第七話『神核種と神殻種』
カミノリに連れられて、シュウたちは孤児院の中へと足を踏み入れた。子供たちが周りをちらちらと駆けていく。中には初めて出会う来客に興味があるのか、質問を投げかけてくる子もいた。当たり前、と言えば当たり前なのだが、シュウは容姿がエリナによく似ている理由を問われた。最も、偶然以外には答えようがないのだが。
視覚的には少し古めかしく、痛んだ部分から吹き込む風が辛そうだ、と感じたのだが、中は想定外に温かい。寧ろ十の月から十一の月に特有の、秋と冬の境、急に変化する気温を良くコントロールした、最適な室温ですらある。
聞けば『武装型ミネルヴァ』の結界奥義、『私のための神殿』が、耐熱・耐冷系の結界を重ね合わせ、半自動的に室内の温度をコントロールしているらしい。結界法術にそんな使い道があるとは驚きだ。そもそも持続的に展開しつつ、自律する奥義、というのも驚きなのだが。
結界法術は得てして長時間持続するものだ。都市の防御にも使われているわけだし、基本的には誰にでも使えるように調整されている。しかし半無限に持続するものは殆ど存在しない。資料に載っていたのも、歴代の名だたる上級法術師が扱った専用のものだけだ。
「カミノリさんの結界奥義は、その中でも特に異質です。一度発動した結界は、無限に持続すると言われています。彼女が再詠唱を行い、奥義を発動させるのは、別の機能を顕現させるとき……あるいは、結界を重ね掛けするときだけだとか」
「まさに『無窮』、ということか……」
マイヤが耳打ちしてくれた情報に、シュウは思わず唸りってしまう。
法術師たちは常に法術の力を行使しているように見えるが、あれは特殊技能と呼ばれる常時発動型の機能だ。マイヤの武装を光に変換する技や、エリナの『認識』操作による人格コントロール、そしてイスラーフィールの情報操作も、そういった特殊技能の一種である。
ところがシロナ・カミノリのそれは奥義なのだ。マイヤであれば『光輝女神の眼差し』のように、持続時間は数秒、しばらくすれば解け消えるはずの技。その分強力な力を宿した聖霊の御業を、この白の聖女は無限に維持し続けられるのだという。
主を永遠に守り続ける、最果ての神殿。
それだけでももう凄まじいが、彼女は更に、今発動している全ての結界の内容を把握し、自動だけでなく自らコントロールできるというのだから、もう素直に驚嘆を抱くしかない。
これが結界系、そして領域系法術の最高峰に位置する、究極の結界法術師の力——マグナスやイスラーフィールとはまた違う、法術師の頂点。
「どうぞ、座ってほしい」
案内されたのは、うっすらと法力を帯びた木――街路樹のそれと同じような性質を持った木で組まれたテーブルが、たくさん置かれた食堂だった。促されて座ってみると、その表面はほのかに暖かかった。
丁度午後のお茶の時間と噛み合ったらしい。子供たちがお茶やお菓子を取るために、あちこちへと散開していく。少し年長の子供たちが、シュウたちに紅茶を出してくれた。カミノリに促されて、一口頂く。美味しい――僅かに果物の香りがする、面白い風味の茶葉を使っているらしい。
エリナといくつか世間話を交わしてから、カミノリが来客用の茶請けを取りに席を立つ。手伝いたいのか、エリナがそわそわしているのが面白い。癖なのだろう。昔は彼女も、子供たちに混じって客人をもてなす立場だったはずだから。
ちょろちょろとせわしなく食堂を駆けめぐる子供たち。その様子が興味を引いたのか、アリアが視線を素早く動かし、子供たちの姿を追っていく。
「あ……」
と、彼女の口から、何かに気付いたような声。
どうやら、食堂の装飾に、思うところがあったらしい。
「何を見つけたんだ?」
「ううん……わたしのうまれたところにも、こんなばしょがあったな、って」
そう、不思議そうに呟いたアリアの、細く、白い、硝子細工のような指先が、ついと伸ばされる。
