第五話『見守りたい』
法術師育成学園の校舎は、要塞めいたいくつもの棟で構成されている。その中でも最も小柄な、しかしそれなりの高さを誇るのが、イスラーフィールの君臨する学園長棟である。イスラーフィールが普段、私生活の場としても使用するこの建物には様々な施設があり、最上階にはバルコニー付きの客間が存在する。
現在、シュウたちが救った魔族の少女は、そこにかくまわれていた。
装飾の施された重々しいドアを押す。すると思いのほかあっさりと開いた。どうやら外見を『情報』で塗装しているらしい、と気づいたのは、「法術が働いていますね」とマイヤが言ってからだった。どうやらイスラーフィールは、元の外観が気に入らずに、しかし勝手に改装するわけにもいかないから、と、自らの法術で外観を変えてしまったらしい。変なところで真面目なのかそうでないのか良く分からない人である。
部屋の中は落ち着いた、菫色の壁紙に、色鮮やかに織り込まれたカーペットが敷かれた、中央大陸西部風、或いは西大陸風の丁度品で整えられたていた。確か鮮やかなカーペット装飾は、中央大陸西部の名産品だったはずだ。中央大陸は非常に広いため、文化もほかの大陸と比べて多様性がある——悪くいえば統一性が無いのだ。
統一性のなさ、か——と、シュウは内心でひとりごちる。それはまるでこの部屋に今いる人類のようだ、と思ったからだ。
シュウとマイヤは人間である。
しかし、銀色の少女は魔族である。
マイヤもシュウも法術師である。
しかし、マイヤには法術が使えて、シュウには使えない。
少人数であれど、雑多な、とりとめもない世界。この小さな世界でさえそうなのだから、学園を出て、世界中を見たら、一体どれだけの違いがあるのだろうか。
いつか見てみたい、と思う。その時は、あの青い海をもう一度この目で視ることになるのだろうか。この、隣に立つ後輩の髪にもよく似た、紺碧の空間を——
——俺は……何を、考えているんだろうな。
心の中で苦笑して、シュウは無理やり自分の思考を中断した。思ったよりも疲れているのだろうか。
それとも——あの魔族の少女が、安らかに眠っているのを見て、シュウ自身もまた、安心したのかもしれない。
「……良かった。しっかり眠れているようだな」
思わず口元が緩んでしまう。自分たちが助けた存在が無事でいてくれる、というのは、たとえ相手が善生存在でも悪性存在でも嬉しいものだ。一つの命を救えた——その喜びは、シュウがあまり感じてこなかったものだ。
隣でもマイヤが頷いてくれる。彼女は青い瞳をこちらに向けて、ふわりと微笑んだ。
「はい。先輩がいてくれなければ、あそこまで迅速に彼女を運ぶことはできなかったでしょう」
「よしてくれ。見つけたのはマイだ。それに、マイ一人の方が俺に気を配らなくていい分、速くできたはずだ」
シュウは今日、この星屑のごとき銀色髪を持つ魔族の娘を、法術師育成学園の学園長棟に運ぶまでのことを思い返す。
マイヤと魔族の少女の間で——というより、マイヤとシュウの間でひと悶着があった後。再び眠ってしまった彼女を、シュウとマイヤは二人がかりで運び出した。
マイヤは「周囲を警戒します」と言って一人で行動したのだが、問題だったのはシュウの方だ。
少女は何も身に着けていない状況で発見されたのである。より正確にはベールを被っていたので何も、というわけではないが、少なくとも体の方は裸だった。マイヤが大きいバスタオルで彼女の体を包んだが、しかしシュウが抱えるにしても背負うにしても、否応無しにその体の柔らかい感触を味わうことになってしまう。
マイヤが自ら運ぶつもりだったようなのだが、さすがの彼女も自分とほぼ同じくらいの体格の少女を背負って、或いは抱き上げて戦闘をするのはかなり厳しかった(帰り道にも何体か悪性存在と遭遇した)。『光輝女神の眼差し』で一撃、とはいえ、やはり難しいものは難しいらしい。
