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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第八話『ファザー・スピターマ』

 宿泊先のホテルまで、豪奢な法衣に身を包んだ上級法術師が、使者として訪ねてきたのは翌日の朝のことだった。

 どうやら、今回の召集、その目的であるところの、褒賞授与の準備ができたらしい。

 使者の法術師は、「すぐに迎えを寄越す」と告げると、自分は別の仕事があるので、と立ち去って行った。上級法術師は近隣の魔物の殲滅や、都市内の警備など、普通の法術師と比べてやることが格段に多い上、その精度にも高さを求められる。彼らも大変なのだな、と、どこか他人事のように思ってしまった。いつかはマイヤもあんな風に、人々を守るために生活するのだろうか。

 

 上級法術師の言葉の通り、数分後、『教会』の徽章が付いた、純白の二頭立て馬車がやってきた。

 シュウたちは正装、ということで、学園指定の法衣と一連の武装セットを整えると、使者の案内でそれに乗り込む。

 夏に乗った長距離用のものや、つい昨日まで乗っていた送迎用のそれも、広く、かつ精密な装飾が施されたものだったが、これはなんというか、格が違う。

 車体を構成する純白の物質は、大理石のようにつるつるとしている。馬車の全体を覆う、蔦のような装飾は、どうもかなり純度の高い金らしい。車を引く馬は素人目から見ても名馬だ。引き締まった肉体は、安全運転を保証するのに十分すぎる。故郷の邑で飼われていた馬もそれはそれは見事だったが、流石は央都、といったところか、シュウをして完敗を告げざるを得ない。

 

 全員が乗り込んだのを確認するや否や、馬のいななきと共に馬車は発進した。

 心なしか普通の馬車より速い。やはり馬の力だろうか。一体どういう食事をとらせているのだろう……などと、自分の中の飼育屋としての側面が騒ぎ出す。故郷の馬というのは、実は師匠が飼っていたものなのだ。シュウも若干その飼育に携わっていた。

 あれは貴重な経験だった……と、鮮明に思い出すことができる。きっと強靭な馬の後ろ脚に吹き飛ばされた経験があるのは、この中でも自分だけのはずだ。よく生きていたな、と今でも思う。


 そんな回想は、思索にふけるシュウの様子を、別の意味で受け取ったのか――いいや、『そういう風に見せかけて』わざと揶揄っているのだろう、イスラーフィールの放った言葉で中断させられてしまった。


「昨晩はお楽しみだったのか?」

「おた……っ!?」

「まさか。そもそもダブルベッドの部屋を各々に振り分けたのは学園長でしょう」


 存外に呆れきった声が、自分の喉からこぼれ出る。最近は一緒のベッドで寝るのも慣れてきたが、やっぱり緊張していたんだなぁ、などと思いながら眠りについた昨日の夜が馬鹿らしくなってきた。

 

 懐かしい記憶の海から、一気に現在いまに引き戻された気分だ。時差、というか、互いの余りの差に頭がガンガンする。昔は牛舎の柵を上げるレバーが押し倒せなくて揶揄われたものだが、今は女の子をベッドに押し倒せなくて揶揄われている。一体何があればこんなに差がつく内容になってしまうのやら。

 

 いやむしろこれは揶揄う側の品性にも問題があるのではないか? シュウはちょっと恨みがましく目を細めた。そのままイスラーフィールを睨んでみる。おおこわ、と口にして、彼女はおどけたようにすくんでみせた。わざとらしい……。


「堅物だなぁフェリドゥーンは。そういうときはベッドの数なんか気にせずに行くものなんだよ」


 寧ろそういうブレイクスルーを期待していたんだが、などと口走るイスラーフィール。そんなことを言われると、ちょっと考え込んでしまう。もしかして自分は本当に、精神的な成長の機会を逃したのではないか? などと。

 するとマイヤが「そんなわけないじゃないですか」と手の甲をつねってきた。それで正気に戻る。ニヤニヤ笑うイスラーフィールの姿から察するに、いつも通りの冗談だったようだ。ビックリした。


