第六話『シロナ』
「お兄様! こっちですわー!」
後方を歩く愛しい人に向かって、私は勢いよく両手を振る。
こんなに大げさな動きをしなくても、あの人はきっと気付くでしょう。ほら、今だってちょっと苦笑気味に、左手を上げて答えてくれている。
けれど、我儘な今の私は、その反応をもっと甘い感情と一緒に楽しみたくて、必要以上の振る舞いをしてしまう。青髪は「もうちょっと静かにできないのですか」というけれど、でもあの娘だってお兄様の反応が楽しみで、日々の振る舞いや反応、ちょっとした部分に無駄な努力を追加しているのを知っている。お互い様だ。
だってそのくらい、お兄様と一緒にいるのは楽しくて、愛しくて、どんな時間よりも輝いて思えるから。
あの人と出逢ってから、私にとっての世界に対する『認識』は、びっくりするほど変わってしまった。
例えば、一応の故郷となるこの街の風景。白い城壁に囲まれた、何の変哲もない、いっそ『完成されすぎているが故の面白みの無さ』まである大都市。
興味をそそられることなど何もなかったこの街が、今は物珍し気にきょろきょろ周囲を見渡すお兄様にと、解説と称した長話をするための無限の口実。
空を見上げれば、彼方まで澄み渡るコバルトブルー。かつてはこの色が、何の起伏もない自分の人生を表しているように認識できて大嫌いだった。
今は違う。当然だ。雲一つない大空は、何の障害もない前途洋々、完全勝利な未来の象徴。ええ、ええ、青髪銀髪なんのその、最終的に正妻の立場を獲得するのが私であることは最早決まったも同然です。
癪ですけれど、マイヤと考えていることは一緒。
お兄様は、私の世界に色をくれた。
私の世界に、喜びと言う名の光をくれた。
感情なんて何もなかった私からすれば、哀しみと言う名の闇もまた、お兄様からもらったもの。
そんな大好きな人と過ごす一瞬。ちょっとくらい無駄な行動で、味わう時間を延ばしてみたって、バチが当たるはずなどあるはずもなく。
一方で、当のお兄様は僅かに肩で息をしながら、私のすぐ隣まで追いつかれました。
「ふぅー……ここまで来るだけでも、思ったよりも大変だな。徒歩で央都を回り切るのは難しいんだろうな……」
央都は広い上に段差もある。歩き詰めで疲れているのか、その顔はちょっとやつれ気味。それでもはっきりとした意思の色と、心配をかけまいという心遣いが手に取るように伝わって来て、もう胸がきゅんきゅんして止まらない。
「当然ですわ。央都の規模は通常の大都市の三倍。育成学園近郊諸都市と比べれば、七倍近い広さの差があるはずです」
「改めて聞くと、本当にとんでもない広さだな……」
お兄様が、この人にしては珍しい、心の底からの驚愕の表情を浮かべた。ちょっと可愛い。いつもはどこか余裕を残していらっしゃるというか、大体驚いているその時には、もうその事柄に対する考察をしているように見える。
一種知識欲の塊のような側面を持つ彼に、最大級の驚きをプレゼントできたのだ、という事実が、私の心を一気に熱くする。
お兄様は暫くすると、またいつものように小さく考え込む表情に。すぐに考察を終えたのか、ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「そうか、街中をたまに走っている馬車は、もしかして……」
「都内を移動するためのものですね」
「少々金額がかさむので、簡単に乗れるものではありませんが……一つの選択肢ではありますわ。まぁ、多くの市民は、わざわざ徒歩で行けない程の遠くまで行く必要がない、というのもありますが」
マイヤの答えを補足する。
広大に過ぎるこの街だが、その設計理念の一つとは、言ってしまえば『複数の街の融合体』だ。住居エリアや商業エリア、信仰のための建物を集めたエリア……というように細かく区分けされ、それでいて一つのエリアだけでも暮らして行くことが可能なのは、そういった思想からくるものだと聞く。
だから下流市民などは、極論、住居エリアの中だけで一生を過ごすことが可能なのだ。外に出なくてはならないのは、商人だったり上級法術師だったり、というような、所謂中流階級以上の住人達。
