第十二話『湯煙、霞、月夜は朧』
わぁ、と、感嘆の吐息が自然とこぼれ出た。
極東大陸には俳句と言って、溢れ出る感情を短い言葉込めて並べる詩の文化があるらしいが、なるほど、それが発達したのはこういう景色の下地があったからなのだろう。
極東大陸風のしつらえをしているのだ、という庭園の景色に、マイヤはそんなことを強く感じた。
視界を覆う白い湯気が、山頂の霞を思わせる。着飾るように植えられた木々の青い葉の間を、ゆったりとたなびいて行くその光景は、いっそ幻想的とさえ言えよう。
僅かな肌寒さと、意外なほどの温かさに感嘆しながら、マイヤは大浴場に足を踏み入れた。つるりとした岩が組み合わされた浴場の床は、僅かに濡れた感触を、足裏へと伝えてきた。ひんやりと冷たい。この空気と水の冷たさと、湯舟と湯煙の温かさ、その均衡と対比が、一種温泉の醍醐味なのだ――そう感じずにはいられない。
温泉。
そう、温泉だ。
マイヤが心躍らせているこの場所こそは、長期旅行の楽しみの一つ。旅館の一角に設けられた露天風呂である。
海洋調査から帰還し、船団の人々と別れた後。旅館に戻ったマイヤたちは、体にこびりついた潮風を落とすべく、備え付けの大浴場へと向かっていた。今頃男性陣も露天風呂に浸かっている頃だろう。若干距離が離れているのか、声や音を聞くことはできない。仕切りを挟んでシュウと会話をするのを若干楽しみにしていたため、少しだけ残念だ。まぁ、それはまた別の機会に取っておくこととする。
大浴場そのものは旅館の他の客も利用するのだが、この時間帯は前々からイスラーフィールが貸し切りの予約を入れていたらしく、湯煙の向こう側には仲間たち以外の姿は見えない。
脱衣所は屋内だが、ガラス窓のついた、風情ある木彫りの扉を一枚挟んだその先、浴室はもう外だ。背の高い竹を連ねた仕切りが、シュウとマイヤの『家』の敷地まるごと一個分もありそうな、巨大な浴場を囲んでいる。ところどころが濃い湯煙に阻まれて、全容を見渡すことは難しい。が、温泉の熱気に中てられたのか、夏だというのに紅く紅葉した楓や、湯に濡れてつるりと光る岩、枯山水、というのとは少し違うだろうが、玉石を敷き詰めた庭園風のエリアなど、見ているだけで楽しい細工が施されているのは分かる。
見上げれば、舞い上がる霞の向こうに夜空が見える。金色の月と無数の星々が、ここが中央大陸の東端、都会とは距離を置いた場所なのだ、ということを、如実に表しているように感じられた。
眺めているだけで、優しい気分になれる――きっとそういう場所なのだ、ここは。
どこかで、かぽーん、という『いかにも』な音が鳴った。音源を探ってみれば、どうやら洗い場の方らしい。そういえば景色に気を取られていたが、まだ体を洗ってもいない。いかに湯煙が温かいとはいえども、流石に外だ。ずっと立っていれば寒いし、風の一つも引いてしまう。タオルで隠していない二の腕が、僅かに鳥肌立ってしまったのを察したマイヤは、いそいそと洗い場の方へと急いだ。
大理石造りの石に鏡と蛇口、それからシャワーを取り付けた洗い場を、やはり竹を編んだ屋根が覆っている。お湯で濡れた足下は、流れてくる石鹸の跡もあって滑りやすく、慎重に進まないと転んでしまいそう。
正直、あまりこういう場には慣れていない。露天風呂など初めての経験だ。勝手が分からず、若干右往左往してしまう。マイヤはヒノキを削り、組み合わせて作ったと思しき椅子を持ってくると、その上に腰掛けはらりとタオルを落とした。鏡に自分の裸体が写る。肌寒さと相まって、誰かが見ているわけでもないのに、妙に気恥しかった。ふい、と肩が朱色に染まってしまう。