「大体、学園長先生はもう少し自重してください。先輩が本当に信じちゃったらどうするつもりなんですか」

「これでも結構抑えたつもりなんだけどなぁ」


 だとすればこの人の頭の中は一体どうなっているんだろう。


「まぁ、『自重しすぎ』のフィルドゥシーからすれば、これでもまだまだ温い方なのかね」

「なっ……」

「『自重しすぎ』……?」


 ふと、その言葉が気になった。普段マイヤは、そんな素振りを見せていなかったからだ。

 我慢のし過ぎは時として体に毒だ。シュウはマイヤの手を取ると、その手をぎゅっと握って彼女に問う。


「マイ、何か我慢しているのか?」

「そんな……私は、我慢してなんて……」

「俺は君に我慢してほしくない。俺のせいでなにか迷惑をかけているなら、なんでも言って欲しい。すぐに直せるように努力すると約束しよう」


 恋人の青い瞳をじっと見つめ、シュウはそう強く口にする。

 本心だ。そして彼女と出会ってから、ずっと思っていることでもある。

 彼女とパーティを組んだばかりの頃、毎日のように迷惑をかけ続けていたパートナー。そんな彼女に少しでも感謝と謝罪を表現したくて、できる限りの願いを汲み取ってきたつもりだった。

 それは関係性が変わったいまでも同じだ。マイヤが願うこと、望むこと――なんでもかんでも盲目的に、というわけにはいかないが、それが自分にできることなら可能な限り達成してあげたい。


 だから今も、マイヤが自分に我慢していることがあるのであれば、打ち明けてほしいと。

 そう、思ったのだが。


「本当に何でもないんです、先輩。なんてことない、ただの我儘ですから……この話のことは忘れてください」


 マイヤはそっと瞳を伏せると、小さく首を横に振った。


「……そうか……」


 彼女がそういうのなら、深入りはしたくない。それがマイヤを傷つけてしまうかもしれないからだ。

 シュウにとって、マイヤは誰よりも大切な存在だ。彼女が悲しんだり、苦しんだりしているのを見るのは辛い。けれどそれを解決しようとしたせいで、もっと苦しんでしまう――そんな光景は見たくないのだ。

 こういうときはそっとしておくのが、きっと一番正しいはず。

 そう信じて、シュウは視線を前に戻す。


 それだから。


「やれやれ、難儀な夫婦だこと」

「こういうときばかりは、背中を押してやりたい、などと思ってしまう自分を殴りたくなるのですわ……」


 イスラーフィールとエリナが、そっと、ため息をついていた、その理由は分からなかった。

 ――まるで現在から、一年前の自分に戻ってしまったかのようだった。



 ***



「よう、救世主(サオシュヤント)殿」

「あなたは……」


 馬車を降りたとき、声をかけてきたのは衛兵ではなかった。

 物々しい銀色の門――恐ろしく精巧な、植物をイメージしたと思しき装飾を施されたその門の前に、対照的に色鮮やかな、燃えるような赤髪の男が立っていたのだ。

 にやり、と好戦的な笑みを浮かべた彼は、まるで極上のメインディッシュを前にしたグルメであるかのように、じゅるり、と舌なめずりをした。

 片手が、腰の剣に掛かっている。

 どうやら戦いたくてウズウズしている、という奴らしい。


 シュウたちを庇う様に前に出たアルケイデスが、門番代わりの猛獣に睨みを利かせる。


「ズカルナイン……何の用だ」

「何の用だ、とは失礼だな、『英雄』。ここがどこだか分かっているなら、その発言はあり得ねぇと思うが?」


 特級法術師第三位、『覇者』ズカルナイン・アルイスカンダルがそこにいた。

 彼の太い腕から、深紅のオーラが漏れ出でる。まるで闘気を示すかのようなそれは、形を変えた法力に他ならない。


「腑抜けた下級法術師共に囲まれすぎて、神聖なる『剣』の生活を忘れたか?」

「忘れたわけではないさ。私もかつてはお前のように、この本部に設けられた自室で暮らし、こうして戦の気配を察しては繰り出し――そういう日々を繰り返していたのだからな」


