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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第四章:あの橋の向こう側へ
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第四話『法術師の街』

 見上げんばかりの城門。陽光に煌めくその白亜に目を奪われ、シュウはほう、と息を吐く。遠方からでも既にその巨大さは良く伝わってきたが、至近距離で見るとまた格別だ。細かい装飾がよりはっきり見える。いったいどれほどの人数、優秀な職人を集めればこんなに緻密な紋様を掘れるのだろうか。

 これほどの高さと幅、そして美しさを持った壁を他に見たことがない。それは正にこの都の繁栄を表していると言っても過言ではないだろう。


 僅かに感じる法力の気配に、肌の表面がちりちりと泡立つような錯覚を覚える。悪性存在の侵入を防ぐため、特級法術師が張っているという強烈な結界——その影響だろう。

 シュウの自己認識は魔族ではないが、その体に流れる血の半分は紛れもない魔族のものだ。そもそもの話、悪性存在の一体何に反応して結界が作動しているのかはよく考えれば大分不思議な要素なのだが、それはそれとして結界はシュウの身体を構成する『異郷』側の因子を検知し、弾き出そうとしているのだ。

 とはいえ、シュウが最早己を人間でも魔族でもないと位置づけているせいだろうか。それとも、なにかしら個人差のようなものがあるのだろうか。結界は噂に聞く様な、即座に魔族を焼き殺すような形としてではなく、多少のぴりぴりした感触で済んでいる。命に係わるようなものではなくてよかった。

 

 ふと気になってアリアの方を見ると、彼女は興味深そうに城壁を見上げていた。特に別状はなさそうだ。結界の存在は、彼女にこそ危険ではないか、と思っていたのだが……そういえばアリアは既に、この央都の中で生活した経験があるのだった。白亜の壁を物珍し気に眺めるその姿から察するに、過ごした時間こそ長けれど決して『慣れていた』わけではないのだとは思うが……もしかしたら、世界最上級の結界に耐性があるのかもしれない。

 その割には自分で張った結界にダメージを受けたこともあったなぁ、などと懐かしいできごとを思い出す。あの時は大変だったが、自分たちを近づけてくれたのもあの出来事だ。

 そう考えると、二つの術式の間にはどのような差があったのだろう――


 などと思っていると。


「そこの馬車、止まれ!」


 シュウたちの乗った馬車に向かって、鋭い声が飛んだ。


 あわてて発生源を伺えば、それは巨大な都市を囲む円形の結節点。

 その真下に備え付けられた城門の詰め所から、一人の男が姿を見せた。

 薄い金属の鎧を、体の要所要所に装着した人物だった。基本の服装はアルケイデスが纏っている改造法衣に近い。『教会』直属の上位法術師たちが身に着けるタイプのものだと、以前服飾系の雑誌でみたような記憶がある。頭に被った不格好なヘルメットとも帽子ともつかない兜が、なんともコミカルだ。

 しかし全身を俯瞰して見てみると、そのどこかファンシーな見た目と裏腹に、細く、背の高いその姿には、隙らしい隙が見当たらない。よく見れば携えたロングスピアも、城壁の絢爛さには釣り合わないとさえ思えるほどに武骨で、実戦的な面持ちだ。


 衛兵、というやつだろう。当然と言えば当然なのだが、学園の警備兵の人々と比べてはるかに強力な法術師の様だ。彼らもイスラーフィールが自ら集めたえりすぐりだと聞くが、この男性は二回りはその上を言っているように思う。 


 彼は堂々とシュウたちの馬車に近づくと、ずい、と顔を近づけて告げてきた。


「昨日から二週間後まで、央都では入場制限をしている。所属も分からぬ馬車を通すわけにはいかん」

「え……」


 岩のように重々しいその言葉に、シュウは自分の背筋がさっと冷たくなるのを感じた。

 今回の央都行きは、ファザー・スピターマからの正式な招聘に基づくものだ。当然、シュウたちの乗るこの馬車も、『所属の分からぬ』ものでは断じてない。

 何か不備があったのだろうか? それとも、そもそもこれ自体が何らかの罠――?


