に心の底から激怒している、というわけではないように思う。以前イスラーフィールが、「馬鹿め、あれは照れ隠しをしているだけだよ」と解説していたことがあったが、それがどういう事なのか理解できなかったことは別として、つまりは悪意ある憤怒ではない、という事だ。

 

 当然のことと言えば当然のことである。シュウもマイヤも、互いに悪意を抱くような必要性はどこにもない。寧ろシュウはマイヤに感謝の念を抱くばかりだ。


 そのことを口にすると、イスラーフィールはだろうな、と呟いた。


「お前たちと彼女の出会いが、善悪の境界を融かす一助になってくれれば、と思うんだが……」

 

 イスラーフィールが彼女には珍しく憂いを帯びた表情をとる。その言葉を聞いて、シュウはある計画を立てていたことを思い出した。というより、本来ならばこの話を最初にするべきだったのである。


 人間と、魔族の融和——互いの垣根を崩すための行動。

 

「そのことなのですが、アリアにスプンタ語を教えようと思うのです」

「ほう?」


 シュウが思い出しているのは、昨日の夕方の事だ。マイヤが料理をしている間、シュウが呪術に関係する本を暇つぶしに読んでいると、アリアがとことこと近づいてきたのだ。


「どうした? アリア」


 問うても反応は帰ってこない。彼女はじー、っとシュウの手元の本を見るだけだ。そういえばこれまでにも、シュウやマイヤがスプンタ語の文章を読んでいると、彼女は近づいてきてその文字列をじっと眺めていることが多かった。


「……これが気になるのか?」

「……」


 こくり、とアリアが頷いたことで、彼女が本に——正確には、そこに書かれたスプンタ語に興味を示しているのだ、という事に、シュウは気が付いた。


 アリアたち魔族(トゥラン)が使う『ダエーワ語』と、シュウたち人間(パルス)の使う『スプンタ語』は異なる言語だ。大本が同じだと推測されるため、注意してアリアの言葉を聞くと何となく意味が分かる単語(例えば『名前』をあらわす単語は、シュウの知るスプンタ語のそれと非常に良く似た発音をする)もあるのだが、多くの部分に於いて異なる箇所が存在し、正確に何を言っているのかを理解するのは難しい。


「こちらからの言葉は何となく理解している様なのですが……」


 最初に彼女と会話をした時も、シュウの謝罪をアリアは理解した。都合がよすぎる、と言えばそこまでなのだが、これに関してはイスラーフィールが考え込んだのちに見解を示した。


「ふぅむ、面白いな。こちらはダエーワ語に関する知識は全くと言っていいほど伝わっていないが、異郷ノドではある程度普通にスプンタ語の知識が流通しているのかもしれん」

「……教会の執拗なまでの異郷文化排斥の影響ですね……」

 

 マイヤが残念そうな表情をとる。彼女は非常に生真面目な人間だが、積極的な悪性存在排斥派ではない。事実としてアリアを狙撃したのも、彼女がシュウに危害を加える可能性に過敏に反応しただけであるのだから。

 ここ数日で、マイヤもアリアと随分親しくなった。あの銀色の少女の故郷の事や、彼女の育った世界の文化を自分たちが知らないことを、彼女なりに憂いているのだろう。


 教会は、善性存在と悪性存在を明確に区分する。

 悪性存在は『絶対悪』の復活によって両者の世界を『悪』で支配しようとしている。故に滅ぼすべきだ——そのような内容の予言が、『天則』として人類に浸透している時点で察することが可能だが、彼らは悪性存在に文明めいたことが存在する、という事さえも否定するのだ。

 幸いにしてシュウやマイヤは、イスラーフィールという、中立に近い存在と近しい立場にあったため、魔族も理知的な生活をしていると知っていた。何より、アリアという魔族との出会いが、それを確定させるものとなった。


 ますますシュウの中での教会への不信感が高まったのは言うまでもない。だが、ここで思考の海に沈んでしまえば、また先ほどの様になってしまう——と、シュウは無理やり己を律する。


 イスラーフィールの深いダークブラウンの瞳をその碧眼で見据え、シュウは述べた。


「何にせよ、こちらが彼女の言葉を理解できない、というのは少々問題です。本来なら我々がダエーワ語を習得するべきなのでしょうが、先生もおっしゃった通り我々にダエーワ語の知識はない。それよりは、彼女がスプンタ語を覚える方が早い筈です」

「実際、アリアさんが物事を覚えるのは非常に速いです」


 マイヤも後押しをしてくれる。アリアがここ三日ほどでできるようになったことは多い。最近は見よう見まねで料理までし始めたのだが、意外と上手なのだ。マイヤが何故か焦りの表情を浮かべていたのだが、どういう事だったのだろうか。


「ほう、そんなに速いのか」

「はい。それはもう、スポンジのような吸収速度です。まるで、無垢な赤ちゃんの——」


 と、そこでマイヤの言葉が止まる。どうしたのだろうか、と思ってみてみると、何かに気が付いたのか顔を真っ赤にして呻いていた。その様子を見てイスラーフィールがニヤニヤと笑っている。また何かからかわれたのだろう。


