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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第十一話『テスタメント・テラー』

 ガブリエラ・イスラーフィールがアルケイデス・ミュケーナイと出会ったのは、彼女が法術師育成学園の高等部に入学した年のこと。確か六の月だったと記憶しているが、一学年上に、奴は鳴り物入りで編入してきたのだ。

 聞けば学園史上初となる、『戦闘試験を法術・呪術・魔術を一切使わず合格した』人物だったという。触媒用に学園側が用意した巨剣、それだけを振るって、試験担当の教官を一方的に叩きのめした、と。特に呪術さえも使わぬ男、という伝聞が極めて異質だった。


 多分真っ先に抱いた感情は、『嫉妬』だったのだと思う。

 イスラーフィールは当時、今のシュウがそうであるように『天則』への不信感から法術を使えない人間だった。しかしそれでも、呪術の腕前は一級品である自信があった。だってそれがなければ戦えない。体格差を覆すだけの体術などこの世にごまんとあるわけだが、それらをいくら極めても、無為なのだろうと考えていたからだ。

 その体術、剣術、つまりイスラーフィールの捨ててきた手段を極めたことで、自分よりも偉大な成果を達成せしめた、同じ『法術師未満』の青年の存在。それは彼女の心へ、黒い炎を燃やすためには十分にすぎた。


「私はな、ずっと羨ましかったんだよ、お前が」


 イスラーフィールが片手を掲げる。背後に降臨した機械の翼が、世界の『情報』を書き換えていく。

 大気は鋼の剣と変わり、怒りは仮想の腕となった。 

 目にもとまらぬ速さで、その刃が疾駆する。マグナス・ハーキュリーを叩き割らんと世界を壊す。


「ふん」


 激突。舞い散る衝撃は、ごく少量。マグナスの背後に()()()()()()全威力が、真っ白な床を削り、抉り、破片を散らした。その場面はもう『見た』。機巧の天使(ヤザダ)はイスラーフィールの輝く瞳に、数手、数十手、数百手先の未来を『情報』として演算・映写する。今の一撃がこの英雄に通じぬことなど、最初から分かっていた。


 だからもう、イスラーフィールの身はマグナスの後ろにある。仮想大剣の振り降ろしを放ったその瞬間に、彼女は次の一手に向けて移動を開始していたのだ。

 回し蹴りを放つ。受け流しの姿勢のままでは、いかなマグナスとて対処は出来ない。長い足から放たれた鋭い打撃は、改造法衣に覆われた褐色の腹へと吸い込まれる。


「効かぬと分かっているはずだが?」

「当然」


 びくともしない巨躯に、しかし彼女は動じない。この結果も分かっていた。にもかかわらず打ち出したのは、続く一手への布石とするため。


 鋭い手刀。躱される。だが問題ない。細い指をマグナスの肩口へとかけ、イスラーフィールは軽業の要領で宙を舞う。機械の翼をもう一度展開。その羽毛の一つ一つが、ガラス片のような鋭い切っ先を英雄に向けた。

 直後、その巨体を八つ裂きにするべく、『スラオシャ』の裁きが雨あられと降り注いだ。

 

 浅いか――ッ!?

 歯噛みするイスラーフィールの動揺を、更に大きくするためか。マグナスは大げさに、体の煤けを払って見せる。それも厭味ったらしいほどゆっくりと、余裕綽々、といった調子で。


「今のは掠り傷程度、だったな」


 青色の瞳には、何の感動も写っていない。

 チッ、と舌打ちを一つ置き土産に、イスラーフィールは次の攻撃に移る。手を緩めてはいけない。一度でも読みを間違えた瞬間、自分の前から勝機はなくなる。


「遅い」

「お前がな!」


 白銀の巨剣が、大地を凪ぐ。半ば曲芸じみた動作でそれを回避。発生したソニックブームが、そのまま地を裂き、教会の壁を粉々に粉砕する。何の奥義でも、特別な技でもない、準備運動めいた一撃――それでこれだ。奴と自分では格が違うのだと、痛いほどに理解させてくれる。


 ここまでの一連の流れ。綿密な計画と、己に託された聖霊の力を駆使した、イスラーフィールに取れる最善手。これ以上ないほどの全力。この時のためだけに、マグナスをこの手で倒すためだけに、自分は強くなってきたのだと宣言できるだけの、対英雄の必殺戦法。その全てを、マグナスはたった一太刀で覆せるのだ。これほどの屈辱がどこにある。


