第二十話『継承』
「生贄を全て捧げ終わり、その後救世主によって討ち果たされる……『英雄譚の再現』が行われることはキミの計画通り。そして計画を超えた成果を上げることについては、織り込み済みのことだったけど――いやはや、まさか期待以上のことまで成し遂げるとは思わなかった」
天窓から差し込む陽光で霞む、頂の見えぬ聖堂。外から見れば純白の塗装が施されているであろうその尖塔の中に、同じく純白の人間が、一人。
白いローブ、白いベール、そして白い肌に白い髪。唯一三日月型の笑みに歪められた口だけが、血の様に真っ赤。紡がれる言葉は中性的で、男なのか女なのかすらはっきりしない。
人はその人物を、こう呼ぶ。
三代目、ファザー・スピターマ、と。
彼、正しくは性別不明であるが、ここでは便宜上『彼』とするその人物は一人、聖堂の礼拝椅子に腰を掛けると、天井を見上げて独りごちる。くつ、くつ、くつ、という小さな笑い声。動作一つ一つが優美、清廉。なるほど彼自身が『正義』の体現者であるのだと、見る者を圧倒するほどの調和。
その彼の他に、同じく『完璧な調和』『定められた運命』を模した、精巧な聖堂には誰もいない。
——誰もいない、はずだった。
『そのような、恐れ多い。マグナスめのことのみならず、我が娘の行いすらコントロールできぬとは。この命、絶って正解だったようにございます』
応える声が、響く。見れば、ファザー・スピターマのすぐ横に、何やら薄ぼんやりと、手のひら大に白い光が集っていた。声の発生源は、その光球である。
白き長は再び、静かに笑う。
「そんなことを言わないでおくれよ、ハレルヤザグナル。キミが居なくなって寂しいよ、全く。それに、相手は『救世主』。それも『善と悪の狭間に立つ者』だ。予想を大きく超えた結果を齎すのは、当然と言えば当然さ」
ハレルヤザグナル。
ファザー・スピターマは確かにそう口にした。エリナ・キュリオスハートの手によって殺害された筈の特級法術師が、光の玉となって未だ生存していると、彼の態度が物語る。
そしてそれは真実であり、また、かの老翁の正体を鑑みれば、何一つおかしなことではない。
——ハレルヤザグナル・キュリオスハートは、個人ではない。
否、正確には個人だ。同一の名前を持つ人間は、確かに存在した。
だがその男は遥か昔――初代ファザー・スピターマが存命していた二百年前に、既に命を落としている。当然だ。人間には寿命がある。どれだけ偉大な人物であれど、生きることのできる時間には限りがあるのだ。
しかし。今のハレルヤザグナルは、その人物と紛れもなく同一人物である。
理由は、彼自身の持つ法術に在った。
『展開型ウォフマナフ』——他者の精神を操るこの法術には、ある一つの強力なスキルを持つ。
それこそが『聖典継承』である。ウォフマナフは、主が死んだとしても、その精神と技能を己の内に格納し、別の人物に継承させることによって蘇らせることができるのだ。
勿論、様々な下準備が必要である。適合する存在でなければウォフマナフの継承は出来ない。そして資格者の数は決して多くはないのだ。具体的には、同じ精神干渉の法術を操る素質が必要となる。
キュリオスハート孤児院は本来、その『適合者』を養育する場所であった。もっとも、ウォフマナフ=キュリオスハートがこの目的を以て子供たちを集め出してから、その条件を満たす者はついぞ現れなかったのだが。
だがその状況も、ここ数年では変わってきていた。
エリナだ。彼女は高い精神感応法術への適性を持っていた。発現した本来の法術も、『認識』を操り、自身に複数の人格を付与したり、なんと魔族の力まで再現して見せるという強力な内容であった。
彼女自身が、ハレルヤザグナルをどう感じていたかは分からない。父だ、とは思ってくれていたようだが――しかしその『父』にとっても、確かに彼女は自慢の娘であったのだ。
もっとも、そこに親子の愛などは存在しないのだが。
『最高傑作』は確かな成果を出した。報告を聞く限り、彼女はハレルヤザグナルの支配下を離れた。継承のために完全な支配が必要となる『聖典継承』は、最早には望めまい。故に『ウォフマナフの器』としての役割は果たせないだろうが――それについては、今のハレルヤザグナルには別の手がある。というより、そちらを選ぶためにエリナを『救世主』の下へと差し向けた、という方が正しいのだが。