そのまま彼女は、食堂の壁、取り付けられた暖炉の上に造られた、小さな祭壇を指し示した。
「ああ……祈祷台か」
「聖霊ウォフマナフへの祈祷台ですわね。今はやっていませんが、私が幼いころはプリズムに火を入れて、お祈りをしたものです。懐かしいですわ……ああやってお祈りをすると、お父様がとても優しい目になられるので、小さいころの私は妙に安心したものです」
細かい装飾の施された、塔、あるいは台のようなそれは、聖霊へと祈りを捧げるためのものだ。『教会』の関連施設に置かれているのをよく目にする。
その形状は旧時代文明のころ、死者の魂が無事に聖霊たちの下へと届くよう、遺体を安置したという塔を模しているらしい。
今は死者の骸の代わりに、小さなプリズムがはめられていた。中に炎は灯っていないが、きっと礼拝の際はあそこに聖火をくべるのだろう。
そういえば、アリアがこれを見るのは初めてだったかもしれない。
イスラーフィールの意向で、育成学園にはこれがどこにも設置されていないのだ。
祈祷台は『正義の種火』を継ぎ足す聖別所の役割も果たすため、昔のシュウは少々困ったものだった。無論、今はただの炎とマイヤの法力で、自ら聖別が可能になったのだが。
「ダエーワの『寺院』か……ちょっと興味があるな」
「いつかあんないできたらいいなぁ」
「はは、それは嬉しいな。楽しみにしている」
「うん!」
アリアはにこにこ笑いながら、何かを思い出すようにこくりと頷く。
「しゅうのことなら、ばらもんのみんなもきにいるとおもう」
「バラモン?」
「んー……じょーきゅーほーじゅつし、みたいな?」
こてん、と首をかしげる様子が、幼げな愛らしさを醸し出す。どうやら、本人も良く分かっていないらしい。
アリア自身はこの話題にそこまで頓着していないのか、すぐに視線を外すと、また子供たちの姿を追う作業に戻った。ある一人の子供がごてんっ、と倒れれば、「あぁっ」と痛ましそうな悲鳴を上げる。その様子は、とてもではないが異文化に暮らす少女とは思えなかった。
ああもうっ、と悪態をつきつつ、泣きそうなその子をあやしに向かうエリナ。
残されたシュウとマイヤは、顔を見合わせ、異界の文化に思いを馳せてみる。
「司祭階級、ということでしょうか?」
「信仰体系が整っているなら、あり得ない話ではないが……以前アリアから聞いた話で想像していたよりも、魔族の社会は結構複雑なのかもしれないな」
「……考えてみれば私たち、思った以上に魔族の事について詳しくない、ですよね」
「アリアと出会ったころには、何か分かるかとも思っていた時期があるが……結局殆ど、異境の事は分からずじまいだからな」
初めてアリアとスプンタ語で会話をしたときのことを、シュウはまだはっきり覚えている。
あの時彼女は、異境に人間はいない、という趣旨の話をしてくれた。向こうには大型の魔物が大量に生息するが故、恐らく『門』を通じて紛れ込んだとしても、生きてはいないだろう、ということも。
異境のことについてシュウたちが知っているのは、実際その程度なのだ。キュリオスハート翁を追ってたどり着いた向こう側の世界に於いても、極端に魔力が濃い、ということ以外は分からなかった。
だが。
「上級法術師に似ている、というだけではない。社会的な立ち位置は、この街における彼らと殆ど一緒。所謂支配階級にあたる存在で、その中でも最上位の『リシ』と呼ばれる七人のバラモンが、魔族の信仰と、魔術師たちの縦割り社会を統治している」
白亜の聖女は、その限りではなかったようだ。
「魔族は人間と違って、そこまで規格化された社会を持たないから、文明的な暮らしをしている上流魔族だけにしか関係しない話、ではあるけど。そういう意味では、『教会』が情報統制なんてしなくても、こちらの世界に異境の情報は伝わらないのかもしれない」
