第十五話『最強であるということ』
『武装型ウルスラグナ』。
聖典に登場する無敵の戦神の名を冠したその法術は、その名に恥じぬ『最強の武装型法術』である。
法術が通常一つか二つしか持たない特殊技能を十も所持し、あのマイヤですら五つか六つだという奥義を十三種類も発動できるのだ。特殊技能の方は戦闘スタイルをがらりと変貌させ、奥義の方はそれ一つで戦況を丸ごと覆すだけの力を持つ。
白銀の巨剣を右手に携え、武神の力を振るう『英雄』の姿は、その名に恥じぬものと断言できる。
しかし――いや、だからこそ。
ウルスラグナは、使い手を強く、強く歪めた。
法術の強さとは、翻せば法術師の「何かを信じる心」の強さだ。法術を起動させるための架空元素『法力』は、何かを想う心に呼応し蠢動する。その想いが強ければ強いほど、強力な法術がこの世界を改変していく。
ウルスラグナの使い手たる、特級法術師第二席、マグナス・ハーキュリーが、その起動の為に信じたものは、『天則』——即ちは、「何を犠牲にしてでも人間を護るのだ」、という願いだった。
魔族が存在する限り、いずれこの世界には『絶対悪』が降臨する。最強最悪の悪性存在にして、人間に対する絶対敵対者。ただそこにいるだけで人間に害を成す、と予言された魔王の顕現を防ぐため、マグナスはこの世全ての悪性存在を駆逐する道を、自ら選んだ。
ただひたすら、心を殺して。
時には理解されず、戦慄と共に迎えられようとも。
全ては、善性存在の未来の為に。
ああ、誰も殺さずに平和を手にできるのなら、どれほど救いがあった事だろうか。
しかし彼には、それを見つけることはできなかった。
探しに行く勇気を、マグナス・ハーキュリーは持てなかったのだ。
膨大する狂信の心に呼応して、ウルスラグナは強くなる。どこまでも、どこまでも、あるいはその信仰心だけで、天蓋さえも支えられるほどに。
強大な力はさらにマグナスを狂わせて、彼が狂う度に、ウルスラグナもまた狂う。
やがてマグナスは、『天則』の名のもとに悪性存在を断罪する殺人鬼と成り果て。
気が付けば、『武装型ウルスラグナ』は、法術を逸脱した邪道――魔法へとその指先をかけていた。
だがその一歩先、取り返しのつかない奈落の底へと行く前に。
——救世主が、英雄を光の内へと引っ張り上げた。
誰かに与えられた正義ではなく。
それが正しいのかどうかも分からずに。
それでも、「これが俺の正義だ」と、声高に叫んだ薄金色の少年。
マグナスは――アルケイデス・ミュケーナイは、彼に光を見た。
かつて不可能だと切り捨てた、善悪超越の未来を見た。
だからこの身をがんじがらめに縛り上げ、狂信と共に英雄の力の大半を封印し、救世主の道行きを、傍らで見守ることにしたのだ。
きっと自分が一人いれば、それだけで解決する物事も多かったのだろう。本当の所を言うのなら、全ての能力を解放すれば、エリナ・キュリオスハートに纏わる事件はもっと早く、簡単に終結したのかもしれない。
だが、最早時は満ちた。
アルケイデスは知った。知ってしまったのだ。魔族の青年に案内されてたどり着いたあの洞窟で、彼は救世主の真実を。
シュウ・フェリドゥーンが、どんな未来を選ぶのかは、今のアルケイデスでは分からない。それはマグナスであったとしても同様だ。それどころか、この世界の誰であろうと――そう、ファザー・スピターマであるとか、イスラーフィールやシュウにその力を授けたという最後の神、ズルワーンであっても変わるまい。
しかし、その『選択』の時まで、彼を導く手助けならば。
きっと、一度は堕ちた英雄が、最も得意な分野だろう。
「——アトラス・マージ」
『英雄』は紡ぐ。
それは、遍く重圧を撥ね退けて、覇道を進む鋼の刃。
今、救世主の道を切り開く、古き男の英雄譚。
***
飛沫が上がる。
海面が丸ごと繰りぬかれ、そのまま文字通り逆転したのだ。その様子、さながら掬ったゼリーを逆向きに戻すが如く。海藻や貝殻、魚が一瞬宙を舞い、戦場だというのにきらきら眩い幻想的な風景が視界に映る。
それは、言うなれば前座、地震における初期微動に過ぎない。これから解き放たれる力の余波が、海を底から吹き飛ばしただけ。