 満足したのだろうか。美貌の学園長は普段の表情に戻ると、シュウの方に向き直って、


「良いだろう。幸いにして、フェリドゥーンもフィルドゥシーも座学の方は問題ないからな。ある程度時間に余裕があるだろう」


 彼の計画にゴーサインを出した。

 その反応に、シュウは意外なものを感じて、

 

「……俺も参加して良いのですか?」


 問い直してしまっていた。

 するとイスラーフィールは信じられないものを見た、と言わんばかりの妙な表情をとる。

 

「何を言っているんだお前は。自分で考えた案だろう」

「いえ……成績的に、俺は参加できずに、マイだけが教えることになるのかな、と……」


 シュウのトータルでの成績は学年最下位だ。当たり前である。彼は法術が使用できないため、実技点はほぼ全くの零点だ。マイヤという優秀な後輩と組んで初めて『実地研修評価』の点数が出、何とか六十パーセントの成績を維持、補修を免れているレベルだというのに。  


「あの、先輩……この間の座学試験の結果、拝見したのですけれども……学年一位でしたよね?」

「ああ、一応……だけど満点ではなかったし、実技の方は相変わらず零点だ。使う事の出来ない知識ばかりを蓄えていても、それが利点だとは言えない、と思うのだが……」


 尻すぼみになってしまったのは、マイヤとイスラーフィールが顔を見合わせて「何を言っているんだこいつは」という表情を再びとったからだ。奥の方でアリアが不思議そうに首を傾げているのが見える。話を聞いていたわけではなさそうだが、変な空気になったのを察したのだろうか。


 数瞬の後にイスラーフィールはこちらへと向き直ると、「あのなぁ」と切り出した。


「お前、多少は自分に自信を持った方がいいぞ。少なくとも座学面でお前ほど勤勉なやつは、悪いが見たことがない。自己研究も欠かしていないようだしな。得にお前が、このあいだ趣味で持ってきた『法力(ガーサー)の存在と呪術の関係性について』の論文は興味深かった。呪術使いだからこその視点故の、これまでに誰も考えたことの無い側面からの考察が非常に面白い。お前が法術師でないが故に、学会に出せないのが残念で仕方がないぞ」


 そういえばそんな内容の文章を書いたな、と、シュウは今更思い出す。


 魔力(プラーナ)と違って、存在しているのかどうかも定かではない法力。だが、『正義の種火(アナヒット・ランプ)』の様に疑似的な法術を発動させることができる呪術が存在する。このことから、確かにこの世界に存在するのではないか、とシュウは考えていた。そもそも法術使い達がどのように法術を使っているのかは良く分からないが、マイヤから聞いた様子では、呪術とさほど違いがあるようには思えない。恐らくその差は法力を使用するかしないかなのだ。

 そして、聖別された火——つまり、恐らくは法力を含む火なのであろうプリズムの聖火を燃え上がらせ、体積を増やすだけではなく『悪性存在特効』の()()()()()()()効果をもたらすことから、呪術には法力に干渉する力があるのではないか——

 

 概ねそんな内容の論文だったと思うが、所詮は落ちこぼれ呪術使いの世迷言だ。発表できないからと言って、権威ある法術師のイスラーフィールが残念がるようなことでは無い。


「仕方ないことです。俺は落第生ですし、それにもっと強力な呪術使いの方が、そのうちもっときちんとした論文を発表するはずですよ」

「先輩は本当に欲がないというか、無自覚というか……時々不安になりますよね……」

  

 シュウが真顔でイスラーフィールに答えると、マイヤがはぁ、と小さくため息をついた。


 兎も角、と、学園長は話を戻す。


「本当なら専門のスプンタ語教師を付けてやりたいが……魔族の存在を公にするわけにもいかんのでな。お前たちに任せきりになると思う」

 

 何せアリア保護の本来の目的は、最強の法術師にして悪性存在の処刑者、マグナス・ハーキュリーの目から彼女を隠すことなのだ。学園中にそれを知れ渡らせるわけには行かない。


 そんな意図があってのイスラーフィールの言葉を、しかしシュウは無責任だ、とは思わなかった。イスラーフィールの対応は当然のことだし、何より——


「私たちが好きでやっていることなので。気にしないでください」


 マイヤが代弁してくれたように、シュウたちが、アリアと互いに言葉を交わして、意味を理解し合いたいのだ。


 その意思を伝えると、イスラーフィールは苦笑して続ける。


「そういってもらえると助かる。私もできる限りの援助はしよう」


 学園長室の窓に張り付いていたアリアが、また、不思議そうに小首を傾げた。

 いるのかどうかは分かりませんが待っていてくださった方、大変長らくお待たせしました。PCの修理が終わりましたので、漸くお届けできた次第でございます。

 今回も読んでいただき、ありがとうございました。

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