液体石鹸の入ったボトルの花柄が愛らしい。どうやら用途ごとに描かれている花が異なるようだ。製作者のセンスに、心のなかで称賛を贈る。掌の上に出すと、柄に合わせた甘い香りがふわりと鼻腔を撫でてきた。とろりとした感触と僅かな冷たさが、石鹸の質が相当良いものであることを思わせる。
マイヤが石鹸を泡立てていると、後ろの方できゃいきゃいと可愛らしい声が飛び交った。リズベットとロザリアだ。どうやら先に入っていたらしい。先程の音は、彼女たちが木製の洗面桶を取り落したときのものだったのだろう。
「ローゼぇ、ちょっとおっきくなった? お肌もぷにぷにだし……これはナニかありましたかなぁ?」
「何もないよ。石鹸を変えただけさ……かくいうリズこそ髪質が良くなったんじゃないかい?」
「あ、バレた? えへへ、最近ちょっと高めのシャンプー使ってるんだ」
シャワーノズルがお湯を吐く音と、少女たちの肌が水をはじく飛沫の音色。そういえばリズベットは最近、休日は隣町でパン屋のアルバイトをしているとかで、実入りが良くなったと言っていた。夢に向かってひたむきな彼女の姿勢は、時折憧れを抱いてしまうほどだ。絶対に掴み取るんだ、という、何と言えばいいのか――勢いのようなものが、リズベットの未来を約束しているように見えて、「成功とは努力をした者にのみ訪れる」という、旧文明時代の格言を思い出す。
——夢、かぁ……。
栓を捻ってお湯を出しながら、マイヤは内心呟いた。
肌の上を水滴が、石鹸を巻き込みながら伝う。自分で言うのもなんだがそれなりに張りがある、年頃の少女の腕。その表面を撫でながら、肩口、首筋、乳房、腹、足――と、ボディソープを落としていく。
床に落ちた石鹸の泡が、排水溝へと引き込まれていく。どこへ行くのかもわからないその光景は、あるいは一年前の自分の姿と重なる。
夢。
マイヤ・フィルドゥシーには、元々なかったものだ。考えたことも、考える必要性を感じたこともなかった。ただ画一的な正義と常識の下に生きていたころのマイヤでは、「選び取る未来」などというモノがある――そういう現実さえ、知ることも理解することも無かったのだろう。
けれど今は違う。
夢も、未来も、毎日の感動も、全部ある。
シュウがそれをくれたからだ。
大好きで大切な『先輩』が、マイヤに生きる世界を運んできてくれた。
所謂『将来の夢』というのは今も昔も考えたことはないが、もし設けるのだとしたら、それはずっとシュウの隣を歩んでいくことだろう。
幼年学校時代に、「将来の夢は素敵なお嫁さん」と言っていたクラスメイトがいた。当時はそれがどういう意味を持つのか、文面の上では分かっていても、感情として理解できてはいなかった。今なら痛いほど良く分かる。共感もする。
あと二年。
マイヤが、法術師育成学園を卒業するまでの年月だ。もう今年も四分の一が終わった時期だから、実際には二年まるごとは残っていない。
卒業したら、どうなるのだろう、とは、今から時々考える。どんな職業に就くのか、どんな自分の力を活かしていくのか、あるいは、シュウと一緒に極東大陸にでも飛んで、全部のしがらみから遠ざかるのもいいかもしれない。きっとそれは、責任感の強いシュウのことだから、嫌がるかもしれないけれど。
——先輩は、どうするつもりなのかな……。
シャンプーを流し終えた海色の髪を結わえながら、マイヤは心の中で呟いた。