 アルケイデスもまた、剣を呼び出す。背負った野太く巨大な剣に、断罪の刃が形成された。白銀のそれをじゃらりと抜いて、褐色の英雄は構えを取る。

 そうこなくちゃぁな、と、ズカルナインはまた、舌なめずり。腰の剣を抜き払った。


 刀身は狭く、小さい。アルケイデスの巨剣と比べて、二回りも小ぶりだろう。片手剣のように見えるが、一種の短剣なのかもしれない。

 だがそこに込められた殺気は本物だ。突きつけただけで、人を一人殺せてしまいそうなほど。

 それに、ズカルナインは遠距離戦を得意とする法術師――リーチは、あの見た目の分だけでは到底あるまい。


 仲間たちの間にも緊張が走る。アルケイデスのことだ、特に問題はなく勝利するだろう。

 だが相手は彼と唯一実力が伯仲する、と噂される、最強の法術師の一人だ。


 もしものことがあったならば、どうすればいいのか――


『そこまでにしておいてもらおうかな』


 その緊張の糸は、しかし突然天から響いた声によって断ち切られた。

 軽く、いっそあっけないほどに。


『彼らは僕の客人だ。君には出迎えを頼んだだけで、別に相手をしろ、とは命令していないはずだけど?』


 高く反響するその声は、不思議と『力』を持っていた。街中に響いている、というわけではないらしく、道行く人たちはまるでそれを気にしていない。何らかの法術か、それとも呪術か――似たような拡声の技をいくつか知っているので、もしかしたらその類なのかもしれない。


 声の持ち主は誰なのだろう。

 一瞬、思考を巡らせる。だがその必要は、恐らくなかった。何せその答えには、極めて即座に行きついたのだから。


 これ見よがしに舌打ちをして、ズカルナインが刃を下ろす。警戒は続けたままだったが、アルケイデスも白銀の巨剣を消滅させた。

 深紅の覇者は苛立たし気に頭を掻きむしると、くるり、とその身を反転させる。


「ついてこい。我らが教祖サマ(ファザー)がお待ちだ」


 ぶっきらぼうに告げられたその言葉に、シュウたちは顔を見合わせる。

 

 ぎ、ぎ、ぎ……重苦しい音と共に開いた門を超えれば、純白の城壁で阻まれていた、『教会』本部の様子、それが一気に視界に飛び込んできた。

 アリアがうわぁ、と歓声を上げる。シュウもまた、余りの壮麗さに言葉を失っていた。

 

 央都が、最初は緩い丘の上に造られた町だった、という話は、どこかで聞いたことがある。

 きっとその始まりがここなのだ。


 ――城壁の向こう側には、きめ細やかに整えられた、緑の丘が広がっていた。 

 彼方に見える、いっそ貴族の住む城のような建物は、初代ファザー・スピターマが建てたという教会の大聖堂だろう。

 その横。

 天を衝く、ここからでも分かるほどに高い、高い建造物。

 白く、遠い雲さえ突き抜けそうなほどのあの塔を、流石のシュウでも知っている。


 『聖霊堂』。聖霊たちの長――カミノリの言葉を信じるならば、この世界の覇権を賭けて反旗を翻した、神殻種の一人が燈したという、全ての『聖火』の原点。それが収められているという、世界最大の聖火台だ。

 反射的に、シュウは首元から下げたプリズムを握っていた。ここに込められた『正義の種火』も、元はあの場所から出でたものなのだ。そう考えると、無性に感傷的になってしまいそうで。 