 そう、認識した瞬間に。

 シュウの全身に、異常なほどの重圧がかかった。マズイ、いけない、ここは危ない、という、直感的なメッセージが、彼の身体のありとあらゆる場所を叩きまくる。しかし手足は鉛玉のように重く、まるで動かすことができない。

 

 この感覚、精神干渉法術、いや、もっと別の――そう気づいた時にはもう、シュウの生存本能が勝手に作業を始めていた。

 あらゆる最悪の可能性を想定して、シュウの脳が戦闘状態へと移行する。もしかしたらここで、スラエオータナを抜くことになるのではないか? この法術師と戦わなくてはならないのではないか? その時、自分は勝てるのか?

 分からない。ただ重圧だけが、シュウ・フェリドゥーンの思考を支配している。正常な感覚が、働かない。

 

 視線をずらせば、マイヤとエリナは平然としているものの、アリアの様子もちょっとおかしい。何かに怯えているというか、目の前に怖いものでも見えているような視線というか……。


 そんな時間を打ち破ったのは、意外にも前方席に座っていた学園長の声だった。

 それも、緊迫したものではなく、いつも通りに軽薄で、冗談めかした色合いの声。


「おいおい、顔パスで良いって言ったのそっちじゃなかったか?」

「通してくれ。こちらも急いでいる」

「こっ……これはイスラーフィール様に……マグナス様!? も、申し訳ございません、どうぞお通り下さい!」


 ひょっこりと顔を出したアルケイデスの姿をも目に止め、衛兵はびしりと居住まいを正す。

 同時に、シュウの身体からも緊張感が抜けた。何だろう、悪い夢でも見ていたような感じだ。それこそマイヤが悪夢を消してくれたときのような、奇妙な脱力感が全身を支配している。


「ふぇっ……なにも、いない……?」


 アリアも同様だ。

 彼女も呆然とした表情で、きょろきょろとあたりを見渡している。どうやらシュウは一種の生存本能を強烈に刺激され、アリアの方は幻覚作用を引き起こされていたらしい。

 一体何があったんだろうか、という率直な疑問は、すぐに解消された。


「ああそうだ、お前」

「はっ」


 イスラーフィールが、獲物を狩る猛禽類の様な目つきで、ぎろり、と衛兵を睨んだからだ。

 その瞳が纏う重圧というか、一種のカリスマのようなものに中てられたのだろう。男性が、即座にびしりと姿勢を正す。全身のライトアーマーが擦れて、かしゃり、という軽やかな音が鳴った。どうやら見た目よりもはるかに軽いらしい。


 学園長の姿勢は悪い。とてもではないが馬車に乗るときのそれではないだろう。姿勢が悪いというより行儀が悪いと言った方が良いかもしれない。

 だがそれを不思議ととがめる気になれないのが、ガブリエラ・イスラーフィールという人物の人間性を表している。言ってしまえば、「この人間ならこんな姿勢をしていても様になる」「むしろこの尊大な姿勢こそふさわしい」と思わせてしまうだけのオーラが、彼女にはあるのだ。


「うちの生徒に威圧術式(ファランクス)を使うなよな。それ、人に向けて撃つもんじゃないだろ」

「し、失礼しました!! つい、と申しますか、義務的に、と申しますか……」

「第一、私の馬車を『所属も分からぬ馬車』と決めつけて先制すんのもどうかと思うぜ」

「そ、それは……! こちらも役割上、見慣れぬ車には敏感になっておりまして……ッ!」


 衛兵の青年も、そのオーラに呑み込まれてしまったのだろう。シュウたちの乗る後部席に向けて重圧を放っていたときとは打って変わって、しどろもどろに弁明する。恐らく年齢は青年の方が高い。それでもここまで立場の差のようなものを見せつけられると、特級法術師という称号の意味を、改めて理解させられる。


「うん、まぁ仕事なのは分かるからお咎めはしないけどさー」


 そんな投げやりな言葉で、あるいは法廷沙汰だとか、軍法会議だとか、そういうものになっていたかもしれない誤認を片付けられるだけの権力が、彼女にはあるのだ。


 シュウ達に対して、何らかの法術を行使した衛兵。

 その身に――恐らくは無意識であろうが――纏わせていた法力の圧と密度は相当なものだった。

 法力は、人の『信じる心』に呼応する。その最も簡単な達成方法とは、つまりは聖霊たちが『教会』へと下賜した、この世界の絶対運命、ファザー・スピターマへの預言にして、彼による予言、つまりは『天則』への帰順だ。