開いた口が塞がらない、とは、きっとこのことだ。
多分いま鏡を見れば、シュウは世にも間抜けな表情をしていることだろう。
カミノリの言葉は、それほどまでに衝撃的だったのだ。
魔族たちの世界、この世界と起源を同じくする双子の世界の情報は、ただでさえ人間たちには伝わっていないだけでなく、魔族から得た情報の殆どは『教会』が独占している。
そして『教会』の上位法術師は、自らの知る『異郷』の情報を、原則として他者に伝えてはならないらしい。イスラーフィールに曰く、「民衆を混乱させないための措置、という方便さ」とのことだが……まさか彼女以外の特級法術師が、こうして自らの知識を与えてくれるとは思わなかった。
しかもその内容の細かさである。これでは、まるで――
「シュウもマイヤも、不思議そうな顔をしている。私が『異境』のことを知っている理由が、気になる?」
「え、ええ……」
「まるで、その目で見て来たかのように話されるので、つい」
戸惑いを隠せぬ思案顔を浮かべるマイヤ。その様子に、カミノリは小さく笑う。控えめな笑顔だ。でも、どこか安心する。聖女、聖母、という言葉が、彼女によく似合う理由はきっとこれだろう。なるほど、エリナがこの人のことを『先生』と呼んでいたのも理解できる。
そんな彼女は、『娘』からの呼び名に相応しく、まるで教え子に新たな知識を授ける教師のような口調で、ぽつり、と告げる。
「無理もない。実際に見てきたから」
「なっ――!?」
零れ落ちた雫が、水面に波紋を呼ぶがごとく。
言葉そのものは短く、簡潔だったものの、シュウたちを動揺させるにはあまりにも十分だった。
「ど、どういうことですか、先生!? 私、初耳でしてよ!?」
エリナが机を挟んだ向こう側で、勢いよく立ち上がる。それに驚いてしまったのだろうか、折角泣き止んでいた小さな女の子が、また泣き出してしまった。
慌てて彼女をなだめに掛かかるエリナ。その姿を後目に、マイヤがカミノリへと問いかける。
「カミノリさんは、『異境』からの帰還者、ということなのですか?」
「似たようなモノだけど、ちょっと違う、かな」
うっすらと笑みの形に口角を上げながら、彼女はやんわり否定した。
同時に、赤色の瞳で、じっとこちらを見つめてくる。
それで何となく察した。これから告げられるのは、これまでのシュウたちが持っている常識、その範疇では決して理解できない、もっと特別な—―
「あなたたちはキュリオスハート翁との会話で、既に私のような存在を知っているはず」
——埒外。
この世界の成り立ち、そして構造そのものに関わってくる領域の話なのだ、と。
「……別の、世界線、ということですね」
「正解。私は、この世界とは別の歴史をたどったもう一つの世界、所謂二重螺旋でもない、全く別の世界からやってきた」
呆然と呟くシュウに、カミノリは小さく頷く。
二重螺旋――人間の暮らすこの世界と、魔族の暮らす『異境』の事だろう。魔族の世界では各々アーシェローカ、デーヴァローカ、と呼ぶと聞く。本来同一の世界であったものが、初代ファザー・スピターマの奇跡によって、全く別のものへと分離したそれ。
その二つとは、根本的に起源を異ならせる世界から、この白い女性はやってきたのだ、という。
確か――そう、多元宇宙。旧時代文明のころに、そんな理論があったと、以前イスラーフィールから聞いた覚えがある。
なんのために。
どうやって。
様々な疑問が、シュウの脳裏に渦巻いて行く。彼のこれまでに培った知識では、答えに行きつくための糸口さえつかめない。
自分の知恵だけでなんとかしようとするのは、良くない兆候だ。シュウは思索を中断すると、聖女の続ける言葉を待った。
彼女は運んできた紅茶を一口すすると、赤い瞳を僅かに伏せる。
「キュリオスハート翁もそう。彼の方がずっと長くこっちに居たみたいだけど、ね。私はせいぜい、二十年とちょっとくらいしかここにいないから……」
