第十八話『揺らぎ、定まり』
エリナは今日も補習の実技試験があるようで、誤解が解けると足早にその場を去ってしまった。本当は一日張っておきたい所だったのだが、流石に試験会場までついて行くわけにもいかない。
シュウとマイヤは当初の目的通り、アルケイデスとリズベット、そして昨晩既に向かったロザリアとアルバート少年……自己紹介を受けたところ、名前はエリックというらしい……が待つ医務室のドアをくぐる。報告することは多い。何から話し始めるべきか――
そう、思案していたのだが。
「ぐわぁぁぁぁやめっ……やめたまえ銀色の君っ! ぼっ、僕のか弱いダメージボディに触るんじゃぁないっ!」
「でもいたそうだよ? だからなでなでしてあげるね」
「いやっ……ほっ、ほんとにやめてぇぇぇぇ!!」
聞こえる悲鳴はエリックのものだ。最初は芝居がかった口調で抗議していたのだが、徐々に彼の素なのだろう、若干情けない口調へと変化する。どうやら昨夜、『エリナ』に思い切り蹴飛ばされた部分を誰かに触られて苦しんでいるようだが――
その下手人というのが、意外な人物だった。
「……アリア?」
「しゅう!」
どかり、と胴に衝撃。つい先ほどまでエリックの包帯を巻いた腹を撫でまわしていた銀髪の少女が、勢いよくシュウに抱き着いてきたのだ。黒いレースで編まれたベールがふわりと舞うと、マイヤともエリナとも違う甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
幼い言動に対して以外にも女性的な柔らかさに富んだその感触は、他でもないアリア=ザッハークのものだ。
真っ先に「何故」という疑問が脳裏を占めた。彼女は医務室ではなく、学園長棟の自室にいるはずだし、何より先日訪ねたときは、どうしたことかシュウたちを突っぱねたはずだ。最も、あの時は「気分ではない」と言っていただけなので、それが改善した、という見方もできるが――
どちらにせよ、少し意外な対面であったことは確かだ。
「どうしてここに……?」
「今朝方、丁度お前達を訪ねてきたのだ。寮エリアは苦手らしいからな、アリアは」
「あそこいや。へんなきぶんになるんだもん」
不思議そうに首をかしげるマイヤに向かって、苦笑しながら状況の解説を行ったのはアルケイデスだ。ここ数日ですっかり見慣れた完全装備状態で、やはりお馴染みとなったパイプ椅子に座っている。リズベットが襲撃されてからこちら、医務室で寝泊まりしているようで、恐らくアリアが医務室に来た時もこの部屋にいたのだろう。
そして不機嫌そうに、しかし愛らしく頬を膨らませるアリアの言葉もよく理解できる。最近は非常に強い耐性を持つようになったが、そもそもシュウたちの家や生徒たちの寮がある寮エリアは、非常に強力な悪性存在除けの結界が貼ってある。流石に特級法術師のそれ程ではないが、エリアのみならず、本能的に悪性存在が学園を避けるように誘導するほどの効力がある、と聞いた事がある。アリアはそちらの方に関してはもともと効果が無かったようだが、流石に直接的な悪性存在除けの効果はきついらしく、今でも寮エリアは苦手なようだ。
結果として、恐らくシュウ達が以前「これから医務室に行く」という話をしたこと、彼女自身、何らかの手段――恐らく開けた窓から生徒たちの話でも聞いているのだろう――で得ている事件の推移、そして「アルケイデスがいる」という情報から、シュウとマイヤが、今日も医務室に来る、あるいはもうすでにいるのではないか、という予測の下、この場所を訪ねてきたに違いない。
改めて頭の良い子だと思う。同時に、純粋な娘だ、とも。