 あの頃から、ずっとその力が羨ましかった。

 どうすれば、それだけの力を手に入れることができるのだろう、と、毎日のように考えていた。

 どうすれば、同じことができるようになるのだろう、と。


 けれど。


「皮肉なもんだ。その答えをくれたのは、あんただったんだよ」


 イスラーフィールは『顕現型スラオシャ』の力をフル稼働させる。全ての情報が彼女に傅く。大気の流れ、法力の粒子の微弱な反応、マグナスの鼓動の回数から、小さく、しかし長い、息遣いの一つに至るまで。この場面の打開に必要なありとあらゆる情報が、イスラーフィールに託される。

 そして彼女には、それを理解できるだけの知識と、頭脳があった。

 それはマグナスには、ないものだ。


 自分はアルケイデス・ミュケーナイに勝る部分があるのだと、気付いたのはいつのことだったか。確か最初の定期試験。模擬戦闘におけるアルケイデスの成績は圧倒的だったが、総合点数ではイスラーフィールの方が勝っていたのだ。呪術を使いこなせるが故の、取れる選択肢の幅広さ。それが当時の教官たちに、高く評価された結果だった。

 その時のアルケイデスが使える呪術は、イスラーフィールからすれば赤子の遊びだった。イスラーフィールの体術が、アルケイデスの戦闘術、その足元にも及ばないのと、同じように。 


 何せ始めた時間、賭けた時間が違うのだ。スタート地点の位置が致命的に違うのに、追いすがれるわけなどあるはずもない。

 既にレースを終えた者に、今からレースを始める者が、いかなる手を使えば勝てるというのだろうか?


 そう気付いたその時に。

 多分、ガブリエラという少女は小さな英雄を、一人の人間として認めることができたのだ。

 彼に対する反目を捨てて、真正面から向き合うことができたのだ。


 それからどういう経緯をたどったのかは、流石にもう覚えていない。自分はマイヤやシュウほどロマンチストではないから、彼らが事細かく覚えている『きっかけ』だとか『理由』だとか、そういうものは全部忘れた。あるいは純粋無垢な心と一緒に、少女時代に置いてきた。


 今の自分に残っているのは、錆びた恋慕と使命感だけ。

 この世界を救う方法を。『絶対悪』との共存、人間と魔族が手を取り合い、全ての人類が笑える世界の創造を。

 片方を殺しつくすことでしか、世界は救えないと慟哭する、この男に救済を――!


「だから私は今こうしてここにいる! あんたと並び立つだけの資格を持ってここにいる! あの時お前を止められなかった弱いガブリエラ・イスラーフィールはもういない!」


 掲げた腕のその先に、うっすらと、鋼の天使が顕現した。イスラーフィールに貸し与えられた一対の翼と、自身の持つ七枚の翼。それらが共鳴し、輝き、空中の法力全てを『情報』へと変換していく。

 

 実体化した情報は、『破壊』。

 法術、『顕現型スラオシャ』が奥義、『涙の日、(ラクリモサ・)死を司るは(クラウ・)伝令天使(ジブリール)』。

 マグナスの周囲を構築する世界そのものが、純粋な破壊の概念へと変貌し、牙を剥く。聖堂全体を震わす、異常な威力の衝撃が、炸裂した。

 巻きあがる砂塵。それはイスラーフィールさえも包み込み、外界と二人の特級法術師を隔絶させる。


「いい加減に目を覚ませ馬鹿野郎……! じゃないと私は……私は……!」


 その言葉を、半ば慟哭に近いそれを、イスラーフィールは最後まで言わせてもらえなかった。

 砂塵の向こう、一際黒い影が蠢く。直後、煙の全てを吹き飛ばし、褐色の巨体が眼前に姿を現した。

 

 太い腕が伸びる。イスラーフィールの首を乱暴に掴むと、マグナス・ハーキュリーは静かに問う。


「じゃないと、何だ?」

「ガッ……!」


 全身が砕けた。そう錯覚するほどの、命にかかわってもおかしくない衝撃。ネメアズ・マージが齎す究極の身体強化、その全霊を発揮したマグナスが、イスラーフィールの細い体を容赦なく地面と激突させたのだ。

 

