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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第十話『慟哭する正義』

 マイヤの細い右手が、霞むような速さで跳ね上がった。いつの間にかそこに握られていた銀色の剣。見逃していたなら、恐らくシュウは今、真っ二つに切り裂かれて地に臥していたはずである。

 だが今のは()()()だ。彼女が本気を出したなら。あるいはそうでなくても、もうあと数分もこの戦いが続けば、すぐにでもシュウは、今の攻撃を避けられなくなる。そういう直感、というか、経験則が彼の中には既にあった。第一、足が上手く動かないのだ。相手がマイヤ・フィルドゥシーである、というただそれだけで、ここまで自分は弱くなるものかと驚くほどに。


 思えばマイヤと敵対するのは、これが二年間で初めてのことだ。模擬戦ならいざ知らず、本物の殺気を向けられたことはついぞなかった。いつかはあり得るかもしれないと覚悟していたつもりだったが、それはどうやら甘い認識だったらしい。


 かける言葉が見当たらない。一体何を見せられたのか――唯一無二のパートナーは、その青い瞳に、これまで見たこともないような、深い悲しみと怒りと、それから絶望を抱えていた。嘆きに歪められたその表情が、シュウの心を滅多切りにする。


 片手直剣の刃が、慟哭の光に変換された。振り下ろされる大上段からの一撃を、間一髪で回避。聖堂の床が叩き割られた衝撃は、局地的な地震だと言われても疑いようがない。これほどの破壊力、果たしてどれだけ強大な法術の力があれば引き出せるのだろうか。

 

 マイヤの隣に立てるだけ、強くなろうと決意した。

 けれどその決意は無駄だったのではないか。そう思えてしまうほど、今、彼我の力の差は圧倒的だった。


「先輩、私……先輩……先輩……!」


 桜色の唇が、うわごとのように繰り返す。もう殆ど愛称に近くなった尊称は、彼女にとって、シュウただ一人を示すもの。ファザー・スピターマの法術によって増幅された、『武装型アールマティ』の背負う『正義の感情』。マイヤを捕らえるその檻は、シュウと彼女の未来に纏わるなにかだったことは想像に難くない。


 けれども。それが想像できたからと言って、どうすればいい?

 前髪に隠されたマイヤの瞳は、大粒の涙を湛えていた。あの涙の意味を理解できぬまま、どうやって彼女を鎮めることができようか?

 

「じっと……していてください、先輩……」

「しまっ――」


 暗い疑問に、視界まで奪われたか。

 シュウは接近するマイヤに反応することができなかった。咄嗟に短剣で応戦するが、光の剣の重圧は、想像以上に強大だった。

 じり、じりと、その輝く刃が眼前に迫る。膝をつく。あまりの重量に、威力を流された地面の方が、少しずつではあるが砕かれていく。

 まずい、このままでは、両断される――


「こ、のぉ……ッ!」


 その直前。

 鋭い気合と共に、エリナの強烈なボディブローが炸裂した。吹き飛ばされたマイヤは、空中で器用に一回転。体勢を立て直し、剣を構える。

 それに相対するように、エリナもまた、白銀の十字槌を顕現させた。


「目を覚ましなさい、この馬鹿青髪!」

「まいや、もとにもどって……!」


 隣に並ぶアリアの手には、黒い炎が燃え上がる。彼女も全力で応戦する構えだ。


 二人の呼びかけに、マイヤはゆるりと右手を掲げる。応戦の意志を以て返答の代わりとするつもりか。ぎりぃっ、と奥歯を噛んだエリナが、幻想の突風を従え、全力の疾駆を開始した。


 エリナの銀の槌と、マイヤの光剣が激突する。飛び散る火花を避けながら、アリアが魔術を打ち込んでいく。それはいつの間にか顕現を果たしていた光の短剣に切り裂かれるが、アリア自身も的確にそれを打ち抜き応戦する。

 シュウは立ち上がると、短剣再び手に取った。加勢しなくては。今ならまだ互角、自分が加われば、上回ることが出来るかもしれない。


 だがその画策は、瞬時に中断させられることとなった。


「……しゅう、だめ、よけて!!」

「ッ!?」


 ゾンッ、と。

 酷い悪寒が、背筋を駆け抜ける。

 アリアの絶叫が我が身を動かす。半自動的に地を蹴った。


 転がるようにその場を退く。

 直後、断頭台の刃がごとく振り下ろされた刀身が、つい一瞬前まで膝をついていた、聖堂の床を破壊する。ひび割れはその場のみにとどまらず、今現在シュウが立つ場所にさえも、地割れの罅を生み出した。