というわけで結局シュウが、俗にいう『お姫様抱っこ』の体勢で少女を運んだのだが、マイヤがちらちらとこちらを気にしてきて進行速度が遅くなったり、シュウがうまく歩けなくて大変だったのだ。
マイヤは「先輩が何かしないか見張っているだけです」と言っていたが、そんなに信用がないのだろうか。そもそも前述の通り、マイヤは法術によってある程度身体強化が可能だが、シュウにはそれがほとんどできないのである(出力の小さいステータス強化程度なら呪術でも可能だが、法術ほど高い倍率ではない)。とてもではないが、16歳程度と思しき少女を抱えて運ぶのは至難の業だった。
女性のことを重い、と考えるのは相当失礼なはずだ——と考えてシュウはそれを口に出すことは無かったのだが、大変なものは大変なのである。
まぁ——そのおかげで、こうして無事な姿を見ることができているのだから、多少の苦労もしたかいがあったな、と、彼はやはり笑顔になってしまうのである。
「今日は一晩、彼女の様子を看よう。マイ、協力してくれるか?」
「勿論。喜んで」
今日何度目になるかもわからない感謝を、改めてこの後輩に伝えたい——シュウは、そう感じた。
***
とん、とん、とん、と、快いテンポを刻みながら、マイヤの手が動いていた。包丁がまな板に当たる音——それがする度に、彼女の手がまな板の上に乗せられた野菜を切り分けていく。
今、マイヤはシュウと自分のための夕食と、それから魔族の娘のための食事(とはいえ、離乳食めいた簡単なものであるが)を作っていた。この半年以上の期間で、シュウがどういうモノが好きなのかは大体把握した。実は彼は人参が好物という可愛らしい側面があるのだが、故郷で農業をしていた、と言っていたことと関係があるのだろうか。まだまだ知らないことは沢山ある。もっともっと知りたい。大丈夫、これから知っていけばいいのだから——
——と、そこまで考えたあたりで、マイヤは自分の作っているメニューから、ある未来の可能性を想定してしまった。
(……これって……私が、旦那様と、子供のご飯を、作ってるみたい……)
ぼっ、と顔が熱くなるのを感じる。今外から見れば、自分は耳まで真っ赤になっているはずだ。
そんなことを考えてしまうほどに——相も変わらず規則正しく動く手元と正反対に、マイヤの心は先ほどから波風立ったまま全く治まっていなかった。何をするにも緊張が体を強張らせ、笑顔を浮かべたり、普通に会話をするにしても、きちんとできているのか不安になるレベルである。強大な悪性存在と戦うときでさえ感じないほどの緊迫感——人間の体とは、これほどまでに不自然に動悸をすることができたのか、と驚愕する程、心臓が早鐘を打っている。
正直な話をすると、マイヤはあの銀色の魔族の少女に、言いようのない不思議な敵愾心を抱いていた。それは悪性存在だから、とか、殺さなければいけない存在だから、とか、そういう酷い内容ではなくて——もっと単純で、子供っぽい敵意である。
つまりは『嫉妬』だ。うらやましくて仕方がないのである。
自分だってまだ触れたことの無い、シュウの唇にその指で触り、彼に心配され、あろうことかあらゆる女の子の憧れであるお姫様抱っこまでされるだなどと、この突如として現れたライバルに、マイヤが警戒心を抱かないわけがない。
彼女がマイヤの恋敵として立ちはだかるのかどうかは別とするが、マイヤは十中八九そうなるのではないかと思っていた。
シュウは、自分では気が付いていないようなのだが、ひどく魅力的な人間だ。
外見が、というわけではない。確かに北東大陸の出身の人間にしては珍しく、西大陸人めいた金髪碧眼と、東大陸人めいた顔立ちをした彼の容姿は決して悪くはない。が、別にこれと言って、それだけで女性を引き付ける、というタイプの端正さではない。