 マグナスは、無傷だった。

 白いオーラを纏ったその体には、『破壊』そのものをぶつけたにもかかわらず、何の損害も与えられていなかった。

 ネメアズ・マージの全種攻撃完全耐性――聖霊の放つ一撃でさえ、この男にとってはその効果範囲外ではない、ということなのか。


「脆い」

「ぐぅ……ッ……ぁあああああッ!!」


 容赦なく、イスラーフィールは聖堂の床にたたきつけられる。バキィ、という酷い音は、自分と大理石、そのどちらから発されたものだったのだろうか。


「貴様の戯言は何一つ無意味だ。別の道を辿って同じ場所に立つ? 馬鹿を言うな」


 別の方法で、同じ結果を得ようなどという考えは間違いだと、英雄は強く、断言した。情報精査でたどり着く勝利と、圧倒的な力でたどり着く勝利は別物だ、と。己に勝つのなら、後者である必要がある、と。


 そして『力』という視点で二人を比べた場合、イスラーフィールは絶対に、マグナスには敵わない。

 こなした死線の数が違う。始めた時間の違いとは、そのまま直接力の差だ。


「『赤熱束縛、(マルミア)鋼の英雄の裁きあれ(ドワーズ)』」


 高々と掲げられた巨剣が、無造作に振り下ろされた。咄嗟に体を捻って直撃を回避。だが地面を突き刺した純白と赤熱の混ざり合った一撃は、灼熱に世界が包まれたかと錯覚するほどの激痛を、イスラーフィールの全身に与えてきた。

 体の至る所がズタボロになる。一張羅ははだけ、傷だらけになった白い肌が露出するほど。かひゅっ、と、掠れた吐息が零れ出た。肺まで焼けてしまったのだろうか。驚くほど呼吸ができない。

 溢れ出る鮮血と地獄のような熱量が、徐々に徐々に、明瞭な思考を奪っていく――


「貴様が私に追いつくことなど一生ない。無駄な感傷に支配され、目指すべき場所を違えた貴様が」


 英雄はくるりと踵を返す。次の戦場に向かうのだ。光輝女神を取り戻す戦いに水を差し、教会の『正義』、その勝利を絶対のものとするために。


「弱い貴様は、そのままそこで泣いていろ」


 そのまま、彼は姿を消す。

 再起不能のイスラーフィールをその場に残し、善性存在の世界を作るために。


 だが。

 英雄は一つ、大きな思い違いをしていた。


「優しい、なぁ……お前は、いつまで立っても……」

「何……?」


 ざりっ、と音を立てて、マグナス・ハーキュリーの足が止まる。

 振り向いたその顔は、怪訝そうに歪められていた。馬鹿な、あり得ん、お前が口を開くことなど二度とできないはずだ、と言いたそう。ああ、そうだ……その間抜けた面が、ずっと見たかった。


「無駄な感傷に支配されてるのはあんたの方だ、不滅の英雄。お前やっぱり、私のこと好きだろ」


 全身のどこに力が入るか、改めて確認する。思った以上に自由に動いた。なんだ、案外大したことないじゃぁないか――イスラーフィールはほくそ笑む。既にこの技の内容を知っていて正解だった。どういう『情報障壁』で対処をすれば、そのダメージを最低限に抑えられるのか、事前に知覚することができたのだから。

 やはりあの落ちこぼれ唐変木には、一定の感謝をしなければならないらしい――聖堂の対角線上で戦っているはずの教え子に、イスラーフィールは心の中で笑いかける。お前のお蔭だ、フェリドゥーン。


「恥ずかしがらなくてもいいんだぜ。隣で世界最強クラスの夫婦喧嘩してる馬鹿どもがいるんだ。今更私たちが痴話げんかしたところで何の面白みもないからな」

「貴様、何を言って――」


 焦ったようなマグナスの声が心地良い。


 マグナスが自分に向けて放ったのは、彼の持つ奥義の中で、恐らく最も殺傷力の低い技だ。シュウが最初にマグナスと戦闘したときに受けた、大ダメージと共に熱による拘束を齎す奥義。本来拷問の為に使用するそれは、どうやっても相手を殺さないようにできている――その情報を、既にイスラーフィールは獲得していた。シュウを治療したときの出来事である。