「何にせよ、この世界は良い方向へと動いている。救世主の覚醒の時は近い。『天則』は何一つ問題なく成就するだろう」
ファザー・スピターマが、再び聖堂の頂を見つめる。常人には霞んでいてよく見えぬそこに、きっと彼は、別の何かを見ているのだろう。
ふと、ハレルヤザグナルの光の玉を彼が見れば、徐々に、徐々にその輪郭が薄くなり始めていた。
『おやおや。このままでは本当に猊下とお別れせねばならぬことになりますな』
「そいつは困った。個人的にはもっとキミと話していたいところだが――うん。目的のために、我儘を通すのも良くない」
立ち上がる。白いローブの裾を翻して、天を仰ぐ。
『では、ごきげんよう猊下。次は――』
「ああ。”向こう”で再会することとしよう。万事つつがなく成就させよ――いざ、”あの橋の向こう側に”」
『”あの橋の向こう側に”』
しゃらん、と、小気味の良い音を立てて、白い光の玉が姿を消す。消滅したわけではない。自分たちの目的のために用意された、新たな肉体へと向かったのだ。
「シュウ・フェリドゥーン……」
スピターマは、白い指を天へと伸ばす。
そして、ワンテンポ置いてから。何かを掴むように、ガッ、とその手を閉じた。
「約束の日は近い。そしてその時、”世界を裁く者”として立つのは――キミではなく、この僕だ」
***
央都、教会本部には、巨大な資料庫が存在している。特級法術師や、上級法術師の中でもさらに上位の教会関係者でなければ立ち入ることすら許されないそこは、善悪大戦の果てに旧時代文明が消滅し、この世界と『異郷』という二つの世界が出来上がった直後からあるという。
即ち――初代ファザー・スピターマが建設した、教会本部最古の建造物だ。
その内には、最新の学術書から、教会の上層部ですら読むことを許されない記録の残る禁書、果ては旧時代文明の資料までもが収められている。
そんな、紙と埃が重なった特有の香りの中で、ガブリエラ・イスラーフィールは一人、金属の鳥が一方的に吐き出す言葉を聞いていた。
『——以上が事の顛末だ。エリナ・キュリオスハートの身柄は一応こちらで保護している。処遇に関してはお前が交渉してくれ。役割を押し付けてすまないな、イスラーフィール』
「……音声メッセージでくらい、渾名で呼べよな……」
はぁ、と一つため息を吐くイスラーフィール。
想い人は昔からそうだ。目の前のことと、そこから派生する未来一本しか見えず、周りのことまで気が回らないのだ。そのせいで、いくらイスラーフィールが学生時代、交際していた頃の渾名——ガブリエラから取った『リエ』の名で呼んでほしいと想っても、彼はその願いを叶えてくれない。
何が英雄だ、大馬鹿野郎、と口の中で呟く。そんな不器用な所にも愛情を抱いてしまうのだから、自分もどこぞの青髪の教え子のことを下手に弄って遊べないな、と反省する。
そのことに関して文句を言えるのは、まだ少し先になりそうだ。一連の事件は解決したが、下手人は随分と特殊な人物であったらしい。アルケイデスからの連絡の中には、シュウがエリナの事件に関与していない人格までもが罪を償うことになることを危惧している、ともあった。そんな思いをせねばならぬほど、立場的には不安定なのだ、此度の犯人は。
シュウの不安が現実にならないように立ち回るのは、この世界の支配者が座す街にいる、イスラーフィールの役割だ。そもそもキュリオスハート翁暗殺に関係して、この事件の捜査結果を、依頼主たるファザー・スピターマに報告しなければならない。何とかあの化け物の機嫌を損ねない対応をせねば、と考えると、また頭が痛くなってくる。
もう一度、ため息。幸せが逃げる、というが、正直大分逃している感じはあるので最早気にしていられない。一体いつになればアルケイデスはもう一度自分を見てくれるのやら――
「……ん?」
と、そこで。
イスラーフィールは、過去の教会にまつわる事件の記録書が収まった書架の中に、興味深いタイトルを見つけた。
そもそもの話、イスラーフィールがこの大書庫にいたのは、一連の殺人に関して類似する事件が無いか、過去の記録をあさるためだった。正直な話をしてしまえば、イスラーフィールは本に触れさえすればその内容が理解できる。なので時間はかからないのだが、どこから手を付けたものかな、と悩んでいたのだ。そこに丁度、アルケイデスの鋼鳥が到着したため、作業を中断していた。
見つけた冊子に近寄る。タイトルは――『青髪の魔女と魔法について』。