 そんなシュウの様子は気にも留めず、ズカルナインはずんずん歩いて行ってしまう。どうやら、あの塔が目的地のようだ。

 足下に咲き乱れる小さな花を踏まないように、シュウたちは恐る恐る、彼のあとをついて行く。


 聖霊堂にたどり着くまでには、凡そニ十分近くが必要だった。

 やはり元は街があったのだ、ということが良く分かる。『教会』本部それ一つだけで、小さな村くらいはありそうだ。


 ゆえにそこだけで生活できるように、構築されているのだろう。

 道中、噴水のある広場や、小さな聖堂を沢山見かけた。

 ズカルナインとアルケイデスが先ほど、特級法術師はこの場所で暮らせるようにできている、と言っていたが、納得してしまう規模だ。


 そのズカルナインが、立ち止まる。

 見上げんばかりの聖火の塔が、目の前にあった。


「しゅう、みてみて、すっごいきらきらしてるよ!」

「うへぇ……わたくし派手なものは好きですけど、これだけは何回見ても好きになれる気がしませんわ」

「同感だな。私も好きではないよ、この絵」


 純銀でできていると思しき大扉を、アリアが指差し大喜び。半面エリナとイスラーフィールは、彫刻の図案が気に入らないのか、嫌そうに顔を顰める。

 確かに、陽光を受けて煌くその扉は、綺麗な装飾にも、趣味の悪い偶像にも見える。どちらで受け取るにしても変わらないことには、とんでもなく細かい装飾が彫られている、ということだ。

 近づいてよく見てみれば、どうやら善悪大戦を描いた彫刻画らしい。確かに、善性存在が一方的に悪性存在たちをなぶっているそのモチーフは、あまり見ていて気持ちのいいものではない。

 だがその精巧さ、技術の持つ力は本物だし、心情関係なく賞賛できるものだ。一体どんな技術があれば、こんなものを作ることができるのだろう……シュウは半ば自動的に、感嘆のため息をついていた。


 だがその思索は、驚くべき事態によって打ち切られた。なんと銀色の扉が、ひとりでに開き始めたのだ。重苦しい音は、しかし何かの楽器の音の様にも解釈できる。そういう風に設計されているのなら、なおのこと驚嘆するしかない。


「俺はここまでだ。この先にはお前達しか立ち入りを許可されてねぇ。さっさと行け。そうしたら、今度こそ刃を交えさせてくれ」


 ズカルナインが、魔獣を思わせる笑みでシュウに語り掛ける。

 この人は結局のところ、所謂戦闘狂というか……恐ろし気な風貌に反して、ただ戦うことに『喜び』という意味を見出しているだけなのだ、と、なんとなくその時に思った。

 悪い人では、きっとないのだろう。


 はい、と答えることはできないが、でも、そのつもりで挑むのがいいのかもしれない。

 そうする方が――


『入ってくると良い。こちらの準備は、もうできているからね』


 きっと、覚悟は決まるから。


 淡く、光の漂う聖堂内部。

 異常に高く、白く霞んだ天井を除けば、その構造は西方大陸で一般的な聖堂のそれとよく似ていた。参拝者が司祭(マゴイ)たちの説法を聞くための長椅子がいくつも並び、それがまるで跪く臣下のように、『玉座』への道を作っている。


 少しだけ、高く設計されたうてなの上。

 背後に、輝かしく燃える金色の炎を揺らめかせて。


「ようこそ、救世主」

 

 白亜の人物が、立っていた。

 真っ白な髪、色素の極めて薄い肌、鏡のような白銀の瞳。

 纏ったローブは意外なほど質素な白。しかし遠くから見ても、その材質がこれまで見たどの繊維よりも豪奢なものだと理解できる。


 直感的に、ただの人間ではない、と察した。

 同時に、極限まで、ただの人間(パルス)である、とも。

 この人物は紛れもなく、人間たちが望む『善性存在の究極』。

 悪を滅し、善に親しみ、思考などせずとも幸福な世界へ至れるように、民衆の道しるべとなる存在。


 無垢で、ある意味では無知なこの世界を生み出した、『天則(サダメ)の守護者』。

 この世界に存在する全ての法術師、その頂点に立つ人物。


「あれが……」

「三代目、ファザー・スピターマ……」


 エリナの紡いだ震える声には、隠し切れない畏れの色が籠っているように聞こえた。

 無理もない。

 彼女にとってその名前は、長い間世界の中心、絶対に逆らえない『王』を示していたのだから。


 ふっ、と、スピターマが口元を緩ませる。除いた口腔内はおぞましいほどの赤。真っ白なその容姿からすれば、いっそ不釣り合いなほどだ。

 浮かべた表情は、優しく、そして慈愛に満ちた、静かな笑顔だ。

 だがそこには、無感動と無感情の入り混じる、生理的な不気味さが存在するように、どうしてもシュウには見えてしまう。

 