意外かも知れないが、人間(パルスという意味ではない)、未来の事を予測・信頼しながら行動を選択することはかなり難しい。自分に対する評価以外であれば、あまり人の発言を疑ってかからないタイプのシュウであるが、それでも他人の行動に信頼を置いて、「誰々なら絶対こうする」という予測のもと動くのは相当な勇気がいる。そう言う意味では、昨晩のエリナとの戦闘に於いて、マイヤの助けを確信して無謀な戦術を取ったあの瞬間は、あるいは彼女が『他人』ではなくなったことへの確かな証左なのかもしれない、などと若干恥ずかしいことを考えるなどする。
——丁度そこで、今日ここに来た理由を思い出す。
最も重要な報告だ。恐らくはロザリアからある程度情報を貰っているだろうが、直接戦闘したシュウたちだからこそ言えることもある。
「先生。昨晩の戦闘の事ですが」
「ああ。一応、ルーズヴェルトとアルバートから報告を受けている。まさかとは思ったが……随分と面倒な相手だったな」
「——はい」
思い返すのは、昨晩の戦闘。春先だというのに氷の様に冷たい、ひりつく大気の感触。サファイア、あるいはダイアモンドのような青白い月光の下で、ぎらりと輝く赤薔薇の雷電。
「あれは、エリナでした。間違いなく」
顔も、服装も、もしかしたら声さえも。そして何より記憶すらも異なっていた、彼女。それでもシュウは、確信を持って言える。あれは、エリナだと。自分を「お兄様」と慕ってくれた、転校生の少女本人なのだと。
「ですが今朝、彼女と会話した際には、全く昨日の出来事を覚えていないような素振りを見せました。俺には、あれが嘘や演技であるようにも見えない……」
「昨晩の彼女の気配は、間違いなく魔族のものでした。ですが今日のエリナさんは、どう感知しても人間で……反応を隠しているようにも感じられませんでした。エリナさんは、魔族と人間の二人いるのだ、と言われても驚けないほどです」
シュウの言葉一つ一つに過剰に反応し、ころころと表情を変え、マイヤと火花を散らすエリナの姿は、なんらいつもと変わらないそれだった。そこに偽りはないように思う。単純にシュウがそう信じたいだけかも知れないが、それにしたってエリナの様子は余りにも普段と同一に過ぎた。
マイヤの言う通り、エリナ自身が複数人いるのだ、と言われた方が納得できる。されど同時に、あの紅い瞳の少女もまた、碧い瞳の妹と同一なのだ、という確信を、どうしてもぬぐえない。
二人の報告を聞いたアルケイデスが、一度瞳を閉じると、「そうか」と低く呟く。
「……実は、エリナ・フェリドゥーンが何らかの形でこの事件に関わっていることは、意外なことではなかった」
「え?」」
「最も、疑念でしかなかったのだが……すまない、お前達にも何か教えておけば良かったな。昔の悪い癖だ」
重々しく口を開いた彼は、一度小さく頭を下げる。
アルケイデス――マグナス・ハーキュリーは、教会の最上位クラス関係者として、様々な秘密を抱えながら活動していた。その中には恐らく、部下や同僚であっても共有することが許されない情報すらあっただろう。一人で考える癖がついているのだ、恐らく。シュウにも何となくわかる。自分を卑下するのはやめよう、と思っても、自分の価値を真正面から受け止めることは中々難しい。「本当に自分はそれだけの力があるのか」「これは過信ではないのか」という不安感は、いつまでも付きまとう。きっとそれと似ているのだ。
アルケイデスがつい、と指を掲げる。彼がいくつか言葉を唱えた後、法術の起動句を唱えると、その指に泊まる様に、鋼の鳥が出現した。ステュムパリデス・マージによって造られる、アルケイデスが伝令用に用いる金属鳥だ。何度か姿を見たことがあるが、今日はその足に何やら大きな封筒が、筒状に巻かれて備えられている。
「今朝、イスラーフィールから届いた資料だ。これを見れば、お前達なら奴の正体に感づくだろう」
取り外された封筒の中から、何枚か紙を抜き取ると、アルケイデスはシュウにそれを寄越す。マイヤが横から覗き込んでくる。彼女にも見やすいように紙の持ち方を変えると、「ありがとうございます」と小さく礼が返ってきた。
