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やがて天則の救世主  作者: 八代明日華
第三章:善と悪の境界に
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第十一話『奈落の水音』

「うぇぇ……せ、折角の水着がべたべたになってしまいましたわ……」


 体中を蛸足の粘液と潮風で汚したエリナが、しかめっ面をしながらごしごしとタオルで自分の身体を拭いている。その光景を、シュウは帰路へとつく船の中で、考え事をしながらぼんやり眺めていた。


 クラーケンを撃退してからしばらく。シュウ達は以後も襲い来る魚人たちを撃退しながら、バルガスたちがアジ・クールマに遭遇したという海域へと向かった。何か周辺海域との差異であるとか、出現の兆候、あるいは出現によってもたらされた影響を調べるためだ。

 しかし立つ鳥跡を濁さず……もとい、立つ亀跡を濁さず、ということか。該当箇所に船が到着しても、当時のような謎の暗雲は出現しなかった。それどころか、島を背負った亀が現れる前後には、テリトリーを破って出現したという魚人たちも、全く姿を見せなかったのだ。彼らの縄張りは、『王』の出航に伴って乱れる前のそれへと戻っていた。

 だがそれは、テリトリーが正常化したということを意味しない。現実として、シュウたちは道中で何度も本来海洋性魔物が出現しない場所で、魚人たちと激突を繰り返している。


 恐ろしいことに、彼らの生息域は「本来のもの」と「乱されたもの」の二つに分けられてしまったようなのだ。

 アジ・クールマの南方海域からの移動による、海洋性魔物のテリトリー変動――人間が海を行き来するための最大の障壁となるその事態は、想定していたよりもさらに厄介な領域へと到達しようとしてる、ということだろう。

 いつ、何をきっかけにして切り替わるのか分からないテリトリー。それを警戒し続ける――それは、人間が海を渡ることはできなくなってしまうことと等しい。


 何とかして手がかりを掴みたい。

 だが、島を背負った海洋の王は、影も形も見当たらない。


 結局、日が傾き始めてしまったため、その日の調査は打ち切りとなった。夜の海で魚人と戦うのは難しい。一旦引き返して調査状況を纏め、船や道具の整備を経て、後日また来よう、という計画だ。幸い、滞在期間はまだまだ残っている。焦っても仕方がない。


 ――そうは言うモノの。


 実際に、現場に赴いても手掛かり一つ見つからない、というのは、大分精神的な重圧がかかるものだ。何というか、砂漠でオアシスを見つけたと思って歩いた先に、何もなかった冒険家の感触である。いや、そういう経験はないのだが。


「蜃気楼、か……」

 

 あるいは、掴めば消えてしまう影絵のようなものか。

 どちらにせよ、その存在自体がまるで虚像であるかのように、海洋の魔王は忽然と姿を消してしまった。手を伸ばせば、船を進めれば、いつかはきっとたどり着く、あの東の彼方の故郷とは異なり、魔物の住まう異界の島は、もしかしたらどこまで歩みを続けても出会うことはできないのではないか—―そう、悲観的な思考にさえ陥ってしまう。


 しかし。


「蜃気楼……蜃気楼なぁ……うん、あながち間違いじゃないかもしれないぞ、フェリドゥーン」

「え?」


 存外に明るいが頭上から振る。

 振り返ると、腰掛けていたシュウを見下ろす形で、背後にイスラーフィールが立っていた。どこから取り出したのだろうか、半透明の水筒から、伸ばしたストローを加えて中身を吸っていた。どうやらスポーツドリンクの類が入っているらしい。


 飲むか? と言われたので辞退しておく。すると「そうだよな、お前は私がやらなくても水分補給してくれる奴がいるもんな。な!」と語尾を強調しながら叫ぶ学園長。いつもの悪戯っぽい色が混じったその声に、機材を眺めつつ船員たちの話を聞いていたマイヤがびくりと肩を震わせた。


「変なことを言わないでください。あまりマイを困らせるようなら、流石の俺でも怒ります」

「へいへい。いいねぇ若いのは……うちの英雄殿と来たら私の冗談を聞きもせずに哨戒に出ちまった。必要ないってのになー。何のために私がいると思ってるんだ」


 はぁ、と妙なため息をつきながら、イスラーフィールが中空を見つめる。うっすらと、何かが動く気配。どうやらスラオシャが既に顕現して()()らしい。全ての情報を司り、伝令と監視を司るスラオシャは、ただそこにいるだけで周囲の状況の変化を感知する。かの聖霊の分御霊を宿すイスラーフィールは、スラオシャの感知した情報の変動を即座に知ることができた。流石は情報の女王、と言ったところか—―凡そ情報系の法術師が担う物事で、彼女が行えないことはないのではないか、とさえ思ってしまう。

 