「君の活躍は伝え聞いているよ。マグナス・ハーキュリーを退け、キュリオスハートの尖兵に打ち勝ち、邪悪な魔族さえも手なずけて見せた、と」


 その言葉に、少しむっ、としてしまう。

 相手がいかな法術師の長とはいえ……いや、だからこそ。その言葉は訂正してほしい。

 いい加減このタイプの発言に過剰反応するのはどうかと思うのだが、それでもやっぱり、譲ることはできないのだ。


「魔族は邪悪な存在ではありません。我々と同じ、喜び、怒り、哀しみ、楽しむ――等しい感情を持った、人類です」

「ああ、そうだった。君はそういう思考の持ち主だったね。うん、それもまた良し、だろう。全く、こういう仕事をしていると、思考が凝り固まってよくないね」


 ――存外に、拍子抜けだった。

 あっさりとスピターマは、シュウの反論に頷いて見せたのだ。


 彼は嘆くように天を仰ぐと、ため息のような、薄く、細い吐息を紡ぐ。


「それを常に隣に立ち、精査し、正しい方向へと導いてくれたのがキュリオスハートだった……彼のことはとても残念だ。あの老翁が自死し、魂を別の器に入れ替える、と口にしたとき、次は我らの目的が達成されたとき、会えるものだと思っていたのに……結局彼は魔の道に進み、そして果てた」


 その顔に浮かんでいるのは、落胆や悲嘆、という感情が近いように、シュウには思えた。先程の不気味なものとは違う、彼――中性的な外見の故に、本当の性別は掴みづらい。よって便宜上『彼』としようと思う――その本来の情動であると見える。


 不思議な人だ。

 無機質で腹の底の知れない、『法術師の王』のような――行ってしまえば『パルス的』にも見えれば、側近の死と、その暴走を嘆く、いたって普通の、パルスという意味ではない『人間的』な感情も垣間見せてくる。

 その形は、ある意味ではどんな人間でも持ち得るものだ。もしかしたらこの人は、想像以上に「普通の人間」なのかもしれない。シュウは不思議と、そう感じていた。


 スピターマはシュウ達の方に向き直ると、にこやかな笑みと共に一礼をする。


「改めて、感謝しよう。キュリオスハートの暴走を止めてくれたことを。『教会』を、人間(パルス)を代表して、シャローム海岸での一件、その解決に尽力してくれたことを賞賛させてほしい」

「いえ、そんな……俺は、仲間たちに助けられただけです。寧ろ、あの場で一番活躍したのはエリナだ」


 シュウは所詮、あの場所に少女たちを送り届け、その心の支えになっていただけに過ぎない。もしもその役割すらエリナやマイヤが必要としていなかったのなら、シュウにできたことなどなにもなかったはずだ。

 灰色の蛇の砲撃を受け止めたのも、キュリオスハートの、言ってしまえば『成仏』を後押ししたのも、どちらもエリナだった。

 シュウはあの戦場で、何か一つでも、灰色の蛇に決定打を与えられていなかったのだから。


 しかし法術師の王は、その白い頭をゆっくりと振り、シュウの言葉を否定する。


「謙遜しないでくれ、救世主。君が君であるからこそ、その仲間たちは集い、事態を解決できるだけの力を発揮したんじゃぁないか。僕はそれを心の底から讃えたい。君の勇気。君の意志。明日を目指すその心意気を。その全てに敬意を表し――」


 ファザー・スピターマが、鷹揚に両腕を掲げ、迎え入れるような姿勢を取る。背後に揺らめく『聖火』が、その姿を陰らせる。逆光のせいで表情が読めない。深紅の口元は、笑っているように見えるが……何だろう、何か。