 粉々に砕け散った、白い破片が舞う先に、シュウは武骨な褐色の肌を見る。『正義』を体現する、溢れんばかりの法力のオーラ。百を超える魔族を屠った、この世界最強の法術師――


「アルケイデス、先生……!」

「魔族――」


 ぎらり、と。

 銀の髪の奥、マグナス・ハーキュリーの青い瞳が輝いた。


「魔族は、一匹残らず断罪する」


 振り切られた巨剣は、シュウの身体を軽々と吹き飛ばした。

 一度経験していたはずだ。マグナスと初めて戦ったときに、この感触を。

 そして次に来る技も、今のシュウなら分かる。


 斬り降ろした姿勢のまま、マグナスの両足が組み変わる。腰を低く落とした姿勢から、無理矢理上体を起こすような下段切り上げ。そのままつなげるように、右肩に担いだ巨剣を斜めに切り降ろし、分裂させてから波状攻撃。


 流れるような一連の攻撃を、シュウの力では弾くことが出来ない。全ての防御が、真正面から叩き伏せられていく。反撃の糸口が、掴めない。

 重い。そして、速い。

 久しく忘れていた、この激突の感触。手も足も出なかったあの頃とは違う。だが、手や足が出るほどの実力を、シュウはまだ手にできていなかった。

 どんどん全身に打ち身や切り傷が出来ていく。致命傷こそ負っていないが、体力はみるみるうちに奪われていった。


「馬鹿野郎、教え子に手を上げるとは何事だ!」


 だが忘れていたのは、稀代の英雄も同じと思われる。

 横合いから打ち放たれた、光を纏った強烈な飛び蹴り。黒いタイツで覆った長い足を高く掲げて残身するのは、これまで静観、状況を精査していたイスラーフィールだった。


「待たせたな、フェリドゥーン。解析、終わったぞ」

「もう少し、早く参戦してくれると、俺たち全員、とても助かったのですが……」

「はっ、言うようになったじゃないか」


 よろめきながらもなんとか立ち上がると、情報の女王はその肩を貸してくれる。この人はどうして、こういう時だけ妙に優しいのだろう。なんだかんだと言ってはいるが、とても助かっているのは事実だ。

 シュウはイスラーフィールを、感謝を込めて見つめる。彼女はその黒い瞳で、シュウをしっかり見据えると、こくり、と一つ頷いてくれた。


 一方、吹き飛ばされた先で立ち上がったマグナスは、彼女に冷酷な目を向ける。


「何の真似だ……」

「それはこっちの台詞だ」

「邪魔をするな」

「うるさい黙れ!」


 子供のように激昂しながら、英雄の声を遮るイスラーフィール。

 その全身には、紛れもない怒りが籠っているように思えた。


「おいフェリドゥーン、こいつは私に任せろ」

「でも、先生――」

「いいから。お前は自分の嫁を助けに行け。私の『目』によれば、ありゃ法術との過剰接続が原因だ。技に名前を与えた聖霊の側面が、異常に活性化してる、ってこったな。意識を落とすなりなんなりして、法術を使うのを止めさせろ。教祖サマはお前から奪った力を馴染ませるのに精いっぱいらしいからな……再起動されることは考えなくていい。第一、この手の技は一回解除すれば二回目はないと相場が決まってるし、実際そう『見える』」


 黒い瞳の奥に、金色の光が見え隠れする。『顕現型スラオシャ』が与える万物透視の千里眼。見つめた存在のあらゆる情報、陥っている状況、そして解決する手段を解析する、彼女の奥義――『汝の罪状を述べよ。(マリア・マグダラ・)汝の善行を述べよ(アムネジア)』が、この戦場を切り拓くための導を示す。


 その導さえも、彼にとってはなんてことのないものなのか。

 巨剣を構え直したマグナスは、イスラーフィールの宣言を鼻で笑った。


「貴様が? 私の相手を? 笑わせるなよイスラーフィール」

「お前こそいつまでも胡坐かいてんじゃねーぞクソ野郎」


 イスラーフィールもまた、その挑発を顎で返す。


「何のために私が、なりたくもない特級法術師(アスラワン)なんぞになったと思っている……!」


 絞り出した声は、強い決意を秘めていた。

 それは今、この瞬間に固めたものの色ではなく。


 もっとずっと前。

 英雄が誕生したその日に、定めたものだったのだと思う。



 ***



「がふっ……! げほっ、ごほっ」

「きゃうぅう……っ!」

「エリナ、アリア!」


 マグナスを学園長に任せ、シュウが二人の救援に戻ったとき、勝負はほぼ決した、といっていい状況まで、その局面は動いていた。

 エリナとアリアは全身傷だらけ。法術の発動が限界に近いのか、『ハルワタート』の白銀槌が、消滅しかけの明滅光を放っていた。これはまずい、よほど一方的にやられたか。


「ふざけんじゃねー、ですわよ……! お兄様、あいつ本当に法術師ですの!? 噂に聞こえた『魔法使い』っていうやつなんじゃありませんこと……!?」

「ぜんぜんきかない……なんにもつうようしないよ……!」


 涙目になるアリア。ついと視線をマイヤに向ければ、法衣こそすすけ、破れ、ほつれさえしているものの、本人は全くの無傷。全身に法力の過剰光を纏い、こつり、こつりと音を立てながらこちらに近づいて来る。

