エピローグ
事件終息から、三日が経過した。長期休暇は終わり、授業が始まっている。既に夏季休暇が待ち遠しくなっている生徒もいるらしく、教室移動のために校庭を歩くと「あああー早く夏休みにならねーかなぁあああ」などという叫びをよく耳にする。
シュウは春の空から徐々に夏のそれへと変わり始める青空を見つめながら、ぼんやりと時計台広場のベンチに腰掛けていた。去年、アルケイデスことマグナスと初めて遭遇した廊下の近くの、あの時計台広場だ。
なぜこんなところで「そうか……香り高いゴボウの季節はそろそろ終わりか……」などと、奇妙なことを考えながら空を眺めているかと言うと、待ち合わせをしているのだ。誰と、と言えば勿論マイヤと。今朝、二人とも授業が無い時間を見つけたので、今日の内に、あの夜医務室に運び込まれて以後復帰していない、エリナを見舞いに行く約束をしていたのだ。
次にゴボウが美味しくなるのは秋口か……いやしかし秋と言えば人参の季節……そう言えば実家の人参畑は師匠の奥方に任せてきたが、今年の冬はマイヤを連れて一度帰省しようか、等々と、流れゆく雲を眺めているとどんどん思考が根菜の方面に流れていく。
野菜と言えば中央大陸はウリ類や果物が非常に豊富だ。噂によれば東側はかなりその辺りの品質が良いことに加えて魚が釣れる。実にいい。最近は積極的にマイヤの料理の手伝いをしているせいか、徐々に腕も上がってきた。何らかの手段でその辺りの食料を手に入れ、マイヤと互いに作り合いをしてみたい。いやだがしかしそうするとマイヤの方が圧倒的に上手であるため彼女に損をさせてしまう――等々、料理のことを考えているのか、恋人のことを考えているのか良く分からなくなり始めたあたりで。
「先輩、お待たせしました」
後ろから声がかかる。耳慣れた、しかし何度聞いても慣れない声。学園長からは「老成している」だの「最早恋を超えて愛だなそれは」だの「熟年夫婦かお前らは」だのと揶揄される二人だが、こういう、急激に心臓の鼓動が高まる瞬間に遭遇すると、「ああ、自分は恋をしているのだ」と自覚する。
久方ぶりに見る、勉強道具を携えた制服姿のマイヤ。休暇の間でも制服姿は何度も見たが、今はまた、それとは少し違った印象を受ける。何というか、シャープというべきか。凛々しさを感じるまである。所謂優等生の気配だ。
世の中模範生ともなると色恋とは程遠い位置にいることも多々あると聞くが、そんな彼女が自分の恋人なのだと思うと、自分に自信を持っていいのか慄いていいのか分からなくなってくる。
そんな事を想っていると、声を発しないシュウに疑問を覚えたか。マイヤが可愛らしく首を傾げた。
「……先輩?」
「あ、ああ……すまない、ちょっと考え事をしていた」
「……? これから暑くなってきますから、考え過ぎで頭がゆだらない様に気を付けましょうね」
ふふ、と小さく笑うマイヤ。どうやらお見通しらしい。
やはり敵わない――思わず苦笑する。
「そうだな」
何と返して良いか分からず、出てきた言葉はあたり障りのないものだった。なんというか、自分の会話能力の低さがこういう時に嫌になる。
デッキチェアから立ち上がると、マイヤと連れ立って医務室を目指し歩き出す。
——あの後。
一日もしないうちに、リズベットの体の魔力焼けは、急速に消滅した。その日のうちに目を覚ました彼女姿にロザリアが号泣し、リズベットを大きく困惑させていた。どうやら、襲撃を受ける前後の記憶が抜け落ちていたらしい。操られた『認識』が消滅したからだろう、と、アルケイデスが推測していた。
一方のエリナは、前述の通り暫く昏睡状態のままだった。その間にイスラーフィールが何やら手を回したらしく、届いた伝書によると、此度の事件はハレルヤザグナル翁の、周囲一帯を巻き込んだ自殺劇として処理されたらしい。動機などについては捜査の途上である、という形で、表向きには発表するそうだ。最も、殺人事件や、そもそもの特級法術師の死に関しては一部の人間しか知らない事実であるため、どの程度公に介されるのかは分からないが。
「……今日は、目を覚ましていると良いですね」
「ああ。伝えたいことや、これからエリナと積み上げていきたいものはいっぱいある。マイもそうだろう?」
「はい、勿論」
マイヤの問いに、シュウも問いを返す。すると彼女は、少し照れ臭そうに笑った。
彼女は依然、エリナのことをこう称していた。即ち、『宿敵』、と。この学園に於いて、マイヤと実力が拮抗する学生の法術師はエリナだけだ。いがみ合う光景が目立ったが、何だかんだマイヤも、エリナのことを大切に思っているのだろう。
ロザリアやリズベット、アリアたちとのそれとは違う、いい友人関係が築けるかも知れないな――などと考えつつ、少しだけ、歩く速度を上げる。