 とても嫌な、表情をしているような。


「僕は、君を救世主の役目から降ろしてあげようと思う」

「――ッ!?」


 ぞくり、と。

 背筋が泡立つのを感じた。

 同時に、一瞬前の予感が正しかったことも、完全に理解してしまった。


 その感覚に気付けたのは、恐らく何かしらの運命だったのかもしれない。そんな思考が脳裏を掠める。

 もしもシュウが、ガブリエラ・イスラーフィールという人間に出会い、その縁で中央大陸に渡ったのでなかったなら。一生徒として、育成学園に通っていたのだとしたら。 

 恐らく彼女の法術を――ズルワーンの託した、『顕現型スラオシャ』を垣間見ることはなく。


 ――何かが()()、この感覚を知ることも無かったのだろうから。


我が正義に(ダエーナー・)光をくべよ(ウェイクアップ)


 玲瓏たる祝詞が、その喉から紡がれる。

 同時に、極めて巨大で強力な、法力の重圧が解き放たれた。突風が吹き荒れる。それは聖堂内を薙ぎ払い。壁に罅を入れ、長椅子を蹴散らして行った。 


「ぐっ……!?」

「きゃぁっ――!?」


 シュウたちもまた、それに煽られ姿勢を崩す。咄嗟に腕で顔を庇ったシュウは、その隙間から、ファザー・スピターマの姿を垣間見た。


 アルケイデスやズカルナイン、そしてマイヤやエリナのそれとは質の異なる、過剰光。

 真っ白な、というより、『透明な』と言った方がいいかもしれない。光というよりは『揺らぎ』に近い。陽炎と表現するのが最適なようにも思えた。


 その揺らぎは次第に規模を大きくし、虚空に、何者かの姿を形作っていく。

 ――それは恐らく、イスラーフィールの術式と、形式的には同じもの。

 この世界最強の法術。

 全ての法術の頂点に君臨する、最強の位階――『顕現型』。当代ではたった二例しか確認されていない絶技、その片割れが、今ここに姿を表そうとしていた。


 法術、『顕現型スプンタマンユ』。

 四百年前、善悪大戦で人間たちを率いた神殻種(アルコーン)聖霊(スプンタ)の長。

 その名を冠した究極の法術が、己が名通りの分御霊、陽炎の如きその巨躯を、高い、高い天井一杯に立ち上がらせた。


「気を付けろ、奥義が来るぞ!! アリアを優先して庇え、当たれば死ぬぞ!」

「下がっていろ、お前達! ――『ネメアズ・マージ』!!」


 イスラーフィールとアルケイデスが鋭く叫ぶ。アルケイデスの方はそのままシュウたちの前に出ると、白銀の巨剣を抜き放ち、絶対防御の特殊技能(スキル)を発動させる。

 ああ、二人の言葉は間違いあるまい。この重圧、紛れもなく強力な奥義による一撃だ。 

 シュウは以前、何かの資料で『顕現型スプンタマンユ』の奥義の内容を見たことがある。厳密には法力実在の事実を明かさぬためか、ぼかして記述されていたのだが……法力の実在を確信していた当時のシュウは、その内容を正確に読み取ることができた。法術師の長というのは、かくも強力な業を扱うモノなのだな、と、当時の彼はいたく感心したものだ。

 

 それが、今、自分たちに向けられている。

 この瞬間、シュウは法力という存在が、魔族にとっての魔力とは違い、人間の生命活動に干渉しない、という事実に心のどこかで感謝していた。もしも同じように、法力が人間の生命を維持するのなら、アリアのみならず自分たちも、きっとここで、ひとたまりもなく消滅していただろうから。


 何せ、『スプンタマンユ』の奥義、その能力とは――


「白夜の極光、三つ巴の始原をここに。『その魂は(アイン・)天の則に(ソフ・)従うが故(オウル)』」


 ――法力の、完全なるコントロールなのだから。


 半透明の巨人、その『口』が開くのを、シュウは直感的に理解した。

 空間を漂っていた法力が収束する。それは一本の巨大な光の剣となって、シュウ達を焼き尽くさんと投射される。

 

 ズゴォオオオォオオオオオオオッ!!!

