第十二話『結び直し』
「こっちですわよこのすっとこどっこい!」
ズン、と大気を震わせて、銀の十字槌が地面を叩く。床に引かれたひび割れの内から、ぼごり、と音を立てて土塊の柱が伸びた。その速度と勢い、全速力の馬車もかくや。もしシュウがあれと激突したならば、旧時代の度量衡にして五メートルは軽く吹き飛ぶだけでなく、四肢の骨と筋肉をずたずたにやられることだろう。下手をすれば背骨も持っていかれかねない。大地の怒りとは想定外に恐ろしいものだ。
そんなオーバーパワーな一撃を放ってもなお、エリナの表情にはまるで余裕が見えない。それはライバルを殺さぬよう、力の制御に苦心している様子とは真逆。むしろ全力を超える全力、自身の全てを注ぎ込もうとする、苦しげな表情だった。
彼女にも、シュウにも、そして魔術の詠唱を開始しているアリアにも、分かっているのだ。どれだけ破壊のイメージを込めたとしても。どれだけ強力に法力を操作できたとしても。
この一撃、マイヤ・フィルドゥシーにはまるで効果がない、と。
「……」
その予想に違わず、マイヤは虚ろな表情のまま、片手で受け止めた。光の翼を広げ、中空に浮かんだまま、彼女は破砕の一撃を耐えきった。
その位置を一切変えることなく行われた、あり得べからざる行為に、シュウは内心で舌を巻く。やはり強い。攻撃力の圧倒的な高さは『武装型アールマティ』を象徴するところだが、防御力の異質なまでの高さもまた、マイヤを、並み居る育成学園生徒、その中でも最強の法術師たらしめている要素だ。
三対六枚の翼が輝く。その輝きはやがて大気中を漂う法力へと伝染し、剣の形を描いて行く。二秒もしないうちにシェイプシフトが完了。天井を被い尽くすように、刃の切っ先がシュウ達を狙う。
虚ろなる者に導き在れ――祝詞はなくとも、込められた意志、献身を司る光輝女神が、マイヤの法術に託した力はよく理解できた。
容赦なく、効率的に、敵対者の行動を止め、戦闘継続の可能性を根こそぎ奪い取る。
奥義、『光輝女神の眼差し』の雨が降る。
豪雨、と言った方が良いかもしれない。故郷、極東大陸では、六の月の辺りになると、ほぼ一か月中ずっと強烈な雨が降る。流石に南方大陸の雨季ほどではないだろうが……ある意味ではそれよりもタチの悪い暴風雨。
自分たち目掛けて飛来する光の細剣群。その光景は、その大雨の中、傘を放りだして空を見上げたときのそれとよく似ていた。いっそ美しささえ感じさせるそれ。命を奪いに来るモノとは、どうしてかくも綺麗なのだろう――。
いや、そんなことを考えている場合ではなく。
「っ……!」
「ちょっ……そっち!? 次はそっちに着弾ですの!? ああもう、追いつきませんわ!」
「あう、わわわわぁっ?」
僅かな間隙を縫い、一発一発、それを丁寧に避けていく。シュウは強化した動体視力で。エリナは術式そのものを騙しながら。アリアは回避不能と判断した雫を、魔力障壁で迎撃しながら。
獲物を撃ち抜き損ねた光線は、大地を穿ち、砕き、目に見えないほどの塵へと変えていく。法力の多いこの場所では、込めた『信じる心』がより明白に、より強力に形になる。マイヤの描く決着のイメージが、徹底的かつ極めてクリアに、現実のものになろうとしているのだ。
だが所詮それはイメージに過ぎない。外的要因の所作で、いかようにも変えることが出来るはずだ。
現に全ての光剣が力を使い果たすまで、シュウ達はなんとか逃げ切ることに成功した。無論、想像を絶する疲労感に手足は痺れ、思考にももやがかかり、法術も魔術も、発動状態を保ち切れず明滅を繰り返していたが。
砂塵舞い散る聖堂の天井から、青色の法術師が降下してくる。光の翼を消去しながら、息の乱れさえ感じさせずに。
時間にして、凡そ五分。それだけの間、マイヤは同じ法術を使い続けたのだ。だというのに、この余裕ぶり。シュウは彼女の鍛錬の内容をよく知っているが、とてもではないがそれだけでたどり着ける極致とは思えなかった。才能、と一言で片づけてしまうのは、何に対しても良くないことだが……それでも今だけは、彼女が『天才』であるから、と言い表さざるを得ない気がしてしまう。