遠くで話を聞いていたエリナが顔を曇らせる。
キュリオスハート翁は、あの枯れた枝のような肉体で、最低でも二百年の時を生きていたらしい。そして『呪甲魔蛇』の体内で僅かに語られた半生が正しいのであれば、彼が旧時代文明の頃のこの世界にやってきたのは、ファザー・スピターマが生まれるより前。
五百年——普通の人間であれば、あり得ない時間だ。
法則が違うのだろう、と、直感的にシュウは悟った。もしかしたら彼の操る『展開型ウォフマナフ』も、カミノリの『武装型ミネルヴァ』も、イスラーフィールの『顕現型スラオシャ』と同じく、厳密には法術ではないのかもしれない。
「私たちのような存在を、元の世界では世界線転移者と呼んだ。こちらの世界では、神殻種と呼ぶらしいけど……多分あなたたちは、私たちと同じような立場にいる存在を、どちらとも違う名前で認識している」
隣で、はっ、とマイヤが顔を上げる。どうやら答えに気が付いたらしい。
シュウの方もシュウの方で、少し思考を巡らせれば、その解答はすぐに出てきた。
というより。
『そうなのではないか』と、最初の方から疑っていた、というか。
法則性の異なる存在。
この世界に存在しながらも、この世界とは『位相の違う場所』にいる。そういう超越生命を、シュウは知っているはずだから。
だって『それ』を従えた人が――『情報の女王』が、シュウの人生を変えたのだから。
彼女が従えた機械の人形は、意志持つ確かな生命体。
それでいて、この世界のどこでもない場所に生きる存在。
それを、人々は次のように呼ぶ。即ち――
「聖霊……」
「また正解。あなたは察しが良い。私の神様を思い出す」
「神核種について知っているのか……!?」
聖女の口から洩れた単語が、シュウに最上級の驚愕を齎した。反射的に、敬語もかなぐり捨てて問うてしまう。
似た響きの言葉が出た瞬間から、もしかしたら、と思っていた。だがまさか、本当に関係があるとは思っていなかったのだ。
「教えてください、神核種とは何なのですか? ズルワーンは……俺の母親は一体何者なんだ!」
「シュウ・フェリドゥーン。あなたは同じ。私たちと同じ。あなたは神の使徒として、この世界線を守る役割がある。自らの奉ずる神核種の祈りを受けて、救世主となる役割が。故にそれを問う権利があなたにはあり、私は答える義務がある」
カミノリは唇を湿らすように、もう一口、紅茶を口に含む。シュウもそれに倣った。緊張からか、喉がからからに乾いていたことに、液体の染み渡る感触で気付いた。
「神核種は、言うなれば世界の管理者。最初は、世界の外側からやってきた誰かが。その後は、その世界に於いて、その神にとって最も『価値の高い』人物が後を継ぐことになる。私たち神殻種は、その候補。神核種の役割を代行する、管理代行者、とでも言うべき存在。今言った通り、やがて神核種を継ぐかもしれない存在でもある」
あなたの母親もまた、かつてはそのうちの一人だった――白の聖女はそう告げる。
ラジア・フェリドゥーンは、先代ズルワーンに仕える『神殻種』であったと。
「この世界線には最初、多くの神核種がいた。ズルワーンだけではない。オフルミズド、マイトレイヤ、ディアウス……平和だった。ヴェスタローカは無尽蔵の繁栄を得て、善と悪のバランスが取れた、良い世界だった」
脳裏に、その風景を思い描く。
二つの世界が分かたれる前。旧時代文明の世界は、今の世界よりもずっとずっと発展した文明が栄えていたらしい。法術や魔術といった超常の技はなかった、あるいはそこまで社会的に大きな役割をもっていなかった、と推測されているが、代わりに沢山の便利な機械が、人類の生活を手助けしていた。
バッグの上から、中のカメラを撫でる。この銀色の小箱もまた、そうした機械のうちの一つだ。当時はもっと小さく、それでいて高性能なものが沢山あったらしい。設計図が見つかっている。