医務室に着くと、軽くノックをしてドアを開ける。既にパイプ椅子は片づけられ、アルケイデスの姿はない。事件終了から暫くは警戒のために待機していたのだが、休暇が終わったことで彼自身も受け持っている授業のために、ずっと医務室にいることができなくなったのだ。
思い返してみれば、休暇の半分くらいはこの部屋で待機していた。本人は「別に休みだからと言って何かするような気質でもない」と言っていたが、だとしても貴重な休暇を事件解決のために割いてくれたことに関しては、大きく感謝をしなければなるまい。何か礼でもできればいいのだが。
授業時間中の医務室は空いていた。というより一般の生徒は居なかった。普段ならデスクワークをしているであろう保険医も、偶然席を立っているようだ。
奥に大きな窓が開き、午前の日光がたくさん入る構成の部屋。
南側を頭にするように並べられた三つのベッドの、その一番奥のベッドが、エリナが眠っていた場所だ。
そう。
眠って『いた』。
カーテンが、開いている。白いレースの裾が、わずかに開いた窓から吹き込む風にゆられて、ひらひらと舞っていた。
その奥に、煌く金色の髪をふわりと靡かせる頭に、白い包帯を巻いた少女。つい昨夜までは仰向けに寝かされていたはずのその上体を起こし、窓の外を見つめていた。
「エリナ」
声をかける自分の口元が、自然と緩んでしまうのを感じる。
少女はゆっくりとこちらを見ると、金色の前髪に隠された碧と紅の瞳を細めて、にこりと笑った。
目を覚ましたエリナは、いつも通りの彼女の声を、命を削り合った夜の魔の顔で放つ。そこに敵意はない。見た目こそどちらかと言えば『エリナ』に近いが、性質は普段のエリナに寄っているようだ。
「おはようございます、お兄様」
「ああ、おはよう。よく眠れたか」
「ええ。悪い夢から覚めたようです。こんなにすっきりした朝は初めてですわ――とはいえ、先ほど聞こえた時計台の音からすれば、もうお昼が近いようですが」
交わす会話は、いつもの様に。
しかしシュウは、外見だけではなく、口ぶりも若干普段のエリナと異なることに気付く。どこか騒がしく、子供っぽかった彼女から、一段大人びたような。それは『エリナ』の口調に近い。
もしかしたらこれが、エリナの本当の喋り方なのかもしれないな――そんなことを思いながら、エリナが眠っていた間の出来事を話していく。
リズベットが目を覚ましたことを告げたあたりで、エリナの表情がほっと緩む。気にしていたのだろう。思考操作の結果とは言え、曲がりなりにも自分の手で傷付けた相手だ。
最も、同じ部屋にある空のベッドを見ればわかることではあるだろうが――目を覚ましたのは、つい先ほどなのかもしれない。時計台が鳴ったのも、シュウとマイヤが広場を発った後の事だ。
「王都でイスラーフィール学園長が、色々と手を回してくれたらしい。ファザー・スピターマも君に罪は問わない、とのことだ」
「あの化け物にそんなことを言われてもあまり嬉しくありませんわね……」
「会ったことがあるのか?」
「ええ。一応、義父は特級法術師でしたし……」
嫌そうな顔をするエリナに、シュウは慌てて話題を変える。
「今後は学園で保護観察、ということになるようです。アリアちゃんと同じですね。生徒としても問題なく活動を続けられるみたいですよ」
「それは助かりますわ。今更央都に戻る気も起きませんし」
マイヤが今後のエリナの立場を説明すると、ぱっ、と嬉しそうな顔を見せる。マイヤの向日葵のような笑顔とはまた別、いうなれば薔薇や百合と言った、所謂『高貴な花』の雰囲気がある。特級法術師の養子、という立場だ。将来的にはハレルヤザグナルの立場を継ぐための教育を受けていた様子だから、貴族的な所作も覚えているのかもしれない。いや別にマイヤが貴族らしくないとかそういう話ではないのだが。そもそもマイヤは確かに良家の娘ではあるが、法整備上の貴族ではない。
ハレルヤザグナルと言えば。彼の経営していた孤児院は一度解体され、別の人物が運営を引き継ぐそうだ。ハレルヤザグナルによる精神干渉を解除できる人物――教会本部の結界維持を担当している、女性の特級法術師がそうであるらしい――が、子供たちを預かるそうだ。
そのことを告げると、エリナはまた、ほっとした表情を見せる。
「心配だったのか?」
「少し。仲が良かったわけではありませんし、どちらかと言うと、苦手な子たちではありましたが――一応、義理ではありますが姉弟ですので」
きょうだい――家族。
シュウには、ないものだ。そしてこれから、作っていくものだ。
隣に立つマイヤは勿論、シュウとしては、エリナもそうだ。