肩を寄せ合い資料に目を通す。やがてそれが一体なんであるのか、そして『どこのものである』のかが分かる。
「……名簿?」
「名前は……『キュリオスハート孤児院』……? キュリオスハートとは、あの?」
羅列する文字は、名前のリストだ。殆どに苗字が無い。日付と、年齢、それから性別と、〇と×――恐らく『法術が発現しているか否か』のみが記された表。
それはマイヤが読み上げた通り、『キュリオスハート孤児院』と呼ばれる施設が養育している、子供たちの名前だった。日付は預けられた日、あるいは誕生日のようだ。
「『その』キュリオスハートで間違いない。キュリオスハート孤児院は、ハレルヤザグナル翁が各地の身寄りのない子供を集め、養育する事を目的に設立した機関だ。卒業生は多くが優秀な法術師として活躍している。だが、一部では黒い噂も立っていてな」
そう言えば以前、イスラーフィールも同じことを言っていた気がする。彼女は過剰にハレルヤザグナル・キュリオスハートを警戒していたため、そういう噂に敏感なのかと思っていたが――アルケイデスまでが話題に出すなら、もしかしたらかなり信ぴょう性が高い内容なのかもしれない。
「曰く、孤児院の真の目的は新たなる特級法術師——つまり、ハレルヤザグナル翁本人の後継者を探すためのものではないか、と。故に、精神干渉系法術『展開型ウォフマナフ』に匹敵する、精神感応の法術を得る子供を探す、あるいは人為的にそういった法術を得させるための教育をしているのではないか、と」
「人為的に……」
マイヤが小さく呟く。その言葉には、どこか恐れのような感情が混じっている様に聞こえた。
法術の発現時期には個人差がある。生まれつき術を有している者もいれば、シュウの様にいつまでたっても発現しない者もいる。が、大抵の場合は十二歳頃に発現し、影響を与える聖霊の名が付与される、とする説が有力だ。法術は信じる力の具現化である。そしてこの世界に於いて、最もポピュラーな信仰は『天則』への帰依だ。
まだシュウが法術を獲得しようとしていた頃、イスラーフィールに法術発現時期についての質問をしたことがある。その時の彼女に曰く、十二歳、という年齢は、自発的に『天則』への帰依が可能になる――つまり、『自分で信じるべきものを判断できる』時期と合致するためではないか、との事だった。
そして法術は発現の際、その人間の精神性や、信じる事への解釈の仕方によって、冠する聖霊の名前、即ち『法術の方向性』が決定する、という。
「つまり一種の洗脳教育……ということですか?」
「眉唾だがな。あのタヌキジジイであれば、教育など施さずとも、思考を少し誘導するだけで臨む結果を得られるだろうよ」
キュリオスハート孤児院は、何らかの教育、あるいは『展開型ウォフマナフ』の精神干渉によって、特級法術師が一人たるハレルヤザグナルに都合の良い精神性と法術を発現する子供たちを育てるために在るのではないか――その仮説は、人間の運命を人間が変えたるのではなく、『あらかじめ決める』ことが可能であるように思えてしまう。シュウの背を、冷たい汗が流れ落ちた。
「何枚か捲れ。やがて写真付きの名簿に行きつくはずだ。そこに、お前たちの望む答えがある」
その言葉に従い、シュウは名簿をめくっていく。
三枚ほど名簿を読み終えたところで、名簿一枚一枚に写真が付くようになっていく。旧時代文明期には広く用いられた機材であるカメラだが、現在の世界ではかなりの高級品だ。転じて、写真も高級品となる。やはり特級法術師の経営する孤児院という事か――などと考えながら、それらに目を通す。
どうやら年齢がかなり高い子供たちのものらしい。どの写真付き名簿にも、年齢の欄に十五歳以上の年齢が記されている。加えて何人かには、〇マークの隣に注釈がついているものもあった。