「けど」
そんな時代は終わりを告げた。
旧時代文明は所詮、『旧時代』なのだ。
今は遠き、はるか過去の世界の話。
「神々は皆、消えてしまった。ズルワーンたちが従えていた数多くの神殻種が、自分たちの手で世界を管理すべく、大きな戦争を引き起こしたから」
「まさか……善悪大戦ですか? 人間に加護を齎した聖霊も、魔族を後押しした悪霊も、どちらもがその神殻種である……と……?」
「その通り。結果としてヴェスタローカは崩壊した。聖霊の長、次代のオフルミズドを継ぐと言われていた男が、一人の人間を騙し、操り、奇跡を授け、自分たちに都合のいいように世界を分割した。神々は時空の狭間へと葬り去られ、ただ一柱、己の存在座標をコントロールできるズルワーンだけが、空隙に取り残されている」
あの何もない、世界の狭間を思い出す。
小さな少女の姿をした『神』が、己の母親が、ずっと、ずっと、一人だけで世界を睥睨している、時空の玉座を。
あれが塗り替えられる、という事実に、シュウは言いようのない不安を抱いた。『違う』、と直感的に感じたのかもしれない。あの場所に立っているべきなのはズルワーンでなくてはならないのだ、と。あそこに他の神や聖霊が到達し、支配権を獲得したならば—―きっとそれは、紛れもなく『間違った世界』を導くに違いないと、根拠もないのにそう感じた。
普段なら、しない思考だ。
だからこそきっと、この直感は真実なのだと、そう理解できた。
「気を付けてほしい。ファザー・スピターマには、ズルワーンに反旗を翻した神殻種が憑いている。私たちは、彼を止められなかった……キュリオスハートは直接対立するための力を持っていなかった。彼は長の力に屈し、あなた達の知る聖霊の一柱、ウォフマナフとして行動するしかなかった」
矢継ぎ早に、純白の聖女は続ける。伏せられた真紅の瞳が、悔恨と悲哀に揺れた。
「私はこの世界への到達が遅すぎた。辿りついた時にはとっくの昔に大戦は終わり、世界は二つに割れていた。私は一人の人間として、状況が動くのを待つしかなかった。ラジアはあなたの生まれてすぐあとに起きた、大きなズルワーン討伐戦線で犠牲となった、先代ズルワーンの代わりに『即位』した」
誰も止められなかった。
初代ファザー・スピターマを騙し、良いようにこの世界を動かした最強の神殻種に、対抗できる存在はこれまで一人もいなかった。
カミノリによれば三代目ファザー・スピターマは、むしろこの神殻種に力を貸す立場にあるという。
シュウの脳裏に、最悪の未来が像を結ぶ。
おそらくこのまま歴史が進めば、この世界はこの世界ではいられなくなる。
ダエーワを、魔族を殲滅するために、『門』を超えて人間たちが異境に攻め入る――そんな、これまでとは真逆の事が起こるだろう。そうなったとき、人間は人間ではなく、いっそ『魔物』のようなものにさえなり下がるだろう。
やがて悪性存在を殺戮し尽くしたならば、ファザー・スピターマは次元の扉を開くのだ。
そこに待つズルワーンへと刃を突き立て、そして世界の王座を奪い取り、二つの世界を自分の『思うがまま』に作り変えてしまうだろう。
「なんとか、する方法は」
「聡いあなたは、もう気が付いているはず」
「——俺が、ファザー・スピターマを止めるのですね? スラエオータナ……ズルワーンの神殻種としての役割を託された、俺が……」
不思議な話だ。
ずっと、自分には過去が無い、と思っていた。
シュウが自分自身の記憶として覚えているのは、過去を取り戻した今でもなお、極東大陸の辺境、あの邑で目を覚ましてからの生涯だ。それよりも前、両親と過ごした時間は、『自分』という記録を読んでいるような感覚なのだ。だからこそ、ズルワーンの事を理解することで、両親という存在に実感を持たせたかったのだが――それがこんな風に、はるか過去から自分へと受け継がれた使命を、浮き彫りにすることになるとは。