 まぁ実際には、制限の多い能力であるが故、学園長曰く「ハマるときとハマらないときがある」らしいが。現に旧時代文明の出来事やシュウの過去、エリナに纏わる騒動、それから、今現在直面しているアジ・クールマの行方に関する問題は、彼女の能力では探知することができない。テクスチャを書き換えることで情報を誤認させることはできるが、エリナの様に「認識を操って相手を即死させること」や、直接精神干渉を行っているわけではないため、一概にすべての情報系法術を駆ることができる、というわけではないのだが。

 

 何にせよ。

 学園長単騎でほとんどの戦況把握ができる、というのは、人員の限られる環境では高いメリットとなる。魚人の接近や海魔の出現といった、戦闘に繋がる出来事を、未然に回避することが可能となるからだ。

 特にそれは、今の様に、本来ならば把握できているはずのテリトリーが乱れているかもしれない、という、不確定要素が多い環境で大きく生きる。多少の戦闘は調査には必要だが、船に乗っている戦力だけでは対処できない――そんな、あまりにも大量の魔物たちとの激突が起こるような場所には、できれば近づきたくない。


「まぁ……目で見なければ分からないこと、というのも、あるかもしれませんから」

「そういうことにしておいてやるかぁ……で、話を戻すが」


 もう一度ため息をつきながら、情報の女王は扱う話題を切り替えた。


「実はな、お前達が魚人共とどつきあってる間に、奴らの状態――特に精神の状況を解析してみたんだが……興味深いことが分かった」


 イスラーフィールは、各々の作業を止めて集まってきた教え子たちを見回すと、まずはリズベットをぴん、と指差し、にやりと笑って問う。指定されたリズベットは何を聞かれるのかと身構えてしまっているのか、若干緊張の面持ちだ。気持ちは分からないでもない。学園長は時折、随分と難しいことを聞いてくる。

 とはいえ今回は、事件の流れを押さえていれば、なんてことはない質問だった。


「さて、マッケンジー。魚人たちはどうして、同族で纏まって行動をするんだったかな?」

「え? えっと……生息域(テリトリー)に沿って生活するから、必然的に纏まることに……?」

「正解だ」


 満足そうに頷くイスラーフィール。しかし次に矛先を向けられたロザリアには、少し難しめの質問が与えられた。


「ではルーズヴェルト……ああいや、アローンの方じゃなくてロザリアの方だ。今回の件、魚人たちは何故自分の海域を出たのだと思う?」

「それは……アジ・クールマの出没に伴って、生息域が乱れたから――」

「半分正解で、半分間違いだ」


 いいか、と、イスラーフィールは人差し指をぴんと立てる。


「マッケンジーが言ってくれたように、そもそも海洋性の魔物が一か所に大量に出没するのは、奴らが生息域の概念を持つからだ。母艦級による統治はその行動指針に顕れるだけで、別に一匹ずつばらばらに活動してもおかしくはないんだよ、理論上」


 言われてみればそうだ。

 アジ・クールマを始めとする海洋性魔物をコントロールする『王』の存在から惑わされがちだが、そういった所謂母艦級魔物は、海洋性魔物たちを直接操っているわけではなく、いわば「共通の目標を与えている」だけに過ぎない。本物の魚がそうであるように、彼らの多くは全体の大まかな行動指針に沿って動く。それゆえに、例えば八割が母艦級の指示に従うことを選んだなら、必然的に残りの二割も母艦級の指示からそう外れない行動をとるのだ。魔物たちが完全に同一の行動をとるわけでも、指示が無ければ動かないわけでもない理由がそれだろう。


 そう。

 よくよく考えて見れば、テリトリーの問題と、母艦級魔物の指示の変更には、()()()()()()()のだ。

 無論、テリトリーを乱せ、という指示が出るなら話は別となるかもしれないが、そもそもの海洋性魔物は原則としてどの個体もテリトリーを持つ。それはアジ・クールマですら例外ではなく、南海に鎮座したまま普段は動かないというではないか。


 何となく、話が見えてきたかもしれない。

 イスラーフィールはきっと、こう言いたいのだ。


 そもそも、魔物の生息域が混乱していることと、アジ・クールマの発した狂った指示には、何の関係もないのではないか、と。

 それどころか――アジ・クールマの移動という事実は、魔物たちには何の影響も与えていないのではないか、と。


「魔物たちがまとまって動くのは、母艦級の指示によるものではなく単純な海域把握によるものだ。そして面白いことに、私たちを襲ってきた魚人どもは、皆一様に、全く同じ精神異常を確認することができたよ」