流石のマイヤでも、砲台と化すためにはあの場を動くことは叶わなかったようだが……それにしても驚異的な集中力と発動時間。あれで雨を自らかいくぐり、自分たちと白兵戦を演じることが出来るまでになったなら、正真正銘、この世界最強の法術師はアルケイデスではなくマイヤになる。そんな確信が持てるほどだ。
剣へと変わり、使い終わった後霧散する法力。そのサイクルを無理矢理次のサイクルの開始点に連結しし、無尽蔵に次の剣を装填する。そんな動作が可能なのかと瞠目してしまうが、それができるのがシュウの誰よりも大切な相棒なのである。彼女の隣に並び立つことが、どれだけ難しいことだったのか。再確認したその現実が、シュウの手に、隠しようのない震えをもたらした。
……駄目だ。諦めてはだめだ。自分が真っ先に、マイヤを取り戻すのは不可能だ、なんて考えてどうする。そんなようでは、本当に彼女を喪ってしまう。
それは嫌だ。絶対に取り戻すのだ。皆で一緒に、帰るんだ。
それで今度こそ、彼女の隣に。
「も、もう、たってられないよぉ……」
「流石に、休憩の一つくらい……欲しいものですわ……!」
「皆、すまない……でももう少し、頑張ってくれ……!」
アリアがよろめき、座り込みかける。エリナも殆ど同じような状態で、辛うじて槌を支えにできている程度。シュウもまた、屈しそうになる膝を無理矢理立たせる。マイヤは隙を狙った攻撃こそしてきていないが、これから先もそうなのかまでは分からないからだ。第一、彼女の次の行動に対処できる姿勢を取っておかなければ、マイヤがどんなに弱い技を使ってきたとしても、自分たちは即座に壊滅する――そんな未来が目に見える。マイヤにとっての『弱い』と、自分たちにとっての『弱い』は間違いなく意味合いを異ならせるからだ。
仲間たちに、不確かな言葉しか言えない自分を呪いたくなる。それでも気丈に、頷いてくれる少女たちに、無上の感謝を捧げたくなる。
でもそれは、全部が終わった後にしよう。そう決めて、警戒態勢に入る。
周囲は、驚くほどの沈黙に支配されていた。背後で戦っているはずの、イスラーフィールとアルケイデスの剣戟音は聞こえない。この場に集った全ての人物、彼らの間で数十、数百と交わされた異能の応酬が空気を変質させ、音の伝道を乱しているのだ。
聞こえる音、聞こえない音がランダムになっているのだろう。流石にエリナやアリアほど近くに居れば、通常通りに伝達できるようだが……。
「そのまま、そこで待っていてください……先輩……」
その静寂を切り裂いて、囁く様な声が、ひとつ。
陽だまりのような温かさはそこにはない。極寒の海を思わす冷たい宣告が、距離を無視してシュウまで届く。
先の衝突で開いた、聖堂の天孔。降り注ぐ陽光が法力の粒子と反応し、きらきらと金色の煌きで空間を満たす。オーロラめいたもやの彼方から、小さな靴音が響いてくる。右手にだらりと銀剣を下げ、マイヤが次なる攻撃動作を予告していた。まだ止まらない、まだ終わらない、彼女と自分たちの戦いは、まだ終着点を見せてはくれない。
エリナが再び、十字槌を顕現させた。法術師には『ハルワタート』の幻想雷撃は通用しづらい。が、さりとて威力減衰が著しい『アムルタート』を使うわけにもいかない、ということだろう。続くように、アリアの影がゆらりとざわめく。蛇にも似た形状に波打つそれは、抑えつけられる一筋一筋の力を、数で補っているように見えた。
シュウも短剣を構え直す。命を腐らす毒の炎と、命を吸い取る凍てつく大気。どちらもこの場所では全力を発揮できないが……『アールマティ』のもたらす非実体の刀身と、切り結ぶための力くらいは与えてくれる。
彼我の距離はまだ開いている。六メートル、五メートル、四メートル――開翼、少女の海色の髪が揺れる。その姿が、霧に覆われたように強くブレた。瞬間移動……!?