お兄様がお気づきになったように、央都の放射線状に構築された通路たちは、その多くが高級馬車を走らせている。それが『高級』なのは、上記のような理由があるからなのだ。
どちらにせよ、孤児院までは接続しておりませんが。
なんせ、こんな坂道の上にあるんですもの。馬も悲鳴を上げてしまいますわ。お兄様は流石の体力です。
……無論、それだけが理由ではないわけですけれども。
キュリオスハート孤児院は、この街において、もしかしたら教会本部を除いた場合、最も特別な場所かもしれないのだ。
なんせ『法術師を育てるための孤児院』という、貧しい子供たちの居場所でありながら、この場所は、央都における最上級の立場にあるべき者たちの居場所にもなる。後々上級法術師たちとして羽ばたいていく子供たち。彼らを育てる法術師。院長たる特級法術師の住居に、そしてかつての私がそうであったように、ごくまれに引き取られる、『未来の特級法術師』足りえる子供たち――
そんな人間を街中に簡単に出すわけにはいかないし、逆に街中から簡単に会いに来られても困る、ということなのだろう。
本当は今日、お兄様をお連れできるのかどうかも不安だったのだ。過去にはお父様が設置した機械人形が、この辺りの道を護っていたこともあったから。
最も、新しい『先生』はそんな風にはせずに、強固な結界で守っているだけだったみたいですが。私たちは、銀髪も含めてすんなり通り抜けることができました。
——やっぱり、見えていらっしゃるのですね、先生。
あの人は、なんというか……特別だ。特級法術師は皆普通の人間からは逸脱した存在だけれど、先生は、シロナ・カミノリは特に異質だと言ってもいい。どちらかと言えばお父様や、ファザー・スピターマに近い存在だ。純粋な人間とは言い難い、というか……一種の神性を帯びている、と表現すればいいのか。
私の気のせい、という可能性も高いですが。思い込みで自分の人格も変えられる妄想女ですので、私。そういうちょっとした部分が気になって、拡大解釈してしまうのですわ。ああ恥ずかしい、お兄様に知られたらどうしよう。
でもそんな部分もきっと、お兄様は受け入れてくださるのでしょう。
彼はそういう人だ。ただそこにいるだけで、どんな人でもたちどころに救って見せる、生まれながらの救世主。そういう人だからこそ、諸人では救えぬ、救おうともしない者達にも手を伸ばせるし、私自身も救ってもらったのだろう、きっと。
坂を上り切った先、青い空の下に、鈍い白亜の建造物が見える。ちょっと恥ずかしいけれど、でも、お兄様には知っておいてほしい。
くるり、と振り向き、いまだ道中にある仲間たちへと呼びかける。
「さぁ、見えてきましたわ!」
ただいま、『私』の生まれた場所。
そして――
「ようこそいらっしゃいませ、お兄様。ここが私たちの故郷ですわ」
構造は『教会』の関連施設であることを示す、聖堂と似通ったものだ。しかし前述したように、その色は神性を帯びた白ではなく、どこか古ぼけたような色。いっそ灰色と言っても差し支えないかもしれない。
重宝され、存在を許され続けた長い歴史と、軽んじられ、整備もされない姿。相反する二つが同居するこの場所こそ、私が育った『キュリオスハート孤児院』。
お父様……特級法術師、ハレルヤザグナル・キュリオスハートが、己の後継者足りえる、次代の『展開型ウォフマナフ』の使い手を育成するために建てた場所、なのだという。
彼の求めた後継者の証、ハルワタートとアムルタートの法術に目覚めた子供は、その長い歴史の中で、ついぞ私だけだったようですが。
彼がここで育てた子供たちを、いったいどのように思っていたのかは、今でもよくわからない。
異境の空間で相対したとき、あの人は私を実の娘のようにも、ただの道具のようにも扱った。
私もまた、お父様とどう接したらよかったのか、最後まで理解できないままでした。
だけれど、確かなこと、理解できたことも、ある。
「あーっ! エリ姉だぁ!」
「姉様!」
「エリナお姉様ぁ!」
「おかえりなさい姉様!」