シュウは昔のことを良く語ってくれるが、未来の事を語るのを見たことは殆どない。あんな性格だから、「自分の未来に自信が無い」のだ。宣言通りに行くか分からない、というのが、素直で正直なシュウに、もしそうならなかったときに申し訳ない、と思わせてしまうらしい。
別に誰も彼を責めたりはしないと思うのだが……そういう変に律儀なところも、シュウの魅力の一つなのだと堂々と言えてしまう自分に、我がことながら少々赤面を禁じ得ない。
普通の街娘がするような、甘くて淡い恋心——そんな領域は、イスラーフィールからも良く指摘されるがとっくの昔に過ぎ去ってしまった。寧ろそういう経験が無い分、最初から飛び越してしまっていたのかもしれない。
でもきっと、まだこれは『恋』だと思う。ときにはシュウを独り占めしたくなってしまうし、あまり良くないことだとは思うが、たまには一日中べったり密着していたくもなる。
恋心を自覚した頃ほどではなくなったが、今でも結構嫉妬はする。他の女性――特にエリナと話しているのを見るとムッとすることが多々あるし、シュウにはずっと自分だけを見ていて欲しい、と思うことだってあった。
そういう感情は、何というか――『楽しい』。
自分の中に、まだ誰も知らない側面があって、シュウと一緒にそれを探しては見つけている。そんな錯覚を覚えるような、色鮮やかな毎日。
あの日差しに揺らめく海の水面の反射の様に、刻一刻と変わりゆく、愛と希望の世界。
シュウが居なければ、来ることができなかった場所だ。
願わくばこれからも、ずっとずっと、彼と一緒に、この世界を歩いていければ――
「ひろーい! すごーい! きれー!!」
「ちょっ……立ち止まらないでくださいまし!! 湯煙と貴女の髪の毛で何も見えませんわ……って寒うッ!?!? き、ききき聞いておりませんわこんなの!!」
そんなことを思っていると、新たな声が響く。
ヒノキの扉が開いて、アリアとエリナが浴場に入って来たのだ。二人ともタオルで体を隠しているが、その分、脱衣所との温度差に集まってきた湯気に隠された、女性的なシルエットが強調されてしまっている。改めてアリアのスタイルの良さに面食らってしまった。
一方のエリナも、均整の取れた体つきをしているのが布地と霞の上からでも良く分かる。潮風と例の蛸の粘液が髪の毛にこびりついてしまったのか、嫌そうな顔で金髪をいじりながら、速足で洗い場へと向かっていく。
二人の姿を後目に、マイヤは敷地内にいくつか用意されている湯舟の一つへと向かった。タオルを畳むと、それをお湯に漬けないように注意しながら、浴槽へと体を鎮めていく。
「ふわぁ……」
思わず妙な声が溢れ出た。シュウと一緒に暮らし始めたころ、彼がしきりに、浴槽付きのお風呂があることに喜んでいたことを思い出す。中央大陸ではシャワーだけの文化が一般的だが、フィルドゥシー家の屋敷はバスタブ付きのお風呂を持っていたので、あまり違和感は感じなかった。なので極東大陸にはシャワーしかないのか、と問うたところ、彼は逆だと微笑んだのだ。
『極東大陸は、どこの家にも浴槽付きの風呂があるんだ。よく言われる話だが、極東人の心、という奴らしくてな……正直自分でも眉唾だと思っていたんだが、こっちに来てからシャワーだけの生活が続いたところ、随分心細くなってしまった。だから、ここでは毎日湯船につかれるのかと思うと、少し安心したんだよ』
正直同じように幼少期からバス付の風呂で育って来ても、マイヤは育成学園中等部の寮、その一人部屋でシャワーだけの日々を送っても、まるで違和感を感じたことはなかった。だからその話を聞いた時、「そういうものなのか」、と、意識の違いだなぁ、程度に考えていた。