「いや、違う!!」
翼が靄のように立ち込める法力、それを吸収し、推進力に変換したのだ。その証拠は、彼女と鍔迫り合いを始めた瞬間、シュウの視界に収められる。
鈍く、それでいて高い、金属音とも、硝子の音ともつかない、奇妙なほど透き通った激突の音が響き渡る。光の剣を闇の短剣に押しとどめられ、停止したマイヤの背中には、これまでの、鳥の翼とも妖精めいた虫の翅ともつかない半透明の翼ではなく、巨大な、白い聖霊の翼が開いていたのだ。
きらきらと舞い踊る法力が、その羽の一枚一枚から零れ出る。
これまで彼女が習得してきた、特殊技能『女神の光を』が生み出すそれとは別系統。『女神に祈りを』に由来する、自分も知らないマイヤの奥義。この戦闘の間に覚醒した、彼女の新しい力。
ぞん、と背筋を、驚くほど冷たい感触が撫で上げる。
一体どこまで、この子は進化を続けるのだろう。マイヤ・フィルドゥシーについて分かっていたはずの全てが、急激に拠り所をなくしていくような感覚。
「先輩、大人しくしていてください……私に、あなたを守らせてください……」
嘆きを湛えた青い瞳が、シュウの顔を覗き込む。
それが徹頭徹尾……それこそ、こうして敵対したとしても。全部全部、なにもかも自分のために得たものなのだ、という事実が、どこまでもシュウの心を締め上げる。相手のために何かをしようとすればするほど、二人の距離が離れていくような気がして。
ぎゃりっ、と嫌な音を立てて、均衡が崩れる。短剣の傾斜が、光の刃を押しとどめていられなくなる。滑り落ちたその刀身が、無防備なシュウの手首を跳ね飛ばす――
「そこまでですわ、この……っ!」
直前に、右方から体当たりを敢行したエリナによって、シュウは戦線からふきとばされた。間一髪である。途切れた緊張の糸のせいだろうか。全身の鳥肌が、ぞわり。
「お兄様の独り占めは許しませんわよ!」
「こちらこそ……先輩は、渡しません……!」
両目を紅く光らせたエリナが、今度は『アムルタート』の力を解放する。対抗するように、マイヤも長剣に法力を集め、その刀身をずるりと伸ばした。
金属音。マイヤの剣もエリナの斧も、構成物質は鉄ではない。それどころか、物理的な接触ですらないというのに、その音は高く響き渡る。法力に満たされた空間が、視覚情報が得た錯覚を投影し、幻想の音を伝えているのだ。
舞い散る火花。互いの装備の質は伯仲。武術の腕も、正直殆ど互角だろう。
けれど押されているのはエリナの方だ。圧倒的、ただ圧倒的に、マイヤ・フィルドゥシーは法術師として、エリナ・キュリオスハートよりも格上なだけ。ただそれだけ。そして、それが最大の理由。
呻き声と共にエリナの顔が歪む。炸裂音と強烈な閃光。大上段からの切り降ろしが、彼女の細い体を弾き飛ばした。マイヤは聖霊の翼を震わせて、宿敵に向けて追撃を放つ。吹き飛ばされたエリナを見送り、彼女は静かに残身する。
少女の口が、大きく開く。
喉の奥、或いは腹の底から、彼女がこの一撃に賭ける思いが、突き動かされるようにあふれ出して――
「先輩は……先輩はずっと、私の傍に……!」
その、絞り出すような叫びが、耳に届いたとき。
ぴりっ、と。脳裏に電流が奔った、ような気がした。
その錯覚は次々に記憶を呼び起こしていく。彼女が、見せられた未来に屈した理由が、分かってくる。