 法術は法術師に、魔術は魔術師に対して効きにくい――善悪大全に際して神殻種たちがこの世界に敷いた法則。同士討ちを防ぎ、そして彼ら自身が、()()()()()()()()()()()()の法則。


 法術が異常に活性化している状態、という、イスラーフィールの言葉。

 それはつまり、今の彼女は限りなく、『武装型アールマティ』、ひいては、そこに名を与えた聖霊アールマティに近くなっているのではないか?


「マイ、目を覚ましてくれ……」


 喘ぐように絞り出した声は、予想通りかすれていた。けれど構わない。薄く見開かれた、嘆きに濡れるその瞳を、乾かしてあげたくて。その悲しみを、拭い取ってやりたくて。それで紡いだ言葉なのだから、彼女に届けばそれでいい。


 振り上げられた剣を、なんとかして弾き返す。

 

「ぐっ……」


 光の刀身が、頬を掠める。焼けつくような感覚と、次いで鋭い痛みがシュウを襲う。法術の干渉を受け、体内の魔族としての側面が過剰なダメージを受けているのだ。

 痺れが走る。回避が遅れる。マイヤの次の一撃が、肩口を大きく切り裂いた。


 鮮血が、宙を舞う。


「あ」


 細い、殆ど泣き声と言っていい音が、マイヤの喉から小さく零れた。たった一音、意味を成すわけでもない、気付きを表す、短い感動詞。

 

 ただそれだけで。

 ただそれだけに。

 途方もないほどの慟哭が、詰まっていた。


「あ、ぁ、あああああああ……ッ!!」

 

 悲鳴のような絶叫と共に、マイヤの背中に光の翼が展開される。彼女が片手を振るえば、その姿を円形に取り巻くがごとく、輝く砲門が口を開いた。

 突風が巻き起こる。

 空間に滞留する法力の光を、波紋を思わす銃口が、ごくり、ごくりと飲み干していく――


 ――まずい。

 シュウの背筋を、冷たい汗が流れ落ちた。

 次に何が起きるのか、一瞬で理解が可能だった。マイヤの法術には、こんなことができたのか、と戦慄すると同時に、自分はまだ、彼女のことを全て知ることができていたわけではないのだと、胸の奥が悲しく疼く。


 だが感傷に浸ってる時間はない。シュウは痛みをこらえながらぐるりと振り返ると、腰から魔力結晶の短剣を抜き放つ。輝く槍を喪った今、ぎらりと煌くその刃だけが、唯一頼りになる武器だ。


「アリア、何でもいいから魔術を一つ使ってくれ!」

「でも……」

「いいから! できるだけ大規模で……この聖堂を壊しても構わない!!」


 多分いま自分は、アリアが怯えてしまうほど、酷い表情をしているのだと思う。なにせこれまで出した覚えがないほど大きな声と剣幕で怒鳴るシュウに、彼女はびくり、と肩を震わせ、青ざめた顔を向けてきたのだから。

 けれどやはり、この少女は聡い。すぐにシュウが、何を言おうとしているのか、そしてすぐさま行動に移さなければ、何が起こるのかを理解した。


 ぼこり、と、アリアの影が脈動する。

 合わせて、シュウも漆黒の短剣を大地に突き刺す。


「『赫毒神の(デーシャ・)怒り(ダスラ)』……!!」

「『×××(トゥリ・)×××(アタルヴァ)』」


 溢れ出た火焔と、荒れ狂う闇の奔流が、混ざり合い、ドーム状の防壁を展開する。

 それはマイヤを取り巻く極光の顎が、おぞましい数の光剣を吐き出すのと、ほぼ同時であった。


 ズァァァァァッ!!