 あそこまでの密度で法力を練り上げるには、己の信じるモノへの絶対的な信頼がなければならない。きっと、少しでも疑いを抱いた瞬間に崩壊するだろう。それほどまでに張り詰めた力だったのだ、今のは。


 シュウは以前、似たような状況にあった人間を、一人知っている。

 それこそ、他でもないマグナス・ハーキュリー。同じ馬車に乗っているアルケイデス・ミュケーナイその人だ。彼の妄信に近い『天則』への帰依を、あの衛兵たちの法力が醸し出す気配から、どうしても思い起こさざるを得ない。

 

 教会の剣――その称号が、シュウの脳裏に像を結ぶ。

 法術師達の中でも上位の力を持ち、『教会』の上層部が望むがままに、その意志を代行する最高級の存在。特級法術師とはまた違った意味で、驚嘆に値する存在だ。

 そんな称号を得るに至るだけの力を持った人物が、ただの一衛兵として扱われている。そのことに、シュウは冷や汗を流さざるを得ない。

 何せ、それが可能なほど、央都には優秀な法術師が溢れているのだ、ということだから。


 それらを叩き伏せ、一言でコントロールするほどの権力。

 想像するだけで規模の大きさに度肝を抜かれそうになるそれこそが、『特級法術師(アスラワン)』。聖典に登場する、初代ファザー・スピターマ直々に教えを受けた法術師たちに倣い、七人で構成された最強の法術師の立場なのだ。


 ここにきて、そんなことを思い知らされるとは……シュウは己の首筋を、どういう理由で浮き出たのかも最早分からない汗が、つい、と流れたのを感じた。

 それを衛兵から向けられた威圧術式とやらのせいだと思ったのだろうか。

 マイヤとエリナが、心配そうに覗き込んでくる。


「お兄様、大丈夫でしたか?」

「ごめんなさい、私も注意を払っておくべきでした。先輩のお父様の血筋を考えれば、先輩にも効果があることは想定できたのに……」

「あ、ああ……いや、大丈夫だよ。予想できてなかったのは俺のせいでもある……というより結局、何だったんだあれは」


 精神干渉法術ではなかった。

 一方、だからといって他のなにかだと、断定できるだけの知識もなかった。

 正直、嫌な感じではなかったのだ。ただただ自分の本能に訴えかけて、ここは危ない、あなたは去りなさい、と、警告をしてくれる優しい声だったようにも思う。

 その勢いというか、圧があまりにも強すぎただけで。


 きっとあれは、触れる人によって感じ方が変わるのだ。

 シュウであれば戦闘態勢へと無理矢理移行させられたが、アリアは恐らく、魔物か法術師にでも囲まれる光景を見せられていたに違いない。

 今の自分では勝てない――そんな感覚を植え付け、その場を去らせるための技。


 ほどなくして、その考えは肯定された。

 エリナが懐かしいものを思い出すような表情で、その碧い瞳に笑みを湛える。彼女の鈴の音のような声が紡いだものこそ、シュウの疑問への答え合わせだった。


「結界法術ですわ、『先生』の。法術、『武装型ミネルヴァ』が奥義『私のための神殿(オ・パルテノン)』」

「『武装型ミネルヴァ』は、加護を施した装備を与えた人間に、己の能力の一部を行使できるようにする、という特殊な力があります。央都の警備を任された上級法術師は、全員それに対応した装備を授かっている……と聞きました。きっと彼もその内の一人だったのでしょう」

「……武装型、ミネルヴァ……」


 反芻したその名前に、聞き覚えがある。

 いいや、この世界に生きる人間であるならば、たとえシュウのような半端者であっても誰もが効いたことがあるはず。

 何故なら『武装型ミネルヴァ』は、()()()()()()()()()()()()の名前であるからだ。


 ありとあらゆる結界法術の頂点に立ち、受け入れる者、阻む者の微細な調整もさることながら、個々人ごとに対抗を設定できる極めて詳細な術式だと聞く。

 最大出力はそれ自体が結界というよりは破壊術式。領域に近づいただけで悪性存在が無数の塵へと抹消される、最強の防御法術。まさか他人にまでその力を譲渡できるとは思いもよらなかった。