マイヤが自分に向ける視線。何かを言おうとしてすぐに噤まれる口。我慢をしているような。何かを、隠しているような……それはきっと、決して悪いこと、間違ったことではないのだけれど、でも彼女にとっては、凄く後ろめたい『お願い』で。
「そうか……そういうことだったのか……!!」
どうして、気付いてやれなかったのだろう。
彼女はずっと、それこそ最初に想いを交わし合ったあの頃から……いいや、もしかしたらそれよりも前からずっと、その願いを胸に秘め続けていたはずなのに。
ああ、理由なんて分かっている。
自分の気持ちを誤魔化し続け、マイヤが向けてくれる愛情から目を逸らし続けていたかつての自分に、そんなことなど読み取れるはずもなかったのだ。
そして今の自分もそうだ。
告げた想いに満足して、それ以上を探そうとはしなかった。いつまでもマイヤに、新しい愛情を注ごうなどと、考えることができなかった。
なんと自分は、大馬鹿者なのだろう。
シュウは己に、普段は口に出さないような罵倒をいくつも浴びせかける。そうでもしなければ、あとからあとから湧き出てくる罪悪感を、誤魔化すことができそうになかったから。
そうだ。誤魔化していかなければならない。
今の自分にはまだ道がある。気付けた、ということは、この想い、この決意、マイヤに向けて届けることができるはずなのだから。
まだ、間に合う。
今からでも、間に合う。
まだ、二人で……今まで以上に、お互いの事を理解し合える!
「エリナ、アリア! 思いついたぞ、マイを止める方法……!」
姿勢を立て直すエリナと、その隙を稼ぐべく魔術を起動するアリア。二人はシュウの呼びかけに、何か勝手に得心したらしい。互いに戦線復帰の速度を速めんとする。
「分かりましたわお兄様! このエリナ、必ずやあの馬鹿青髪の注意を完全に惹ききって――」
「違う、逆だ!」
「うぇっ!?」
変な声が届いてきた。うん、今のは自分の説明不足だった。あとで誤っておこう、と心の片隅で決意する。
「次の攻撃、マイの全集中を俺に注がせてくれ! 彼女の攻撃を……全て俺が受け切る!」
「な――」
「しゅう、だめだよ! いまのしゅうじゃ、たえられない……!」
「良いんだアリア。それが目的だ」
絶句、あるいは反論。二人の反応は予想したそれと同じ。だから返す答えも想定のそれ。できれば、自分の仮説もまた、想定だけではなく現実になってくれれば言う事はないのだが……。
そんなシュウに、エリナはこくり、と一つ首肯を返す。
「……かしこまりました。それがお兄様のお望みならば、寸分の狂いもなく成し遂げてみせましょう」
「ありがとう。頼もしいよ」
「わたしもがんばる……きをつけてね、しゅう」
「……ああ!」
やっぱり、自分は恵まれている。こんな風に、針の穴を通すような作戦を、受け入れ、サポートしてくれる仲間たちがいるのだから。
そしてそれは、マイヤも同じことだ。僅かに芽生えた希望を手繰りよせ、元に戻そうと奮闘する友人たち。それはきっと、誰もが持っているものではない。
「いくぞ、マイ……!」
やるべきことは決まった。
シュウは両手に短剣を構え直すと、己の使いうる最高個数の身体強化呪術を同時に発動。人体の耐えられる限界速度で、相棒目掛けて疾走する。
愛する少女を取り戻すための、最後の一手を打つために。