庭で遊んでいた小さな少年少女が、私の姿に気付いて駆け寄ってくる。その表情は、懐かしいものを見たときの笑顔。実際、彼らと会うのは殆ど半年ぶりだ。久しぶり、と声をかける暇もなく、法衣の裾にからまるように、子供たちの小さな体に取り囲まれてしまった。
「ちょ、ちょっとあなたたち! 纏わりつかないでくださいまし! 動けませんわッ……ああもうっ!」
しがみついてくる子供たちを振り落としながらも、私は自分の表情が、言葉と裏腹に笑顔になるのを感じていた。彼らと接することを楽しい、と思ったのは、これが初めてだ。
ここで共に育った子供たちは、私のかけがえのない『家族』なのだ――そのことを、お兄様が教えてくれた。家族とはどういうものなのかを、家族を持っていないはずの彼が、私に『認識』させてくれたのだ。
お兄様は私のことを、家族として扱ってくださる。
であるならば、孤児院の子供たちは、彼にとっても家族同然であるべきだ。何せ子供たちは、私にとっての家族なのだから。
今日ここにお兄様を招待したのは、単純に孤児院の現状――央都の一員でありながら、央都の民としては扱われない私たちのことを知ってもらいたかったから、というものが大きい。けれどそれ以外にも、お兄様に沢山の家族を上げたかった、という部分も、大半のウェイトを占める。
お兄様、マイヤ、それから……多分銀髪も。いつかみんな、私の家族になる。
そんなときにすんなりと、きょうだいたちみんなでお兄様の家族になるためには、必要なイベントだ。
「先輩?」
「いや、懐かしい、と思ってな」
青髪に問われて、お兄様が優しい笑みをほころばせる。きっと故郷、極東大陸の、自分を育ててくれた一家のことを思い出しているのだろう。丁度私たちよりも数歳下くらいの子供たちがいた、と聞いた覚えがある。
その表情を見ると、何故でしょう、私の胸の奥も、なんだかほんわかとしてきて――
「こら、皆。はしゃぎすぎないの」
はっ、と我に返る。
声のした方向を振り返れば、そこは聖堂の入り口。隙間風の入ってこないように補強された、古びた木製のドアを開け、白い髪の女性が姿を見せていた。
いいえ、その顔立ち、小柄な体躯、細くすらりとした見た目を思えば、少女、と言ってもいいでしょう。
彼女は桜色の唇を、笑みの形に小さく吊り上げる。
魔族のそれとはまた違った、ルビーのような赤い瞳が私を見つめた。温かい。本当の親子でもなければ、年齢的には兄弟姉妹の類であろう子供たちを、まるで実の母親のように眺める、慈愛の目。
懐かしい記憶がこみあげてきた。直接の会話を交わすのは、多分二年か三年ぶりだろう。
「……先生」
「久しぶり、エリナ……大きく、なったね」
「先生こそ、元気そうで安心しましたわ」
彼女は余り変わらない表情の中にも、確かに優しい喜びを見せてくれた。
きっと、私と彼女の間に交わす言葉は、それだけで良かったんだと、そう思います。お父様との問答とはまた違う、語らずして伝え合う思い、というか……そういうものが、私と先生の間にはあると信じている。
悔しいけれど、お兄様と青髪の間に確かにある絆のように。
それは年月が編み上げた、誰にも真似できない繋がりだ。
「初めましての挨拶、だと思う」
先生は私から、お兄様たちの方へと視線を移す。
僅かな緊張からか、お兄様の肩が張るのを見て取れた。もう、あの人なら気付いているはずだ。目の前の、純白の聖母が何者なのか。
「ようこそ、『キュリオスハート孤児院』へ。私はシロナ・カミノリ……今はここの管理を任されている。一応、特級法術師。苗字、好きだから……カミノリ、と、呼んでほしい」
特級法術師第六席、『純白無窮の庇護者』。
央都と外部を区切る『不滅の大門』でその名が出たときから、きっとお兄様は予感していたはず。私がこの場所にお連れすれば、きっと出会うことになるのだと。
そしてこの出会いが、私自身の『認識』をも変えることになるのだと、何となく気付いていた。
「あなたたちを待っていた。どうか中に入って欲しい。ファザー・スピターマと対峙する前に、伝えたいことがある」