 そうとしか形容の出来ない、凄まじい音と地響き。

 聖堂の床を構築していた大理石の欠片と土が舞い散り、シュウ達の体は突風と灼熱で吹き飛ばされる。

 

 エリナは『認識』操作、マイヤやマグナスは各々の法術で、イスラーフィールとアリアは法力と魔力をそれぞれ盾代わりに展開し、次の一撃に備える。

 シュウもまた、旧時代文明の『光学兵器』なる武装を思わすその攻撃への対応を迫られていた。あれは法力を急速に圧縮し、極太のレーザーとして打ち出す技だ。まともに食らえば即死は免れまいが――


「く……『スラエオータナ』!!」


 その構成物質が、法力であるならば。

 ズルワーンより託された、法力と魔力を司る槍は、その攻撃を吸収し、分断することができるはずだ。過去のシュウであればなすすべもなかっただろうが、今なら仲間たちのためにその力を振るうことができる。

 シュウは咄嗟に、自分の右手を大きく掲げた。同時に、その内部が淡く光り輝く。そのまま、まるで空間そのものが変質するように、光は凝縮し、やがて一本の、クリスタルのような材質で構築された槍を、形成し――


「……!! 先輩!!」


 マイヤの悲鳴に近い警告が、耳に届いた。

 はっ、と、引き戻されるように視線を下げる。


「かかったな、救世主!」

「何ッ……!?」


 いつの間にかそこに、純白の教祖が身を屈めていた。細く、長い、彼の右腕が伸びる。顕現途中のスラエオータナに、白魚のような指が触れた。


 その、瞬間である。

 形成途中の槍を、異様な形をした、白い陣のようなモノが拘束したのは。

 

 直後、シュウは己の内から、『何か』がずるり、と消滅したのを感じた。それは、なんというか……繋がり、とでもいうべきか。己の中に脈々と受け継がれてきた、『両親の重ねた歴史』。

 

 他ならぬスプンタマンユその聖霊(ひと)を倒すために紡がれた願いを、今。


「ははは、はははははは!!! 見ているか、なぁ、見ているかよキュリオスハート……いいや、『ウォフマナフ』!! ついに、ついに手に入れたぞ、僕は、僕は……!!」


 自分は、奪われたのだ、と。


 スピターマが大きく後退する。その右腕には、白い火花を散らして明滅する、『スラエオータナ』が握られていた。輪郭が歪む。鋭く、長い、雄牛の角を思わす三叉槍だったその姿は、まるで翼を広げた怪鳥のような、不気味な錫杖へと変貌していく。


「なんてこと……!」

「馬鹿な、可能なのか……そんな芸当が……」


 エリナが信じられない、とばかりに戦慄の声を漏らす。

 イスラーフィールの反応する声は、もっと震えていた。彼女には『見えている』からだ。シュウの呪術だったはずの『スラエオータナ』の顕現術式が、全く別のものへと書き換えられていくその様子が。


「ああなんて美しい色をしているんだろう。これが神たる者の証……世界を統べる王の錫杖か……!」


 スピターマは恍惚とした表情で、着々と姿を変えつつある『スラエオータナ』を握りしめる。

 そのミラーシルバーの瞳は、ここではないどこか――四百年の昔から、ずっと、ずっと、『教会』が目指していた場所を見つめていた。


「これで漸く、僕は行くことができる。キュリオスハートも、初代スピターマも、先代スピターマも行けなかった、『あの橋の向こう側』へ……!」

 

 にやり、と。

 いっそ不気味なほどに、慈悲と慈愛に満ちた神聖な笑みに口角を上げ、三代目の法術王は一礼をする。


「改めて感謝するよ『シュウ・フェリドゥーン』!! 君がこの時代に誕生しなければ、僕はこの力を得ることはできなかった! ああ、最高の気分だ、今の僕は、紛れもなく……善性存在の、頂点だ!!」