「精神異常、ですか?」

「ああ。それもとびっきりのやつだ」


 イスラーフィールは、手品の種明かしをする子供のような、悪戯っぽい表情で。そしてその内に、一種の哀切のようなモノを込めながら、魚人たちの解析結果を開示した。


「あいつらな。今自分がいるところが、本来のテリトリーだと誤認させられてたんだよ。()()()()()()()()()()、な」

「……!?」


 ざわつく船内。仲間たちだけでなく、バルガスの船団員たちも驚きの表情を見せる。


 まず魔物たちが、歪んだテリトリーと本来のテリトリーを取り違えさせられていた、という事実が衝撃的だ。


「それは……ほ、本当に法術なのかい、ミス・イスラーフィール……? そんな、生物の脳をいじくるようなことが……? そ、そうだ、例のアジ・クールマの力とかではないのかい!?」

「残念だが、と言えばいいのか。全ての魚人から、法力の反応が出た。お前達が攻撃した後じゃぁない。ありゃ別口の干渉を受けた跡だ」


 次いで、その現象が法術によって引き起こされていた、ということも。


「虚像を見せられていた、ということですか?」

「いや、流石に私も他人が見てる景色を把握することはできない。だけれども、私がこれを感知できた、ということは――そうだな、端的に言えば弄られていたわけだ、『認識』を。今いる場所こそが本当のテリトリーだと、騙されていたんだよ」

 

 マイヤの問いに、イスラーフィールは首を振る。『スラオシャ』は他人の思考を覗き見ることはできない。廃墟の景色を花畑に変えるのは、相手の視界に干渉しているのではなく、廃墟の情報(テクスチャ)を変えているからできる技術だ。つまりスラオシャには、生物の意識への介入、という能力はない。

 しかし、生物の状態を解析することならできる。故にこそ、一種の状態異常として、魚人たちに起こった異変を知ることができた、というわけなのだが――


 ——その事実が、一つの答えを導き出す。


「精神干渉系法術……」

「それも、海域中の魔物を全て手中に収める……」


 自分の口から紡いだ名だというのに、その重みで続く言葉が出なくなる。マイヤの補足が、それさえも虚構で在ってくれたなら、と、戦慄をより強くさせた。

 

 精神干渉系の法術を扱う人物は、極めて少ない。無名の人物であるならまだしも、そういった人々が持つ法術は得てして強力ではない場合が多い。実用的な精神干渉法術であれば、教会が彼らをリクルートし、『剣』として採用しているはずだ。だが、そういった話は聞いたことが無い。

 

 身近なところではエリナが、精神干渉系法術の使い手だ。彼女の扱う『武装型ハルワタート』『武装型アムルタート』は、イスラーフィールの『現実の上から新たなテクスチャを描き記す』ものとは全く別の方法で、相手の見る景色を変えてしまう。彼女の操る『認識操作』は、対象の精神に直接干渉し、生死さえも握る力だからだ。


 だが—―それであっても、大海に住まう全ての魔物を操るなどと言うことが、果たして可能であろうか?


「エリナ、そういう芸当は、ハルワタートとアムルタートでも可能なのか?」

「無理ですわ。私の技術が向上すればあるいは、とは思いますが……そもそもハルワタートもアムルタートも、変貌させた認識を相手が確認し、受け入れなければ効果を発揮できません。つまり、発動できる距離や、効果が効く相手に制限や差があるということですわ。私の場合、ハルワタートなら、スキル『歪む白亜の雷(バルバラ)』が届く範囲、アムルタートなら『狂う黒曜の雷(シャンゴ)』が届く範囲にしか効果を齎せません」


 問いに対する答えと共に、エリナは青ざめた顔で首を振る。

 彼女に纏わる一連の事件で、エリナと共に育った孤児院の少年少女もまた、ある程度作為的な方法のもと、精神干渉系法術を習得していたことが明らかになった。

 しかし、あの時イスラーフィールから送られてきた元キュリオスハート孤児院のメンバーに纏わる資料によって、最も高度な精神干渉法術を操るのはエリナだということも、同時に明らかになっている。


 つまり。

 全海を巻き込み、人間を、それどころか魔物たちすらをも混沌の渦に叩き込んだ存在は、エリナよりも高度な精神干渉法術を操る、ということに他ならない。


 それが可能な人物を、シュウは少なくとも一人しか知らない。

 いいや、シュウだけではあるまい。この船に乗っている全員が、たった一人の名前を思い浮かべるだろう。


 そして、それが可能な人物は、世界に文字通り一人しかいないのだ。


「『展開型ウォフマナフ』……嘘ですわ、そんな、そんなこと……お父様が、生きている……!?」

 

 紡がれた言葉は震えていた。

 畏怖、恐怖、驚愕――それから、怒り。エリナと『エリナ』、それから、今はもう二人に統合されてしまった、あるいは、『脱ぎ捨て』られたまま虚空へと消えた、無数の人格たちが抱く、養父への想い。


 海の底には、太陽光の色さえない、極寒と重圧の世界——深海が広がっているという。

 死んだはずの特級法術師が残した謎。その答えは、今はまだそこに眠っているのだろう。


 窓の外から見える海面が、マイヤの髪とは対極の、昏い闇を映し出した様に見えた。


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