 だが使い手の事を思えば、さもありなん、と言わざるを得ない。

 ――シロナ・カミノリ・ソフィアオウル。特級法術師第六席、『純白無窮の庇護者(モノトーン・アテナ)』。

 エリナが『先生』と言ったのもうなずける。彼女は央都のみならず世界中の様々な場所で孤児院を営み、慈善事業に従事する、一種の『聖女』だ。閉鎖したキュリオスハート孤児院を受け継いだのも、彼女だったはずだ。

 施し、という概念の化身にすら思える彼女の法術であれば、誰かに分子を授ける能力を備えていても可笑しくはない。

 加護、という形なのも興味深い。ミネルヴァというのはアルケイデスたちの故郷に当たる、中央大陸南西部の民間伝承に登場する、戦略を司る聖霊の名前だったはずだ。

 

 そしてかの聖霊は、純潔と絶対防御をも司る。

 いかな上級法術師でも、そこまで格の高い力をコントロールしきるのは難しいだろう。


 かつてアリアがこの街で暮らしていたころ、彼女はかなり長い期間、魔族という正体を知られることなく生存し続けた。つまりは結界の効力を受けなかったのである。恐らく何らかの理由でシロナ女史はアリアを見逃していたのだろうが……衛士の青年ではその力をコントロールしきれず、シュウとアリアにも能力が及んでしまった、というのが真相と見てよさそうだ。


「『私のための神殿』は、悪性存在に人物に応じた様々な干渉を施し、自発的に街から引かせる業だと聞きます」

「精神干渉系、とまでは行きませんが……まぁ、情報操作の一種ではあるかもしれませんね」

「そこまでくれば、学園長先生には解除も簡単、ということなのでしょう」

「……なんだかんだといつも言うが、やはり凄い人なんだな、学園長は……」

「ちょっと意外ですよね……」


 思わず苦笑してしまう。

 だらだらと足を投げ出し、隣に座るアルケイデスへとちょっかいをかける学園長の姿からは、絶対防御の術式さえもかどわかす、情報の女王の威厳など微塵も感じられない。


 と、思っていたところ。 


「おいこらそこの夫婦、聞こえてんぞー」


 ぐりん、とその顔がこちらを向いて、恨めし気な視線を送ってきた。


 茶化し気味の文句を放つイスラーフィールに、マイヤと二人で首をすくめる。

 地獄耳、という言葉があるが、この学園長はまさにそれだろう。南方大陸の民間伝承において、死者が生前に行った悪行、それを一つ余さずつぶさに調べるという、冥界の裁判官。彼の罪人手帳のように、悪口の一つも見逃さない、恐るべき聴覚。

 情報の女王たる彼女には、どんな隠し立ても通用しない。文句なしに、伝説通りの審判者だと言えよう。


 まったく、自分たち夫婦が死後に会うのは、こんな厭味ったらしい裁判官でなければいいのだが――いやちょっと待て。


「……いやいやいやいや」

「ま、まだ結婚してません! まだ結婚してませんからっ!!」


 重大なことに気が付き、これまたマイヤと揃って真っ赤になった。

 指定された『夫婦』が、自分たちのことだと当然のように思っていたのだ。二人とも。それはもう見事に、何の疑いもなく。


 いや、実際イスラーフィールはそのつもりで言ったのだろうが。

 まさかここまで簡単にノせられてしまうほど、自分たちの認識が移り変わっているというか、『完成してしまっている』とは思わなかった。


 ニマニマ笑うイスラーフィール。微笑ましいものを見るときの、生暖かい視線を寄越すアルケイデス。窓の外を見ることに夢中で、話題に乗り遅れたと思しきアリア。そして怨嗟の余り法衣の裾をちぎらんばかりに噛み引っ張るエリナ。

 そんな彼らの反応を見ていたら、また全身が熱を帯び始めた。


「……うん、いつかは、恥ずかしがらずに堂々としていられるようになろうか……」

「ど、努力します……」


 でも今はやっぱり、恥ずかしがることにする。何せ耳が熱くなるのを止められないのだ。とてもではないが抑えられない。

 シュウは気分を変えようと、今まさに城門をくぐり抜けんとする馬車、その窓の外へと目を向けた。


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