問題は内面の方である。常に自然で、純粋すぎるほどに天然で、しかし時折頑固で、自分の『正義』というモノをそれなりにしっかりと持っているひと。何より——何より、ひどく優しい人。
彼の魅力というのは、長い時間を一緒に過ごせば過ごすほど理解できる。シュウ・フェリドゥーンというのは、「この人のためなら頑張れる」と思わせる、そんなある種『被奉仕体質』の人間なのだ。かくいうマイヤもその一人である。彼と出会ったのは今年度のはじめ。今は十一の月であるため、少なくとも半年以上は一緒に過ごした間柄である。彼との時間をそれなりに長く経験した今、シュウがどれだけ素敵なひとなのかは、嫌というほど理解できている。
彼に縋らなければ、もしかしたら今頃自分は責任感や圧迫感と言ったものに、押しつぶされていたかも——そんなことを思った場面も何度もあった。その度にシュウが「頑張ったな、マイ」「俺の後輩は立派だな。君の様なひとをパートナーにできて本当によかったと感謝している」と、笑顔で褒めてくれるから、マイヤは今でも生きている。そう、断言できるほどに。
だからこそ、あの魔族の娘が今後、自分たちと共に暮らしていくなら——それは同時に、非常に強大なライバルの出現につながる可能性を意味するのだ。すでに接触のアドバンテージなら向こうに分があるとさえ言える。マイヤはそうそうシュウの体に触れてはいないのだ。具体的には手をつなぐ勇気すらない。
マイヤにとってはどんな上級悪性存在よりも、この恋の方が強敵なのだった。
ことことと煮込んだシチューが出来上がる。木の椀に盛り付けたそれは、シュウの分は人参を多めに入れておいた。
「先輩、ご飯、できましたよ」
「ああ、ありがとう、マイ」
喜んでくれると良いな——そう思いながら、彼女は二人分のシチューと、一人分の飲みやすいスープを乗せたトレイを、部屋の調理スペースから、魔族の少女を寝かせているベッドエリアまで運んで行ったのだった。
——余計に母親と、眠る娘を見守る父親の様な構図に思えて、内心で悶絶したのは秘密である。
***
取り留めもない話を、シュウとする。普段二人が暮らしているのは学園の寮だ。シュウとマイヤはどちらも学園長直々の指示で、特別に相部屋、というか、『相寮』である。学園寮の領内にある、かつて教員寮だった建物を貸し切って暮らしているのだ。だから、こうやって二人で今日あった出来事について笑い合うのが日課であり、一日の楽しみでもあった。
けど——結局は、最後は二人は別々の部屋で寝る。当然だ。二人は別に恋人なわけではないし、一つ屋根の下に暮らしているからとはいっても不純異性交遊が許されているわけではない。
だから、今日の様に。
シュウが、自分の隣で眠ってしまっている、というのは、とてもとても、珍しかった。椅子に座ったまま、穏やかな寝息を立てる彼の寝顔は、どこか幼く見えて、彼が法術師としては無力な少年でしかないことを痛感させられる。
護ってあげなくちゃ、と強く思う。シュウはマイヤに、戦ってほしくない、と思っているらしいけれど——でも、マイヤは彼のことを護りたい。
大好きだから。
愛しているから。
誰よりも大切な、たった一人のパートナーだから——
——だから、今も。
彼のことを、安らかに見守りたい。
机に突っ伏したシュウに毛布を掛けると、マイヤはその向かいに座って、彼の寝顔を見つめなおした。
そうやって、呟く。
「……おやすみなさい、先輩」
自分の口元が、少しだけ笑みの形を作ったのを、マイヤは感じた。
また投稿時間が遅れてしまい申し訳ありません。予約投稿ではなく手動にしてるもんですから……次回からは大人しく予約にします……。
確定更新はここまでです。PCが壊れてしまったのもあり、ここから先はモチベーション次第ということに……。
一応次話は明日か明後日には更新できそうです。活動報告で投稿を報告しますので、よろしければご覧ください。
ではまた。