そして、その中の一つを目にした時――
「えっ……!?」
「何っ……!?」
二人は、揃って声を上げてしまった。
「先輩、これって……!」
「ああ、間違いない」
そこに写っていたのは、薄金色の髪と碧い瞳をした少女。ベールは纏っておらず、孤児院で与えられたものなのか、シンプルな白い服を着ていた。
顔立ちはシュウに似たそれではなく、昨晩遭遇した方の彼女に似ている。だが、目の色は前述の通り碧。法術の発現状況は『〇』——注釈として、「最適」の文字が記されていた。預けられた日付は、年齢とほぼ一致する十七年前のそれ。
少女の名前の欄には、確かに、『エリナ』の文字。
紛れもなく、シュウたちと共にこの数日を過ごした、エリナのものだった。
大きな矛盾だ。
エリナは、シュウに対して、自分と共に過ごした幼少期の記憶について語ったことがある。あの幻想の花畑へと向かう道で交わした会話は、嘘だった、ということだろうか。
——いいや、確かに矛盾や記憶の相違があったように見えたが、あれは間違いなく真実だった。あの口調は、嘘を語るときのそれでは決してない。あの時のエリナには、幼少期のシュウと共に過ごした記憶が在ったのだ。エリナは一切の疑いなく、自分を『エリナ・フェリドゥーン』と認識していた。
だがエリナが預けられたのは十七年前とある。つまり彼女は、極東大陸で過ごしたことなど一度もないのだ。
疑念と信頼が入り混じる。事実だけを鑑みるならば、彼女の言葉は嘘で、シュウは騙されていた、ということになるのだが――しかしエリナが嘘をついていたように、どうしても思えないのだ。
その疑問は重圧となり、シュウを奈落の思考へと沈ませていく――
「はい、アリアちゃん」
「うわぁ~っ!」
ふと、アリアの愛らしい歓声で、意識が現実に引き戻される。
「うごいてるー! すごい、すごいねろざりあ!」
「ははは、ボクにとっては朝飯前だよ」
「ねっ、ねっ、ほかにもうごかしてくれる?」
「お安い御用さ。どんどん出してくれ」
見ればロザリアが、アリアの作った細かい紙細工の動物に、法術の光を浴びせていた。すると、昨晩彼女の剣がそうなったように、湖面の揺らめきのような不思議な反応が起こり、なんと動物がまるで生きているかのように動き出したではないか。猫は尻尾を揺らし、大猩々は力強くドラミングをする。天高く咆える狼の細工からは、本当に遠吠えの声が聞こえてきそうだ。
「凄いな……彼女の法術はあんなこともできるのか。展開型は、術を解き放つだけ、という印象が強かったが」
「展開型法術にもいくつか種類があるんです。先輩の創造しているのは、アルバートさんの『展開型キャメロット』の様な『奥義型』ですね。武装型に発展した後は、奥義としてそれが扱われることになります。逆にルーズヴェルトさんの『展開型ランスロット』は『特殊技能型』と呼ばれます。奥義型のような破壊力・突破力はありませんが、武装型にも劣らない多彩な戦術を取ることができます」
そう言えば、以前調べた資料に展開型法術の種別について書いてあったな、と思い出す。
武装型法術は、半永続的に持続する奥義とスキルの両方を駆使して戦うが、展開型は発動時間の短い奥義、あるいはスキルのいずれかを使う。前者である場合は、高い出力で戦況を切り開くことが。後者であれば、様々な状況に対応した術の使用が可能となる。法術師は一律に戦い方を定め、教えることが難しい、と聞くが、それの萌芽は展開型の時点で見えているのだ。
「ちなみに私のアールマティが展開型だった頃は、後者に分類される術でした。とはいえ、まだ私が幼年学校に通っていた頃の話ですが……」
「マイは法術の発現がかなり早かった、と言っていたな、そういえば」
「そうですね。一応、生まれつき……ということになります。最も、今の形として新生したことを考えるなら、先輩と出逢ってから、と言えるのかもしれませんが」