だが今日理解した。
旅館の風呂は極東大陸式だというから、きっとシュウの言う『風呂』とは、こういうことを言うのだ。
単純な形状・形式の話ではない。『文化』だ。湯煙の中、浴室の壁、あるいは露天風呂なら周囲の風景や空の星々、ある時は煙そのものさえ楽しみながら、肩までじっくりお湯に浸かって、じっと体の芯を温める――そういう精神と、それを半ば自動的に執り行わせる不思議な空気が、極東大陸風の温泉にはあるのだ。
空を仰いで、煙の向こうの月や夜空をじっくり眺めてみる。
目を閉じて、竹の塀の内側、はしゃぐアリアやエリナ、リズベットにロザリア――彼女たちの声や、風にざわめく草木の音色、塀の向こうで奏でられる夏の虫たちの鳴き声に耳を澄ませる。
その体験は、じんわりと、体だけでなく、心の芯まで温かくなっていくような感覚をマイヤに与えた。
ふと、どぼどぼという滝のような音に興味を抱き、ふと音源を見てみれば、鈍い鉛色の岩を組み合わせた縁取りの浴槽に、やはりヒノキを組み合わせたと思しき大きな注ぎ口から、お湯が溢れて汲み入れられていた。地下を流れる温泉源からお湯を引っ張ってきているらしい。どのような仕組みなのか知識として聞いたことはあっても、いざ作動している所をみると中々興味深い。
もっとじっくり、近くで見てみよう――マイヤはタオルを手に取ると、湯煙の向こう、注ぎ口の近くへと、お湯の中を掻き分けて進んでいき—―
「ハァイ、フィルドゥシー」
「ひゃぁっ!?」
唐突に横から掛けられた声に飛び上がった。足を滑らせ水面にダイブしかける。咄嗟に光翼を展開してなんとか耐えた。まさかこんなことに法術を使うはめになるとは想像もしなかったが。
マイヤは抗議の目線で、自身を脅かした犯人をきっ、とにらみつける。
「学園長先生……!! いい加減にしてください、頭でも打ったらどうするんですか!!」
「あっはっはっは、すまんすまん。そんなに驚くとは思わなかった」
しっとり濡れた黒髪をタオルで巻き結わえ、浴槽の縁に背を預けたイスラーフィールが、いつもの悪戯っぽい顔でけたけた笑った。割と本格的に笑いごとではなかった気もするが、その様子を見ていたら怒る気力も無くなってしまった。そもそもこの奔放な学園長に、そんなことを注意するだけ無駄である。
はぁ、とため息を一つ着くと、マイヤはイスラーフィールの対面に腰を下ろした。
湯煙で局所こそ隠れてはいるものの、一糸纏わぬ彼女の姿は、同性のマイヤから見ても息をのむ迫力である。
そう、迫力だ。説明は最早不要だろう。なんというか、その、『大きい』。例えるならば中央大陸中央部原産の長甜瓜ではなく、東部原産の丸甜瓜。そうとしか形容できない巨大な果実が、湯舟の浮力によって水面へとその北半球を曝している。マイヤも小さい方ではないが、さりとて大きい方でもない。あれほどになると、素直に「浮くんだ……」という感想が湧いてきてしまう。
おまけにイスラーフィール自身のあのスタイルの良さである。程よく引き締まった四肢と細い腰が、ことさらに彼女の肢体の色気を強調している様にさえ思えた。
「まぁ、頭でも打ったらフェリドゥーンに看病してもらうんだな」
「もう……私の先輩を便利屋か何かみたいに言わないでください」
「『私の』、ねぇ……ははは、恋の『こ』の字も理解してなかったような小娘が、随分遠いところまで来たもんだ」