「それで、学園長が一つ、提案を出して来たんだが――戸籍登録を、正式に『エリナ・フェリドゥーン』にしないか、とのことだ。学園への入学の時に使った、俺の妹としての立場を採用する形だな」
孤児院の子供たちは、皆戸籍上はその特級法術師の養子扱いに変更されるらしい。しかしエリナはその中に含まれていない。ファザー・スピターマが今回の件に関してエリナに課した唯一の罰が、『孤児院からの自立』だったためだ。故に彼女は一人だけ、家族のいない状態にある。
何らかの場面で保護者が必要となる場合、シュウと同じでイスラーフィールがそれを担うつもりであるらしい。そのつながりを利用して、本当にシュウの妹になってしまわないか、と。
「……俺としても、君が来てからの間は、本当に妹がいたようで楽しかった。受けてくれると、嬉しい、とは思う」
故郷の邑で、「弟や妹のような立ち位置の子供たち」というのは確かにいた。師匠夫妻の子供たちや、一緒に長老の下で呪術を学んだ年の近い子供たち。彼らと仲が悪かったわけではないし、「シュウ兄」「シュウ兄様」と呼んでくれる子たちもいた。
しかし、実際のシュウには、きょうだいはいないのだ。記憶を失う前のシュウにはどうだったかまでは分からないが――少なくとも、今の時点では、いないのに等しい。
だから、エリナがその呼び方の通りに、本当に妹としていてくれたら、それはきっと、とても喜ばしいことだ。
そう、思ったのだが。
「嬉しいですわ、お兄様。ですが――謹んで、ご辞退申し上げます」
「……そうか」
少し残念そうな顔をしながら、エリナが首を振る。応える自分の声が、ずん、と沈んでいるのが分かった。思いのほか心に来るものだ。
そんなシュウの様子に、エリナは左右で色の違うその目を、細め、困ったように眉根を寄せて。
「ええ。だって私――」
素早く手を伸ばすと、シュウの腕を掴み、自分の方に軽く引っ張る。無警戒だったシュウは、それだけで簡単に姿勢を崩す。前のめりになった彼の頬に手を添え、さらに自身の顔に近づけさせた彼女は、少しだけ、首を伸ばして。
「——仮初の記憶とは関係なしに、お兄様のこと、本当に好きになってしまったんですもの」
初めて会ったあの日の様に。
小さく、唇を重ねて来た。
思わず目を見開いてしまう。エリナの金色の睫毛が、すぐ近くに見える。瞳を閉じているせいか、細いその金糸の一本一本が数えられてしまうほどだ。
そして、それが可能なその時間は、思いのほか長く続いた。解放された直後、少しだけ息切れしてしまったほどだ。
「なっ……ななな、なぁっ……!?」
全身を硬直させ、羞恥と怒りが半分になったような妙な表情で顔を真っ赤にするマイヤ。開いた口からは言葉にならない呻きが、繰り返し発せられる。
その様子と、同じくどういう反応をして良いか分からず硬直するシュウを目に収めたエリナは、唾液で少しだけ湿った唇を、細い、陶器のような指で一撫ですると、妖艶とさえいえる仕草で微笑んだ。
「妹になってしまったら、そうとしか『認識』して頂けませんわ。私は妹だけでなく妻になりたいのです。そこの青髪よりも好感度を上げて。ええ、勿論正妻に」
「何を言っているのですかこの金髪オッドアイは。駄目です。先輩は私のものです。貴女には渡しません絶対に」
瞳を閉じて頷くエリナに向かい、動揺のあまり凄まじい速度で言葉を繰るマイヤ。
一体何を満足したのか。エリナはふっ、と、これまでとは別種の柔らかい表情を浮かべて、告げる。
「——それでこそ、戦いがいがある、というモノですわ、マイヤ」
「……!」
それは宣戦布告だ。救世主から、『愛する者』としての役割を与えられた禁忌十字。彼女が、同じく救世主に未来を救われた青き光輝女神へ送る。
「良いでしょう――受けて立ちます。先輩の隣は絶対に譲りませんからね、エリナ」
そしてそれは――同時に、確かな友誼の証明でもある。
「負けませんよ」
「負けませんわ」
火花を散らす少女たちの間には、出会ったばかりの頃よりも、確かな絆が芽生えている様に、シュウには『認識』できた。
どうやら、マイヤとエリナはいい友達になれるのではないか、という彼の考えは当たっていたらしい。そう告げたところ、二人からぴったりと息の合った声で「「誰がこんな金髪/青髪と!!」」と反論されてしまった。
苦笑いしながら見る窓の向こうの空は、やはり、遠くまで澄んで見えた。
以上で、二章『禁忌十字に愛を』は完結です。ここまで読んでくださった方、お疲れさまでした。
八月は予定が合わず長期の更新が難しいですが、三章の序盤数話は何とか更新したいと思っています。水着回なのに夏に公開しないとかどうかしてるぜ……!