知らない間に、膝の上に置いた手が震えていた。じんわりと嫌な汗もかいている。どうやら実感以上に、シュウはこの事実に恐れをなしているらしい。
きゅ、と手を握ってくれるマイヤに、ありがとう、と礼を言う。首を振る彼女もまた、僅かに震えているのが分かった。当たり前だ。もし自分ではなくマイヤが、同じ運命を託されていたとしたならば、シュウはここで、彼女を呑み込む運命の奔流、その激しさに戦慄していたに違いあるまい。
それほどまでに、託されたものは大きかった。
果たして自分が耐えられるのかも分からないほどに。
何を目指せばいいのか、それすらも見失ってしまいそうなほどに。
「……いきなりたくさんのことを話してしまってごめんなさい。けれどどうか、あなたはその心の隅にでいいから、ずっと覚えていて欲しい。当代のズルワーンが、命をかけてでも守ろうとしたあなたに、何故そんな力を、運命を与えたのか――その理由を」
――その言葉で。
異なる世界からやってきた特級法術師は、神々とシュウの運命に纏わる、知り得る全てを語り終えた。
***
落ち着くまでゆっくりして行ってほしい、というカミノリの言葉に甘えて、その日はイスラーフィールたちとの集合時間になるまで、孤児院で過ごすことにした。
カミノリからは古い時代や他の世界の話だけではなく、エリナの幼いころの話や、孤児院の昔の様子、今の暮らしぶりを聞くこともできた。特に子供の頃のエリナの話は興味深く、不安を忘れるほどに聞き入ってしまった。まだ人格の集束していなかったころのエリナが、一人でお菓子を取り合っていた話などは、医療や哲学的な面から見れば大変なことなのだろうが、彼女自身が恥ずかしがって「もう、その話は忘れてくださいといったはずですわ!!」などと叫ぶものだからおかしくて――お菓子だけに――、珍しく笑いを抑えることができなかった。
お茶の時間が終わると、子供たちは運動の時間に入るらしい。孤児院の庭に出て、シュウたちは彼らの相手をすることになった。
シュウは決して背の高い方ではないのだが、ある程度の年頃の男性がこの場所に来ることはめったにないらしく、子供たちは普段は体感できない高さを知ろうと、シュウの身体によじ登ってきた。
おまけにさっきから、院内に立ち入るときよりも激しい質問の嵐が、シュウのことを襲っていた。
十中八九の話ではあるが、少年たちにたかられるシュウを見たエリナが、
「不敬ですわよお前達!! このお方は……その……い、いずれ私の夫になるお方です♡」
などと叫んでしまったせいだ。「ねね、お兄様って呼んでもいい?」「ずばり、おねえさまのどこが好きですか!?」などという質問が大半を占めるため、間違いあるまい。
これには大変困ってしまう。
確かにエリナはとても魅力的な女の子だ。良い所なんていくらでも上げられる。そもそも好きか嫌いか、と言われれば間違いなく好きだし、いっそこの感情は『義妹』に向ける家族愛とは別種の感情かもしれない。
それでもシュウが『好き』なのは、まず第一にマイヤなのだ。
彼女のことを差し置いて、エリナについて話してもいいものか――などと思っていると、庭の端っこの方で小さな女の子と会話をしている、彼女の姿を見つけた。
花の髪飾りをいくつも付けた、可愛らしい女の子だ。どうやら髪の毛の話をしているらしく、二人で髪型を変えたりして遊んでいる。
「……おねーちゃん、髪の毛長いね。いいなぁ」
「ありがとうございます。貴女も素敵な髪の毛をしていますよ」
「あのね、私、伸ばしたいの、髪の毛。その……好きなひとが、長い髪の毛の方が好きなんだって」
「……! ふふっ、じゃぁ、お姉ちゃんとお揃いですね」
「ほんと? おねーちゃんも好きな人のために髪の毛伸ばしたの?」
「はい」
「ひょっとしてあのお兄ちゃん?」
「そうですよ。貴女達のお姉様とは、なんというか、友達ですけど敵というか……」