マイヤが、少し頬を赤らめながら答える。
法術は前述の通り、十二歳頃に発現する場合が多い。だが中には、もっと早い時期――それも、生まれつき法術を有するような人間もいる。そう言った人物の法術は極めて強力である場合が多く、一部では『御子』などと呼ばれると聞く。
マイヤはその類だったらしい。彼女と『アールマティ』の付き合いは、文字通り揺り篭の中からなのだ。
だが、マイヤの信仰対象は、途中で大きく変わっている。天則から、シュウへ。疑念の対象から、愛する人へ。イスラーフィールに曰く、後者になることで、記録の上でも飛躍的に性能が向上したとのことだ。そう言う意味では、新生した、と言えるのかもしれない。
シュウまで少し恥ずかしくなってきてしまい、少し焦る。
「ふむ……小さい頃のマイか……少し興味があるな」
「やめてください。あまり褒められたものじゃないんですよ、昔の私。術の内容も光の剣が作れるだけで、ルーズヴェルトさんのように小回りも利きませんでしたし――」
「いや、法術の話ではなくだな……」
結果として、突拍子もない事を口にしてしまった。
「その……可愛らしかったんだろうな、と……」
「————ッ!!!!」
実際に顔から湯気が出る事があれば、きっと間違いなく「ぼん」という大きな音がしただろう。そう予想がつくほど急激に、マイヤが耳はおろか首筋まで真っ赤になる。言葉が出ない様でなんどか口をぱくぱくさせてから、彼女は物凄い勢いで目をそらした。
「せ、先輩のばかっ、こういう時にそんなことを言わないでください、もう……っ!」
「す、すまない」
確かに、ふざけたことを言っている状況ではなかった。場の空気を読まないのはシュウの悪い癖だ。
マイヤはじとっ、とした目でシュウの方を見ると、頬を染めたまま上目遣いになり、微かな声で応えた。
「……い、いずれ……その……実家でお見せします。多分、写真が残っているので……」
「あ、ああ……ありがとう」
気まずい。
加えて、今のは遠回しに彼女の実家へ行く目的が一つ増えてしまったのではないか、と僅かに戦慄。一応は結婚を前提にした交際関係なのだ。いずれご両親に挨拶に行かねばならない、とは常々思っているのだが、マイヤ自身があまり親との仲が良くない、と避けていること、そしてシュウにも心の準備ができていないことなどから先送りにしているのだ。
だが今、約束してしまった。そう遠くないうちに、央都近郊の都市にあるというフィルドゥシー邸に赴く理由ができてしまった。写真が残っている、ということは、カメラを用意できるほどの家ということだ。フィルドゥシー家が法術師社会の中でもかなり上流の家庭だというのは聞き及んでいたが、想定外のレベルである可能性まである。
そんなことを理由にマイヤとの縁を切るなど全く考えもしないが、しかしこれは覚悟をさらに決めないといけない様だぞ、とシュウは一人で緊張する。
マイヤの顔を見ていられなくなり、目を逸らす。すると、リズベットの枕元に動く紙細工を持っていくアリアの姿が見えた。どうやら紙細工は、そもそもが彼女へのお見舞いの品だったらしい。そう言えばアリアは何度かマイヤの教室にも顔を出していた。アリア自身は確かシュウよりも二つ下なので、マイヤたちにとっても一学年下になるはずだが、彼女自身がシュウと同じで、あまりこの学園のカリキュラムに縛られない存在である故に、比較的自由な授業に参加できているのだ。
もしかしたらそこで、リズベットやロザリア、エリックとは、既に知見を得ていたのかもしれない。
「しかし……本当に凄いな。一体どうやって動かしているんだ?」
アリアの紙細工は非常に細かい。彼女は手先が器用だ。完成したそれは、無理に動かそうとすればちぎれてしまう。ということはあれは何らかの映像、ということになるのだろうが――