善性存在と悪性存在が、互いの専用術理、即ち法術と魔術を用いて激突した際、果たしてどちらが有利なのか、という話題をたまに考えることがある。そうそうあり得る場面ではないが、西方大陸の伝統的な決闘方法のような所謂早打ち勝負となった時、勝利の聖霊はどちらに微笑みかけるのだろうか。いくら呪術特化の身とは言え、シュウも一応法術師見習いの立場だ。魔物戦闘を続けるうちに、いつかはアリアや『エリナ』とは違う、純粋な破壊衝動に身を任せた、大衆の抱くイメージ通りな魔族たちと刃を交えることになるかもしれない。そんなとき、彼らと自分たちの戦闘は、どのように転ぶのだろう──そういう疑問を、全く考えない、というわけにもいくまい。
そういうわけで改めて考えてみると、これが意外と答えを出すのに困る議論なのだ。
単純な破壊力だけで考えるなら、有利なのは明らかに魔術だろう。憎悪や怒り、激情と言った、強烈な攻撃性を帯びた感情——それを核として現世に顕現する魔族たちの必殺術式は、大地を砕き、木々をなぎ倒し、どんな堅牢な鎧さえも紙細工の様に貫通し、挙句の果てには強固な城壁さえも粉々に破壊してしまう。無論個人差はあるだろうが、少なくともシュウが知っている限りでは、アリアが本気を出せば、その程度は簡単に達成してしまうはずなのだ。究極的には天変地異さえ引き起こしてしまうだろう。それは法術や呪術では到底たどり着けない領域だ。凄まじい破壊力を秘めた法術、というのは多々あるが、流石に天を震わせ大地を割るほどの暴威をまき散らすものは、見たことも聞いたこともない。
また、法術には必ず起動の句が必要なのに対し、魔術はその省略が可能だ。流石に呪術のような完全無詠唱は難しいらしいが、例えばアリアのように「こないで」「やめて」のような極々単純なワンフレーズで、驚天動地の火力を出せる、というのなら、十分すぎるほどに十分だ。
基本的な威力と、発動までの速さ。この二つに関しては、魔術の方が優勢であると言える。
一方、対悪性存在、という部分に関してだけ言えば、法術には魔術にはない、決定的な優位性を持つ。『一撃必殺』の特性だ。
シュウたちの中で言うのなら、イスラーフィールがこれを使いこなす。ただの一睨み、法力を集わせスキルを乗せた視線を放つだけで、悪性存在を蒸発させる、圧倒的な特効性。流石に睨み付けるだけ、とはいかないが、ある程度下級の魔物であるなら、マイヤも『光輝女神の眼差し』を掠めるだけで、黒い塵へと彼らを霧散させることが可能だ。
一説によると、法術と魔術というのは対として扱われるが、その成立過程というか、出所というものも対なのだという。
かつて、初代ファザー・スピターマの手によって、世界が二つに分かれる前。聖霊に率いられた善性存在と、悪魔に率いられた悪性存在が、同じ大地で直接戟を交えていたころ。悪性存在を悪性存在たらしめていた力こそ、魔術――即ち、自らの激情を体内、及び大気中の魔力と呼応させ、破壊の術理を降臨させる業だったという。元々、人間と魔族の違いというのは、この「魔術を操るか否か」に過ぎなかったというわけだ。言い換えるなら、魔術というのは『元々人類の体内に備わっていた技』なのである。
では、法術はどこから来たのだろうか?
当時の資料などどこにもないが故に、真実の所は不明だが――聖典に記された伝説によれば、法則を司る聖霊、『ティスティア』が降臨し、人間たちに対悪性存在、即ち『魔術を操る者』への切り札として、法術を与えたらしい。
即ち、法術は『人類に対して外付けで与えられた技』なのである。
翻せば、魔術は魔族の生命活動と密接にかかわった、体内サイクルの一環なのに対し、法術は人間に後から付けられた強化パーツなのである。
元々の法術の目的を考えれば納得がいく。魔術に対抗するために創られ、与えられたのであれば、強弱こそ(恐らく個人差が)あれども、魔術を掻き消す力が備わっていてもおかしくはないのではないか? この命を吹き消すための力が働かないからこそ、法術は人間には効きづらいのではないか? 法術を人間に放ったところで決定打となり得ないのは、その本当の火力の半分程度しか引き出せていないからではないか?