 完全にその姿を固定化させた、半透明の錫杖が掲げられる。

 まるでプリズムの内に込められた聖火の光が、ふわり、と揺らめき輝くように。

 その奥で、法力が脈打つさまを、シュウは見た。


 直後。


「ぐぅッ……!?」

「アルケイデス先生!?」


 アルケイデスが、頭をおさえて膝をついた。

 歯を食い縛り、褐色の肌から脂汗を噴きださせて、銀の髪を自らむしる様に掴みながら、押し殺したような咆哮を上げる。


「あ、ぐぁ、あぁああ、ぁああぁああぁ……ッ!」

「お、おい……どうしたんだよ、おい!」


 イスラーフィールが駆け寄って、その肩を強くゆする。長いこと痙攣に近い動作を繰り返していたその曲は、やがて痛みが引いたのか、がくり、と脱力した。

 ほっ、と安堵のため息をついたイスラーフィール。どうしたんだ、と問おうとしたのか、彼女がその口を僅かに開いた、その時だった。


「――邪魔だ」

「え? ……ぎっ!?」


 英雄の、褐色の巨腕が横薙ぎに振るわれたのは。

 その一撃はイスラーフィールの胴を強打すると、彼女の長身痩躯を吹き飛ばした。がしゃん、と音を立てて、長椅子が崩れ落ちる。学園長が『着弾』した反動だろう。それだけの威力が、今の動作には込められていた、ということだ。


魔族(トゥラン)――」

「ひっ……」


 真鍮色の輝きを宿した、青い瞳が細められる。

 その視線はシュウ達の後ろ、魔力を束ねかけていたアリアへと向けられていた。

 射抜かれた彼女はびくり、と全身をすくませると、僅かに、細い悲鳴を上げた。


 ゆらり、と。

 アルケイデスが立ち上がる。


「魔族は、人間を滅ぼす……断罪しなければならない……一匹残らず、廃滅しなければならない……!」


 白銀の巨剣をだらりと構えたその口が、ぶつぶつと、呪詛のように呟いていく。

 そこに込められた感情を。恐るべき負の情動を。法術を、『魔法』の域まで堕とし掛けた果てしの無い憎悪を。


 シュウは、既に知っている。

 それが最初に出会ったときの、彼の姿だったから。


「まさか……操られていますの……?」

「いいや違う、増幅させられたんだ……『ウルスラグナ』が背負ってきた、魔族への憎悪を……!」


 かはっ、と血を吐きながらも、イスラーフィールが立ち上がる。

 英雄の瞳はそれをただ、『敵の復帰』というそれだけの意味でとらえているように、シュウからは見て取れた。

 そしてきっと、そう間違った解釈ではあるまい。


「我が正義に光をくべよ――『オルトロス・マージ』」


 その瞳にどす黒い憎悪を抱え、アルケイデス・ミュケーナイは――いいや。特級法術師第二位、『英雄(ザ・ヘラクレス)』マグナス・ハーキュリーは、封じ込めたはずの法術を全開にした。

 じゃらり、と音を立て、その白銀の巨剣が分裂する。巨躯による二刀の連撃にて、最大の破壊をまき散らす特殊技能だ。


 どうやら、戦うしかないらしい。

 スラエオータナは手元から消えてしまったが、呪術まで使えなくなったわけではない。疑似魔術を発動させるための短剣もある。全く戦闘手段がないわけではないのだ。


「行こう、マイ」


 シュウは隣に立つ相棒に、連携を求める。大丈夫、二人とも、最初にマグナスと戦ったあの日より、ずっと強くなった。一緒に戦えば、勝機は――


「……マイ?」


 しかし。

 マイヤからの反応は、返ってこなかった。

 慌てて振り返れば、そこには小さく、その身を震わせて、呆然と虚空を見つめる彼女の姿があった。


「……マイ、マイ!!」


 慌てて肩を掴み、呼びかける。

 しかしその叫びに、答える少女の声はなく。

 マイヤの青い瞳は光を映さず、ただただ、ここではないどこかの景色に怯え、嘆き、震えているだけだった。


 教祖によって、法術に込められた『聖霊』の思念を暴走させられたのは――

 英雄だけでは、なかったらしい。


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