 そのデータはそのまま、マグナスが、イスラーフィールの命を奪うつもりがないことへの証明となるだろう。


「なぁマグナスゥ……お前、なんで私のことを殺さなかった? そしてまるっきり同じことを、私は十年前のお前に問うぞ? 『どうして私を殺さなかったんです、アル先輩』とな」


 十年前。

 まだ二人が学生で、『リエ』『アル先輩』と呼び合っていたころの最後の一日。

 善悪共存の未来は成し得ないと絶望し、アルケイデスは『正義』を選んだ。最強無敵の法術師として、全ての悪性存在を絶滅させることを誓った。あの日彼はマグナス・ハーキュリーに変貌し、名実ともに英雄となったのだ。

 

 イスラーフィールはその時一度、彼を止めようとして敗北した。その敗北の味が忘れられず、長い時を使って己を鍛え、神の領域にまで接触してまで、特級法術師の座に就いたのだ。


 自分の性格を知っているアルケイデスなら、その可能性を思い至らなかったわけではあるまい。

 それでも彼は、一時でも想いを交わした恋人を、その手にかけることができなかったのだ。


 それは今でも同じだ。

 反撃の芽を潰すためには、最初から奴のいう通り、全力の一撃で叩き潰してしまえばよかったのに。


「いつだってお前の弱点はその心の弱さだ。誰よりも感情を捨てようとしているのに、誰よりも感情に身を任せ、支配させる大馬鹿野郎だ。そんな奴がもっと馬鹿になったところで、馬鹿は馬鹿のままだろうがよ」

「チッ……アトラス・マージ!」


 もう一度、重力操作の一撃が降ってくる。並みの法術師であればこれが二度目であれど、避けられる道理などありはしない。それほどマグナスの攻撃は早く、強く、圧倒的だ。抜刀の瞬間には既に攻撃は当たっているし、当たれば必ず全身が砕ける。


「無駄だ。もう見た」


 だがイスラーフィールは並みの法術師ではない。

 彼女は特級法術師第四席、『伝令の調律者(テスタメント・テラー)』。あらゆる法術師の中でただ一人、聖霊の分け身が与える加護で、過去と未来を垣間見る者。

 マグナスを構成するあまねく情報が、かの英雄が取るであろう行動全てを予測させてくれる。


 見てから避けられないのであれば、見る前に避ければ問題ない。

 イスラーフィールにはそれが可能だ。誰よりも情報を持ち、そして誰よりも()()として、重ねた時間の結果として、その太刀筋を記憶している、イスラーフィールには。


 これまでの戦いは全て、この瞬間のため。そしてイスラーフィールは無事、マグナスが何一つ、以前の彼から変化していないことを確信していた。


「全ッッ然成長しないのな、お前。そりゃぁ五年もすればフェリドゥーン婦人に追い越されて二番手になる、なーんて予測をスラオシャ(こいつ)が立ててくるわけだ。太刀筋はワンパターン、特定の状況に対して取る行動にバリエーションが少ない。お前は技の絶対数で無理やり手数を増やしているだけ。よく考えりゃ、スキル一つに付き奥義一つだもんな。スキル一つに無駄に色々奥義があるフィルドゥシーとはそもそも出来が違うってこった」


 そして全く成長しない相手には、過去も今も、全く同じ対象方法が存在するのが道理。


「大昔、バルガス先生は私とあんたにこう言った。『殴っても治らない馬鹿がいるなら、もう一度殴ってももっと馬鹿にしてしまえ』とな」


 イスラーフィールは、ゆっくりと、しかし極めてきつく、己の拳を握りしめる。それは一種の意思表示に近い。これからお前を、この拳でぶん殴ってやるぞ、という宣戦布告。


「完全無欠、己の所業に何の疑問も抱かん馬鹿な英雄(マグナス)から……今お前を、理想主義で心配性な、極限の馬鹿野郎(アルケイデス)に戻してやるよ!!」


 勢いをつけて、立ち上がる。ジャケットの背から、ぱらぱらと大理石の破片が落ちる。そのことごとくは法力の光となって霧散した。砕け散った機械の翼、その再生の礎となるために。

 イスラーフィールの背後、何も居なかったはずの場所に、今度こそ、歯車と鉄の鎧で構成された、真鍮色の天使が姿を見せた。

 光を纏って回転する、数百にも上る細い剣を滞空させて。


 情報の女王は、対英雄戦線の火ぶたを切り直した。


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