遠い目をして彼方を見つめる学園長。マイヤの記憶の奥底が刺激される。
忘れるべくもない。シュウへの感情が他でもない初恋だったマイヤは、言葉の意味としては知っていても、『恋』というモノがどのような感情の機微なのか理解できていなかった。だから自分の内に生まれた良く分からないそれに振り回されて、何かおかしくなってしまったのではないかとイスラーフィールに相談したことがあるのだ。
あの頃の事を思い出すと、不思議と気恥しさが増す。今ほど素直にシュウと触れ合うことの出来なかったマイヤは、動揺と羞恥のあまり、随分とつっけんどんな態度を彼に取った。それでも嫌いにならずにずっと傍にいてくれたのだから、マイヤの恋人は下手をすれば慈愛の塊のような存在である。
「先生が先輩と引き合わせてくれなかったのだとしたら、今ここでこうして話すことも無かったのかもしれませんね」
「かもしれんな」
お互いに顔を見合わせれば、反射的に笑いが零れる。
よくシュウも言っているが、そういう意味では彼女は恩人なのだ。シュウとマイヤを出会わせ、二人に救いをくれた立役者。
イスラーフィールが足を組む。ざばぁ、という飛沫の音と共に、彼女の白い足が水面に上がる。凄まじく均整の取れた長い足だ。水着姿で披露していた時とは、また違った印象を抱く。
そんなマイヤの感想を知ってか知らずか、どちらにせよそれを気にすることはないのか――学園長は優雅に岩場へと背を預け直すと、瞳を閉じて天を仰いだ。
しばしそのまま、二人で温泉を楽しむ。面白いことに肌が伝える感触が、普通の風呂とは僅かに違う。なんというか、ぴりぴりしているというか――表面の垢であるとか、体の悪い所が全部落ちていくような感覚だ。成分が違う、とは聞いたことがあるが、どうやら真実であったらしい。
そんなことを思っていると、ふいに、学園長が真面目な表情をとった。彼女はそのまま、黒曜の瞳でじっとマイヤを見つめて、「なぁ」と問いを投げかけた。
「フィルドゥシー。お前はさ。もし……もしもだ。フェリドゥーンが、将来、世界を壊すような怪物になったらどうする」
「え?」
「この世界の秩序や環境、あるいは歴史さえも粉々に粉砕して、思いつき一つで誰かの幸せを奪えるような――そんな魔神になるんだとしたら、どうする? あるいは逆でもいい。マグナスみたいな正義の化身に堕ちて、悪性存在を影も残さず虐殺するような、殺人兵器になり下がったとしたら?」
その質問は、予想外のものだった。
シュウの名前が出てきたこと自体もそうだが、内容が意外だ。まるでシュウと結びつかないような、災厄の未来。
だがイスラーフィールの表情は至極真っ当で、いつものようにふざけている雰囲気はない。特級法術師、全ての法術師の頂点に立つ七人、その一人としての問いだ。
「お前はその時、フェリドゥーンを殺して世界を救うのか? それともあいつと一緒に、この世界を滅ぼす側に回るのか? 聞かせてくれ、お前の答えを」
意味するところは分からない。マイヤの覚悟を問うている様にも思える。
もしかしたら本当に、シュウがいつかはそういう存在になってしまうのかもしれない。彼の過去もそうだが、未来自体も、そもそも彼が語りたがらないということ以前に不明瞭なのだ。
シュウ・フェリドゥーンは、多分彼自身にとっても分からない、そういう未知数な部分が多すぎる。
何故『信じるもの』があっても法術が使えないのか?
何故『悪意』がなくとも魔術が使えるのか?
何故――何故、世界を変える程の呪術を託されるに足りる人物なのか?