青髪の魔女、というのは、一部の法術師の間では有名な存在だ。二十年ほど前、まだイスラーフィールが子供だった頃に出現した、最初の『魔法使い』。青色の髪をした女性だったらしく、結果としてその名前が付けられた。
討伐隊が組まれる直前に、何らかの理由で死亡したらしいが――
記録が付けられたのが、十八年前の日付であったこと。そして、『青髪』という単語が、少し、教え子を思い起こさせることから、イスラーフィールはその資料を手に取った。
——瞬間。
「……ッ!?」
『情報閲覧』のスキルが、自動的に起動する。イスラーフィールにとって何か重要なデータ、即ち、『ズルワーンが必ず見ておくべきだと判断した情報が存在する』場合にのみ引き起こされるこの現象は、発動したならば必ず重要な事実を使い手に告げる。
網膜に映る景色が、現在の時間軸のそれではなくなる。見えるのは恐らく、十八年前の景色。
人影が、二つ。片方は背の高い男。もう片方は、背の低い女……いや、少女、と言ってもいいかもしれない。男の方は二十代初めの様にみえるが、女性の方はまだ十代の初めに見えたからだ。
しかし恐らく、女性の方は見た目通りの年齢ではないのだろう。大きく膨らんだお腹と、白い、特徴的な形の服装――旧時代文明で言うところの、『マタニティドレス』という奴を纏っていたことが、その証左だ。妊娠している。隣の男と確りと手を繋いでいる事を鑑みれば、二人は夫婦か、或いは恋人なのだろう。
記録映像を再生しているようなものなのだろうか。彼らはイスラーフィールには目もくれず、目の前、資料架に近づくと手を離し、各々資料を開き、熱心に目を通していく。男の方に至っては、鬼気迫る、と言っても過言ではない。
はたとイスラーフィールは、その表情に見覚えがあると気付く。金色の髪と、寡黙そうな整った顔立ち――そう、シュウだ。シュウ・フェリドゥーンと、目の前の男性は良く似ている。だが、完全に同一というワケではない。男性の目の色は、赤色だった。シュウと同じ青ではなく、どちらかと言えばアリアのそれに似ている。
――どれだけ、そのままでいたか。やがて二人は、全ての資料を読み終えると、二人、顔を見合わせて、首を振る。
青年が、口を開いた。出てきた声は、やはりシュウのそれとよく似ていた。
『……駄目だ。ここには何の資料も無い。くそっ……』
『自分を責めてはだめよ、ヴィクトール。貴方のせいではないわ』
男性――ヴィクトールというらしい――は、だん、と荒々しく書架に拳を打ち付ける。その様子に、不安げな表情をした少女は駆けよると、背中を優しく抱きしめた。
『だが……だが、ラジア! 彼女が……メロヴィアが人間ではなくなったのは俺のせいだ! 俺が……』
ヴィクトールと呼ばれた青年は、ずるり、とその場に崩れ落ちた。
同時に、彼の外見に変化が起きる。金色だった髪は銀色に。両のこめかみに何かオーラの様な者が集まり――そして、湾曲した黒い『角』を形成する。
「魔族……!」
思わずイスラーフィールは声を上げてしまう。やはり二人は反応しない。先の予想通り、これは資料に関連した、記録情報の様なものであるらしい。
肩を震わせる魔族の男を、少女――ラジアは優しく撫で続ける。
『それ以上はいけないわ。過去を悔いるのではなく、私たちは未来の事を考えましょう。メロヴィアもそう言っていたはずよ』
『……くそっ……』
記録映像は、そこで終わっていた。
気が付けば、イスラーフィールは、開かなくても構わないはずの、『青髪の魔女』の資料を開いていた。内容としては、教会上層部に知られているものとたいして変わりはなかった。だがところどころに、先ほどの映像の二人のモノと思しき走り書きが残されている。どこか焦ったようなその筆跡が、イスラーフィールをひどく不安な気持ちにさせた。
やがてページは、最後に行きつく。
そのページには、男性――ヴィクトールの筆跡で、それも、ダエーワ語を筆記するためのブラフマナ文字で、何事かが書かれていた。
偶然、知っている文字だった。以前シュウとアリアが、中央大陸の地名を翻訳している場面を見たことがある。その時に、彼らが挙げた地名だ。自分と、そしてシュウとも関わりが深い場所であったため、非常によく覚えている。
記されていたのは、中央大陸の最東端――イスラーフィールが、育成学園に次ぐ第二の拠点としているエリアの名前だった。
本日は夕方ごろ、二章のエピローグを追加で公開予定です。