互いに違う方向に発展こそすれども、人間と魔族、その原点は同じ人類。いわば同胞、同族である。
その生命を、ただ在るだけで脅かす力。そんなものを、簡単に発動できるわけがない。
だからこそ、法術には『我が正義に光をくべよ』という、覚悟を問う起動句が必要なのであり。
「見るが良い、天蓋支えるこの腕。大樹の龍に身を巻かれ、柱となりゆく我が運命」
『くべる覚悟』、即ち詠唱が長く成れば長くなるほど。
「其は盟約、其は制約、命を繋ぎ、未来へ続く、唯一つの英雄譚。我の進む道行きに、それ以上の役目はない」
その力は、強く成る。
使い手の意思を捻じ曲げて、聖霊たちが『悪』と断じたかつての同胞たちを、灰へ帰さんと荒れ狂うのだ。
「——だが」
英雄の詩は続く。
「英雄よ、果たしてお前に、この大天を背負う覚悟があるのなら。がんじがらめに縛られて、なおも闘志を燃やすのならば」
触媒たる白銀の巨剣が、目もくらむような白い極光を纏い始めた。宵闇の中に在って、それはまるで、地上に降臨した月の様。
「我は汝の未来の為に。鎖を砕き、導こう」
アルケイデスが、高く掲げたその両腕を、振り下ろす。
三日月を思わせる弧が、虚空へと映し出されて──
「いざ、示さん—―『覇道絶進、鋼の神の創世神話』」
直後。
世界が、逆転した。
その場にいた者たちで、ある程度の知能を持っているのであれば、皆例外なくそう錯覚したことだろう。
浜辺の砂が散る。
岩盤が揺らぐ。
木々がざわめく。
吹きすさぶ疾風が慟哭し、世界を覆っていたはずの濃霧も、月を隠す暗雲も、全て、全て、彼方へ消えた。
それだけではない。
気が付けば、シュウ達の身体もわずかに浮かんでいた。旧時代文明の度量衡に照らすなら五センチ程。飛行とは決して呼べないが、地に足を付けているのとも、絶対に違う。
──アルケイデスの故郷に伝わる民間伝承には、空を支える巨人、というものが登場するらしい。
その伝説によれば、巨人アトラスは聖霊たちとの戦争に負けた巨人族の一人で、命を見逃してもらう代わりに、大地と空を繋ぐ柱となる運命を、天蓋ごと背負ったのだという。
この世界は球形で、空を支える柱、などというものはあり得ない。けれど、この伝説が完成した時代――即ち、旧時代文明の、そのまた極めて古い時代には、この星は平らなお盆の上に乗っていて、空もその上に被さったボウルのようなものだと信じられていたのだという。現代の常識で考えればあり得ない話だが、当時はそれが真実だと思われていたのだ。
では。
天を覆ったその蓋を、大地と切り離し、支えるためには、一体何が必要だと考えることができるだろうか?
無限に広がる大地。その全てに対応するだけの『空』だ。重量があるのなら、相当なものに違いない。それを、いかな巨人族とはいえ、たった一人で何年も、何十年も、何百年も、支えることができるだろうか? どう考えても、その答えは『否』である。
ところで話は変わるが、法術、特にその中でも特殊能力や奥義というのは、使い手が、その法術に名を与えた聖霊に対して抱くイメージを克明に反映すると言われる。いわば、使い手の解釈次第で法術は新たな姿を得る可能性がある、ということだ。実際マイヤが新しい奥義をいくつも習得していくのは、そういった展開によるものだろう。
ウルスラグナ、というのは、聖典、つまりは『中央大陸中部に遺る伝承』に登場する存在だが、似たような聖霊、または英雄は、各地の民間伝説や、それこそ魔族の神話にも姿を見せるという。
もっとも分かりやすい例が、『大英雄』である。
アルケイデスの特級法術師としての名にも採用されたこの人物は、ウルスラグナと極めてよく似た特性を持った存在だ。
その『大英雄』には、冒険の最中でアトラスと出会い、その役割をひと時受け継いだ、という逸話が残っているらしい。
『武装型ウルスラグナ』の有する十の特殊技能が一つ、『天蓋束柱』は、この伝説に着想を得て誕生した力なのだという。よって、このスキルが齎すものとは、アトラス、そして『大英雄』が、天の器を支えるために手にした力に他ならない。
即ち、『重力制御』である。
この世のあらゆる物体を引き寄せる大地の摂理を掌握し、捻じ曲げる。それがウルスラグナ第十の権能。重いモノが宙を舞い、軽いものが深く沈む──まるで幻想、あるいは伝説のような風景が、白銀の巨剣を中心として、この地上に顕現した。
「行け、少年!! お前たちの未来は、私が――オレが、切り拓く!!」
英雄が叫ぶ。