だから、何かの間違いで彼がこの世界の敵に回る――そういう展開も、可能性としてはゼロではないのだ。
——だとしても。
マイヤの答えは一つだ。
「……私は、先輩の隣を歩きます」
「ふむ……それは、あいつの選んだ道を共に行く、ということか?」
「違いますよ」
「ほう?」
イスラーフィールは、興味深い、と言わんばかりに、ふい、と方眉を上げた。
「確かに、一緒の道を歩きはします。一生ついて行くと決めましたから。でもそれは、ただ先輩の決めたことに従う、というのとは、多分違います。先輩は私の隣で、一緒に生きることを望んでくれました。だから私も、同じことを私の未来に祈りたい」
何故だろう、上手く言葉に言い表すことができない。
シュウとマイヤの道行きとは、一方が一方に縋るそれではないのだ。
マイヤはシュウに救われた。彼は紛れもなく、マイヤ・フィルドゥシーという少女にとっての救世主だ。そのことに疑う余地はない。マイヤは彼を信じているし、それは信頼という言葉を超えて、一種信仰に近いかも知れない。『武装型アールマティ』は『天則』への信心ではなく、シュウへの恋慕を糧に動くのだから。
けれどそれは、ただ盲目的に彼に従う、というのとは違うのだ。マイヤはシュウを支えたい。そのためには、支える側にも、支えるだけの強さがいるのだ。
彼と手を取り合って未来を選ぶということは、シュウの選択だけでなく、マイヤ自身が、自分の意思で、彼の選んだ未来に手を伸ばす必要がある。
シュウが悪魔に堕ちるというのなら、それより先に引き上げる。
シュウが正義に沈むというのなら、どんな悪だって通してみせる。
自分が悪意に負けそうなときは、シュウが手を握っていてくれるから。
自分が正義に押しつぶされそうなときは、シュウが肩を支えてくれるから。
そうして――帰ってきた彼に、「お帰りなさい」を言うのだ。
だって――
「だって、愛していますから。先輩のこと」
恐らくその時。
マイヤは、なんとも言えない表情をしていたのだと思う。きっと、一般名詞に照らし合わせるなら、こう呼ぶのだろう。
——『恋する乙女の顔』と。
だから、だと思いたい。
イスラーフィールは数刻、ぽかん、と呆気にとられると。
「ぷっ……くはっ、あ──っはっははははははははは!!! そうか、そうきたかこいつめっ……!! ああ心配して損した! ああやっぱり私は天才だな! こいつをあのポンコツ呪術師とくっつけて大正解だった」
彼女は腹を抱えて笑い転げる。水面が揺れ、ついでに彼女の双丘も揺れる。そんな状況ではないし、然程自分の胸の大きさを他者と比較することも無いのだが、何故だか妙にイラっと来た。
笑いの引いた学園長が、どこか安心した様に口元を緩めた。その様子が印象的で、マイヤは紡がれた言葉に聞き入ってしまう。
「お前なら大丈夫だ、フィルドゥシー。フェリドゥーンとどこまでも一緒に行けるだろうよ。そうなるように私も努力しよう――可愛い教え子には、幸せいっぱいにヴァージンロードを歩いて欲しいからな」
「なっ」
不意打ちであった。
真面目にイスラーフィールの話を聞いていたマイヤの脳は、すとんとその情報を受け入れ、脳裏にありありと想像図を描いてしまう。結婚――いや、前述の通り考えてはいる。家族に反対されても押し通す覚悟はある。そこからが本当のスタートだと思っているまである。
だがそれとこれとは話が別である。流石に何の覚悟もなく将来の姿を想像したら、耐性の無いマイヤでは赤面する以外に取れる行動がない……!
「へ、変なことを言わないでください!! もう、すぐそうやって先輩と私をからかうんですから……!」
「ははは、すまんな。お前達を見ているとつい」
全く悪びれる様子もなく、イスラーフィールはまた、けたけたと軽快に笑うのだった。
「わーい、おっふろー!!」
「ちょっ、お待ちなさい! まだ石鹸を全部落として――ああもう! 髪の毛からべたべたが落ちませんわ!! これだからタコは嫌いなのです!!」
「アリアちゃーん、走っちゃだめだよー」
「貸してごらんキュリオスハート。こういうのは複数人がかりで髪を洗うのが一番早いのさ。リズも手伝っておくれ」
そんな学園長の姿と、洗い場から聞こえる仲間たちの賑やかな声に。
マイヤの頬は、自然と緩んでしまう。
ああ、みんなでここにこれて、本当に良かった――それは、彼女が抱いた、偽らざる感想だった。