「お察しの通り、実際に動いているわけではない様です。『展開型ランスロット』は、影響を与えている聖霊の名前によって戦闘者としての機能——意思の察知や高い身体能力補正を得ているだけで、その本来の能力は『大気中の水分を操る事』だそうです。あの幻影は、水分を凝縮させて疑似的に湖面を作ることで、光の屈折を利用して動いている様に見せているそうですよ」
ふと、硝子玉であったり、透明な樹脂のオブジェクトを思い出した。あれらは見る角度をずらすことで、景色がずれているように見えることがある。大きくは動きは変わらないが、そこは法術、やはり超常の術だ。屈折に使う湖面の数を調整することで、細かい動きを再現しているのだろう。
実際にモノが歪んでいるわけではないのだが、不思議なもので、人間や魔族というのは、目で見たモノが多少ぎこちなくとも、それを補って認識してしまうものだ。心霊現象の正体は、そう言った補完認識によるものではないか、とする説が、旧時代には良く言われたという。
アリアがカーテンをめくる。彼女が動く紙細工を置いたのは、ベッドの隣におかれた棚の上だ。白い紙細工と対比するように、リズベットの、まだ魔力によって傷ついた姿が良く目立つ――
——いや。
「馬鹿な……!?」
シュウは思わず声を上げていた。音量が大きかったか。隣のマイヤだけでなく、ロザリア、アルケイデス、アリアにエリックと、その場にいた全員が一斉にシュウを見る。だがそんな事に気を留めている暇はない。あまりにも、あまりにも大きな変化が、リズベットには訪れていた。
それは外見上では判断できない変化だ。寧ろこの場でそれが分かるのは、シュウただ一人である。
リズベットを蝕む魔力の毒――それが、法力のモノに置き換わっていた。
正確には反応だ。これまでリズベットの傷を見たときに感じていた魔力の反応が、軒並み法力の反応に変換されているのだ。
否、否――! そうではない。
これは、偽装が解けたというべきだ。
「そうか……!!」
気づく。リズベットの傷の正体に。
気づく。エリナの二面性の正体に。
気づく――エリナの、法術の真の姿に。
シュウはこちらを見る仲間たちに向かって、己の得た答えを語り出す。本当なのかどうかは分からない。そもそも、物理的に考えればおかしな話だ。普通の人類には出来るわけがない。
だが――エリナは、法術師だ。それも十代で武装型の域に到達した優秀な。そして、ハレルヤザグナル・キュリオスハートが後継者育成のために創り出した孤児院の。
その全ての条件が整った時だけ、このトリックにも満たない、あまりにも単純な仕掛けは成立する。
「あっ……!!」
「あの妙な感覚はそういう事だったのか……!」
シュウが全てを話す前に、マイヤとロザリアが各々声を上げる。聡い彼女たちなら、シュウにしか見えない景色の情報を与えるだけで、自力で応えに行きつく。そして今回も、そうなった。
特に二人はエリナと直接戦い、そして直接『その場面を経験している』。
さらにロザリアに至っては、シュウとは別の、独自の情報を握っている。女子寮エリアで垣間見た、『意思』の見えない影。
そしてイスラーフィールでさえも探知の出来ない、『激変した過去』。
「貼り替えてるんだ、彼女……!」
「だが……それが分かったところで、一体どうすれば良いんだ? ミスタ・シュウを兄君と慕うレディ・エリナと、僕を殺しに来たレディ・エリナは同一人物なんだろう? どっちに沿った対応をしても、なんだか釈然としない終わりになるように思うんだが」
ぶるりと震えながら口にするのはエリックだ。その言葉は正しい。
碧い目のエリナと紅い目のエリナ、どちらもが本当のエリナであり、そしてきっと、本当のエリナではない。
シュウの『妹』を名乗るエリナの事だけを考えた行動を取れば、『エリナ』によって傷つけられた人たちをないがしろにするに等しい。