同時に、シュウの身体が己の意思とは関係なく、弾かれた様に打ち上げられた。凄まじい加速感。ばたばたと風が靡く音が、すぐ耳元で渦巻いた。
高度上昇が停止したとき、シュウの視界に移ったのは、新たな魚人たちが姿を見せようとしている浜辺、クジラ型の母艦級魔物が、視認できた三頭以外にも見える大洋、遥か彼方、水平線の付近に、遠近感が狂うほどのサイズで鎮座する、『島を背負った亀』。
そして、どこまでも広がるアメジスト色の夜空に――ぽっかりと浮かぶ金剛色の月と、宝石をちりばめたかの如き星々。
倒すべき敵。
守るべき世界。
その二つが同時に、シュウの世界を埋め尽くす。
いいや――いいや、違う。
この視界に映る全ては、守るべき世界だ。
シュウ・フェリドゥーンは、法術が使えなくて、疑似魔術もなかなか使いこなせない、そのくせ呪術だけは人一倍、とはいえ強いとは言えない――そんな普通の落ちこぼれ法術師。ただのちっぽけな人間だ。両の腕をどれだけ伸ばしても、世界の全てなんて守れやしないし救えもしない。
だが—―伸ばせる手は、二本だけではないのだ。
「ひゃぁぁぁっ!」
悲鳴とは裏腹に、楽しそうな笑顔でアリアが打ち上げられてくる。
「こっ……のぉぉっ! なめてんじゃねーぞ、ですわ……ッ!!」
同じく吹き飛ばされてきたエリナは、足元に幻想の板を顕現させて世界を騙す。興奮した様子でシュウの方を振り向くと、らんらんと目を輝かせて「どうですかお兄様、見てくださいましたか! 私今空中に立ってうほわぁっ!?」などと叫ぶ。崩れた語尾は、足場が消えかけたせいだろう。
「先輩!!」
「マイ!」
すぐ背後を疾風が吹き抜けた。自由落下を開始し始めていたシュウの身体を、突風の正体、翼を広げたマイヤが抱きかかえる。どうやら彼女も、アルケイデスの法術によって打ち上げられてきたらしい。すぐにくんっ、と強い衝撃。光の翼を震わせ方向転換したマイヤが、エリナと違って自分を支える力を持たないアリアを回収したのだ。
「ありがと、まいや!」
「どういたしまして」
にっこり笑ってお礼を言うアリアの様子に、こんな時だというのに場が和む。
「お兄様、私が背負ってあげても構いませんことよ!」
雲母上のブロックで組み上げられた半透明の足場を、見事なテクニックで組み替えながら、エリナ・キュリオスハートが駆け寄ってくる。マイヤにいつまでも抱きかかえられているわけにもいかないので、その申し出は大変うれしいのだが――流石に自分よりはるかに小柄なエリナがシュウを背負ったら、バランスを崩して落下してしまいそうだ。
シュウは丁重に彼女の提案を断ると、腰のホルスターに戻していた魔力結晶の短剣を取り出した。
その内から、僅かに魔力を解放する。シュウを中心に滞留し始めたプラーナを、束ね、粘土を捏ねる要領で、集約、収束させていく。
集え、集え、我が背へと。
どこまでも、そう、あの故郷までへも飛んでいける、強い翼を授けておくれ――
そう、願う。
——どくん、と。
シュウの中で何かが、鼓動を打った気がした。
脳の奥、遠い遠い場所で聞こえるリフレイン。
光と闇とを繋ぐ、橋の唄。
聞いたことのない、けれども、確かに聞いたことのある声。懐かしく、温かい、誰とも知れぬ女性の声――
それが、彼の耳から、するり、と姿を消した時。
「先輩、それ――」
「お兄様、そのお姿は……?」
もう、シュウはマイヤの翼に頼る必要は、なくなっていた。
彼の背中に展開したのは、恋人のそれとそっくりな形の、しかし真逆の色をした翼。三対六枚の闇の羽が、シュウを一人でに滞空させていた。
それだけではない。シュウの両手からアリアの角を素とする短剣は消え失せ、代わりに、以前この手のうちに姿を見せたときより、穂先の部分、雄牛の角を思わせる湾曲したサイドブレードが、巨大かつ強靭になっている。
その箇所は、アリア=ザッハークの角を思わせる、黒曜の煌きに満ちていた。
透明なクリスタルから削り出されたかのような、光を封じた武骨な槍。
仮称、『武装型スラエオータナ』——かつて、この世界に残った最後の『神』、ズルワーンから託された、「世界を救うための呪術」。
マグナスとの激闘以後、シュウ自らの意思でこの槍を顕現させることは不可能になっていた。きっと役目が終わり、自分には必要なくなったからだろう、と思っていたのだが――それが今、再び姿を現した。
それはつまり。
「……行こう。世界はどうやら、俺たちにあの魔王を倒してほしいらしい」
シュウは天と海の狭間に蠢く、魔物たちの船長を見据える。
世界が望む『救い』の時。
それが、刻一刻と、確かに近づいてきていた。