 背筋の凍るような不気味な音とともに、視界を埋め尽くす切断の帯が殺到する。『光輝女神の眼差し』、その剣の一本一本を、『光輝女神の怒り』並の威力で打ち出す強化攻撃。恐らく普段のマイヤが、無意識のうちに封印していたのであろう、彼女が放つ全力の奥義だ。

 それはシュウとアリアが二人がかりで展開した障壁に炸裂。爆音と共に、大地を捲り、天井を吹き飛ばし、地盤そのものに悲鳴を上げさせる。


「う、ぅ、うぅあああああ!!」


 激突の衝撃が、術者を襲う。アリアが苦し気な声を漏らした。


「だ、め……ここ、ちからが、はいらない……!」

「くっ……」


 押し負けている。

 ずり、ずり、と、二人の足は、背後へ向けて下がっていく。漂う純正の法力が、敵対物質たる魔力を食い、侵略し、その鼓動を抑制していた。この場所では魔術は十全な力を発揮できないのだ――そのことに気付くのが、余りにも遅すぎた。

 悔やんでいる場合でないことは分かっている。今はなんとかして、この一撃を耐えなければ。そうでなくては、マイヤを撮り返すなど夢のまた、夢なのだと、いうことも。


 だが防壁はもう持たない。ぴしり、という嫌な音を皮切りに、シュウとアリアの魔術障壁は、マイヤの放った『光輝女神の眼差しメーザー・オブ・シャイニング』によって 、ずたずたに、崩壊させられ――


「アリア! お兄様!」

「えりな……!?」


 割り込んできたエリナが、白銀から刻銀へと色を変えた十字を、結界の壁へと叩きつける。直後、深紅の雷電がドーム全体を補強するべく広がった。木の根のように張り巡らされた『武装型アムルタート』の認識改変は、魔力を騙し、マイヤの断罪を防ぎきるだけの耐久性を与える。

 それをさらに上書きするように、雷電の色が変化した。エリナの瞳の色も、赤から青へ。


 魔術師『エリナ』とトップクラス法術師のエリナが、二人分の術式を防壁にかけ合わせていく。


 それで漸く、相殺しきった。

 光の帯が、消滅する。同時にシュウ達の盾も、粉々になって崩壊した。浮遊する魔力が法力に敗北し、塵となって絶命。

 その光景に、シュウはこの戦いの行く末を見た気がした。足元が暗くなるような感覚。多分絶望とは、こういう感情のことを言う。 

 恐らく、そう長くは戦っていられない。自分にも、エリナにも、魔族の力が宿っている。聖堂全体が法術師にとって有利に働くこの環境では、真正面から激突していても、マイヤには絶対に勝てない。


「学園長によれば、気絶させれば解放の目途が立つ、との事だったが……」

「こんな状況で可能なはずないですわ」


 光の翼を畳んだマイヤは、再び光剣を構えて歩を進める。作戦会議の時間もない。昔の彼女を思い出す、冷酷で機械的な、殺戮戦術。

 まともに戦って勝てる相手ではない。

 本気を出したマイヤは、一人で大型魔物を殺し切れるだけの力を持っているのだ。


「でも、諦めたくない」


 奥歯をかみしめ、少しよろめきながらも、シュウはしっかり立ち上がる。

 勝ち目の薄い戦いでも、挑まない理由にはなり得ない。シュウはマイヤが大好きだ。大好きなひとを取り戻す戦いを諦めたら、きっと死ぬよりも後悔する。 


 十字槌を杖代わりに、エリナも戦闘態勢を立て直した。青と赤の瞳で、はっきりとマイヤを直視する。光輝女神の虚ろな瞳と、禁忌十字の意志ある視線が、ひどく対照的なものに見えてしまう。


「同感です。私だって、好敵手の一人くらい、救いたいと思っていますわ。お兄様の感情にも負けずとも劣らないつもりでしてよ」

「わたしもまいやのこと、とりもどしたい」


 アリアも、力強く頷いてくれる。

 恐らくこの中で最も、マイヤと戦うのが危険な人物は彼女だ。法術は魔族の生命活動に、多大な悪影響を及ぼす。法力舞い散るこの空間そのものが、彼女の命を削り取っていく。

 けれどアリアは、そんな恐怖を撥ね退けて、今ここに立っている。マイヤを救いたいと願っている。


「まいやは、わたしのともだちだもん」

 

 きっとそれを、人は『友情』と呼ぶ。

 皮肉なものだ。二人が敵対した今この時に、初めて、互いの間に結ばれた、硬く強い絆を視認できるだなどと。


 取り戻さなくてはならない。

 あの日マイヤが収めてくれた、アリアを殺すための法術。それを撃たせては、ならない。


「ではいこう、二人とも」

「はい!」

「うん!」


 マイ、今助けるからな――強くその胸に決意の炎を燃やして。

 シュウは、短剣を握る右手に、ぎりりと力を込めた。


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