だが同時に、罪が在るのは『エリナ』の方であってエリナではないのだ。彼女を丸ごと裁いてしまえば、それは碧目のエリナを無実の罪で断罪することになる――
解決の糸口を齎したのは、アルケイデスだった。彼は数秒ほど考え込むと、ベッドの上のエリックを向いて問う。
「……アルバート。お前を襲撃したとき、奴は何と言った?」
「え、えっと……確か、『儀式』がどうこう、とか……」
「やはりか……」
恐怖と蹴られた痛みを思い出したか、エリックがもう一度ぶるりと震え、それから包帯で巻かれた腹を撫でる。アリアに触られただけで悲鳴を上げていたのだから、相当痛いはずだ。当然自分のその行動で自爆し、また高い悲鳴を上げてのけぞった。
そんな光景を後目に、鋼の英雄はシュウたちへと視点を変える。
「繋がったな。少年、フィルドゥシー、ルーズヴェルト。取るべき行動は一つだ。恐らくだが――」
続く言葉は、アルケイデスが此度の事象に関して、シュウのそれともロザリアのそれとも違う、彼自身の視点から見つけた答えだ。
そして特級法術師としての知識と、力に裏打ちされた自身の考えを述べた後に、アルケイデスは、シュウ達がとるべき行動を指し示した。
至極単純で、されど重い意味を持つ言葉。
「お前たちが『エリナ』を倒せ。私やアリアではなく、お前達だ。この事件は、それで解決する。同時にお前の目的も達成できるはずだ――救うつもりなのだろう、奴のことも」
「はい」
間髪入れずに応える。当然だ。
「エリナは……たとえ、本当はどういう人物なのだとしても、俺の『妹』、なんだと思います。彼女の記憶が虚構の真実だったとしても、それでも――」
——楽しかった。それが偽りでも、自分の過去を知っている、という人がいるのは。
——嬉しかった。本当に妹が、『家族』がいたように思えて。
シュウは、エリナに感謝しているのだ。例えそこにどんないびつな意図と、運命の絃が在ったとしても、彼女の出会いは、シュウの人生のターニングポイントの一つなのだ。
「エリナは俺の家族です。俺には、関係の無い人まで救うだけの力はない。でもせめて、手の届く範囲にいる、それも大切な人ならば――必ず」
だから、宣言する。
きっと、以前のシュウならここで一つ、迷っただろう。本当に自分に、この事件を解決する力があるのか、と。エリナを倒すのは至難の業だ。前提として彼女には、恐らくシュウの攻撃は殆ど通用しない。昨晩の戦闘の様に、攻撃が着弾したインパクトによって吹き飛ばす、といった戦術は可能だ。だが傷を負わせ、戦闘継続の可能性を折るような、強烈な一撃を与えることはできない。その事実の前に、心折れていたかもしれない。
しかし今は違う。シュウだけではない。マイヤがいる。エリナがいる。一人で全てを抱え込む必要はない。
それが正しい行いなのかは分からない。けれど、きっと――エリナが言う様に、自分が『救世主』なのだとしたら。その『救世』は、自分だけで行うものではないのだと思う。だからズルワーンが託した『スラエオータナ』は、誰かの法力や魔力を自分の力に変換する術として顕現したのだと、そう信じている。
スラエオータナ――古く正しい発音ではスラエータオナというらしいが、それは聖典に登場する英雄の名前だ。彼は悪王ザッハークを倒してパルスの世界に平和をもたらした、というが、その討伐の道のりは、決して彼一人のモノではなかったという。
そしてその名は、シュウの苗字、『フェリドゥーン』の旧い読み方なのだという。
自分が、伝説上の英雄の様に歩めるとは思っていない。けれど、その生き方を、自分の生き方に役立てることは、できる。
「しゅう」
その決意に、呼応して。
アリアが、一歩、踏み出す。
「あのね、きょうは――ほんとうは、りずじゃなくて、しゅうにわたすものがあってきたの」
彼女が懐から取り出したもの――それは、この局面に終止符を打つ、切り札だった。