「じゃぁ私、おねーちゃんのこと応援するね!」
「本当ですか? ありがとう……私も、貴女の恋、応援しますね」
「ありがとう、おねーちゃん!」
……なんだか恥ずかしくなってきた。この感想を抱くのは、いったい今日で何回目なのだろう。
恥ずかしさで死にそう、という言葉がある。
この調子だといつか本当に、動悸が急速変調したせいで、死に至ってしまうかも。
聞けば女の子の髪の毛というのは、伸ばすのに数年単位かかるらしい。一般的に『長い』とされる長さにするまで、最低でも三年、今のマイヤのような、膝裏まで届く様な長さにするまでには五年近くもかかってしまうらしい。
一度切られた彼女の髪が、一年も経たずに元の長さに戻ったのは、極めて強力かつコントロールの利く、『武装型アールマティ』の治癒効果によるものだが……長い髪の毛にはお手入れの難しさがつきものだ。
昔のマイヤも、その辺のコストを煩わしく思って髪は短くしていたというし、本来マイヤは、あの時点で髪を伸ばすのをやめても良かったはずなのだ。
それでも、彼女は元の長さまで伸ばそう、と決めた。
シュウのためであることなど、考えなくても分かってしまう。
女の子がなにかおかしなことを言ったのか。マイヤが楽しそうに笑う。その笑顔が、余りにも愛おしくて。そして叶うならば、誰も彼もにも、今の彼女のような幸せな笑顔を浮かべてほしくて――
「……そうか」
——すとん、と。
答えが、出たような気がした。
なるほど、確かにシュウは、この街の平和を崩す資格は得られないだろう。もしも教会と全面戦争を引き起こすことになった際、彼らを皆殺しにするような決意は、絶対にできない。
だが、その平和の中に、今、平和の輪に入ることができていない人々を、組み込むための戦いならできる。自分がマイヤに貰った幸せを、全ての人々が感じられるように、手を伸ばすことならできる。
伸ばした手が届くのかは分からない。
スラエオータナの分だけ遠くまで届くシュウの手も、世界中まで届くわけでは決してない。きっとシュウの救済には取りこぼしが出る。どれだけ頑張っても、結局は『教会』と同じことをしているに過ぎない、そういう可能性だってある。
でも。
笑顔に、心から安心して笑顔になれる人の数を増やすための努力は、絶対に無駄ではない。
その為に、自分はあがいてみせる。弱くて、法術師としても魔術師としても落ちこぼれで、正直ズルワーンの加護が無ければ、呪術師としての才能もイマイチな身ではあるけれど。
自分が選ばれた意味とはきっと、こういう決意ができるからなのだと、信じてみる。
きっとそうだからこそ、ズルワーンは――母は、この身に己の力を分け与えてくれたのだから。
ざり、という小さな音に振り向けば、シロナ・カミノリが立っていた。
彼女にも感謝を。この人がいなければ、この孤児院は今存続していなかったかもしれない。今日ここに訪れられなければ、シュウは自分の力の意味を再確認することも、こうして迷いに答えを出し、覚悟を新たにすることもできなかったはずだから――きっとこの女性は、エリナだけではなく、自分にとっても『先生』なのだ。
「カミノリさん。俺、きっと救って見せます。ここにいる子供たちの事——もっと笑顔に、してみせますから」
「ん……楽しみにしてる、よ。あなたなら、きっとできる」
白亜の聖女は、そう言って小さく頷いた。
ふと見上げると、空の色は目の覚めるような橙色へと変わりつつあった。もうすぐ冬が来るこの時期だ。やっぱり、日が沈み始めるのはちょっと早い。
同時に、彼方、『不滅の大門』の物見台から、街全体に響くように、時計の鐘が聴こえてきた。イスラーフィールたちとの集合時間が近づいてきている。
シュウはもう一度、カミノリに向かって頭を下げると、子供たちと戯れる、少女たちの方へと向けて歩み始めた。




